2019年8月12日

断章Ⅰ


「生き辛さ」とは、畢竟克服改善されなければならないものであるのか?たとえそのために何かを犠牲にしても。
わたしは「生き易さ」を代償にしてでも守り抜きたい自己の感受性と美意識、価値観がある。しかしそんなものに執着せずに、一途に生き易さを志向すべきなのか?

また身体的、器質的な疾患・障害でないかぎり、「生き辛さ」とは結局「考え方」「ものの見方」に還元されるのだろうか?人として、即ち社会人として、生活者としての人生に比較して、その代償としての「生き辛さ」を是認し、「生の否定」を肯定できるような「守るべきもの」など存在しないというのか。

「生き易くなりたいとは思わない」というのは、詰まるところ「身勝手」な「我儘」でしかないというのか?

この世界での「生き辛さ」とは結局何らかの欠陥欠損状態であるのか?つまり本来人間はこの世界に適応できるように作られているのか。
「生き辛さ」とは「故障」に他ならず、直ちに修理 ー 治癒を目指さなければならないのか?







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