1)わたしの存在自体が、何か「間違ったもの」であるのか?
(例えば「1+1=3」という回答のような。
2)多くの人はわたしを「自己愛の強い人」と言いながら、何故その同じ口で、わたしを小馬鹿にするのか?世間の人たちの目にはわたしは「自己愛の強い低能」と映っているのだろうか?
3)何故わたしは誰からも好かれないのか?
「1+1=3」は、嫌悪されるのか?これは「ゴキブリは何故ゴキブリであるというだけで、忌み嫌われ、殺されるのか?」と同様の質問だ。
4)何にも増して「生き易くなること」が至上の価値とされているのは何故か?
「生き易く」なるには、ただ「皆」と「世間」に合わせてフワフワと流されていけばいいだけぢゃないか。
5)「己の信ずるところに殉ずる」信念がありながら、同時に何故ここまで極端に自己否定の感情が強いのか?
6)何故こうまでハッキリと「世間」「多数」と「対立」「敵対」するのか?
7)何故わたしは「誰ともうまくいかない」のか?
8)何故わたしはわたしをいつも持て余し、嫌ってさえいるのか?
9)そもそもわたしが人間であるということを誰が証明できるのか?
10)或る人の言葉 ー「彼は「生き辛さ」自体を自身の存立基盤としている。だから「生き易く」なっては困るのだ」
それは本当だろうか・・・
11)楽になりたい。楽になりたい。
母を楽にさせてあげたい。しかしそれはわたしが生きている以上不可能なことだ・・・
12)どちらかが死ぬまで、わたしは父を憎悪し、弟を忌避し続けなければならない。
◇ ◇
「頼むから追い詰めないでくれ!」
『評決』ポール・ニューマンのセリフ
「ここは私の居場所ではない」
ー或る境界性人格障害者の手記のタイトル
「やっと、これで、オイラの旅も終わったのかと思ったら、いつものことではあるけれど
アア ここもやっぱり土砂降りさ」
ー吉田拓郎「たどり着いたらいつも雨降り」
A most peculiar man 「とても変わった人」
You better let somebody loves you
Before it's too late. 「デスペラード」
You are nobody till somebody loves you.
I'm so tired being alone.
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