2020年1月31日

ワンス・アポン・ア・タイム



つぎの当たった服って、とても豊かに見える。




2020年1月30日

現実、日常、非・日常…思いつくままに


このブログに時々コメントをくれる友人、底彦さんのブログを読んでいて、ふと立ち止まった箇所があった。以前底彦さんから、自分の日記を自由に引用していいという許可を頂いた記憶があるので、ここにその箇所を引用し、その日の日記のリンクを添えておく。
※勿論底彦さん本人からの削除要請があれば速やかに削除します。



「午後からデイケアに行く.今日はメンバーは一人しか来ていなかった. 人数が少ないのでプログラムは自由時間になる.
そのメンバーの男性とぽつぽつと話をする.
お互いの今の体調のことや, これまで読んだ本のことなど.

その中で彼は, ずっと被害妄想に苦しんでいると話しながら「やっぱり現実を見ないと駄目ですかねえ」と言ったのだが, 答えることができなかった.
現実を見る, 何と遠い言葉だろう. 自分はそういうことができるようになるのだろうか.」

ここで彼の友人がいう「現実を見なければ・・・」という場合の「現実」とは何だろう。
仮にわたしがこのような言葉を掛けられたら、先ずそのように思うだろう。
一方で、底彦さんは、

「現実を見る, 何と遠い言葉だろう. 自分はそういうことができるようになるのだろうか.」
と考える。しかし、「なんと遠い言葉だろう」「自分はそういうことができるようになるのだろうか?」と書かれている時点で、この二人の間には「現実」という言葉の意味が共有されている。

繰り返すが、「自分はそういう(=現実を見るという)ことができるようになる」「ならない」以前に、わたしにはその「現実」なるものの実体がわからない。

ここで会話を交わしているふたりは、では、いまどこにいるのだろうか?非・現実の世界にいるのだろうか?ここには、現実というものを対象化している眼差しはあるが、現実を相対化する視点が無い。
「ゲンジツ」というものを、自分たちがそこから遠ざかってしまった、当然自分たちが居るべき自明の場所という想い、そして困惑が窺える。

いま底彦さんと友人が病んでいる。所謂「一般社会」というものの内側に居ないという事実。これだけが「現実」ではないのか。この現実の他にもうひとつ「ほんものの現実」とでもいうべきものがあるのだろうか・・・


母の古い日記帳に70年代か80年代の新聞の切り抜きが挟まれていて、それが、きょうびの新聞記者やら論説委員の書く、水っぽい酒のような薄っぺらな文章よりも遥かに上手で「滋味掬すべし」と感じたので、ここに書き写す。書いたのは、当時八十五歳の杉並区の主婦である。


「これより慰する終日の労」── 子供のころ、祖父から漢詩の素読を習ったという母は、一日を終えて寝床で手足を伸ばしながら、よくこんな詩を口にした。
朝になり昼が来てやがて夜になる。それを繰り返しながら人生の終局に向かっている私たち。悲しみ、喜び、悩み、いらだちも避けては通れない。しかし、一日を終えて、わが家の安息の床に手足を伸ばして横たわることが出来る人はやはり幸せというべきか。
もし、すべてを忘れて眠るという空白の時間がなかったなら、長い人生の重みに耐えてはいけないだろう。神様は誰にでも、人生のすべての思いから離脱して夢の世界に休む時間を与えてくださったのだ。幸福に目覚めた日は、改めてその喜びをかみしめ、悲しみや不幸に出合った日も、一日の眠りが落ち込んだ心を緩和して、新たな力を与えてくれる。母もその思いを漢詩の一節に託して口にしたのだろうか。いま、私もそのころの母の年を超え、母の安らぎの眼差しを懐かしくまぶたに浮かべて、夢の世界を楽しんでいる。


この文章の中には、「日常」というものがある。地に足の付いた、確かな「日常」というものが。
しかしわたしは今日の世界に「これより慰する終日の労」という詩句に価する「日常」、「人間の生活」が「あたりまえに」あるとは思えない。

きょうび、いったいどこに、「あたりまえの現実」「あたりまえの日常」などがあるのだろうか。




欲しきもの少なくなりて囚身(しゅうしん)の眠りは深く覚めて愛(いと)しむ

熟睡にひたりをりしを覚めて知るみじかかりしもうれしかりけり

ー島 秋人歌集『遺愛集』(1967年)より


死刑囚であった島さんの獄中で詠んだ歌に見られるのは、芥川龍之介のいう「末期の目」であるような気がする。自殺を決意してから、観るもの聴くものすべてがうつくしく愛おしく感じるのは、生きることをやめるという決心によって生じた逆説的なエモーション・感情だと。

これは非・日常の「側」から日常を見つめることによって見出された「美」なのだろう。

これらの文章を手掛かりに、「現実」というものが、1930年代~40年代(=戦中期)、60年代~70年代(繁栄・安定期)、そして、現代と、常に不変のものとして存在し得るのかどうかを考えてみたい。

シリアの現実、パレスチナの現実、香港の現実、フランスの、英国の現実・・・
いま目の前で流動している世界は確かに「現実」ではある。けれども、「現実」であるということが、我々が、有無を言わさずそこに(帰順順応という形で)加わらなければならない、帰属しなければならない場所であるとは、わたしには思えない。
現実を見極めるということは、そこから離脱するという可能性をも示唆している。
何を現実とし、どのような生活を己の日常とするかは、「いま、そこにある」「現象・現状」が決めるものではなく、各々の主体的選択によるものだろうと思っている。








2020年1月28日

指先



わたしは長い間、女性の指というものはうつくしいものだと思っていた。




2020年1月27日

銃声の聞こえない戦場、或いは「dマガジン」のある世界・・・


こんにち「ごく当たり前の日常」とか「次世代に手渡せる世界」などと言われるものが、最早全く想像の埒を超えている以上。わたしの書くものが、ブログ=日記(日常雑記)というかたちになり得ないことは致し方のないことだ。日記に非ず、「戦場リポート」乃至「異世界通信」になることは避けられない。そしてそれが、戦場を日常とし、異世界を棲み処とする者たちに決して届かないことも・・・つまり誰にも・・・








反故


● いいブログが書きたい。これまでここに書いてきたもので読むに堪えるもの、読むにあたいするものがいったいどれだけあっただろう。実際ほとんどすべてが反故のようなものだ。
わたしにはいいブログを書く能力が無い。

わたしがたまに読んでいる同世代の女性のブログがあって、淡々と、肩ひじ張らずに、実に素直に書いているのだけど、あまり人気が無い。コメントが無い。いつも何故?と思っている。
無論コメントの多寡がブログの質に比例するわけではないと知りながらも、閑古鳥さえそっぽを向くようなものしか書けないのは余りにもさびしい。


● その同世代の女性のブログを久しぶりに眺めていたらこのような記述があった。


「美容院でdマガジンというのか
タブレットに多数の雑誌が入っているのを見ていて
「ハルメク」なんて雑誌を見ていた。」


タブレットの雑誌!? この箇所を読んで、なにかとてつもなくグロテスクで醜悪な、思わず目を背けたくなるような光景を想像し気分が悪くなった。
例えば電車で、例えば病院の待合室で、隣に、向かい側に、このような光景を見たら、わたしはいたたまれずにその場を離れるだろう。

そのような時代にわたしは生きている。

そのようなことが全く気にならない時代に彼女が生きている。






2020年1月26日

「違い」


なんでこんなに苦しいのだろう。鬱の症状としてわたしよりも重篤な人は大勢いる。

つまるところ「孤独」であること、そして「生きる意味」を見いだせないこと。

鬱の辛さを増しているのは、「仮によくなったとして、よくなった後の世界にはたして何が残っているのか?」という大いなる疑問が常に心の中に横たわっているせいではないだろうか。(良くなるという目標と意味の不在)



一昨日のデイケアで、前回出席した人の、他の参加者への質問として提出された、「あなたは世のため人のために生きていますか?」という話題が取り上げられた。

その質問者が不在だったこともあり、進行役のスタッフはじめ、「世のため人のためになんか生きてないよね。自分のためだよ」という声が多かった。

ひとりひとりに意見を求めたわけではないが、わたしは、「世のため人のため、というのなら寧ろ死んだ方が世のため人のためになる。わたしに関していえば・・・」と言った。
おそらくその発言を承けてだろうが、隣の同世代の男性が、「ぼくたちひとりひとりのいのちなんて、せいぜい長くて百年程度でしょう。その前、ぼくたちの前に先人たちの生きてきた軌跡が、何万年か何十万年か知らないけど、あるわけじゃない。ぼくたちは、その中のほんのちっぽけな点に過ぎないわけ。だから、ぼくたちの役目は、よりよい世界を次の世代に手渡すことなんじゃないかな?」

この発言には少なからずショックだった。

理由の一つは、今度この男性を含め四人でバンドを組もうということになって、そのリーダーのような存在がその男性だったからだ。

彼の意見が暗にわたしへの反論だとは思っていない。そして間違っているとも思わない。
「反駁」でも「間違い」でもない。けれども、「違う」・・・

ふたつ目はここで既に何度も引用しているように、わたしは以下の意見に100%・・・いや、それ以上に共鳴する者だからだ。



私が黒百合姉妹を知ったのは16歳の頃だ。
その頃私は生きているのがおそろしかった。
そして決心した。私は決して子供を産まない。
私が耐えかねている「生」を他の誰かに与えることなど決してしない。


私は高校生で未成年で被保護者だから今はしないけれど、大人になって自分で生計を立てるようになったら、卵管圧挫結紮手術を受けよう。
避妊だとか、ましてや掻爬といった場当たり的な手段では足りない。私が生を与える可能性を完全に消し去ろう。

私は、産む機能を持たない身体を得ようと思った。
このおそろしさは、私で終わりにする。

卵管圧挫結紮手術を受け、妊娠が不可能な身体になった後、私が考えを変えて子供をほしがることがあるかもしれない。今の気持ちは変わらないなどと思い上がりはしない。私は自分がどれほど変わりやすく、忘れやすい人間かを知っている。
だからこそだ。私は取り返しのつかない改変を自分の身体に加えようと思った。子供をほしがる未来の私を私は決して許さない。未来の私が今の私を裏切ろうとするのならば、思い知るがいい、私は決してあなたを許さない。

子供をほしがる未来の私よ、あなたは忘れたのか。
この世界がどれほどおそろしかったのかを忘れたのか。
このおそろしさをあなたの子に味わせようというのか。
あなたは悔やむだろう。今の私を恨むだろう。これほど大きな不可逆的な決定が既に下されていることに苦しむだろう。
苦しめばいい。この恐怖を味わう可能性を産み出そうとする私など苦しみ嘆けばいい。
子供を産もうとする私よ、あなたはあらかじめ罰されている。


二階堂奥歯『八本脚の蝶』〔2001年11月2日〕の日記より抜粋引用(下線Takeo)



先日主治医と話した時に、久し振りにこのブログを読んだ感想を訊いた。
初めはあたりさわりなく、「いいんじゃないですか。文章は上手だし」と言っていた。
わたしが「精神科医として読んでどうですか?」と更に尋ねると、「精神科医として・・・うーん、やっぱり普通の人とだいぶ価値観が違うことは事実ですね。ただし、「狂気」といった混乱はない。極めて理路整然としている。ただ、その価値観が「病気」ですけどね」
※わたしの記憶で書いているので、一言一句正確ではないことをお断りしておきます。けれども、「価値観が病気」であるという言葉を聞き間違えるはずはない・・・



しかし、身近な人間との意見の「大きな隔たり」以上に、わたしを苦しめているのは、現代社会との決して埋めることのできない懸隔・隔絶だ。「わたし」が「世界」とは「違う」ということ。

一方で、わたしは何故こうも「人と同じであること」に拘るのか?


「孤独」ということは、ひとつの「場合」ではない。孤独ということは「存在」と同義なのだ。人間は時たま故郷へ還るように、各自の孤独へ還るのだと思っているが、しかし人間ははじめから孤独の中に居り、一歩も孤独から出てはいないのだ。
『石原吉郎詩文集』「一九五六年から一九五八年までのノート」より
しかしこの石原吉郎の文章の中にも、あちこちに「違い」を見つけて躓き、疲弊しているのだ・・・














ひとをひと足らしめているもの・・・


昨日、最上階のデイケア室に行くためにエレベーターを待っていたら、下りてきたエレベーターから、大勢の入院患者たちが出てきた。ひとりひとりが沈黙を纏っていた。表情が消えていた。ひんやりとした冷気が彼ら/彼女らを包み込んでいた。

わたしは思った。「彼/彼女」の生とはいったいなんなのか?
そしてその問いは、直ちにわたし自身に対して向けられた・・・

いま、重いからだとぼんやりとした頭で考える。
世に弱き者たち、困っている人たちは、われわれ人間の愛情、やさしさ、親切、思い遣りという、尊い、ひとをひとたらしめている最も大切な情動を保ち続けるために存在しているのではないか、と。

このような考え方は、彼らにとっては非常に不本意かもしれない。

けれども「世に」(「身内に」ではない)困っている人、弱い人、寄る辺のない人、病んだ人たちがいなければ、──(動物でもいい、植物でもいい、朽ちかけた、壊れかけた物でもいい・・・)── ひとはいつ優しくなれるのか?ひとはいつ親切になれるのか?人はいつ誰かを抱きしめることができるのか?
そして人はいつまで人を思い遣るという感情を自らの裡に維持しつづけることができるだろう?
誰もが完全で、誰もが頑健な健常者であったなら、ひとはどのように「援ける・助ける」「手を差し伸べる」という感情と営為を持ち続けられるのか?

それらを引き出してくれる存在なくして、はたして人は「人」足り得るのか・・・







2020年1月25日

断想2への追記


下の投稿に使ったルーシー・キャンベルの「ポーラ・ベア(北極グマ)に抱かれる青いパジャマを着た少年」や、以前投稿したこのような絵は、ともすれば、「内なる子供の自分」=「Inner Child」といったイメージに結びつきやすい。




けれども、抱擁されるのが「子供」である必要はまったくないのだ。
ホームレスの中年男性でも、認知症の老人でも構わない。

70歳であろうと、80歳であろうと、人間という「死すべき存在」は、常に心の内側に、「全的抱擁」「大いなる存在との同一化」の欲求を宿しているはずだ。言い換えれば「守られたい」「安心安息を得たい」という欲求だ。母胎回帰への感情は、年齢を問わずあるのではないか。

オーストラリアには、「暖かい夜には一匹の犬と、寒い夜には、二匹の犬と、厳寒の夜には三匹の犬と一緒に寝れば心地よく眠れる」という言い伝えがあるという。
(そこから「スリー・ドッグ・ナイト」という3人組のバンドの名前が採られたのだろう)

こんにち、多くの人たちが・・・子供が、家無き者が、重い障害を持つ者が、老い衰えた人たちが、ぬくもりを求めている。HUGを、抱擁を、心の安らぎを・・・「三匹の犬」を求めている。



英国のシンガー・ソングライター、オリビア・チェイニーの「シェルター」(2018年)








断想2


けれども一方で、「言葉」など不要だという強い思いも同時に持っている。
言葉があるから「すれ違い」「齟齬」「亀裂」「ズレ」が生まれる。

だからわたしは、繰り返しこのようなイメージに惹かれるのだ。


"Boy in Blue 1" Polar bear hugging boy in blue starry pyjamas.
Illustration by Lucy Campbell







断想1


● 昨日『石原吉郎詩文集』を読んでいて、(あらゆる場所での)身近な他者と言葉(気持ち、感覚)が通じ合うことが困難で、尚且つ「生きる」ということの意味がわからないわたしにとっては、今更ながらに本を読むこと、本の中に「似た人」「ごく近い感性」を見出す必要性を痛感する。

F.トリュフォーは脳腫瘍に罹った時に、秘書にありったけの関連書を集めさせた。
「病気」に関する書籍ではない。古今東西の「生と死」をテーマにした本だ。

わたしの「病の根源」が、おそらく、「現代に於ける生(と死)」であると考えられる以上、わたしが読むべきなのもまた、医学・医療関連の本ではなく、「人間存在」について考察された本であるはずだ。


わが病の
その因るところ深きを思ふ
目をとぢて思ふ (啄木)

「一握の砂」に収められたこの一首、わたしは下のように勘違いしていた。そしてわたしにとっては、この方がしっくりくるのだ。

わが病
その因るところ深きを思ふ
深く且つ遠きを思ふ






2020年1月22日

難癖(イチャモン)在りますー「喧嘩堂」


先のふたつさんのコメントへの返信に「嫌いな言葉」として

「真逆」「ため口」を挙げた。思い出したらまだあった。

その代表的なやつが「~みたいな」

そして「半端ない」

「何気に」

嫌いな言葉・・・というより最早「言葉」というさえ穢らわしい音(表記)に

「~じゃね?」「~でよくね?」という莫迦語がある。





ナニナニですな
というな
ナニナニでございますと言え
です は でげす のつづまった言い方で下品だ
大槻文彦先生
国語学者・国語辞典『言海』編集・(一八四七 ~ 一九二八)
がそうおっしゃっている
おっしゃるもいけない仰せられると言えと
これは
落合直澄先生
国文学者・神職・(一八四〇 ~ 一八九一)
のおことば

若い世代の言葉づかいにいちゃもんをつけるのは
いつも上の世代でこれは順送りなのだ
そこでわたしもここで
いちゃもんをつけたいことがある
ナニナニじゃないですか
という言い方だ
目下広くはびこっている
スットコドッコイのタワケと毒づきたくなる
相手と同等あわよくば上位に位置したいという
欧米人の気持ちのありように影響されている
己の意見を正論と勝手に決めて押し付けやがる
そいつらが老人になったとき さて
次の世代の日本語にどんないちゃもんをつけるか

ー 川崎洋 詩集『言葉遊びうた』(2000年)から「代々のいちゃもん」
『本についての詩集』長田弘 選(2002年)より










2020年1月21日

ホームシック・・・


「人生は生きるに価するか?」という問いがわたしに向けられたなら、

「自分を取り巻く環境による」と答えるだろう。

少なくとも、東京は生きるに価する場所ではない。

そして「死」に価する場所でもない。

生きるに価する場所とは、「ここで死にたい」と思える場所のことだ。

東京が、そして日本が「生きるに価しない」というのは、「政治が悪いから」といった問題ではない。「政治」とは無関係に、日本人全体の民度の問題、日本国民の美意識の問題だ。「政治」とは畢竟民族或いは国民の心性(乃至品性)が顕在化したものに他ならない。

わたしは常々、自分は「故郷喪失者」だと言っている。

東京で生まれ、東京で育った者、東京で数十年間を暮らしている者で、ひとりでも「故郷喪失者」でない者がいるだろうか。要はそれを自覚しているかどうか、それを痛みと感じるかどうかの違いでしかない。

わたしは今尚、生まれ育った街に生きながら、常にホームシックの疼きを身内に抱えている・・・











2020年1月20日

深く考えなければ…


   雨

探偵は雨にぬれていた
秋の悲嘆の中にいた
雨は舗道をぬらし、
舗道の上の落ち葉をぬらし
落ち葉の上の乾いた心をぬらした

ぬれた心で
彼は待っていた
夜が朝をつれて
運命のほころびをつくろいにくるのを
ただ待っていた待ちながら
ひとりで雨にぬれていた

深く考えなければ
いまはそれほど悪い時代ではない
深く考えなければ
人生もまんざら捨てたものではない
マロニエは風に吹かれて
川面にはさざなみが立つ
街の灯は窓に明るく
こどもたちはすこやかだ
深く考えなければ
人々は愛し合っていて
この世は生きるにあたいする
「男の首」は昔の話で
「黄色い犬」はすでに去った

深く考えさえしなければ

探偵は雨の中にいた
雨の悲嘆にぬれていた

ー郷原 宏 詩集 『新・日本現代詩文庫 109』(2013年)収中「詩集『探偵』全編(1976-1979)」より

※「男の首」「黄色い犬」共にジョルジュ・シムノンの小説のタイトル





フェイスブックを眺めていたら、以前ちょっと知っていた同世代の男性の新年の投稿を見つけた。昨年大晦日の投稿だ。

「去年大晦日の投稿。〇〇に移ったけど、心境に変わりはない。当たり前、を貫くことの大切さ。
皆さん良いお年をお迎えください。」

と書いて、その下に、前の年の大晦日の投稿が再掲されている。
そこにはこう書かれている

「年末に。
山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う
と、カール ブッセはうたったけれど
本当の幸せは、遠くにでもなく、高揚のなかにでもなく、穏やかな日常の中に立ち現れるように思う。
ごく当たり前の日常を大切にしたい
新年への祈り。」
2018年12月31日


穏やかで、当たり前の日常・・・苦笑。

そう。深く考えさえしなければ、今だって、「穏やか」とか「当たり前の日常」なんて言葉が使えるのかもしれない。

ところが生憎わたしは「深く考えない奴」ってのが大嫌いでね・・・








2020年1月19日

追記



島 秋人の歌を読んでいると、建築家、ミース・ファン・デル・ローエの
「神は細部に宿る」(God is in a Detail) という言葉を想う。




島 秋人、死刑囚と孤独死・・・


「孤独死」とは、果たして「誰にも看取られず」「誰も傍にいない場所で」死ぬことだろうか?
 
死刑囚(昭和42年に33歳で処刑)島 秋人の歌集『遺愛集』を読みながら、
真の孤独(死)とは、自然と(そして自己から)隔てられた状態での最期ではないかと思ふ。

彼は獄の中でこのような歌を遺している。(下線Takeo )




虫あはれいのちのかぎり鳴くさまを人は涼しきものとして聴く


いささかはさびしきことの生(あ)れ来れど晴れし秋空獄窓(まど)にたのしむ


ひげそらんと入りし室にほほづきのあからめるあり指に触れにき


手のひらのちいさき虫がくすぐりて死刑囚われに愛を悟(し)らしむ


昨日までなきゐし蝉の鳴かず暮れみじかきいのち終えたるらしき


やさしさのつきぬごとくに虫の鳴く獄(ひとや)に冴えてひとり愛(かな)しむ


明けやらぬ獄庭(には)に濡れつつ葉の影に藍の朝顔ひとつさきたり


雨の灯にかがやきゆるる獄庭の樹々は鮮かな若葉となれり




自然とのふれあいの許されぬ悲しさも詠まれている。


仲秋の月を見たくて獄窓の曇ガラス濡らし拭きたり


月させどわが窓はみな磨ガラス濡らして拭けば光りややます




彼の歌集を読んだ中で、わたしが一番好きな歌は、以前にも書いたが、


温もりの残れるセーターたたむ夜 ひと日のいのち双手(もろて)に愛(いと)しむ
 

 
 
 
 
 
 



2020年1月17日

憂うべき自殺者の減少


新聞によると、昨年の自殺者が、(またも)2万人を割ったという。「10年連続の減少」だと。
一時は毎年自殺者3万人以上と騒がれていた。この10年間で、当時に比べ格段に世の中が住みやすく、生きやすくなったと思う人はいないだろう。行政の自殺予防対策が功を奏したとも思えない。

この大幅な自殺者の減少は、ある意味では今という時代を象徴しているように思う。
少なくとも、わたしは「何故?」とは思わない。

昨日引用したハイデガーの言葉を思い出す。

「世界の夜の時代は、乏しき時代である。それはすでに甚だしく乏しくなってしまって、最早神の欠如を欠如として認めることができないほどになっているのである・・・

これが答えではないか?人々は「最早欠如を欠如として感じることが出来なくなる」ほどまでに麻痺し、鈍化している。即ち「悩むこと」「深く考えること」ができなくなった人たちの増加が、自殺者減少の原因であると言ってもあながち的外れとは言えないのではないか・・・
「人が人として生き易くなった」わけでも、況や「悩み」が無くなったわけでもない。「欠如を欠如として認めることができない」そして「悩みを悩むことができない」のだ。

自殺者が3万人台の時代は「まだ」人々は、社会の在り方に疑問を持ち、煩悶し懊悩していたのではないか。
先日Tumblrのジェフの投稿で、写真を観ただけなのでどのような状況なのかわからないが、人々が'Freedom Or Death'というプラカードを掲げて行進していた。「自由か、しからずんば死か!」

嘗て自殺者が多かった時代は、社会にも、人間にも、プライドの残滓があった。(「自由」を含めた)欠如を欠如として苦しみ、怒る感受性(乃至人間性)があった。
今、社会の家畜となり果てた者たちが、「自由か、さもなくば死か」などという発想を持つとは思えない。

 ── シモーヌ・ヴェイユが『重力と恩寵』だったか、或いは『カイエ』の何処だったかに、「危険なのは、そこにパンがあるかどうかを疑うことではなく、「私は飢えてはいない」と自らを偽ることなのだ」というようなことを書いていて、ブログにも書いたはずだが、見つからない。(わたしは基本的に本は図書館から借りるので)

今日はエミール・シオランの言葉を、「欠如を欠如として認めることができない・・・」という言葉/状況に重ねて・・・

「無関心への最後の一歩は、無関心という観念そのものの破壊であろう」
ー『生誕の災厄』出口裕弘 訳 238ページ

この場合の「無関心」とは「世界・社会」への無関心にとどまらず、何よりも、自己の存在、実存、その尊厳への無関心である。
その帰結が「自殺の減少」に結びついているのではないかと思っている。「自己の軽視」が、「自殺への無関心」に容易に繋がることは言うまでもないことである。










2020年1月16日

追記 泣けとばかりに・・・


下の記事を書く時に、偶然わたしはYou Tubeで、マックス・リヒターという人の曲を聴いていた。この曲を聴きながら、「おばあさん」を読んでいると、胸が熱くなり、涙が流れそうになる。
「だから」わたしは、音楽を止め、投稿にもその曲を貼りつけることを意図的に避けた。
これじゃあ「風の音が胸をゆする泣けとばかりに・・・」津軽海峡冬景色じゃあるまいし。

今、再度その曲を聴きながら、曲に投稿されているコメントを読むと、こんな書き込みが目についた。


геннадий яковенко 1 年前

This one is what's you need to clean up your ugly soul by tears... Especially,when it's at background while you're reading something tragic..

「この曲を聴いて、きみの汚れた魂を涙で洗い清めるんだ。特に、何か悲しい物語を読んでいる時に、バックに流してね」

わたしも(そしておそらく辺見も)世を拗ね者で、「泣けとばかりに」というのが嫌いでね・・・




美と悲しみ


バスの運転席近くに薄暗がりがあった。小さな影が消え入りそうに座っていた。
イエユウレイグモ。白髪のおばあさん。隣に座る。おばあさんは動かなかった。
よくみると、顎をこきざみにふるわせている。影の微動。


なにか臭った。おしめか。ダイコンのぬか漬け。おばあさんの左手の指にさわってみた。おばあさんは動かなかった。ただ、冷たい指が細かにふるえていた。
ぬか漬けが濃く臭った。


いま、どうしていますか?


きのう隣にすわったちいさなおばあさん。いまどうなさっていますか?
お昼はちゃんとめしあがりましたか。お昼寝しましたか。夢を見ましたか。
どんな夢でしたか。バスでわたしが隣にすわったこと、おぼえてらっしゃいますか。あなたはどなたですか。


どなたでもない。ということはありえません。でも、だれでもない、そうとしか言えない姿をわたしはみました。運転席をしきる鉄のバーをあなたは両手でにぎっていた気がする。骨にじかに皮をはりつけたような手で。


おばあさん、あのときあなたは時間のむこうをみていた。身に寸鉄もおびずに。
ぬか床のにおいのなかのあなた、拳銃いっちょうくらいよいのですよ。ぶっぱなしたって。バーン。わたしを撃ったって文句は言わない。どうぞ。


おばあさん、貧しく、寂しそうなおばあさん、ぼくはあのとき、引っ越しのことを考えていたのです。どこからどこへ引っ越すのか・・・・・わからなくなって。けふ、おもいつきました。それで、おばあさん、あなたに電話しようとしましたが、かかりませんでした。


おばあさん、貧しく寂しく、ぬか漬け臭いあなた。いじめられているのですか?やさしい口調(笑顔)のひとびとに、とってもやさしく朗らかにいじめられているのですか。


了解!仕返ししましょう。てつだいます。どこまでも陰湿に報復しましょう。


こくみんひとりびとりの口にビゴのピストルをくわえさせて、君が代をハミングさせませう!おばあさん、あなたに指揮を任せます。


ぼくはぼくから引っ越そうとしているのです、おばあさん。

ー 辺見庸「おばあさん」『純粋な幸福』より



おばあさんであれ、障害を持った人であれ、描くことは難しいと感じさせる。悲しいね、さびしいね、とべとついた感傷は御免だ。であるならば、いっそこのようにふざけてしまった方が「マシ」なのかもしれない。

辺見庸がどのように「おばあさん」を描こうと、世の中にこのような「おばあさん」が存在することは事実だ。

これは逆説的だが、今の救いのない、救いようのないこの世界に、さびしいおばあさんのような存在があること。それだけが救いだと近頃ますます強く感じるようになった。

世界に悲しい言葉、悲しい詩(詞)、悲しい曲があるというのは救いだ。そして悲しい運命を背負った人がいるということも、また救いだ。

寂しく、貧しいおばあさんの微笑みを心から願いながら、わたしはひとりでも多くの人が、寂しく、貧しくあれかしと、同じように願い、望む。

笑顔よりも、泣き顔の方が崇高で、美しいと信じている者より。


ー追記ー


「・・・神性の輝きが世界から消えてしまったのである。世界の夜の時代は、乏しき時代である。それはすでに甚だしく乏しくなってしまって、最早神の欠如を欠如として認めることができないほどになっているのである・・・」
ーマルティン・ハイデガー『ハイデガー選集 Ⅴ』「乏しき時代の詩人」(1972年)(手塚富雄、高橋英夫訳)より

「〇〇の欠如を欠如として認められない時代」・・・わたしがこの空欄を埋めるなら、「美の欠如を欠如として認められない時代」と躊躇うことなく書きこむだろう。

寂しくまずしいおばあさんの実在を称揚し、美化すればするほど、その崇高さが希釈され、物象化されるというパラドクスにわたしは困惑する。

わたしはただ、黙ってその実在の前に立ち、頭(こうべ)を垂れる他ないのだろう。














アイスベアー 



"She fed him rosehips from a beautiful bowl to sweeten his voice and calm his soul."
Illustration from the bool 'Ice Bear' by Jackie Morris.

彼女はうつくしい器に盛ったローズヒップを彼に与えた。その声にやさしさを、心に安らぎをもたらすために・・・

 イラストレーション ジャッキー・モリス。絵本『アイス・ベアー』より




かつて詩人飯島耕一は「母国語」という詩の中に

「わたしは母国語で日々傷を負う」という一行を残した。

わたしに必要なのは水の流れのように清冽な旋律と物言わぬ自然・・・

そしておそらく、ときに、脈打ついのちを抱きしめること、その拍動と呼吸を直に感じることが必要なのだ。

他のいのちを抱きしめることが自己のいのちを抱擁することになるのだから。



Arvo Pärt - Trisagion - Estonian National Symphony Orchestra - Dir. Paavo Järvi (2002)




2020年1月15日

読者のみなさまへ


暫くこのブログから離れていました。事情については、ここでは述べません。
ただ、落ち着いて書ける環境ではなかったということです。

他のブログで、丁度投稿数が50になったのを機に再び戻ってきました。
まあ「投稿数が50になったのを機に」というのは単なる偶然でしかありませんが。

すべて、書かれた日付順に並んでいます。既にここに書いている時から、離れることを予想して、よそで書いていた記事も混じっていますので、必ずしも、ここでの最後の記事の後に50の文章が付け加えられたわけではありません。いずれにしても、一度に50の記事が投稿されたわけですから、読みにくさも、また日にちを遡ることの面倒もあろうと思いますが、必ずしも時系列順に読む必要はありませんので、目に留まった投稿をお読みいただければ幸いです。

2020年1月15日

Takeo











わたしとは「誰」か?


一昨日、13日付東京新聞『本音のコラム』で、過去に何度か紹介した精神科看護師の宮子あずささんが書いている。タイトルは『「甲さん」「乙さん」ではなく』

以下全文引用する



知的障がい者ら四十五人が殺傷された「津久井やまゆり園」事件の裁判員裁判が始まった。実名が出る被害者はただ一人。他は「甲A」「乙B」などと記号で呼ばれる。この中、今月八日の初公判に合わせ、殺害された女性の母親が、その名前を公表。大きな話題になった。母親は「『甲さん』『乙さん』と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。家の娘は甲でも乙でもなく美帆です」と語った。
本当の気持ちを言えば、私はなるべく実名に近い名前で、被害者が呼ばれて欲しい。
理由は二つある。ひとつは、障害者を人と見ない加害者にあなたが殺したのは名前を持つ人なのだという事実を突きつけたいから。そしてもうひとつは、被害者家族が障害を恥じない姿勢を示してほしいからだ。
これは批判や要求ではなく、あくまでも願いであり、望みであり、祈りである。美帆さんのように名前だけでもいい。無理ならイニシャルだけでもいい。記号以外の何かで名付けてほしい。
背景に差別があり、だから実名を出したくないのはわかる。でもこの「わかる」を乗り越えていかなければ、世の中は変わらない。ひとりひとりが少しづつ自分を乗り越えよう。そうせねばならぬほどひどいことが起きたのだ。


確かに甲だ乙だAだBだと呼ぶことは、被告に、「俺が殺したのは、結局甲とか乙であり、1番2番・・・であって、「固有名詞を持つ人間存在」ではない。ということを、向こう側が裏付けている。」という感想を持たれても仕方がない。思う壺である。

どのような肩書を持ち、どのような状態の生であっても、人間を記号で呼ぶことは、彼ら/彼女らの魂を再度抹殺したことに等しい。植松被告は彼らの生存を消し、被害者の家族を含めた世間は、彼ら/彼女らの存在自体を否定する。被告と懸隔した場所に立つわけではない。

あくまでわたし個人の意見だが、これは殺された者たちへの冒瀆である。
家族が殺された。そして殺された娘や息子、兄弟・姉妹を「甲」「乙」で呼ぶことに耐えられない人がただ一人とは。差別が怖いなら、差別するものを殺しても構わない。最早これ以上怖れるものは何もないはずではないか・・・

けれども、同時にわたし自身、はたして「武雄」であるのか?という想いもある。
嘗てわたしは「武雄」であった。けれども今は一障害者、単なるアノニマスのひとりではないのか、と・・・

以前のブログで、石原吉郎が、「無名戦士の墓」について「無名の戦士などいるはずがないし、自分はこの「無名戦士」という呼称を断じて受け入れることはできない」というようなことを書いていて、わたしはそれに対し反論をした。

その時に「名前とはどのような意味を持つのか?」ということを、『シベールの日曜日』という映画を引きながら語ったが、今その記事を見つけることができない。

やまゆり園で殺された人たちにも、無宿者にも名前がある。宮子氏のように生ぬるいことを言っている場合ではない。世間が彼ら/彼女らを「甲」「乙」と呼ぶことを許しては、肯(がえ)んじてはならないのだと思う。繰り返すがわたしはそれを(仮に家族の意思であろうと)「第二の(障害者の)抹殺・否認」と考える。

そして同時に、唯一自分を愛してくれた人を殺された時に、彼を(誤解から)射殺した警官に名前を訊かれ「もう、わたしには名前なんかない・・・」(DVDでは「もう名前なんか必要ない・・・」)とうなだれた少女シベールの気持ちも100%理解できるのだ。

わたしの心の中にはいつもこの言葉がある。
嘗て、陽気なディーン・マーティンが歌った曲のタイトル

"You Are Nobody Till Somebody Loves You..."






Junkoさんのコメントに寄せて。


昨日、Junkoさんの「書き続けること・・・」に頂いたコメントに対して、まったく満足のいく返信ができなかったことを先ずお詫びします。
最後の部分に書いてくれた、前の投稿に使ったモノクロ写真についての感想にも触れることが出来なかった。「アンタイトルド」(無題)という写真を気に入ってくれたと。
ああいう投稿もちゃんと見てくれているんだ、とうれしい思いです。
往々にして「追伸」や、「あ、それから・・・」と、付け足しのように書き添えられている数行のくだけた文章に、書き手の人となりが垣間見えるいい感想を聞くことは、よくあることと思います。

現在は自分の文章を綴ることが精一杯で、頂いたコメントに充分な返事ができません。
原因は、この異常な疲れ。今日も午後からのデイケアに参加して、そのあと参加者と30分ほど話しましたが、帰って来て非常に疲れました。何度も書いているのでご存知でしょうけれど、わたしがデイケアに通っている病院は家から徒歩10分圏内です。
疲れるのはデイケアに参加した時だけではなく、最近はどこにも行かず、何もしていないのに、常時疲れている感じです。母は、目が見えないせいだ、といいますが、本当にそれだけなのか?それが主たる原因であるのかは他の科に掛かること、内科で血液検査などしてもらうことを「怖れている」ので、原因の特定は困難です。

昨年末に「家から出てゆく」の何のと書きましたが、そのことに触れていないのは、現在弟が、わたしの状況を見て、ひとまず、戻ってくるということを考えないでいてくれていること、(そのため、月々の家賃が支払われるわけですが)加えて、わたし自身、また母の体調が芳しくないことも併せて、「出る」「出ない」より前に、目前に迫る(母とわたしの)「滅び」という感覚が強くなっているということだと思います。

本日のデイケアのプログラムで、例によって、最初に「名前と、ひとこと」があり、今日の一言は、このプログラムが今年初めてということもあって、
「月並みですが皆さんの今年の目標を」

「アルバイトを始めたい」「就労を目指したい」「作業所2年目なので、このまま続けられるように」「いろんな意味で、スタートの年にしたい」などの意見が出た中、わたしは、まったく「明日」のことさえ分からない、見えないので、「今年は・・・」などということは言えないと、今の率直な気持ちを伝えました。仮に「可能であるか不可能であるかはとりあえず措いて、希望や夢などはありますか?」と訊かれても、'Unreachable Star' 「届かぬ星」「見果てぬ夢」について語ることは余りにも悲しい。更に言えば「寝言は寝てから言え!」ということ。

尚、今日のデイケアは久し振りに「集団認知行動療法」。
昨年末に書いたように、ある参加者から、「認知(行動)療法というのは、こういうものなんだから、あなたがいくら異議を唱えても仕方がないんだよ」と言われ、その通りだなと深く納得し、それ以来出席しなくなっていましたが、今日のテーマが、「適応的思考」ということで、「現代社会に適応しないこと」をアイデンティティとしているわたしには、他の参加者が、「適応すること」についてどのような意見を述べるのか関心があったので久し振りに顔を出してみました。

そのことについては改めて書こうと思っています。

疲れているとはいえ、半分上の空のような返事をしてしまったJunkoさんにはあらためてお詫びを。そして今後のことはまったくわかりませんが、今の状態では、コメントを頂いても、昨日のような結果になるであろうことを改めてご理解ご容赦ください。
それでも、コメントを読むことはいつも楽しみにしています。






2020年1月12日

死と滅び


「死」ということを最近よく思うように・・・否、感じるようになった。
ここに言う「死」とは「自死」ではない。それに実際は、所謂一般にいわれる「死」「死亡」という言葉よりも、感覚としては寧ろ、「滅び」に近い。
わたしという実在が死ぬ
わたしという実在が滅びる・・・
死は遍く誰にでも訪れる。しかしすべての死が「滅び」ではないだろう。

「滅ぶこと」と、「死」を、今明確に区別することはできない。
ただ、「滅び」は「敗北」により近いという気持ちがある。
わたしはいったい何に敗れたのか。
わたしはいったい誰に敗れたのか・・・

自分自身の「滅び」と共に、この家族の、就中「母の」「滅び」を感じる。
両者の死、双方の滅びは結ばれている。



死ぬことが怖い。今ここに銃があれば、その銃口を口に咥えることを厭わないし、誰もが思うように、「眠っている間に楽に死ねる薬」があれば、それを飲むことを躊躇わない。死、消滅よりも、死に至るまでの過程、終焉までの苦しみが怖いのだ。

桂枝雀師匠は若い頃、「死ぬの怖い病」だったと自著に書いている。そしてその気持ちは最後まで変わらなかったのではないか?「死を恐れるものは、殺される前に自ら死ぬ」
これは普通の人にはわかりにくい感覚かもしれない。
無論枝雀師匠の自殺については、わたしの勝手な憶測にすぎないが・・・

「死ぬことが怖い」と同時に、「生きることになんのたのしみも見出すことができない」
それはわたしの怠慢であるのか。それはわたしの無能・・・というよりも、愉しみを見出すことができないという、生きる上で何よりも必要な資質の欠如に因るのか?



昨夜から頗る体調が悪い。風呂の水を洗濯機に入れるというのが、今わたしのできる数少ない「手伝い」のひとつだが、それをやってしばらくしてからパソコンの画面を見ていることさえ大儀なほどの疲れが湧いてきた。

わたしの机の上に、2016年の卓上カレンダーが置いてある。
これも母に買ってきてもらったもので、それ以前は、毎年銀座伊東屋や、丸善のカレンダー・フェアにいって、ちゃんとした「来年のカレンダー」を求めていた。友人を失ってからは母と一緒に行っていたと思う。

その後わたしは ' a man with a past ' に ' Clock without Hands'になっていった。
つまり時が静止した。そして年を重ねるごとにできることが消えていった。
2016年、4年前には、今よりも4倍のことが出来ていたはずだ。
何故このように、毎年確実にできることが減ってゆくのか。



年を取ってゆくにつれて、できないことが増えてゆくということは、とりもなおさず、年々母の負担が増えるということに他ならない。

そうまでして生き続けている意味・・・だがもうそんなことを考えることにも疲れた。

どうしたら母をしあわせに・・・とまでは言わずとも、少しでも楽に、そして笑顔になってもらえるのか?それはおそらく、わたし自身が笑顔になること、わたしが元気になって実際に母の負担を軽くすることだろう。
けれども、それは難しい。元気になるには、「母のため」ではなく、自分自身の生きがいを、たのしみ、よろこびをもたなければならない。



今日は時間が重なって、ベランダでタバコを吸う弟の煙を、トイレの中で浴びてしまった。風に乗って、煙が流れ込んでくるのだ。
しかしわたしは舌打ちをする気も、ここから出てゆくと自殺を仄めかし、これ以上母を困らせるつもりもない。もうそんな気力もないのだ・・・

大田区にいた頃、馬込から蒲田の自宅に毎晩通っていたことは前に書いたと思う。
そこで食事をし、入浴して再び電車に乗って馬込に帰るのだが、帰路、歩きたばこをしていた人も珍しくはなかったし、アイドリングをしているクルマも皆無ではなかった。
けれども、それを苦にしたことはなかった。
一方で当時から、母に洗濯してもらったものを、もう一度、アパートの日当りのいい、風通しのいいベランダで、風に当てるということはしていたが。



今問題なのは、弟の煙草のことではなく、わたしの状態・状況だ。
わたしは母だけではなく、弟にとっても邪魔者になっている。
最近はそんな風に思うようになった。

昨日Tumblrで、こんな写真を見つけた。




ひどく嫌な思いをした。

同じアマチュア・フォトグラファーの


この写真も不愉快だった。けれども現実にわたしを取り巻く外界はこんなものじゃない。

(「」はいい写真もいくつも撮っている。)

同じ「待つ」といっても、わたしはこちらの絵を選ぶ。


James (Jacques) Joseph Tissot (1836 - 1902), Waiting (also known as In the Shallows)



生き難さを感じる者は、何かが「間違っている」のだろうか?

例えば「発達障害」とは「存在としての」「間違い」だろうか?

自分を苦しめる美意識・・・ニーチェだったか、「美に敏感な者が、醜さには鈍感ということは考えられない」と言ったのは。


啄木の歌を想ふ

 わが病の
 その因るところ深く且つ遠きを思ふ
 目をとぢて思ふ ー「悲しき玩具」より



昨夜つかれたからだを横たえて読んだ、昭和42年に33歳で処刑された、島秋人の歌集『遺愛集』より


● おろそかに過ごし得ぬ日とおもいつつなすことのなくひと日昏れたり


● 身に淋しきことのあるいま掌(て)にのりて啼く文鳥の啼くを愛(かな)しむ


● 幼な日の優しきことの幾つかを獄壁(かべ)にさはりつ憶(おも)ひ更けたり


● 温もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ

『遺愛集』の序文を書いた歌人窪田空穂は

「遺愛とは生前愛したもので、死後に遺すものという意であろう。秋人の遺しうるものは、ただその作歌があるのみおである。わが作歌こそわが生命であるとの意であろう」

と記す。

遺愛の品。そんなものがわたしにあるだろうか・・・







2020年1月11日

社会の家畜、或いは与えられるだけの人々・・・


先日、最近足が遠のいているあるサイトに、このような書き込みがあった。

「正月明け早々2時間残業なんてあり得ん!(笑)」
また
「12月の残業が200時間を超えた・・・」云々

どちらも怒っているわけでも、また絶望しきっているわけでもない。
「そんなもんだ」「仕方がない」という溜息まじりの呟きに聞こえる。

フランスではこういう生活を自分たちに直接・間接に強いる政治に対し、市民たちはゼネストで対抗した。
日本人は何やら「前向き」「ポジティブ」という言葉や(Behavior)ビヘイビアがお好きなようだが、これを見る限りに於いては、とても「前向き」や「(生きることに)ポジティブ」どころか、極めて受動的な民族ではないかと訝る。

ニーチェは仕事ばかりにかまけている人間を「怠惰」であると断じた。「自分自身と向き合うことをしない(そのような時間を持とうとしない)者」を「怠惰な人間」と呼んだのだ。

またカミュは、「人々は幸せになることに忙しく自分自身になる暇がないのだ」と、若き日のノートに綴っている。
この場合「幸福になること」が、「人間としての幸福」ではなく、「働いて金をもうけること」と同じ意味であることは言うまでもない。
フランス市民(何故かフランスは、首都パリに住む人に限らず「市民」と呼んでしまう。そして日本はどうしても「日本国民」だ。どうしたって「日本市民」と呼ぶには無理がある)は、しかし、「自分や家族の幸せ」のために、交通機関がマヒし、パリの街にゴミが溢れることも厭わない。つまり「働くこと」を拒否=「ストライキ」する。自分も拒否するし、ゴミ収集車が(同じ理由で)やってこないことも認める。これこそが、言葉の真っ当な意味での「ポジティブ」であり「生きることに前向きな姿勢」ではないか。
「ああ、今夜もまた残業か・・・」とぼやきながらも家を出て会社に向かうことを「前向き」とは言うまい。



以前にも書いたが、週末になるとやってくる、この団地の住人の家族の車が出す、ドアを閉める際の「ピピッ」という音が神経を逆撫でする。「この車」に限ったことではないのだろう。今ではどのような車種であっても、こんな感じなのだろう。
ドアを「バタン!」と閉めるよりは「上品」とか「進んでる」と思っているのだろうか?
建物のドアと違い、車のドアはどうしても、静かに、音を立てずに閉めるということは難しいのだろうが、わたしからみれば「ピピッ」という電子音の方が無粋で、野蛮野暮である。利用者にいわせれば、「今はみんなそうなんだから仕方ないじゃない」

「前向き」な人たちは、「そういうものなのだから」前向きに順応する。不平を言ったり、文句を言うことは不毛なことだし、第一「昔の方が良かった」なんてあるわけないじゃないか。「僕たちは立ち止まってはいられないんだ、立ち止まること、それは遅滞であり、停滞であり、渋滞だ。立ち止まらずに進むしかないんだ」



本日(十一日)、山手線日暮里駅で、目の不自由な人が、ホームから落ち、電車にひかれて死亡したという事故があった。新聞には大きな文字で「急がれるホームドアの設置」と書かれている。しかし、「昔は」少なくとも都内であれば、また余程の早朝や深夜でもなければ、ホームの端から端まで充分に目が行き届くだけの駅員がいた。そしてもうひとつ、今は、ホームに「人間」がいるのかいないのか・・・みなスマートフォンに魂を抜き取られ、手助けが必要な人がいても気づかない。見えていない。本当の「盲人」はどっちだ。

いったい「人間」は何処へ行ったのだ?



最後にふたつの言葉を紹介する。

ひとつは、先日、「わたしの部屋に飾るポートレイト57人」の中に選んだ、アメリカの女流フォトグラファー、ドロシア・ラングの

“A camera is a tool for learning how to see without a camera.”

「カメラは、どのようにカメラなしで世界を見るかを学ぶための道具です」

わたしは彼女の"How To See The World Without Camera"という言葉を、世のスマホバカたちに送りたい。カメラを通してしか世界を見ることができない者たち。言い換えれば、SNSという「集団の眼」と共に世界を、世の現象を見ている者たち・・・君たちはめくらだ。

もう一つは、『純粋な幸福』の中で辺見庸が引用しているエミール・シオランの言葉
── 私は次のように明言しよう。すなわち、人間の抱く一切の企図が、遅かれ早かれ人間自身に刃を向けることになる以上は、理想的な社会形態を追求しても無駄なことだ、と。人間の行為はたとえ高邁なものであろうとも、結局は人間を粉砕すべく、人間の前に立ちふさがるのである。 
『歴史とユートピア』出口裕弘 訳 (1967年)


「社会は現在、その出発点より後退してしまったように見える」 
ーカール・マルクス『ルイ・ボナパルドのブリュメール十八日』














2020年1月9日

書き続けること・・・


ブログに関しては、書けない状態になっていると言っていいだろう。『ぼく自身或いは困難な存在』を、曲がりなりにも2年間続けてきた。その前の『Nostalgic Light』が2017年の冬から書き始められているので、この両者を合わせれば、3年間書いてきたことになる。
たしかにその間、いや、それ以前、2016年頃から「書く方」のブログに比重が移り、メインのアート・ブログは間遠になっていた。
当時から1万人以上のフォロワーを持つブログを等閑視しても、書くことを、自分の内面を言葉にすることを選んだ。
今は再びアートに情熱が傾いているのかというと、決してそうとは言えない。
今は書くこと同様に、絵を選ぶこと、写真を渉猟することにも少し倦(う)んでいる。

「思索し」「書くこと」・・・これも「今年になってできなくなったこと」に連なるのだろうか?
これ以上「できなくなったこと」が増えれば、それこそ「寝たきり」の状態と実質的には変わらなくなる。片目が不自由であることも一因ではあるだろうが、その治療とても楽観はできない。幸いまだ(完全な健康な目ではないにせよ)右目は見えているのだから、書くことを続けたい。



一昨日の夜、次の日に、読まずに図書館に返却するつもりだった辺見庸の『純粋な幸福』を数ページめくってみて、そのまま小一時間ほど読んだ。昨日返却はしなかった。

「ぼく自身・・・」の最後に書かれている「何のために書くのか?」は、出版社への手紙である。具体的には「毎日新聞社」。あれを読んだ担当編集者から、翌日電話があり、約20分ほど話したことは、前にも書いただろうか?

今回の『純粋な幸福』はもとより、以前から特に愛読していた辺見庸の何冊かの本の編集を担当した、わたしと同世代か、ちょっと年上か、という男性の話に納得したわけでも、辺見庸に対するわだかまりが消えたわけでもないが、編集者の「言い訳」とは別に、『純粋な幸福』は読んで損はないと思った。
辺見庸はいってみればわたしの中でエミール・シオランと同列の扱いを受けるようになったのだ。
人間として心酔は(最早)できないが、書いてあることには惹かれるし、肯くところが多い・・・と言った作者に。

やがて気づく。女といい男といい、客らの面差しの似たようなきれいさ、ある種の規格どおりの端正さに。声音と口ぶりの、まるで同じ音譜を謡うような共通の調子に感心し、少し戦(おのの)く。が、顔や声とはかつて、もっと各人各様の凸凹と輪郭があり、それぞれに尖ったり、凪いだり、時化たり、決壊するものではなかったのか。
 (中略)
ふといぶかる。その昔、ひとはなぜ老け顔をしていたのか。まだ十代、二十代なのにすっかり老成したかのようにふるまい、「存在の証」についてしかつめらしく弁じたりしたのか。なぜそうできたか。逆に、いまはなにゆえこんなにも若者が幼くみえるのか。人という実在はきょうび、なぜ、かほどに希薄なのか。携帯電話で動画を視ている人がつぶやく。「これなついよね」。なつかしいということらしい。音のかろみと乾きに、急に気疎(けうと)くなり、身内に深々(しんしん)と古錆びのような疲れが湧く。
ー辺見庸「馬の中の夜と港」『純粋な幸福』(2019年)より(太字、本書では傍点)

このあたりの描写は従来の辺見庸のままだ。もっともブログの方は、完全に変わってしまったけれど。

これ以上、日常が崩壊してゆくことを怖れる。日常の崩壊と人格の空洞化は同義だ。
しかしそれを押しとどめる妙案があるわけではない。気疎い日々を、「気疎い」と書き続けられることを願うだけだ。








2020年1月7日

タイトル


2枚の写真がある。

1枚目は、「アンタイトルド」(無題)
これは「無題」でいいと思うし、一番ぴったりの「タイトル/題名」だと思う。

Untitled, 1951, Irving Canner. (1924 - 1998)


2枚目はウィージーの撮った、「アンダー・アレスト」、「逮捕!」とでもいうのだろうか?

Under Arrest, ca 1940  Weegee.  (1899 - 1968)

これも、タイトルが写真の面白味を引き立てている。
もともとウィージーはニューヨークの夜の犯罪や事件、事故の様子を多くとっている写真家だ。本物の犯罪者を多く撮っている写真家だけに一層この写真がタイトルと相俟って面白味を増す。
尤も、この犬も実は凶悪な犯罪犬かもしれず。写真もタイトルも、冗談ではないのかもしれないが・・・

一般にストリート・フォトグラフのタイトルは、観る者を特定の視点に誘導したり、写真に込められた作者の意図などを暗示すべきではない。せいぜい撮影した場所、「ニューヨーク、何番街」という程度に留めておくべきだ。









2020年1月4日

コミュ障


あるサイトに登録して、そこでの自分のコミュニケーション能力の余りの低さに今更ながら愕然としている。
正に先日の底彦さんのコメントのような無知・一般常識の著しい欠如・・・

冒頭のようなことを書きこんだら、40代前半の女性から

>理解出来るようにちゃんと伝えてないことない?

というコメントがあった。正直このコメント自体が何を言わんとしているのか、分からない。

わたしの言葉は一体誰に通じているのか?

全く誰にも通じていないのではないだろうか?

だから誰にも相手にされず、小馬鹿にされるだけなのではないのか。

わたしや、底彦さんのデイケアの友人たちは、実際に紛れもなく「劣って」いるのではないか?

「使えない」「ダメな」「落ちこぼれ」で、底彦さんの感懐は、冷酷な、そしてあからさまな現実、事実、真実を伝えているだけなのではないか?

わたしは心のどこかで、そのような「現実」「事実」そして「真実」が、自らのものであるということから目を背けたいのではないか。認めたくないのではないか。しかしネット上であっても、人と交われば厭でも自分の無能力、無価値を思い知らされる。認めないわけにはいかない。







存在の傷・・・



なんにもないなあ 生きる糧なんて・・・





Untitled (Deep South #1, Scarred Tree), 1998, Sally Mann. born in 1951
- Tea-toned gelatin silver print -
 『傷ついた樹』1998年 サリー・マン




2020年1月3日

57人のポートレイト


気が滅入って仕方がない。先日、数年前のジム・ジャームッシュ監督の映画、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の主人公、ミュージシャンのアダムの部屋に飾られている57人のポートレイトの話をした。

タンブラーに投稿する絵を選ぶ気分でもないので、アダムと重複しないで、自分の好きな人・・・部屋にポートレイトを飾る57名を選んでみようと思う。
重複しないで・・・
既にアダムのところに、バッハ、ボードレール、オスカー・ワイルド、トム・ウェイツ、そしてエミリー・ディキンソンにビリー・ホリデーの写真がある。
彼・彼女を除いて57人か。

この際人柄などは問題にはしない。第一バッハがどんな人だったか誰が分かるというのか?同じく大のバッハ好きでも、エミール・シオランのバッハと神谷美恵子のバッハとでは、まるで別人だ。

とにかく、57人、つまりわたしが好きな作品を描いた、撮った、書いた、作曲した、演奏した、歌った人たちだ。


①ウォーカー・エヴァンス
②ドロシア・ラング
③ロベール・ドアノー
④ブラッサイ
⑤ロイ・デカラバ
⑥デヴィッド’チム’シーモア
⑦エルンスト・ハース
⑧ジェイコブ・リース
⑨ルイス・W・ハイン
⑩E.アジェ
⑪シャルル・マルヴィル
⑫ソウル・ライター
⑬ダイアン・アーバス
⑭アンドレ・ケルテス
⑮ジョン・シンガー・サージェント
⑯ダンテ・ガブエル・ロセッティー
⑰ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
⑱エドワード・バーン=ジョーンズ
⑲ウィリアム・モリス
⑳レメディオス・ヴァロ
㉑ウニカ・チュルン
㉒アンドレ・ブルトン
㉓ジョン・アトキンソン・グリムショー
㉔フランソワ・トリュフォー
㉕ジャン=リュック・ゴダール
㉖エリック・ロメール
㉗ルイ・マル
㉘ジョスカン・デ・プレ
㉙アルカンジェロ・コルレリ
㉚ウィリアム・バード
㉛屈原
㉜ビル・エヴァンス
㉝デクスター・ゴードン
㉞デヴィッド・ストーン・マーティン(DSM)
㉟プリーモ・レーヴィ
㊱ナンシー・グリフィス
㊲ケイト・ウルフ
㊳ナット・キング・コール
㊴フランク・シナトラ
㊵エラ・フィッツジェラルド
㊶キリ・テ・カナワ
㊷ピエール・モリニエ
㊸石原吉郎
㊹石川啄木
㊺尾崎放哉
㊻天野忠
㊼パスカル
㊽シモーヌ・ヴェイユ
㊾荘子
㊿ハインリッヒ・ハイネ
51朝日平吾
52大杉栄
53伊藤野枝
54古田大次郎
55難波大助
56磯部浅一
57ラナ・ターナー
以上57人。

わたしはそれとは別に、つまり上記の、わたしとはほとんど本質的なところで無関係な人たちとは別に、母と、祖母の写真を飾りたい。


ー追記ー

57人を挙げたが、まだ漏れた人がいるので、ここに追加しておく

チェット・ベイカー、ペトルス・ヴェン・シェンデル、カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒ、カール・ラーション、ジョサイア・コンドル、フランク・ロイド・ライト・・・








2020年1月2日

ジャック・ブレル

Best Wishes

I wish for you dreams which never end,
and the furious desire to achieve some of them.

I wish for you to love what must be loved
and forget what must be forgotten.

I wish you passions.

I wish you silences.
I wish for you birdsong upon awakening
and the laughter of childern.

I wish for you to resist the downtroddeness,
the indifference,
the negative virtues of our times.

Above all I wish for you to be you.

- Jacques Brel 1968







2020年1月1日

追記2


50年代に"Where or When?" という歌があった。シナトラなども歌っていたが、ジャズ・ヴォーカルというよりも、ポピュラーなラヴ・ソングに近い気がする。

「いつ?どこで?ぼくはまだめぐり会わない貴女と出会うんだろう?」

多分そんな歌詞だと思う。所謂ティーンエイジ・ソングだ。

わたしも同じように「ホェアー・オア・ホェン」を想う。無論「出逢い」ではない。(ある意味では「出逢い」とも言えるが)

いつ? どこで?そして、どのように?





追記


母が「疲労」から体調を崩すことが多くなった。
父は家族みんなに嫌われていたとはいえ、今は我が家の収入をすべて使ってケア・ハウスで悠々自適の生活をしている。
同じく八十代の母はいつまでわたしと弟の世話をし続けなければならないのか?
どちらかが倒れるまで?

「存在の維持」について考える、というのは、やはりわたしは(が)いなくなった方がいいのだという気持ちが強まって来ているということでもある。

「死」を、というよりも「死に至る過程」を怖れるけれど、時に、生きることの辛さが勝る時には、「今なら死ぬことができるかも」と思うことが増えてきた。

母のように、「死に場所」「死ぬ時期」を考えていたらとても無理そうだが、「勢いに任せて」ならなんとかなるかも、と。

生きていたって、いいことなんてなにもないし、息ができないくらい孤独だし、母の負担になるだけだし。死は、「正解」なのだけれど・・・





「美しい心」と「スマホ」は両立しうるか・・・

嘗てこれほどまでに「存在の持続」ということを意識した新年はなかった。
言い方を換えれば、「いつまで生きるのか?」── これは何も「自死」のことばかりではない。母も、わたしも、ここのところ体調が優れない。
一方で、現代に生きる意味というものを見出すことは出来そうにない。
現代という時代、そこに生きる人間に対して、そもそも敵対的な眼差しを向けている。
こんな時代にも何かしら美しいものがあり、心の美しい人がいるかもしれない、という気持ちに敢えて蓋をしているところがある。

「わたしはスマホを持たないから心が美しい」などと思ってはいない。わたしは「狂人」という「別枠」に置いて、尚、「うつくしい心」と「スマホを持つこと」は両立しうるのか、という大きな疑問がある。

先に書いたように、「スマホを持った美女(美男)」というものは存在しない。
「障害を持った美女」も「ホームレスの美女」も存在するけれども、「スマホを持った美女(美男)」は存在しない。
何故なら「スマホ」というものそれ自体が、「醜くさ」というものの象徴なのだから。



自分の体調であろうと、母の体調であろうと、具合が悪いと不安だ。「死」に怯えている。それでいて、どうしても、「健康であること」「元気でいること」の意味を見いだせない。刻々と迫りくる死の影に蒼くなって震え、同時に生きる意味がわからない。この世界に「わたし」にとって意味のある何があるのか・・・わからない。

残された道は真の(今が偽りというわけではないが)「狂気」。
何故なら「狂気とはこれ以上進行することのない心痛」なのだから。

死ぬことを 持薬を飲むがごとくにも
我は思へり
こころ痛めば

「死ぬこと」ができない以上、狂うしかないのではないか・・・

嘗てこれほどまでに「孤独」「孤立」を感じた年の瀬はなかった。
「時代に取り残されている」という感覚ではない。「置いてけぼり」という感覚は、まるでない。
「取り残される」「置いてけぼりにされている」というのは、先を行く人たちに、「距離」を引き離されているということだ。けれども、わたしが問題にしているのは距離や時間ではない。そもそも同じ空間、同じ地平にいない者同士、「取り残される」とか「遅れる」という概念は使わない。火星や金星は地球に取り残されているのか?地球に遅れているのか?或いは先んじているのか・・・

わたしは現代に遅れているわけではない。そもそも「現代」にいないのだから。
その点について、どこかのブログの愚者が言った、「現代についていけないものだから・・・」という言葉は全く当を得ていない。

生きていることが苦しくて仕方がない。辛い・・・
布団を被って、背中を丸めて膝を抱えて呻いている。それは「存在することの痛み」であり、「存在の傷」の疼きである。
蛇足を言うなら「存在」とは、そもそも「傷」である。