毎日新聞をひらくと気が滅入るニュースばかりですね。できればそんなことには眼を背けて生きていたい。けれどもそんなことができるひとは、おそらく、いません。
自分の気持ちを少しでも朗らかにしようと、また天野忠さんの詩を書きます。
わたしはテレビも視ないしラジオも聴かないので、最近の「笑い」を知りませんが、
天野さんの詩を読んでいると自然にほほえみが浮かんできます。
◇
「伴侶」
いい気分で
いつもより一寸長湯をしていたら
ばあさんが覗きに来た。
── 何んや?
──・・・ いいえ、何んにも
まさかわしの裸を見に来たわけでもあるまい…。
フッと思い出した。
ニ三日前の新聞に一人暮らしの老人が
風呂場で死んでいるのが
五日後に発見されたという記事。
ふん
あれか。
もひとつおまけ
「文字」
文字は大事にせねばならない
文字こそ私たちの命をあらわすものだから。
書かれた文字の上をまたいではならない。
たとえ印刷された文字の上でも
踏んづけて通ることは乱暴至極である。
むかしの人は
びっくりする程文字を大事にした。
泉鏡花という明治の文豪は
指で空中に書いた文字でさえ
きれいに消す真似をして清めた。
十分に消したかどうか
もう一度空中をたしかめたという。
お判りか。
今日の天野はんの詩もいいですね。
返信削除人間味のある詩を書く詩人で、
私も気に入っちゃいましたわ。
お風呂を覗きにきたばあさんに愛を感じます!(笑)
他にも天野はんの詩が知りたいと思って検索して
出てきた詩が「しずかな夫婦」。
その詩も読むと、結婚したばかりの若い夫婦が
この風呂場の夫婦に通じてるのだなと思えて愉快。
Takeoさんの読んでる詩集に「しずかな夫婦」が載ってるかもしれませんが、
書いておきます。
しずかな夫婦
天野 忠
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ小僧が窓から顔を出し
お見合だ お見合だ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
―――ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
―――ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった――
戦争がはじまっていた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果した。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律義な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっとやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
―――久しぶりに街へ出て と私は云った。
ニシンソバでも喰ってこようか。
―――ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。
私も「ニシンはきらいです」と言いそうなタイプ(笑)
そしてテレビも視ないしラジオも聴きません。家にテレビ置いてませんし。
ははは、ニシンは嫌いですが利いてますね(笑)
削除天野さんの詩は老いをテーマにしたものが多いけれど、夫婦・家族などの詩も味わいのあるものがあります。
この詩も思潮社の詩集に載っています。
ちょっと山之口獏の感じもありますね。
もちろんおもしろいユーモアあふれる詩ばかりではなく、悲しい詩もあってまたそれは紹介しようと思います。
そうですかアトリ姐ちゃんもTVラジオとは無縁ですか。類は友を呼ぶというやつでしょうか(笑)
天野さんらしい素敵な詩をありがとうございました。
いい一日を。