2019年8月31日

レオナルド・クレモニーニ / Leonardo Cremonini


20世紀イタリアのアーティスト、レオナルド・クレモニーニ(1926-2010)
の作品です。

2枚目の、お風呂から上がった子供と、そのからだを拭くお母さんの絵がとても微笑ましく、上の1枚も抽象(画)的な具象・人物画といった感じで、わたしの琴線をふるわせます・・・

今日の天野はん


「穴」ー ボクの家族 三         天野忠

            
                                            
ボクは

学校から帰って直ぐ

おじいちゃんのところへ走って行き

「宇宙にはブラックホールがあるんだぜ」

と教えてやった。

おじいちゃんはすこしも驚かず

水洟を親指の腹で拭きながら

「・・・吉田町のあたりには沢山ミルクホールがあったなあ」と云った。

「ミルクホール?」

「あたたかい牛乳とアンパンを食べによく行ったもんだ」

「宇宙にあるブラックホールはとっても深い深い穴だぜ……」

おじいちゃんは

キョロンとボクを見て

「……ミルクホールとその穴とどんな関係があるんじゃ」

というから

ボクは

「関係ない」と答えた。




今日で八月も終わる。早く涼しくなればと思っている人もいれば、秋に、そして寒さに向かって、塒(ねぐら)の心配をしている人もすくなくはないはずだ。

寝る家のない人に、あたたかい牛乳とアンパンを。

ううん、寝る家のない人と、あたたかい牛乳とアンパンだ。









2019年8月29日

拒否するということ


わたしは、例えば「ベジタリアン」や「アーミッシュ」といった人たちの生き方に敬意を抱く。それぞれについて詳しい知識は何も持たないが、自分の主義にしたがって、肉食をしない、或いは車に乗らずに馬車を使ったり歩いたりする。

つまり便利であるとか栄養があるとか、美味しいといっても、自分たちの主義にしたがって、それらを拒否する。

先日昨年の『暮らしの手帖』に現在の若手リベラル派の論客である荻上チキという人の文章が掲載されていた。30代の彼の娘と息子が、スマホだかタブレットだかのゲームに興じている。わからないことがあれば、とりあえず音声入力(検索?)して回答を得る。オンライン・ゲームで仲間と笑いあっている。自分の若いころに比べてつくづく羨ましいなと思う、と。

そしてアニメであろうがスマホのゲームであろうが、SNSであろうが、肝心なのはそれをどこで仕入れたかではなく、仕入れた知識をいかに自分の血肉にするかだと。

ベジタリアンは動物の肉を自分の血や肉にすることを拒んでいる。
仮にそのことによって栄養が偏り、健康にあまりよくないと知っていても、彼は「それを自分の一部とすることを拒む」だろう。

チキはわたしのような、年寄りの「新しいメディア叩き」を「ダサい」と切り捨てる。
「何々ってダサいよね」と、一言の元に切って捨てることの浅薄さに、彼らは気付かない。

彼らにはおいしくて栄養のある肉を食べることを拒否する人の気持ちがわからない。
車に乗らず、敢えて馬車に乗ること、長い道のりを歩くことを選ぶ人たちの気持ちが理解できない。彼らにとって大事なのは、この世界にあるものを、いかに有用に利用するか、どのようにして自分の栄養にするかだけであって、それを養分にしてまで生きたくはないという人たちの心がわからない。
'Natural Born Socialized' 「生まれつき社会化された者たち」とでも言うべきか。

わたしのデジタル機器嫌いは、必ずしも主義やポリシーによるものではなく、もっと生理的な嫌悪感だ。

エミール・シオランは
「ある種の人たちにとって、生理と思想は切り離せない。彼らにとっては生理即ち思想なのだ」というようなことを書いている。今手許に彼の著作『呪詛と告白』がないので、一字一句正確には書けないが、わたしの思想は、わたしの生理的好悪と切り離すことはできない。

中国に「渇しても盗泉の水は飲まず」という言葉がある。
どんなにのどが渇いていても、「盗泉」などという名前の泉から水を飲むことはできないという、いわばこだわりであり美意識である。

そしてこだわりとは大抵このように、傍から見れば馬鹿気ている。
しかし馬鹿げたことに命を掛けられずに何が人間か。












2019年8月27日

「祈り」について2


雨の埠頭に座っている男性に「ただ、祈ってくれればいい」と言われて、わたしは彼に、いったい何に?或いは誰に祈ればいいのか?と訊くだろう。

それに対して、「何に」または「誰に」、という答えが得られるのかすらわからない。
しかしそれがわからなければ、わたしは祈ることができない。

けれども、仮に「仏様に」「イスラムの神に」「キリストに」・・・といわれても、その祈りの対象が誰であれ、わたしは「祈りの方法」を知らない。

仏にはどう祈ればよいのか?

アラーの神、或いはマホメッドにはどのように祈りをささげればいいのか?

「キリスト教」といっても、カソリックとプロテスタントでは祈りの形も違うだろう。
香港が英国領であったからには、イギリス国教会ということも考えられる。

祈りの向かう対象が何であれ、また誰であっても、わたしは一切の祈りの作法を知らない。

祈りの作法とは、それに対して思いを届ける「言葉」「言語」だ。

昔の人たちは、たとえ文字が読めず、書けなくとも、誰もが「祈りの作法」を知っていた。「祈りの言語」を持っていた。けれどもわたしは、辛うじてわずかな言葉を読み、書くことができても、人間として最も根源的な、大いなるものとの対話の方法を知らない。

それが仮に「何々教」というような、大きく「神」という言葉で示されるものではなく、大自然に向かって祈る方法さえ、わたしは知らない。大いなる自然に呼びかける言葉を、声を、わたしは持っていない・・・










「祈り」について


昨日、8月26日金曜日の『東京新聞』夕刊一面のコラム「紙つぶて」に、「三田文学」副編集長の粂川麻理生さんの「香港にて」という記事が載せられていた。

わたしは新聞を読まない。というよりも、敢えて遠ざけている。面白そうな記事があったら教えてくれるように母に頼んでいる。先日のモリッシーの「万国の万引きたちよ」も母に教えてもらった。

今回も母に教えてもらった記事になる。以下、コラムの概略を・・・

今月初めにマカオでの仕事のついでに、一日だけ香港に寄った。もちろん香港のデモのことはよく知っている。できれば、一緒になって応援したいと思っていた。ところが粂川さんが香港についた日は生憎デモのない日だった。
市内を歩いていると、雨の降る中、埠頭で、ハンストをしている男性に出会った。
道行く人は誰も彼に目を留めない。監視でもされているのだろうか?と思いつつも、彼に近づき話しかけた。男性は、「世界に今の状況を知ってもらうためにやっている」と答えた。「何かできることはありませんか?」と粂川さんが問うと、彼は微笑んで、「ただ、祈ってくれればいい」



わたしは以前から「祈る」という言葉は「神」と対(つい)になった言葉であると考えていた。
別に無神論者ではないが、特定の宗教を信仰しているわけではない。
「人間死ねば無になる」と信じたいが、かといって、唯物論者というわけでもない。
強いて言えば、「アニミズム」ー一木一草悉皆成仏。あらゆる物に魂が宿るという思想に近い。そして、それがなんであるかわからないが、何か「人智を超えた大いなる存在」によって、わたしたちは生かされているのだと。

わたしにとって、「祈ってくれ」と言うことは、とりもなおさず「神に祈ってくれ」ということだろうと思っていたが、母は、そうではないだろうという。何かに向かってではなく、祈りそのもののことではないか、と。

ハンストをしていた男性は、「神に祈ってくれ」とは言わなかったし、粂川さんが自分を日本人だと言ったかどうかはわからないが、顔を見れば東洋人であることはすぐわかる。では(あなたの信ずる神に)「祈ってくれ」という意味かと言えばそうではないような気がする。

粂川さん自身こう書いている、「ただ、祈ってくれればいい」と言われた時に
私ははっとした。「祈り」という行為の意味を見失っていた気がしたのだ。」

正直なところ、わたしには、母の言う、「対象のない祈り」という意味がよくわからない。

底彦さんは、わたしがコメントをすると必ず返事の終わりに「Takeoさんの健康を祈ります」と書いてくれる。
それに対して、わたしはどうしても「祈り」という言葉がつかえずに、「底彦さんの心の穏やかならんことを願います、(望んでいます)」としか書くことができない。

わたしが「あなたの健康を祈ります」という時には、それは「あなたの健康を(神に)祈ります」という意味だ。しかしわたしはその祈りをささげるべき「神」という具体的な対象を持っていない。
だから「願う」「望む」という言葉しかつかえないのだ。
誤解のないように付け加えておくが、底彦さんの言葉が、「Takeoさんの健康を(神に)祈ります」という意味だと言っているのではない。

わたしには「神」というものがよくわからない。けれども、わたしは「祈り」というものを「神」という存在と切り離して考えることができない。
もし「あなたの健康をこころからお祈りします」「無事を祈ります」という言葉たちが、その祈りが、「神に」向けられたものでないとしたら。神よ「彼を」「彼女を」お守りください」という祈願でないとしたら、いったい「祈り」とは如何なるものか?

もしわたしが粂川さんの立場にあって、ハンストをしている男性から、目的語のない「ただ、祈ってくれればいい」と言われたら、わたしは彼に「誰に?」と尋ねてしまうだろう。そうでなければ祈ることができないから・・・













2019年8月26日

断絶…


プリーモの詩の解説で、特に印象に残った個所を引用しておく。

「生き残り」という詩についての竹山博英氏の解説。

この詩では、レーヴィにとって重荷になっていたいくつかの苦しみが語られる。
初めのものは、訴えかけても聞いてもらえないという苦しみだ。この詩では4行目までがコールリッジの「古老の船乗り」からの引用である。ただしコールリッジの詩では、「恐ろしい体験談を語り終えるまでは」となっているところを、レーヴィは「そして話を聞いてくれるものが見つからないなら」と書き換えてある。
レーヴィにとって、アウシュヴィッツの体験を語ることは、自分自身の存在意義に関する重要な問題だった。だが彼の言葉に耳を貸さない者たちがいた。自分の話を聞いてもらえないという体験は、彼の心を深く傷つけ、それが終生彼を苦しめた。この3行目の詩句の書き換えに彼の傷ついた心のさまが読み取れる。



元のコールリッジの詩で「恐ろしい体験談を語り終えるまでは」と記されているところが、プリーモの詩では、「そして話を聞いてくれるものが見つからないなら」に変化している。

これに続けるならば、わたしの苦しみは、
「そして何者もわたしの話を理解できないならば」
という苦しみである。

「孤立と独特の認識の化け物」として長く生き続けることはできない。
そして「独特の認識の化け物」の話を理解できるものを見つけることはできない。
だからこそ、「孤立と独特の認識の化け物」なのだ。










降りてゆく…

           

谷底へ 


                          プリーモ・レーヴィ


荷車の列があえぎながら谷底へ降りてゆく、

枯れ枝を焼く煙が、青く、苦くよどんでいる、

生き残りのミツバチがイヌサフランの蜜をむなしく探っている。

崖の土が水を含んでゆっくりと崩れ落ちる。

まるで天に召されるかのように、霧がすばやくカラマツの間を駆け上がる。

生身の肉体の私は、重い足で、むなしくもそれに追いすがろうとするが

それはすぐに雨になって落ちてくるだろう。季節は終わり、

私たちの世界の半分は冬の方に航路を向けている。

そしてすぐに私たちのすべての季節は終わってしまうだろう。

この良き手足はいつまで私の命令に従うだろうか?

もう生きるにも愛するにも遅すぎる

天空に分け入り、世界を理解するにも。

今は降りていく時だ

表情の消えた無言の顔を掲げて、谷底へ、

私たちの思いやりの陰に身を寄せるために。

(1979年9月5日)


『プリーモ・レーヴィ全詩集ー予期せぬ時に』竹山博英訳 (2019年)





















2019年8月25日

中上哲夫、暗い言葉たち・・・


不満、苛立ち、反抗、挑戦、皮肉、憤怒、躊躇、拒絶、嫌悪、憎悪、不機嫌、唾棄、嘔吐、疾走……と言った精神が危なっかしく沸騰しあふれ、敗走や諦観もそこにからまりあいながら、果敢な異議申し立てになっていた。傲慢で卑劣な現実世界に安住することを拒否して、まず積極的に「逃げ出したい」という願望に貫かれていた。

当時中上哲夫は会社を辞め、暗い顔をして旅に出ようとしていた。その後の生き方も含めて、彼は仕事も住まいも安穏として定着できないタイプの人間だった。定着と流動をくり返してきたと言える。それが本来詩人のあるべき生き方、とは単純に言いきれないけれど。日常に対して不満を持ち、嫌悪し憎悪しながら、欲望に従ってすんなり旅へ出たり逃げ出したりできれば、この世も与しやすいものだけれど。意のままに生きられるならば、苛立ちも日常のレベルで解消できるだろう。「とどまっている男のモノローグ」という詩のエピグラフに引用されたヘンリー・ミラーの言葉通り、「とにかく行くのだ、きみが行けば世界もいく」、それが可能ならば、世界の構造がそんなに単純であるならば、詩はもう少し楽天的になれる。でも「とにかく行」きたい。

中上哲夫の詩は、一貫して、外へ発散する形で、カッコよく青春の不満を吠えたて、「ノー!」を言い続けてきたわけではない。自分の内部の屈折をすでに初期から内包していた。第三詩集『さらば、路上の時よ』では、ビートニックの風はむしろおのれに向かって吹いていた。「ああ、六十年代のロックンロールはもうたくさんだ」「歩いているのは確実に老いていくわたしたちだ」「本日休診 / 抒情詩も休みだ」「人もまた過行く風景に過ぎないか?」等々。
また巻末に収められた「さらば、路上の時よ」は次の行で終わる。

わたしたちはこうして少しづつ滅んでゆくのか?
青春の詩法とともに!

第一詩集から十四年後の詩集『記憶と悲鳴』で詩は大きく変容する。おのれの来し方や日常と向き合う要素が色濃くなる。
 (略)
けれどもそれはかつての若造の青春の敗北なのではない。そうではなくて変容である。詩の精神が挫折し敗北したのではなく、内省し、前向きに変容したのである。白石かず子は『さらば、路上の時よ』の書評でこう看破していた。「自分の内部へと坑道をほっていく、きわめて個人的なそして真にあるべき自由への求道であり、自分の内部への容赦ない告発と挑戦である」(「詩芸術」1978年)

その後も、「自分の内部へと坑道」を掘り進んで、今日に至っている。ひたすら外部へと向かって一途に青々としていたパワーが、成熟しながら詩の錘鉛をおのれの内部へ深く降ろしつつあった。」

『中上哲夫詩集』解説 八木忠栄(2012年)より抜粋 (下線・太字Takeo)



上記は、中上哲也の20代初めの頃からの同人誌仲間が2004年に書いた文章に、
中上の詩集『ジャズ・エイジ』が2012年に出版された際に大幅に加筆して収録されたものの抜粋である。

この文章に共鳴したというよりも、引用の冒頭に列挙された「暗い言葉たち」にわたしは惹かれたのだ。
ただし、「挑戦」「疾走」という言葉はこの一群の言葉たちの中ではある種の「光」を孕んでいるようで、これは除外したい。
疾走よりは、すぐ後に書かれている「敗走」乃至「逃走」だ。

また、白石かず子が『さらば、路上の時よ』の書評で記したという
自分の内部へと坑道をほっていく、きわめて個人的なそして真にあるべき自由への求道であり、自分の内部への容赦ない告発と挑戦

わたしが共感できるのは、

「自分の内部へと坑道をほっていく、自分の内部への容赦ない告発・・・」
という部分に限る。わたしがここでやっていることも、これに近いと思う。
けれどもそれは「真にあるべき自由への求道」なんかじゃない。
わたしはただ、無目的に、或いは自己目的のために・・・ただ内面を掘り進めるという盲目的な衝動によって、自己の内側へと沈潜してゆく。シンニ  アルベキ ジユウヘノ グドウ・・・などという古めかしい「スローガン」は面映ゆく、鼻白んでしまう。

わたしは旅というものを知らない。また、今の時代が旅が可能な時代であるのか、確かめるすべもない。今の時代、おそらく唯一の、そして本物の「旅」と言えるのは、以下に中上が書いているようなものではないだろうか



暗い
われわれの時代の
性病者、精神病者、夢遊病者
酒精中毒者、薬物中毒者
虞犯者、犯罪者、犯罪予定者
漁色者、色情狂者、同性愛者、両性愛者
意志薄弱者、希望喪失者、人格喪失者
フェティシスト、トランスヴェスティスト

「今夜わたしは渋谷「千両」の節穴からわたしの世代の幻を見る」(5)

わたしは冒頭に列挙した言葉たち同様、このような「者」たちに惹かれる。
わたしはこの中のいかなる「者」にも「イスト」にも嫌悪も偏見も持ってはいない。
現代の「旅」は、おそらく自己の内面深くへの(垂直方向の)旅であり、異端異形人外(にんがい)へのメタモルフォーゼの過程にこそ見出せるものかもしれない。

「まとも」「正常」「ノーマル」。上記の文中にすら見える「前向き」・・・そんな眩い言葉の数々・・・とてもじゃないがついてゆけない。


ゲーテに逆らい、「もっと闇を!」と叫んだのは誰であったか・・・










2019年8月24日

認知行動療法への懐疑ー間違った存在(追記)


以前にも書いたが、昨年の秋、デイケアに体験参加した際に、ある男性に、「あなたの話し方、あなたの挙措に威圧感を感じる」と言われた。

わたしが最後に就いていた仕事(アルバイトだが)はヤマト運輸のサービスセンターのオペレーターだった。
わたしの対応は、同僚にも、また客にも概ね好評だった。ただ、あまりにも一人の話をじっくり聞きすぎるので、効率が悪いと課長に言われていた。「もっと捌け捌け」

しかしわたしがそこを去った直接の理由は、同じアルバイトの女性から、「あなたの声が大きすぎて仕事にならない」と言われたことだった。いくら課長を除く社員、同僚に、いい仕事ぶりだと言われても、人の仕事を妨害していたのでは辞めるしかない。

それがわたしの社会との別れだった。35歳ー21年前のことだ。

今回のデイケアで、わたしがあれほど激昂したのは、ここのところずっと主に聞き役に徹して(でもないが)いたわたしであったが、どうしても言わずにはいられないことだったからだ。
あのプリントに書かれていたことは即ちわたしの価値観・美学・人生観の全否定であった。

“The only people I would care to be with now are artists and people who have suffered: those who know what beauty is, and those who know what sorrow is: nobody else interests me.”

「芸術家、苦しみに呻吟している者、そして美と悲しみとを知るものだけをわたしは愛する。その他の者に関心はない」
ーオスカー・ワイルド

「美こそわたしの信仰である」と繰り返し書いてきた。そして悲しみこそが究極の美の姿だと思っている。

わたしには「認知行動療法」とは、少なくとも昨日の資料に関して言えば、悲しみを敵視し、排除すべしと読めた。
「リフレーミング」(Re-Flaming) =「視点の転換」 によってどんな悪いことでもプラスに転じる。例として挙げられていたのは、「離婚した」→よかったじゃん→「新たな恋の始まりの可能性!」
これを読んで過去に2度離婚経験のある男性が、「こんなこと言う奴がいたらオレ本気でぶっ飛ばすよ!」と言っていた。


否定され拒絶され続け、遂には「孤立と独特の認識の化け物」となったわたしにとって、
「リフレーミング」とか「視点の転換」などと言われても、平たく言えば「物は考えよう」・・・というところに帰着する。

しかし、わたしが危惧するのは、わたしの存在で不愉快な思いをした人も確かにいるはずだということ。そして誰も自分の価値観を押し付ける権利はこれっぽっちも持っていないということ。

少なくともわたしはデイケア参加者にとっては、あまりありがたくない存在であることは確かだろう。



汽車より悲しいものがないわけは

決められた時刻に出発し

発する声は一つしかなく

走る道も一つしかないからだ


これは「アウシュヴィッツの生き残り」(1987年に自死)プリーモ・レーヴィの詩だ。
今月岩波書店から『全詩集ー予期せぬ時にー』が出版されたが、図書館に所蔵が無かったので、早速購入してもらった。
所蔵がなく、出版1年以内の本であれば、よほどの「変態本」でないかぎり新規購入してくれる。


良くも悪くも、わたしはわたしでしかありえない。

発する声は一つしかなく

走る道も「わたし」という一本の道しかないのだ・・・













「間違い」について、その他雑感

今日(金曜日)は殆ど一日中寝ていた。朝8時前に寝て、夕方と夜の食事に起きて、
今さっき、既に日付が変わって8月24日土曜日になって初めてパソコンを開いた。

ゆうべふたつさんからもらった「「平和」は「戦争」の対義語ではなく寧ろ類語である」へのコメントも、昨夜の記事を投稿した後に気付いて、返事を書こうとしたが、どうしても考えがまとまらない。文章が書けない。



昨日の投稿は「わたしは「間違った存在」なのか?」という自分への、そして世界への問いかけで終わっている。

それに引っ掛けるわけではないが、最近の投稿での「間違い」・・・というよりも「誤り」を先ず訂正しておきたい。

先ず8月18日の投稿「もってけ泥棒!」の中でこう書いた

「日本の大学が競うように文学部を廃止してゆくのも、詰まるところ、あまりいろんなことを知ってほしくない、そして考えてほしくないからに他ならない。」

「日本の大学が競うように文学部を廃止している」という事実があるのか、実はわたしは知らない。先日まで「ブログ村」に籍を置いていたころ、ふと目に留まったブログに書かれていたことをそのまま転用したのだ。そのまま?・・・いや、この通りに書かれていたかも定かではない。とにかく太字部分を借用した。

昨日の東京新聞の文化欄コラム「大波小波」には、このように書かれている。

「大学入学共通テストと学習指導要領の「国語」改正をめぐる議論が、ようやく教育界の外部にも広がってきた。先日の本欄でも紹介していたが、『文学界』9月号の特集は「『文学なき国語教育』が危うい!」。(略)OECD加盟国等の15歳の生徒を対象に行われる学力調査で、2002年に日本は「読解力」の成績が著しくダウンした。「PISAショック」と呼ばれるこの出来事が、実用的な論理的理解力を重視し、文学作品を排除する今回の国語改革の契機となっている。だが12年に同成績は1位になっているのだ。この契機の曖昧さを、齋藤孝と前川喜平がともに指摘している。」・・・云々


「日本の国語教育から「文学」が排除されつつある」ということはどうやら確からしいが、「大学が競うように文学部を廃止している」という事実があるのかないのかは、実際にしかるべき資料を基に調べてみなければ事実以前の記述になる。
更に、本当にわたしが誰かのブログでこのような言葉を見たのかも今となっては心もとない。ひょっとしたら、わたしの創作であるのかもしれない。



次に「「平和」は「戦争」の対義語ではなく寧ろ類語である」で、わたしはまたもや誤った事実を書いている

「東京で、一夜にして10万人が犠牲になった1945年3月10日の大空襲・・・」

同じ日付けの東京新聞夕刊1面、(執筆者の「わが半生の記」とも「自叙伝」ともいえる)『この道』で、現在連載中の、作家、西村京太郎氏は、戦争時代を振り返り、昨日の紙面に、このように書いている、

「しかし45年を迎えると戦局はますます厳しくなっていた。それでも、私は、4月1日の東京陸軍幼年学校の入学に、興奮していた。
 3月10日、B29、300機が、東京の深川、本所、浅草などの下町の住宅密集地を爆撃、死者約8万3千人、被災家屋26万戸の被害を与えた。東京の東半分が消失してしまった。」



西村京太郎氏のいう死者約8万3千人が事実だとして、それを10万人と書くことが「どのような形での」「誤り」であり、何を以て「誤解」とするのか、わたしにはわからない。

肝心なのは死亡者の厳密な人数ではなく、それが1万人であろうと、200人であろうと、5人~10人であろうと、一般市民が無差別に殺戮されたことだ。仮にわたしが読者の立場であれば、8万3千人が10万人と書かれていても、それを「間違いだ」と指摘する気持ちはまるで持たない。だからこそ、南京大虐殺に関して、「中国側は何百万人の何十万人のと息巻いているが、実際は高々、〇〇人ほどで・・・」というような言い分は到底受け入れられない。

ただ、そうではあっても、上の「文学部」の廃止にしても、東京大空襲の犠牲者数にしても、
「この国の「日本語教育」から文学が駆逐されようとしている」「空襲で、一般市民が多数犠牲となった」という大枠での事実の合致によって、更に細かいところの誤りを帳消しにしたくはないし、そもそも、そういうことができない性分なのだ。

繰り返すが、大事なのは、今何が起きているか、嘗て何があったかを知り、それに思いを致すことであって、その規模は二義的なことであることに違いはない。
と同時に、わたしは殊に上の投稿について、ネットに書かれていたことを事実の検証を省いて、ウソかマコトかわからぬままに、読者に提供したという点に、割り切れなさを拭い去れないでいる。



そして昨日のデイケアの記事についても致命的な欠陥がある。

わたしはプログラムで行われた(集団)認知行動療法の「とらわれ」に対する心のケアについての資料を読んで、それを出席者全員の前で全否定したと書いた。
ところが、これを読んだ人には、そもそもその資料にどのようなことが書かれていたのかがさっぱりわからない。それでは「これはわたしも受け入れられない」とも「何故これでそんなに激昂するのかわからない」とも言えない。判断材料が提示されていない。
きちんとした文章になっていない。

以上のことは昨日の「認知行動療法」に対するわたしの生理的レベルでの反発と通底しているようにも感じられる。自分に対して、「まぁまぁ・・・」と言うことができない。言いたくないのだ。

昨日のわたしの発言の後にも、わたしにたいする反論、というか、自分はこう思うのだが、という意見がいくつか出た、これはデイケアに出席しはじめて強く感じることだが、全く同じことを、インターネットで、パソコンのディスプレイ上に表示された文字だけで読めば、必ずや反発していたであろう言葉が、同じ部屋にいる人の、穏やかな、基本的にわたしへの好意を込めた(或いは「敵意」を全く感じさせない)言葉で語られると、内容自体は受け入れられずとも、自然に、ごく当たり前に「(ご意見を)ありがとうございます」という反応になる。
先日Tさんと話した内容、彼女のアドバイス(?)は大方記憶の彼方に飛んで行ってしまった。けれども、彼女がわたしのために流してくれた涙と、終始笑顔で、わたしの話を聴いてくれたということは忘れない。

「身体性」或いは「マチエール」「テクスチャー」、わたしにとって「言葉」はそれらと切り離すことはできない。例えばJunkoさんではないが、同じ「このばか!」でも、目の前にその人がいて、ほほえみながら軽く肩を小突いて言うのと、インターネットのアノニマスの発するそれでは、その数文字の担っている意味が全く、まったく、異なるのだ。ときにそれは友情の証しにもなり、鋭いナイフにもなる。

無論現実の世界にも、言葉の本来の意味での「馬鹿ども」や「合わない人」はいくらでもいる。
しかし現実には馬鹿どころか、心優しい人でも、身体性(微笑や声音(こわね))を捨象された言葉は、ある種の人たちにとっては、高い確率で、凶刃になりうる。
いうまでもなく、それはわたし自身も例外ではない。わたしにとって、インターネットは、決して優れたコミュニケーションの道具とは言えない。

特に、Tさん、そして母に異口同音に言われたように、わたしのように「一つの声しか持たない」者には。 











2019年8月23日

認知行動療法への懐疑ー間違った存在


デイケアのプログラムの中でも、「集団認知行動療法」は可能な限り出席している。
昼夜完全に逆転している生活が常態となっているわたしは、この病院のデイケア利用者になってから、AM10時から始まる午前のプログラムへの出席は過去に1度だけしかない。今日の「集団認知行動療法」は、このプログラムにしては珍しく午前に行われた。今日のテーマが「とらわれ」であるということは知っていた。実際「とらわれ」と「思い込み」と「こだわり」と、どう違うのか、あまりよくわからないのだが ── 実際にプログラムに参加してまだそんなことをいっているのは、わたしの思考力の著しい低下を物語っているともいえるだろう。思考力の低下と同時に記憶力の衰えも目立っている。今日の出来事でさえ、時間の経過とともに、細かい記憶の破片がパラパラと剥離してゆく。そういう意味で、今日感じたことは、今日の内に書いておかなければならないと実感した。日を置き、時間を置くことで、その「実感」は、みるみる色褪せ、遠ざかってゆく。

実は今日の午前中の参加も、今朝7時の時点では「止めておこう」と考えていた。
「心に思ひ煩ふところありて・・・」のせいか、或いはもっと別の気持ち、感情のせいかわからないが、午前7時半ころに、少し多めの睡眠薬を飲んで寝た。
目が覚めて、時計を見ると、午前9時10分。病院までは歩いても10分以内。特別の支度もいらない。外は曇り空で、激しい太陽の照りつけもない・・・せっかくこのタイミングで目が覚めたのだから行ってみるか・・・



さて、今回「とらわれ」のテーマの下で行われたディスカッションは、心に刻まれた傷痕=「とらわれ」をいかに手当(ケア)するか、というものだった。

今手許に今日の資料がないことと、講師であるデイケアスタッフの説明を細かく思い出せないこともあるが、スタッフ2人を合わせて、参加者約12・3人に配られた資料を読み終えて、進行役のスタッフが、「何か意見のある人・・・」と発言を募った時、既にわたしは手を差し挙げていた。そして今日の話し合いの口火を切った発言は、「一言でいって、全く賛同できない。わたしにいわせれば、これは単なる「酸っぱいブドウ」の論理であり、合理化でしかない。わたしから見れば、これは苦しみや悲しみから目を背ける方法にしか思えない」と。わたしの発言は或いは怒気を孕んでいたかもしれない。

スタッフが資料として用いたプリントの元になっている心理学者とやらの文章があまりに軽薄C調であるという事情もあるだろうが、思い出すのは、10年ほど前、さるQ&Aサイトで、瀬里香さんとわたしとの共通の知り合いであり、嘗て「Hさんとの対話」という投稿でも紹介したことのあるHさんの当時の口癖が「それはイラショナルソート(不合理な考え方)だ」というものだった。
そのような考え方自体が根本的にわたしとは合わない。

それはイラショナル=「不合理な」考えであるというからには、そういう当人は少なくともそれに対する「ラショナル」=「合理的な」考え方というものを知っているということになる。では「A」は合理的、「B」は不合理であるとするそもそもの根拠はなにか?
そこには必ず、「客観的な正しさ」が 個々人の実存の外側に存在しているという発想があり、それが論拠になっているはずだ。
 
わたしは気質として、性分として、「自分の外側」に「自分から離れたところ」に、本当の「真」「善」「美」があるというプラトンのイデア論とは性が合わない。

先日一部紹介した木村敏の『分裂病と他者』の中に、ある心的特性、思考傾向と相性のいい哲学と相性の合わない哲学があると記されていた。木村氏によると、

現象学というものが、日常性のあらゆる自明性を疑問に付し、その妥当性を停止して、自己や世界の絶え間ない動きそのものに焦点を合わせる営みである以上、現象学は、すべてが経験的・日常的次元において強固に構成されてしまっている躁鬱病患者の世界にはほとんど手掛かりを見出しえないことになるだろう。現象学とはいわばこの上なく「非躁鬱病的」な知的営為なのである。そしてこれとはうらはらに、現象学は極めて「分裂病向き」の知的姿勢に対応し、分裂病はそれ自体きわめて「現象学的」な事態だということができる。
(下線Takeo)

わたし自身「分裂病」なのか「発達障害」であるのか、はたまた「人格障害」であるのかは、依然として、そしておそらくは永遠に謎のままだろうが、そもそも「認知行動療法」という思考法が、わたしとは全く相容れないのだ。

このように、あるテーマについての講義、話し合い、意見の出し合い、或いは講演会などで、真っ先に手を挙げて異論を述べるというのは昔とちっとも変わっていない。

当然のこと(?)ながら、わたしの発言の後の皆の発言は、基本的にこの考え方を肯定しつつ、乃至、理解し咀嚼しようという姿勢で(少なくとも「否定」することなく)進んでいった。

このプログラムはみなが意見を言い合う場所なので、わたしは終盤、このように発言した。

「わたしはここに、(集団)認知行動療法のプログラムに、みなさんと一緒に参加しています。
そして、今日のテーマである「とらわれ」に限定せず、常々大方の参加者が良しとしている「認知行動療法」の考え方に疑問を呈しています。今日はそれが最も顕著な、見方によっては過激な形で現れました。では、そもそも、これを「全否定する」ということが、他ならぬわたしの「病い」なのでしょうか?そしてこれが所謂「認知のゆがみ」と称されるものなのでしょうか?
わたしはここに座って、今日のテーマを完全に否認し全否定している。みなさんご存知のように、他のプログラムでも大抵わたしは、程度の差こそあれ、皆とは反対のことを言っている。ではわたしはいったい何のためにこのデイケアに参加しているのでしょう?喧嘩を売るためでしょうか?敢えて不協和音を奏でて皆を不快にさせるためでしょうか?」

教室が静まり返った。

その後誰それからいくつか発言があったが、それもあまり記憶に残っていない。
ただ、丁度隣にいた最近知った60代くらいの、いったい何処が悪いのかと思わせる男性が、「自分を知るためじゃないかな・・・」と言ったことが印象に残っている。

自分を知る。自分と所謂その他大勢との隔たり、わかり合えなさ、共通点のなさというものを再確認するため・・・・?

プログラムが終わって、昼食の時間だ。わたしは午前の話し合いを終えて、すぐに帰るつもりだったので、昼食の申し込みはしていない。

みなが病院で出されるような食器(ここは病院だ)に入ったハヤシライスを食べている中で、わたしは一人、屈託と、後味の悪さに苛まれていた。
わたしの一連の発言に対し、誰一人、不快そうな表情をしたり、嫌味めいたことを言った人はいなかった。またかという苦笑も、聞こえなかった。

わたしはいつものように、自分が感じたことを率直に述べた。曰く「自己欺瞞」「喜怒哀楽の「怒」も「哀」も「わたし」(の一部)として引き受けるのが人生ではないのか?」
「あらゆるマイナスがプラスに転じる魔法が行き渡れば、芸術は存在しなくなる。フロイトは彼の許を訪れたグスタフ・マーラーに向かって言わなかったか、「あなたを治療することには躊躇いがある。何故ならあの素晴らしい音楽が聴けなくなるから・・・」と。何故そうまでして、悩みや悲しみというものを蛇蝎の如く、否、疫病の如く忌み、斥けるのか・・・あらゆる真の芸術は血の滴る「傷」から生まれるといったのは、ジャン・ジュネではなかったか。


とはいえ、この後味の悪さはなんだ・・・

そこで突き当たるのは、ちょうど一週間前、Tさんと話をした時に渡したメモの冒頭に書かれた言葉「そもそもわたしは「間違った存在」なのか?」













2019年8月21日

「平和」は「戦争」の対義語ではなく寧ろ類語である。


昨日、8月19日付け東京新聞夕刊一面に「ゲゲゲの娘 反戦語る」という見出しで、
漫画家、故水木しげるの娘が、7月に名古屋市にある戦争と平和の資料館「ピースあいち」で約70人の聴衆に向かって語ったこと、戦争で左腕を失った父の戦争に対する思いなどを記している。

わたしは水木しげるが戦争で片腕を失ったこと、国家から受勲したことを知っていた。
そして今回の記事で何よりおどろいたのは、「ピースあいち」で彼女が語った、2003年に受勲した際に、水木は「勲章は戦争で死んだ者にやるべきです」と言ったというエピソードを紹介した箇所だった。

片腕を失わせるような戦争に自分を巻き込んだ国家を恨むどころか、勲章を頂戴し、あまつさえ、「戦争で死んだ者にこそ勲章をやるべき」とは・・・

では「戦争で死んだ者」とは具体的にはどのような者たちのことだ?
先の大戦では日本人310万人が戦争によって命を失っている。
赤紙一枚で兵士として駆り出され、主に南方で、戦争によってというよりも、食糧不足による極限状態の飢餓、負傷やマラリアなどの病気の治療が満足にできなかったことで死亡した者たち。
沖縄戦で日本軍によって自決を強いられたり、米兵ではなく日本兵によって殺された沖縄人、更に東京で、一夜にして10万人が犠牲になった1945年3月10日の大空襲、連日の全国各都市への爆撃、そして広島と長崎に、2度にわたって投下された原子爆弾・・・

極めて大雑把に言って、こういう人たちを「戦争で死んだ人たち」という。
その戦争の犠牲者たちにこそ勲章をやるべき?
何の「功績」によって?「よくぞ死んだ」と?
いったい誰が、どのような権利の下に、戦死者に唾を吐きかるような真似ができるのか?

とはいえこの度し難い愚かしさは、水木しげる個人のものではないのだろう。
イタリアでは敗戦直後、ムッソリーニの死体を広場に吊るして晒し者にした。
一方日本が敗戦を迎えたその日、幼い子供を除くほぼすべての日本国民が、宮城(きゅうじょう)に向かって、天皇に敗戦を深々と詫びたのだ。土下座をして、涙を流して。

日本人は怒ること、怨むことを知らない民族だ。言い換えれば、恥辱、屈辱というものに極めて鈍感な民族だともいえるだろう。

現在香港での大規模デモは収束の見込みが立たない様子で、水木の記事の真横に書かれているのは、「香港デモの主催者は「平和的活動を通じたわれわれの主張を香港政府が無視するなら、一部の人たちが激しい手段をとる可能性がある」と、デモ隊の一部が暴徒化する可能性を示唆したという。先週18日日曜日に行われたデモの参加者は、主催者の発表によれば約170万人。香港の人たちはそう簡単に忘れないようだ。約200万人近い人たちが参加した抗議行動が行われたのは6月16日である。

香港政府はこう呼びかける「デモ行進は交通に大きな不便をもたらした。最も重要なのは社会秩序の回復だ」おそらく日本人なら誰もが納得する言葉だろう。そして日本人なら、中国政府でも香港政府でもなく、交通機関をマヒさせ社会に不安を与え続けるデモ隊をこそ、「社会の敵」と見做すだろう。優先すべきは今日も明日も無事に会社に行けるかどうかであって、「逃亡犯条例」改正案などではない。何故なら我々は「逃亡」とも「犯罪」とも無縁な善良なる社会人なのだから、と。

韓国でも香港でも、国民は口をそろえて叫ぶ、「そっちがその気ならこっちも黙っちゃいない!」と。

欧米の話ではない、同じアジアであって、何故日本だけに「民主主義」が合わないのか?

韓国人(朝鮮民族)や中国人・・・(確かに「中国政府」は独裁政治ではあるけれども)「彼ら」を見下す日本人を見ていると、怒りとか悲しみなどといった感情よりも、馬鹿馬鹿しさと滑稽さが何より先に立つ。少なくとも韓国人や中国人は足蹴にされれば剥き出す「牙」を持っている。警察に迷惑を掛けないように、定時になったら解散と言った、うわっつらのデモの真似事とは根本的本質的に異質なのだ。

最後に、毎年この時期、決まって「恒久平和への祈り」云々という言葉があらゆるメディアで判で押したように書かれ、語られる。では訊くが、今、守るべき平和とは何だ?
具体的に、なにを守る?そして実際に何が、また誰が「イ マ ノ  ヘ イワ」によって守られている?

人が人でなくなるのは「戦争」に於いてだけではない。街が破壊されるのは「戦争」においてのみではない。一般に「ヘイワ」の属性と考えられている「進歩」「発展」「成長」「開発」「生活の豊かさ」・・・それらの名の元で、街並みは破壊され、人心は荒廃し、誰もがアノニマスになり、故郷は喪失される。

「ヘイワ」もまた破壊行為に他ならないということを誰も意識していないように見える。





2019年8月20日

酒と薔薇の日々…


昔から絵画同様グラフィック・デザインに目が無いんです。
特にレコードのジャケットやブック・カバーなど。
レコードはロックでもジャズでもポップスでも。歌謡曲もいいかも。(あくまでも「歌謡曲」です。J-POPとやらではありません(偏見丸出し(笑))

なにかそういうグラフィクスの本が無いかと図書館の所蔵を調べていて目についたのが、
2014年に出版された『ブルース・レコード・ジャケット』という(ベタなタイトルの)ブルースレコードのアートワークを集めた本。もちろんオール・カラーです。

今日はその中から、今の気分にあった「ジャケ」(わざと省略する)をご紹介します。






エルモア・ジェームス&ザ・ブルーム・ダスターズの『ブルース・アフター・アワーズ』(1960年)
正にブラック・ビューティーですね。
この女性ちょっとアーサー・キットに似てますね。



個人的にはこちらの方が好み。
『パーティー・アフター・アワーズ』というオムニバス盤で、アラジン・レコードから1951年に発売されています。

アラジンというと、真っ先にドウー・ワップ・グループ、ザ・ファイヴ・キーズを思い出します。
中でも特筆すべき名曲 'My Saddest Hour' が入ったコンピレーションCD,持ってます(笑)
なんという差でしょう、濃密な「パーティー・アフター・アワーズ」と「マイ・サッデスト(SADの最上級)・アワー」

このジャケットのキャプションには
「既に宴が終わったかのような、アルコールとタバコの臭いが立ち込める深夜のナイトクラブ。最初期のブルース・ヒット曲コンピである」と書かれています。

この絵(イラスト)、どこかアメリカのピン・ナップ・アーティスト、ビル・ワードを思い起こさせます。

何故この2枚を選んだか?
・・・まあそういうことです。(苦笑)

'Please send me someone to love'というパーシー・メイフィールドのブルースの名曲があります。しかしもう愛なんてどうでもいいんです(自棄)

この本には載っていませんが、やはりエルモア・ジェームスのBlues After Hours にボーナストラック9曲をプラスした、Blues After Hours Plus という盤を見つけました。(もちろんCDです)



この写真、どこかで見たなと思って探してみたら、愛読(?)しているFragments of Noir にありました。「シカゴ、サウスサイド・ブルース・バー」(1962年)撮影はブルース・デヴィッドソンです。

South Side Blues Bar, Chicago, 1962, Bruce Davidson.

やはりオリジナルのモノクロームがいいですね。

改めてこういう写真集を眺めていると、慣れ親しんでいるはずのCDでさえ、なにかチャチに感じてしまいます。

本を編集し文章を書いた、ブルース専門レーベル「P-ヴァイン・スペシャル」の創立者、高地明さんのあとがきから。

「ぼく自身この40年間その音楽とともに実際に手にして感触を楽しみながら魅せられたレコード・ジャケットである。それをみなさんそれぞれの想いで眺めて、お楽しみいただけたら本望である。ぼくが気付かなかった面白味や解釈、また誤解、誤認などありましたら是非ご指摘ください。」


生きているのがたまらなくつらくなった時はどうすればいいのか、そんなことを考え乍らブルースのレコードを眺めていて、選んだのがこの2枚です。

ブコウスキーやケルアックを訳した詩人中上哲夫氏(御存命なら80歳近いですが)60~70年代に書いた詩はさすがにアウトサイダーですね。
昔からそうですが、今は特に「清く正しく美しく」「公序良俗」といった価値観に忌避感を覚えます。
誤解を恐れずに言うなら「狂気」や「悪」に惹かれます。
若き日の中上氏の詩にはそんな「爛れ」と「生の倦怠」を感じます。

ケルアックは早く死に、ブコウスキーは最後までDirty old man でした。










 

2019年8月19日

現在とは永遠に「過去の墓地」に過ぎず、そこに在るものはなべて過去の墓標である…


われわれは時代よりもずっと長寿なのだ。


ー 中上哲夫「今夜、わたしは渋谷「千両」の節穴からわたしの世代の幻を見る」


ああ、時代よりも長く生きる、これ以上の不幸、これ以上の悲しみがあろうか?

詩人は別の詩にこう綴る

しかし
死滅するのは
季節の方ではなくて
いつもわたしたちの方だ
(何故ならわたしたちとは季節とともに滅びる存在なのだから…)
実に痛ましい経験だ
一つの季節が死に行く姿を目撃することは……

一つの季節一つの時代が死に行く姿を目撃しなければならないほどの痛ましい経験が他にあるか。

ああ、それにしても、人間の精神とは「時代よりも長く生き」ることができるほど強靭で、そしてそれほどまでに愚鈍なのか・・・

60年代、ミック・ジャガーは叫んだ。
「ぼくらのいるところなんてどこにもないのだ!」

今70代のミックは何処にいる?
女王陛下から拝領した勲章は彼の豪邸のどの部屋にしまわれて(飾られて?)いる?

ミック・ジャガーは大金持ちの大スターになったけど、
彼は芭蕉にも、放哉にも、山頭火にもなれなかった。
「いるところ」をみつけてしまったから・・・

永遠に居場所など無い方がいいのだ。

安住の地を見つけてしまえば、

ああ、時代よりも長く生きることになる・・・

















2019年8月18日

残暑お見舞い申し上げます


アメリカの写真家、ウィージー Weegee (Arthur Fellig) (1899 - 1968)
です。本名はアーサー・フェリングというようですが、誰も彼をその名で呼ぶ人はいません。

わたしが初めてウィージーを知ったのは或るCDの解説書。
CDのジャケット・ワークに使われていたわけではありませんが、ウィージーの写真を思い出すと書かれていました。

サーフィン・ホットロッド系の音楽が好きなので、多分そういう「夏物」系統のCDだったのでしょう。


毎日暑いですね。

ウィージーの切り取るニューヨーカーたちは、貧しくとも生き生きと生活しています。これもアメリカの楽天性であり、ヴァイタリティーなのでしょう。

まぁ暑苦しい能書きは措いて、ウィージの写真をお楽しみください。





暑い夏、消火栓を開いて水遊びに興じるダウンタウンの子供たち。CDで触れられていたのはこの写真です。撮影は1930年代のNY。




同じく真夏の暑い夜、火事などの時の避難梯子のある場所(ベランダではない)で寝ている子供たち。
ニューヨークには蚊はいないんでしょうか?
NY,1940年代



これは最近見つけた写真です(もちろんネットで)。

ひとりで熱心にスクリーンに見入っている男の子。
もしわたしが父親だったら、「くだらん勉強なんかしてる暇があったら映画館でも行ってこい!」と言うでしょう。
「メントス」というお菓子のCMのキャッチコピーだった「放課後がぼくらの学校だった」という言葉がとても気に入っています。

この子は自分で靴磨きか新聞配達か、アルバイトをしてためたお小遣いで映画館に通っているのでしょう。


 Lovin' Spoonful - Summer In The City (1966) 

ラヴィン・スプーンフル「サマー・イン・ザ・シティー」

みなさん、お身体ご自愛の上、良い夏を・・・とはいいがたい昨今ですが、
なんとか凌いでいきましょう。






もってけ泥棒!


8月16日付け「東京新聞」夕刊のコラム「大波小波」に興味深い記事が載っていた。
「大波小波」は主に「本」に関するコラム欄で、わたしはここで『がきデカ』で知られる漫画家山上たつひこの1970年前後の名作『光る風』を知った。『八本脚の蝶』もここに紹介されていたのではなかったろうか。

以下、昨日のコラム『万国の万引きたちよ』を引用する。


英国在住のライター、ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)は、著者の息子を描く。題は日本出身の著者とアイルランド人の夫との間に生まれた息子が、ノートに落書きした言葉から。
 中学生の息子は、人種差別や貧困を目の当たりにしながらたくましく育つ。通うのは貧しい白人の労働者階級の子が多い学校。かつては底辺校だったが、ダンスや音楽など生徒が好きなことに力を入れて評価が変わった。レコーディング・スタジオまで備える。
 クリスマスコンサートで、ちょっとこわもての上級生が、自分たちの貧乏暮らしを笑い飛ばすラップを歌う。リリックの最後は、「万国の万引きたちよ団結せよ」。そう、英国のバンド、ザ・スミスのヒット曲のタイトルだ。見守る教師たちの表情は誇らしげだったという。実はこの曲、発売当時の英国で議論を呼んだ。万引きを奨励するのかと。
 東京渋谷にある三つの書店がタッグを組んで、7月末から万引防止に顔認証システムを導入した。万引きを疑われる人物の画像を共有し、来店したら店員に注意を促すシステムである。
 万国の万引きたちよ、渋谷には近づくな。わたしたちは監視され、記録されている。
        
コラムの著者のペンネームは「モリッシー」。ザ・スミスのリード・ヴォーカリストであり、その独特の歌詞で、世界中の若者の人気を集める、バンドのカリスマ的存在である。

モリッシーと聞いてすぐに思い出すのが、フェイスブック以前のSNSの友達だったアメリカの女性、アン(Anne)だ。彼女とはまだ彼女がティーンだった頃からの友達で、今でもアンが水彩で描いたエリザベス・テイラーのポートレイトがわたしの部屋の壁に飾られている。
あれからもう10年以上経つのか。アンが特別に愛していたのがモリッシー(ザ・スミス)とアンディー・ウォーホールだった。ウォーホール風の白髪(銀髪?)のウィグがとても似合っていた。

真の教養人であれば、また本当に本を愛する者であるなら、万引きに全く縁のない人間であっても、渋谷のそれらの書店には近づかないはずだ。

「読書」とは本質的に反社会的な要素を備えている。だからこそ、ブラッドベリは本を読むことが禁止され罪とされるディストピア小説『華氏451』を書き、『1984』でオーウェルは
'War Is Peace, Freedom Is Slavery, Ignorance Is Strength'
「戦争は平和。服従こそ自由。無知こそ力」というスローガンを示したのではなかったか。

日本の大学が競うように文学部を廃止してゆくのも、詰まるところ、あまりいろんなことを知ってほしくない、そして考えてほしくないからに他ならない。
「無知は力」「従順こそ自由」であるならば、目の前の現実に、その在り方に疑いを差し挟むなど反社会的行為そのものだ。

貧困を、差別を、自分の背負っている重荷を、社会のせいにするな。
いじめを学校や教師の無能無策のせいにするな。
都市の破壊を政治や大企業の強欲のせいにするな。

とかく深く本を読んだり物事を本質的重層的に考える者たちは、「社会」や「教育」の在り方に「おかしいんじゃないか」と言いたがる。「現象から本質へ」と遡及したがる傾向を持つ。

レイ・ブラッドベリやオルダス・ハクスリー、ジョージ・オーウェルは教えてくれる。「本を読み、考えるような人間は、盗みを働く人間よりも罪が重い」と。
何故ならそれは「いま、そこにある社会そのものに対する不敬罪」に他ならないからだ。

本を読む者たちは考え、また感じるだろう。顔認証システムを導入し、入店者を一人ひとり識別し、犯罪履歴と照合し、「疑わしきは注視せよ」という前提の下に運営される店の姿勢こそ、根本的な危険思想ではないのか、と。

思い出すのは、クロード・シャブロルの『いとこ同士』だ。
田舎から大学受験のためにパリのいとこのところにやってきた若者が、散歩の途中立ち寄った本屋でバルザックを立ち読みしている。店主が言う「バルザックは好きか?」「え、ええ。」「ふふん、田舎者だな、田舎の人間はバルザックを好む・・・万引きしろ!」「え?」「どうせ金が無いんだろ? ほら、後ろを向いているから、その間に本を持って行け!」

彼は結局「万引き」をしなかったが、このような書店主がいるんだなぁと感心したものだ。「金が無くてもそんなに好きなら、もってけ泥棒!」これが「好き」の心意気じゃないか。

『いとこ同士』は、必ずしもわたしの中では上位に入る作品ではないが、ラストと、このシーンだけは強く印象に残っている。一本の映画、一冊の本の中で、一箇所でも、心に刻まれるシーン、言葉があれば十分だ。

『モリッシー詩集』を早速図書館にリクエストした。

「本を愛せない書店主たちよ。書店から撤退せよ」





 




         

2019年8月17日

金曜の午後1時半。(大切なものは何か?)


今日は先日からの約束通り、デイケアのスタッフTさんとの話し合い。
Tさんによると、当初わたしは「自分が何者かわからない」ということでTさんと話し合いの場を持ちたいと希望していたということだった。僅か一週間ほど前のことだが、そもそもそういうことでの面談を希望していたことなどすっかり忘れていた。

昨夜わたしはぼんやりした頭で、今現在(実際そのほとんどは過去から形を変えながら引き継がれている問題なのだが)突き当たっている壁のあれこれをリストアップした。
それらは、「自分とは何か?」ではなく、昨日も書いたように、例によっての「他者との軋轢」に関することだった。
けれども、木村敏の他者論にもあるように、自分というものは、「自分以外の他者」があって初めて成り立つ概念だ。他者との様々な関係性の総和が即ち「わたし」である。
だから「他者との軋轢」「他者との不和相克」を検証することは「自分とは何者か?」を探ることに等しい・・・と、無理やり自分の健忘を正当化しておく。

お盆ということもあってスタッフがいつもより少なく、面接の開始が15分ほどずれ込んだ。デイケアルームは最上階=6階にあって、プログラムを行う部屋は中学校の教室をちょっと小さくしたくらい。隣にある大部屋は、その2倍以上あるだろうか。見晴らしのいい窓に面して横長の机が並べられている。そこがわたしのいつもの待機場所である。ただそこに遊びに来る人たちもいる。大抵は誰かしら相手を見つけて将棋をしたり、おしゃべりをしたり、トランプをしたり。

今日も午後のプログラムが始まり、隣の部屋との仕切りが閉じられたころ、ぼんやりと窓の外を眺めていたわたしの耳に、年配の女性の「ねえ、トランプやろうよー」という声が聞こえてきた。一番入口に近いテーブルからだった。
そしてわたしは一番奥の窓際で、お茶を飲みながらTさんを待っていた。



面接はスタッフ・ルームで行われた、今日いた4人のスタッフの内、2人はプログラムの進行役だ。もう一人は?

「・・・今日は、今抱えている問題の解決法を探るということではなく、
いまわたしが、どのようなことに悩んでいるかということをTさんに知ってもらいたいと思います。そしてそれらの「悩み」を通して、わたしという人間の内面を少しでも知ってほしいのです。
この紙にほとんど殴り書きのように羅列された「悩み」を読んでもらって、それらになにか「共通するもの・心理的傾向・考え方や感じ方の特徴」のようなものが、朧気ながらでもTさんに見えれば、或いは感じ取ってもらえればそれでいいと思っています。
紙の表には「悩み事」が並べられています。裏側が余ったので、日頃からわたしが生きていく中で感じていることをうまく表現している言葉をランダムに書きだしてみました。
落書きのようなものですが、案外そんな落書きめいたものからその人の本質が垣間見えることもあるのではないかと・・・

それからこれを読んでもらう前にひとことだけ。 Tさんを待ってる間、ほら、いまそこでトランプしてる人たちがいますよね。その中の一人が、誰にともなく「ねえ、トランプしようよー」って。その言葉を聞いた時に、なにか胸が熱くなって、心がホンワカするような感じになりました。」

「そのこころがほんわかあったかくなるようなって、もうちょっと具体的に言える?」

とTさんに訊かれて、急に涙がこぼれ出て、言葉が続かなかった。辛うじて言えたのは、「ああ、仲間がいるっていいなあという感じ、そしてなにかとても懐かしい感覚・・・わたしは団地に住んでいるんですが、最近はもう聞かなくなりましたが、以前、同じ団地の女の子が、ナニナニちゃん遊ぼう!っていってるのを聞くとやっぱりすごくあったかい感じというか、懐かしい声に触れた、というか・・・」

「それはTakeoさんに向かって言われてる感じ?」

「いえいえ。わたしはそういう世界とは無縁ですから」

その後渡した紙を読んで、Tさんは主に、裏面の、特に外国の歌の歌詞に強く反応したようだった。

そこには例えばイーグルスの『デスペラード(ならず者)』からの

You better let somebody loves you, Before it's too late.

とか、

時々ブログに引用するディーン・マーティンの、タイトルそのままの

You're nobody till somebody loves you.

そしてアル・グリーンのこれもタイトルになっている

I'm so tired being alone

ジャズのスタンダード・ソングから

There was a song of love but not for me, the lucky stars above but not for me...

それを読み終えて、わたしが感想を聞くと、「うーん。一言でいうと「つらい」」

「ええ、でもそれはこのデイケアに来てる人みんなそうじゃないですか?みな辛いからきてるんじゃないですか?」

「うん。エピソードとしてはつらい経験した人いっぱいいるよ。でもなんていうのかなあ、わたしがこれを読んで感じたTakeoさんのつらさって、そういうのとは違って・・・」

その後Tさんが何を言ったのか残念ながらよく覚えていない。

その後の話の詳細は省略するが、Tさんのことばで印象的なのは、

「Takeoさんて、とっても弱い人なんだよね。でもさ、ブログなんかで、大勢が寄ってたかって、例えば引きこもりの人とか、みんなが誰かを集中攻撃しているのを黙ってみてられないんだよね。そしてものすごく自分に自信がないんだけど、自分の価値観は決して曲げないじゃない?そういうところがひょっとすると、「強い人」のように受け取られちゃうんじゃないかな」

このように面と向かって「Takeoさんて弱いんだよね」と「言ってくれた」人は、過去に主治医と、いつも話している「親友」だけだった。
主治医は、その見かけと内面のギャップこそがTakeoさんの生き辛さの、人から誤解を受ける大きな原因でしょうねと、夙に指摘していた。
そして嘗て主治医に、わたしを自己愛性人格障害と診断した町沢医師を、「まあ町沢氏自身、自己愛的な人ですから」と言われたというと、Tさんは笑いながら肯いていた。



某氏の発言にいかにわたしが傷ついたかを話した時に、Tさんの目が真っ赤になった。
「その人にすごい怒りを覚えるけど、でもその人って不幸な人だね。そしてかわいそうな人だ・・・」

わたしのために一粒の涙を流してくれた人がいた。もうそれだけで充分だった。

わたしが周期的に、言葉への不信感(殊にネット上での)を顕わにするのも、人間そのものが見えない聴こえないからだ。

「ねえ、トランプしようよー」という言葉に胸が熱くなって、Tさんにそれは何故?と訊かれて涙がこぼれたのも、他ならぬ70歳を超えた女性の声に、その声音(こわね)に、言い方に、「知」ではなくわたしの「情」の部分が共鳴したからだ。「ナニナニちゃんあそぼう!」だって同じだ、自分にそのような友達、仲間がいないという現実以上に、わたしは生身の人間の「こえ」に、そして「一緒にあそぼう」という人間本来の在り方に心動かされたのだ。

Jazzのスタンダード・ソングに「イン・ザ・ムード・フォー・ラブ」という歌がある。
冒頭に歌われるのは、
I'm in the mood for love simply because you're near me...

何故か恋の気分なのは ー Simply because you are near me ー 「単純なこと、あなたが傍にいるから」

「傷を舐め合う」という表現に強く惹かれると書いたのも同じことだ。

「全き抱擁」というのはまるで観念的なことではなく、上に書いたことの総体としての、正に具体的で身体的な『膚接』に他ならない。







2019年8月16日

相談・質問のためのメモ


1)わたしの存在自体が、何か「間違ったもの」であるのか?
  (例えば「1+1=3」という回答のような。



2)多くの人はわたしを「自己愛の強い人」と言いながら、何故その同じ口で、わたしを小馬鹿にするのか?世間の人たちの目にはわたしは「自己愛の強い低能」と映っているのだろうか?


3)何故わたしは誰からも好かれないのか?
 「1+1=3」は、嫌悪されるのか?これは「ゴキブリは何故ゴキブリであるというだけで、忌み嫌われ、殺されるのか?」と同様の質問だ。


4)何にも増して「生き易くなること」が至上の価値とされているのは何故か?
「生き易く」なるには、ただ「皆」と「世間」に合わせてフワフワと流されていけばいいだけぢゃないか。
 

5)「己の信ずるところに殉ずる」信念がありながら、同時に何故ここまで極端に自己否定の感情が強いのか?


6)何故こうまでハッキリと「世間」「多数」と「対立」「敵対」するのか?


7)何故わたしは「誰ともうまくいかない」のか?


8)何故わたしはわたしをいつも持て余し、嫌ってさえいるのか?


9)そもそもわたしが人間であるということを誰が証明できるのか?


10)或る人の言葉 ー「彼は「生き辛さ」自体を自身の存立基盤としている。だから「生き易く」なっては困るのだ」
それは本当だろうか・・・


11)楽になりたい。楽になりたい。
母を楽にさせてあげたい。しかしそれはわたしが生きている以上不可能なことだ・・・


12)どちらかが死ぬまで、わたしは父を憎悪し、弟を忌避し続けなければならない。


◇     ◇

「頼むから追い詰めないでくれ!」
『評決』ポール・ニューマンのセリフ

「ここは私の居場所ではない」
ー或る境界性人格障害者の手記のタイトル

「やっと、これで、オイラの旅も終わったのかと思ったら、いつものことではあるけれど
 アア ここもやっぱり土砂降りさ」
ー吉田拓郎「たどり着いたらいつも雨降り」


A most peculiar man 「とても変わった人」

You better let somebody loves you 
Before it's too late. 「デスペラード」

You are nobody till somebody loves you.

I'm so tired being alone.




2019年8月14日

解決不可能


今週中にデイケアのスタッフと面接することになっている。
詳しいことは知らないが、デイケアのスタッフでも、保健師と心理学を学んだ人がいるようで、わたしの担当のひとりが、その「心理学を学んだ人」であるということで、
メインの担当ではなく、その人と話すことにした。

ただ、話したいと持ち出したのはわたしの方だが、いったい何を話せばいいのかわからない。

わかっているのは、生きるということ、生きている、存在しているということが、途轍もなく困難なことであること。そしてわたしは「人間」というもの「他者」というものが全くわからないということ。
そもそも自分が彼ら、彼女らと同じ人間であるかどうかさえ極めて疑わしいということ。


いくつか質問事項を整理しておこう。


1)わたしの自己認識

● わたしは「孤立と独特の認識の化け物」である。

● わたしは「神でさえ抱擁することを躊躇う者」である。

● 神でさえ抱擁することを躊躇するような存在を、神ならぬ「人間」が愛せるはずがないということ。

● わたしの主治医はおそらくわたしをあまり好いてはいないであろうということ。(「嫌う」というほど積極的なものではなくとも、主治医自身の言葉を借りれば、わたしは「人に敬遠されるタイプ」であるということ。)


2)当面の問題

● わたしは生きていてはいけない人間であるのか?(しかしこの疑問は殆ど意味を為さない。何故ならこのように見苦しく生き恥をさらしているのは単に「自殺する勇気がない」というだけのことであるから)

● わたしの頭から離れない疑問。

自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。
 だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。

ー エミール・シオラン『生誕の災厄』

では、全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか?
そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか?

わたしにはシオランは何を言いたいのかがわからない。
仮にわたしが人間であるとして、そのうえで全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。」とはどういうことか?

● わたしが誰からも愛されず理解されないのは、ひとえにわたしの至らなさ、愚かしさ、人間としての未熟さ・・・と言いたいところだが、そんなレベルの問題ではない。
極めて卑俗な言い方をすれば「何者がキチガイを愛し得るか?」ということだ。

Q:「何故自分をキチガイだと思うのか?」
A:「人間に言葉が通じない」ということは、「常人ではない」ということではないのか?
Q:「AとBとの間で言葉が通じない」場合は常にAの問題=(この場合「キチガイ」なるが故)か?
A:人と言葉が通じていないのはAの方であって、Bは他者ときちんとコミュニケーションが採れている。だとすれば狂っているのは当然Aではないか。

3)どのような助言が欲しいのか?

● わからない。そもそも助言のしようがないと思う。何故なら相談相手は「ふつうの人間」なのだから。

4)問題の解消・解決のためには何が必要か?

● 「銃」か「愛」。しかしわたしが後者を得ることが不可能なことは、それこそ全人類の認めるところだ。


Q:今何を思っているか?

A:わたしと話してスタッフに呆れられ、二度とデイケアに参加できなく(しなく)なること・・・





























公衆電話のない世界に生きるということ…


以下、木村敏著『分裂病と他者』(1990年)第十二章「境界例における「直接性の病理」」より引用する



「多くの境界例同様、彼女も最初は重要な他者からの分離を契機として急激に抑鬱に陥ったが、これはメランコリーの発病状況にも見られる喪失体験とは異質のものだった。メランコリー患者にとっての対象喪失が、その対象をめぐってそれまで内面的に慣習化されてきた役割秩序の無効化を意味するのと違って、境界例患者の対象喪失ないし対象からの分離は、その対象の直接の現前によってのみ保たれてきた自己存在そのものの、端的な無効化或いは空虚化を意味するようである。だから、メランコリー患者の多くが喪失体験のあと暫くのあいだ、解体の危機に瀕した秩序を立て直す懸命の努力を示して、結局は刀折れ矢尽きた形になって発病に至るのとは違って、境界例患者は、分離体験の直後から直ちに深刻な抑鬱に落ち込むことが多い。これは、そこで失われたものが自己存在の枠組みとしての役割秩序のような外面的・間接的なものでなく、もっと直接的な自己の存在基盤そのものであるということを物語っているのではないかと思われる。

このことはまた、境界例患者が喪失や分離によって引き起こされた状態を、メランコリー患者のように自己の罪責として、「取り返しのつかないこと」「済まないこと」として ── 体験する傾向をほとんど示さないという事実にも現れている。人物であれ物品であれ、なにかを喪失して「取り返しがつかない」「済まない」とかの気持ちが生ずるためには、人は前もってその対象を「かけがえのない」大事なものとして所有していなければならない。メランコリー患者が喪失して危機に陥る対象、それはすべてそういった所有物であったと言うことができる。これに対して境界例患者が「喪失」するのは「所有」というように距離を置きえない、もっと直接的な自己存在そのものだと言っていい。境界例患者は、対象を「喪失」することによって、その対象との関係においてのみ、その対象の直接の現前のもとでのみ実感することができていた、あるという生命的現実感を奪われるのである。
(下線、本書では傍点、太字Takeo) 



過去に何度か述べてきたが、わたしは30代の頃、当時「人格障害」の「権威」として知られていた精神科医、町沢静夫医師の本をほとんど読み、そこに記述されていること、そしてチェックリストを通じて、自分は境界性人格障害に違いないと思い、町沢氏の診断を受けた。けれども、町沢氏は、2回ほどの面談で、わたしの「境界例」説を一蹴し、「きみは自己愛性人格障害だ」と自信を持って言い切った。
わたしが不思議に思うのは、氏自身の作ったチェックリストに於いて、境界性人格障害では、ほぼ9割以上の項目の「強くそう思う」に当てはまり、逆に「自己愛性人格障害」では「そう思う」が2割にも満たなかったにも関わらず、何故そこを完全に無視するのか、ということだ。



いずれにしても、上記木村敏の境界例における喪失体験は見事にわたしの気持ちと符合する。

かつてこんなことを書いた

「たとえば、いつも窓から眺めていた、小鳥たちが集まってさえずっていた一本の木が切り倒されただけで、「わたしの世界」は大きく崩れてしまう。
木があった時と、それがなくなってからはわたし自身が変わってしまうのだ・・・」



木村氏の言葉を繰り返す

「境界例患者の対象喪失ないし対象からの分離は、その対象の直接の現前によってのみ保たれてきた自己存在そのものの、端的な無効化或いは空虚化を意味するようである。

身近な例を挙げれば、わたしは40代の頃、6年間月日を共にしてきた「親友」を失った時から外に出られなくなった。それは言い換えれば「外の世界が喪失された」と言えるのかもしれない。その後2年ほどで、生まれ育った大田区から、同じ都内とはいえ、見知らぬ多摩に移り住むことになった。前にも書いたが、17年間住んでいた「〇〇荘」は友人のいなかったわたしにとっての唯一の「友」であり「仲間」「同志」であった。

加えて、大きな意味での喪失体験という点では、これも繰り返し書いているように、わたしの住むトウキョウという街の恒常的な変化である。

「境界例患者が「喪失」するのは「所有」というように距離を置きえない、もっと直接的な自己存在そのものだと言っていい。境界例患者は、対象を「喪失」することによって、その対象との関係においてのみ、その対象の直接の現前のもとでのみ実感することができていた、あるという生命的現実感を奪われるのである。

わたしという存在と、外界とは不可分である。外界がわたしにとって、醜く変化すれば、わたしは最早外界との関係を維持することはできない。

自分自身でも不思議である。何故ブラウン管テレビのない、裸電球のない、カセットウォークマンのない、公衆電話のほとんどない世界にまだ生き残っているのか?

木村敏の指摘通り、わたしは「自己の世界」の連続的喪失によってすでに内面は空虚である。

わたしは「忘れる」ということができない。
嘗てわたしには親友がいた。
嘗てわたしには大好きな部屋があった。

そして「今は(わたしの愛せるものが)何も無い世界に生きている」ということを。

そのようなわたしから見れば、公衆電話がない新世界に平気で入っていける人たちが不思議でしょうがないし、自分がそのような人たちと「同じ生き物」であるという実感を持つことが困難なのは当然ではないか。

様々な精神科医が貼りつけたわたしの診断名、それが「発達障害」であろうが「自己愛性人格障害」であろうがそんなことはどうでもいいことだ。

ただ確実なのは、

その対象の直接の現前のもとでのみ実感することができていた、「ある」という生命的現実感

をとうに失っているということだ。

喪われた世界は二度と帰っては来ない。そしてそれは別のナニモノカによって代替可能なものではない。
取り壊されたアパートに二度と住むことはできないし、
切り倒されたあの樹は二度と戻らない。
スマートフォンは公衆電話の代わりを務めることはできない。

多くの昆虫や植物には「生きている時節」というものがある。真冬まで生きている蝉はいないし、真夏に咲いているサクラもありはしない。しかしいまのわたしが正にそれだ・・・

そのようなわたしにとって、母の死=「絶対的喪失」が、わたし自身の消滅と直接に結びついていることに疑いを持つ者はいないだろう。




● 初出「境界例における〈直接性の病理〉」村上靖彦編『境界例の精神病理』(1988年)















2019年8月13日

扉と鍵穴


中上哲夫のエッセイによると、詩人、リチャード・ブローティガンの家の鍵穴は、玄関の扉の、地面から20~30センチくらいのところにあったらしい。
ブローティガン家の鍵を持っているものは、誰でも鍵を掛けるとき、開けるときに蹲らなければならない。
その人々の姿を想像しておかしくなった。

しかし同時に、外から帰って来た時、またこれから出かけるときに、その蹲った姿勢のまま、動けなくなることもあるだろう。何とか立っていた、けれどもいったん蹲ってしまうともうダメだ。からだが、というより、こころがその場所で石化してしまう。
立っていることで何とか抑えられていた悲しみ、涙が流れ出す。

すこし強引に結び付けているように聞こえるかもしれないが、
生活の中で、殊に、これから外の世界へ出てゆくとき、外界からわが家に帰還した時、
一旦「蹲る」という姿勢を採ることはきっと大事な儀式、作法、所作に違いない。
日に幾度か、自分の視線、体勢をぐっと下げてみるということは。
物理的に「小さくなってみる」ということは。
「悲しみの姿勢」を採ってみるということは・・・

それは敬虔な信者が、日に何度か(大いなる何か)に「頭(こうべ)を垂れる」ことに通じてはいないか。

ブローティガン家の扉。それはきわめて深い、そしてやさしい哲学に基づいて設計された、「人生の出入り口」ではないのか・・・












2019年8月12日

断章Ⅱ



ラカンに依拠し、人間はまずもって、「生の統一」であるどころか、「寸断された身体」であって、それがまとまりを見出すのは自己自身に拠ってではなく、自己と類似の他者に拠ってである。

であるとすれば、精神的な類縁を見出せなかった人間の場合、(「精神的」「内面的」な)「自己の統一」「自己の確立」は如何にして為されるのか?

そのような自己は極めて脆弱な基盤の上に成り立っているのではないか?それはたやすく崩壊し得る「自己」ではないのか?

「自己の拠って立つ基盤」が「自己自身」にしか求めることができないとしたら・・・













断章Ⅰ


「生き辛さ」とは、畢竟克服改善されなければならないものであるのか?たとえそのために何かを犠牲にしても。
わたしは「生き易さ」を代償にしてでも守り抜きたい自己の感受性と美意識、価値観がある。しかしそんなものに執着せずに、一途に生き易さを志向すべきなのか?

また身体的、器質的な疾患・障害でないかぎり、「生き辛さ」とは結局「考え方」「ものの見方」に還元されるのだろうか?人として、即ち社会人として、生活者としての人生に比較して、その代償としての「生き辛さ」を是認し、「生の否定」を肯定できるような「守るべきもの」など存在しないというのか。

「生き易くなりたいとは思わない」というのは、詰まるところ「身勝手」な「我儘」でしかないというのか?

この世界での「生き辛さ」とは結局何らかの欠陥欠損状態であるのか?つまり本来人間はこの世界に適応できるように作られているのか。
「生き辛さ」とは「故障」に他ならず、直ちに修理 ー 治癒を目指さなければならないのか?







2019年8月11日

断想「詩について」


 ま だ 読 ま ぬ 詩 お ほ し と 霜 に め ざ め け り  ー田中祐明

まだ見ぬ詩こそが、わたしとっては「詩」なのだ。

「もっと詩を、もっと歌を、句を読んでみたい」と思いつつ、貪るようにではなく、

海辺でみつけた不思議な、奇れいな貝殻のように、

道端でふと目にとめた小さな野の花のように、

偶然によってめぐり逢う詩が、わたしにとっての詩なのだ。

だから出逢った詩の数は、一生のうちにジャムの壜ひとつ分くらいしかないかもしれない。

千百の詩を読むことよりも

「まだ読まぬ詩おほし・・・」と思える朝が、夜が、消えないことがだいじなのだ。









断片、破片、かけら…



「断片性とは完成しないということ。未完成ではない。非完成。ドイツ語で言うと、Nichtvollendung. ドイツの美術批評家アイネムがミケランジェロの遺作「ロンダニーニのピエタ」に対して使った評言で、「ピエタ」はミケランジェロの死によって完成しなかったのではなくて、彼の思想によって非完成なのだ、と。

非完成とは、芭蕉にいわせれば、「言いおほせて何かある」(『去来抄』)ということだ。同じことを高橋睦郎にいわせれば、「詩はブルシットなものではないということと、結論を出さなくていいということ、それをもうちょっと積極的に言うと、結論を出してはいけないのが詩」なのだ。
一句は、実は全く「言い了える」ことはない。一句は、わが想いの方角、わが思想の方角をのみ提示する。方角のみ、志向のみであるから、わが想いは終らず、わが想いはより多方向に、つよく広がり込むことはない。(略)「完結感」が在らしめられ、そして絶対に完結して在ってはならないのが一句・俳句である
(阿部完市『絶対本質の俳句論』)
「完結感」は切れのことだけど、いまは「「完結」して在ってはならないのが一句・俳句である」というテーゼを確認しておきたい。
俳句のような詩を書きたいといったのは、すでに明らかなように、「言いおほせ」ない、「「完結」し」ない俳句のような詩を書きたいという意味だったのだ。
考えてみると、長いこと、断片的なものに心惹かれて断片的なものばかり好んで読んできた気がする。」

中上哲夫「カフカ / ロバート・プライ / 俳句」『現代詩文庫 214 中上哲夫詩集』より(2015年)


わたしも学生時代から、断片的なものを偏愛していた。曰く「アフォリズム」曰く「断章・断想」更に「フラグメント」・・・


以下にわたし自身の断想、断片、思索の破片をいくつか書き記しておく。
過去に別のブログに書いたものと重複があるかもしれないが、ご容赦を。

これは(決して皮肉でも揶揄でもなく)上記の中上哲夫のような「引用」ではなく、すべて拙いながらもわたしの欠片たちだ。わたしが中上哲夫を揶揄するわけがないじゃないか。わたしが断片的な文章と同じくらい好きなのが、エッセイ、評論にとどまらず、小説であれ詩(散文詩に限定しない)であれ、なんであれ「引用の豊富な」文章なのだから。
日本の筆者及び読者は引用を軽視しすぎているといつも感じている。


◇  ◇ 


これまで56年間(日本で)生きてきて得た信念。

といってもこれはあくまでわたし個人のことだけど・・・

「ひとに嫌われるのはわけはない。ありのままの自分でいるだけでいい。そうすれば人は自然に離れていく」

やれやれ・・・



100人に攻撃されても、ひとりの味方がいればいい。

誰にも攻撃されず、一人の味方もいないよりも・・・



生き辛さということを、単に医学的なアプローチからのみ改善してゆくことへの一抹の懐疑・・・

苦しみ、悩み、悲しみ、痛み、それらが無ければ文学も哲学も絵画も音楽も生まれないし、それらがなくして、詩や音楽の深みを味わうことはできない。
それらが生み出された苦悩の深淵まで降りてゆかなければ・・・

「死ぬということは、モーツァルトが聴けなくなるということだ」とアインシュタインは言った。

健康になるということは、モーツァルトを聴けなくなること・・・ではないのか?

わたしは何故こうも病んだ人、病んだ心に惹かれるのだろう?

生き易さとはなんだ

健康とはなんだ


今日も一日、生きているだけで疲れた。

あるいは

生きているだけだから疲れるのだろうか?


以前行った薬局で、何故か小鳥のさえずりが聞こえていた。薬局に小鳥が飼われているわけではない。どうやらテープで流していたようだ。
わたしは気持ちが落ち着かなくなって、イライラが止まらず外に出ようとしたが、外は雨。仕方なく薬局の人に行ってテープを止めてもらった。

おそらくわたしはその(物理的な)「声」「音」に反応したのではない。

いるはずのない場所に小鳥の声(や小川のせせらぎの音)を流すという「美意識」に反発したのだ。


誰かが、「どこまでがつかれで、どこから甘えなのかわからない」と書いていた。

とてもよくわかる。

ただ、「疲れ」というのが、純粋に身体的な、あるいは精神的な疲労なのか、所謂Ennui(アンニュイ)=「生の倦怠」なのか、見極めることは難しい。

生きること自体に付随している生の倦怠は取り除くことができない。

「その疲れ」が「アンニュイ」ではないと誰が言えるだろう・・・


ある音が不愉快、耐えられない。それをすべて医学の領域に回収してしまうことに疑問がある。

わたしが外界の「音」に堪えられないのは、単に物理的な刺激に過剰に反応しているわけではないと思う。

(詳しくは哲学者中島義道著『うるさい日本の私』を参照。)

著者は物理的なうるささ=「音」へではなく、「音」に鈍感な日本及び日本人の「文化」にこそ寧ろ苛立っている。

物理的な「音」ではあるけれど、それは生理的レベルでの拒否反応というよりも、個人の「美意識」「感受性」のレベルで受け容れがたい「文化としての音」である。
わたしの拒否反応は「音」そのもの以上に、「文化の在り方」への拒絶なのだ。



「嫌われ方講座」の講師をやったら、嫌われるには一にも二にも自分に正直であること、自分の感じているままを率直に口にすること、と教えるだろう。
しかしその通りにして、いったいどのくらいの人が、わたし同様の嫌われ者になるだろうか?



人はいつ、どこで、だれに、人としての生き方をおそわるのだろう?










2019年8月10日

Good Morning and Good Night...



John Cale - Buffalo Ballet - from Fear, 1974


ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファウンデーション・メンバー
ジョン・ケイルの1974年作品
「バッファロー・バレー」


バッファローというと、バレエ(Ballet)ではなく、ヴァレー(ヴァリー)-(Valley - 谷・渓谷)を思ってしまいます。

Sleeping in the midday sun 
Sleeping in the midday sun 
Sleeping in the midday sun 
Sleeping in the midday sun

という生活を相変わらず続けています・・・




ほんとうにうんざりするのは、所謂「引きこもり」と言われている人、
何十年も外に出られない人、或いはアル中の人などを、「昼日中働いている人たち」に比べて、「生きていない人たち」だと考えている人間たちだ。
彼らは、「この世界で生きてゆくことが困難な人たち」が、いつの時代にも、一定数存在するという明らかな事実を知ろうとしない。

Sleeping in the midday sun 

Sleeping in the midday sun ...

彼らはわたしを含め、このような生活をしている人間を、いともたやすく「いい御身分ですな」と嗤う。「代わりたいのか?」「働いて家庭を維持するよりも、毎日自殺のことを考えて生きていくことに宗旨替えしたいのか?」そんな言葉をわたしは飲み込む。


「生まれてきたという不都合」(エミール・シオラン)
に思いを馳せたことがない者たち。
「存在していること(自体の)苦痛、苦しみ」など想像もできない者たち。

だからわたしはここに逃げてきた・・・

日本社会に著しい精神のマチズモから


Sleeping in the midday sun 

Sleeping in the midday sun ...





「わたし」という謎


「デリダが差延とか痕跡とかいうことを持ちだしたのは、哲学的現象学を含む従来の形而上学に異議を表明して、これまでの現象学を「脱構築」するためでした。しかし「脱構築」(Deconstruction) は否定ではありません。現象学は脱構築によってはじめてその成立の根拠を露呈されることになります。それは精神病理学のいとなみが異常への着眼を通じて正常性を解体し、それによって正常性の成立の根拠を露呈しようとするのと一脈通じています。逆に言えば、正常性の根拠が明らかにされないかぎり、異常の構造は認識できません。
 
『分裂病と他者』木村敏 第六章「直観的現象学と差異の問題」より(1990年)



武田泰淳の評論集『滅亡について』に収められた小論に、「孤立と独特の認識の化け物」というポール・ヴァレリーの「テスト氏」の中の言葉を見て、「あ、わたしだ!」と直観 / 直感し、木村敏の『異常の構造』の中に記述されていた「自分が他の人たちと同じ人間であるという実感がない・・・」という分裂病患者の言葉を見た時、「同じだ!」と思った。

自分は化け物であり、人間であるかどうかさえあやふやだ。
確かに「あなたは何者ですか?」と訊かれて、スラスラと答えることができる人間はいないだろう。せいぜい社会的な肩書を言い、趣味を伝え、自分の考える良いところと欠点を話すくらいが精一杯ではないだろうか?

でなければゴーギャンの作品『我々は何者か? どこからきて どこへ行くのか?』という大仰なタイトルは、失笑苦笑の対象になってしまうだろう。

しかしそれにしても、自分を「(独特の認識の)化け物」と称し、「人間であるかどうかも分からない」という人も極めて稀だろう。

それほどまでにわたしは「わたし」がわからない。更に言うなら、何がわからないのかさえわからない。

このような状況に陥ってしまえば、最早通り一遍の精神科での「治療」(!)や精神保健福祉センターや保健所の精神担当の保健師と話したところで何の糸口も掴めない。

わたしは「カウンセラー」や「セラピスト」という人たちとじっくり話したことはないが、彼らがわたしの闇を照らしてくれる能力を備えているとは思えない。
彼らが凡庸というのではなく、わたしが特殊すぎるのだ。

1980年代に木村敏氏は、ハイデッガーの没後、精神医療は欧州に於いても、ポスト構造主義などの新思想=「哲学」への関心を急速に失っている。というようなことを述べている。

「哲学」イコール「人間学」であるならば、精神医療に携わる者にとって、哲学の素養は必須ではないか。

とはいえ、とりわけ日本の精神医療の世界に於いてそのような夢物語を語ってみても仕方がないので、自分とはなにか?その朧な輪郭くらいは見えるようにするために、木村敏氏の著作、そしてそこで触れられている哲学者たちの本を、「咀嚼」は覚束ずとも、せめて、「舐めてみる」くらいはしなければ、身動きが取れない。

しかし難解な本であっても、厭々読んでいるわけではないので、苦行ではない。
そして世の中で、疑いもなく受け入れられていることに対して疑問をはさむことはエキサイティングなことでもある。

ちなみにデリダやドゥルーズと言った哲学者たちは、わたしが大学生の時代にニュー・アカデミズムのムーヴメントとして「流行」していた。

そんな人たちが「過去の人」になりつつある今、ようやく落ち着いて彼らの著作に向き合えそうな気がする。

彼らの思想のキーワードを知るだけでも面白い。

a man with a past 「過去と共に生きる男」としては、デリダのいう「現前の特権」という言葉に興味を惹かれる。

「デリダの思索は、従来の形而上学が支配していた「現前の特権」を徹底的に脱構築することに向けられます。現前の特権とは、時間的に言えば「現在の特権」であります。
(同上ー傍線Takeo)

世の人たちは「わたし」だの「自分」だのにかかずらわっているほど暇ではないのだ。

何故なら彼らは「幸福になることに忙しすぎて」とカミュは言ったが、多忙が幸福の起点となるような時代だろうか・・・







2019年8月8日

「自己肯定感」とわたし


最近いつくかの「引きこもり」のブログで、「自己肯定感の低さ」についての記述があった。

何につけ勉強不足なので、「自己肯定感」とはそもそも如何なるものか?ということがよくわからない。

勝手な憶測だが、それは例えば「自分に自信が持てない」「劣等感が強い」「自己否定の感情に屡々(或いは恒常的に)支配されている」「人が皆、われより偉く見えてしまう」
── そのような感情のことだろうか。

世間一般に言われる「自己肯定感」とはなにかわからないが、わたし自身に「自己肯定感」といわれる物差しを当てがってみると ──


● わたしは「自分をあまり好きじゃない」というひとが好きだ。
時々自分が厭になるという気持ちを持たないような人は苦手と言っていいかもしれない。言い方を換えれば、自分を疑うことのない人は、好きではない。

● 「人に嫌われるのは簡単だ。ありのままの自分でいさえすればいい。そうすれば人は自然に遠ざかってゆく
経験上そのようなことを知り乍らも、人に合わせることができない。合わせようとも思わない。人に、世間に、時代時流に合わせた時点で、最早「本来のわたし」ではないと思うからだ。

●「自信」・・・以上のような理由からわたしは自分に自信がない。
何に対して?「社会」に対して、「他者」に対して。

わたしは自分を変えられないーありのままの自分は決して好かれることはない。

孤独、孤立無援ではあるけれど、自分の感性、自分の美意識は自分が守るしかない。


● 主治医も、また「いのちの電話」の相談員も、異口同音に言うのは、話している内容と話し方の著しいギャップということ。
「何故そのように堂々と、明瞭に、理路整然と、胸を張って「自己否定」や「希死念慮」を語れるのか?」

話している内容と、その話し方、つまり心(内面)と、それを表す身体 ー(非・言語的)表現の様子と、果たしてどちらが真実なのか。
「もちろん心で感じていることに決まっている」とは言い切れないのではないだろうか?

● わたしは自分を「愛されざる存在」であると思っている。何故か?愛された経験がないから。
愛されるためにはどうすればいいのか考えたこともない。何故なら、わたしがありのままのわたしで愛されないのなら意味がないから。

わたしは自分の内面が空疎であることを自覚している。
しかしそれを充たそうとする努力を厭う。

● 少なくとも、わたしにとって、「わたしがわたしであること」と「好かれる・愛されること」とは両立しない。そして好かれる努力とは、人に近づくために自分から遠ざかる努力のように思えるのだ。

嘗て人格障害の専門医に自信を持って「自己愛性人格障害」であると太鼓判を押された。その医師の指摘する「自己愛性人格障害」というものの内容が如何なるものかはわからない。自己に向かって、「自分が好きか?」と問うことは意味のないことのように思われる。好きであれ嫌いであれ、わたしはわたしでしかありえないのだから。

「わたしがわたし」であることが、「反(非)・社会」を意味しようが「非モテ」を意味しようが、それは最早わたしの与り知らぬ領域ではないだろうか。



※参考 

こちらのブログ 及び こちらのブログ で紹介されていたツイッターの「自己肯定感」に関する投稿。

ー追記ー

両ブログで紹介されているマンガの下に、筆者自身のコメントがある。

「肯定感なんて高めずとも、ありのままの自分を受け入れればいいという声もあるけど、その「ありのままの自分」を肯定できる力が必要なんですよね。 

自己肯定感が低い人って自分を受け入れる(肯定する)力が足りてないので。

自信がもてる人にならなきゃ、とプレッシャーに感じることはないですよ~」
(下線Takeo)

「あるがままの自分」を守り抜くことが、とりもなおさず人との距離を生むということについて、この筆者はどう考えているのだろう。

「自己肯定感」とは異なるかもしれないが、嘗て瀬里香さんと知り合ったQ&Aサイトで、次のような質問をしたことがある。

最後にその質問とベストアンサーの回答(それに対するわたしの補足とお礼)を紹介する。


Q:エミール・シオランにこんな言葉があります

自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。
 だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。


それはそうなんだけど。では、全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか?
そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか?

ご意見をお聞かせください。


BA:>『自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。
だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。』

これって、自分に絶望した場合は、自殺するのは仕方ないが、人に嫌われたくらいで自殺するな!!!
という意味でしょうか。

嫌われる人って、自己中の人が多いと思うのですが、そういう人って、結構、自己愛が強く、自分で自分のことを愛しているような気がしますよ~。だから、なかなか絶望しないので死なないんじゃない?

それから、

『あの上司、嫌いなんだけど、仕事は出来るんだよな~』と愚痴をこぼすサラリーマン、
『あのホスト、自己中なんだけど、体の相性は良いんだよね~』と言うキャバ嬢、

嫌われてても、評価されている人間も居るということですよね。

『私のことは嫌いでも、◎◎のことは嫌いにならないで下さい』と叫ぶアイドル、

自分は嫌われても良いから、自分の大切なものを守りたいという気持ちでしょうか?

その辺にも、答えがあるのではないでしょうか。

ということで、全人類に嫌われても、何か、別の『生き甲斐』さえあれば、人間、生きていけると思います。

そうそう、『この子猫ちゃんさえ居れば、男なんて要らないわ!!』と豪語していた女性を、どこかで見かけた様な気がするのですが、そんな女性を見たことがあるのは、私だけでしょうか?
それとも、これは、男に愛されない寂しさの裏返し?
う~ん、でも子猫と幸せそうな生活を送っている人達の笑顔を見ると、嘘ではなく本当に幸せそうですけどね。


ちなみに、私が、全人類から嫌われたとしたら、
嫌いな人間に対しても大人の対応をしてくれる会社に就職し、とりあえず給料を稼ぎつつ、
生き甲斐を見つけて暮らすでしょうね。

例えば、日本一美味しい大福探しとか、世界遺産巡りとか、スタップ細胞作成とか、ロールプレイングゲームのクリアとか、ゴミという名のお宝集めとか、アイドルのおっかけとか、Q&Aサイトの回答とか。。

その人なりに、何かやりたいこと、生き甲斐を見つけるんじゃないかと思います。


質問者補足:『自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。
 だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。』

これは頂いた回答を読んでからの「質問」の補足ですが、
「嫌われる」ということが何かのアクションの結果という因果律抜きに、
正に「自分が自分であるが故」の理由で嫌われること。を考えます。

シオランの言葉を置き換えれば、

『自分が、現にある通りのものであるがゆえに全人類が顔に唾を吐きかけてきた。』なら、どうするか?

これは抽象的な議論ではなく、若いころからの質問者の切実な問いなのです。

あなたが「○○だから」きらい、ではなく「あなたがあなたであるから」きらい。と、いうこと・・・


質問者お礼:こんにちは。

ははは。面白いご意見ですね。

>『この子猫ちゃんさえ居れば、男なんて要らないわ!!』と豪語していた女性を、どこかで見かけた様な気がするのですが、そんな女性を見たことがあるのは、私だけでしょうか?
それとも、これは、男に愛されない寂しさの裏返し?
う~ん、でも子猫と幸せそうな生活を送っている人達の笑顔を見ると、嘘ではなく本当に幸せそうですけどね。

そう思います。つまり「人間にまんべんなく嫌われても、尚人間以外の生命が存在する」という救いがあります。
全人類に嫌われても、この犬が、この猫がわたしを好いてくれている。それは幸せなことですね。
充分生きる価値になると思います。

説得力のあるご意見です。

わたし自身、「ひとにはまんべんなく嫌われている」という自覚と、まあ「自信」(?)があるので、動物には好かれたいです。

鳥や獣、草や花など、自然界のあらゆる生き物と心を通わせることができたという、アッシジの聖フランチェスコのように。

とても面白いご意見を聞かせていただきました。
ありがとうございます。




・・・故にわたしは自然を愛する。そして障害者や無宿者、乞食、果ては殺人犯にすら親和性を感ずる。少なくとも世の健常者に比べて、殺人犯は、世間から嫌われ、憎まれている点に於いて、わたしとの共通項を持っているからだ。わたしと、心身共に健康な者とは全く何の共通点も接点もない。



多分わたしが最も困惑しているのは、一般に言われる「自己肯定感の低さ」ではなく、
「自分は決して好かれることはない」という「絶対的な、揺るぎない自信・確信」に因るのだろう・・・
それほどまでにわたしはわたしを嫌っているのだろうか・・・?
だとすれば、何故そんな自分にそうまでして固執するのか?
何故そんな自分を放擲しようとしないのか?

わからない・・・

「わたしは誰からも愛されない」ではなく、「誰もわたしを愛することはできない」という、ある種不敵ともいえる表現が用いられる(=そのような感情が存在する)のは何故か?それをどう解釈すればいいのか・・・





















2019年8月5日

君がいた夏、僕がいた夏…


二階堂奥歯の『八本脚の蝶』を読んでいたら、このような記述があった。



2002年11月3日(日)

Terri Weifenbachの写真集"Lana"を買った。

ものごころのつきはじめた頃。
いろとりどりの光の揺らめきでしかなかった世界を分節しはじめた頃。
その頃見ていた景色はこんな感じではなかったか。

ちくちくする芝生の上をブランコに向かって歩く。
(まだ上手く歩けなかった)。
手をさしのべる母を見上げれば、その後ろには真っ青な空間が広がっていた。

はじめて空を見た頃。
はじめて水面に映る秋桜の影を見た頃。
そのころの景色はこんな感じではなかったか。

私は小さく、世界は広く広く、そしてそれはひたすら輝かしかった。



テリ・ワイフェンバック(?)という写真家を知らなかった。
先日も考えていたのだが、今の時代の家族写真(アルバム)って、今50代のわたしたちの子供の頃のアルバムに貼られている写真と違って、色褪せたりしないんだろうな。

わたしの幼児期から小学校入学頃までの写真は白黒であれカラーであれ、みな少しづつ変色し、褪色している。
裕福(?)な家庭では、ホームビデオというのがあって、歩き始めた子供をお父さんが8mmフィルムで撮影した。実際にそれを見たことはないが、映画の中で、(わたしが観るのは主に外国映画だが)誕生パーティーなどで、その日の主人公の御幼少の頃のビデオ上映会が行われたりする。8mmなので当然画像は粗いしフィルムも劣化している。でもその不鮮明さが、「遠い夏の日」という感じをいやがうえにも演出する。

これはあくまでもわたしの美的感覚だが、昔の写真は色褪せていた方がいいし、幼い日を撮影したホームビデオは肌理の粗い方が広がりと奥行きを感じさせる・・・というよりも、それは「夢」に近い。

わが家には8mmカメラも映写機もなかったが、家族と撮った写真が色褪せて、遠く過ぎ去っていった歳月を実感させるものになる時代に生きられたことをよかったと思う。

二階堂奥歯は言う

「ものごころのつきはじめた頃。
いろとりどりの光の揺らめきでしかなかった世界を分節しはじめた頃。
その頃見ていた景色はこんな感じではなかったか。」

「はじめて空を見た頃。
はじめて水面に映る秋桜の影を見た頃。
そのころの景色はこんな感じではなかったか。」

そうかもしれない。

でもわたしの見たであろう空の色は、世界の姿は、彼女がそのように感じたような、テリ・ワイフェンバックの写真のような鮮明で、くっきりと縁取られたものではなかっただろう。


◇    ◇    


11年前、2008年2月にわたしはブログにこんな投稿をしている。



 秋になると

 果物はなにもかも忘れてしまって

 うっとりと実ってゆくらしい  ー八木重吉ー



日本はいつの頃からか、「古い物」を目の敵にするようになった。

「時代がつく」ということばがある。主に骨董品などの価値の目安になっているらしい。

英語では Become antique ・・・

骨董などは単に「古けりゃいいってもんじゃない」のかもしれないが、

わたしは古さ、古びというだけで、惹かれてしまうところがある。



日本の都市はわびしい。

銀座の「交殉社ビル」や丸の内の「日本工業倶楽部」などの姿は、無慚としか形容しようがない。

世を挙げて「あたらしけりゃなんでもいい」と、遮二無二古さ、時代をかなぐり捨てている様子を目の当たりにしていると、「古けりゃいい」という反発した気持ちも生まれてくる。


・・・時間とコラボレートできないものたちは、うつろで、わびしい。

「風格」も、「威厳」も、時間という作家の手によって施される塗装だと思う

時間とともに、輝きは寧ろ増すものだろう・・・

やたらと「作家の作品」をありがたがる向きもあるけれど、

今一番忘れ去られている偉大な作家は、「時間」・・・


自然は当たり前のように時間とのコラボレーションを行って、豊かな美を獲得している。

果実も、人も、上手に時間とコラボレーションできるものが、豊かな実りを手にすることができる・・・

            


                    

                   


・・・人も かくありたい  かくあらねば・・・




〔今日、8月5日は誕生日・・・〕