2020年1月12日

死と滅び


「死」ということを最近よく思うように・・・否、感じるようになった。
ここに言う「死」とは「自死」ではない。それに実際は、所謂一般にいわれる「死」「死亡」という言葉よりも、感覚としては寧ろ、「滅び」に近い。
わたしという実在が死ぬ
わたしという実在が滅びる・・・
死は遍く誰にでも訪れる。しかしすべての死が「滅び」ではないだろう。

「滅ぶこと」と、「死」を、今明確に区別することはできない。
ただ、「滅び」は「敗北」により近いという気持ちがある。
わたしはいったい何に敗れたのか。
わたしはいったい誰に敗れたのか・・・

自分自身の「滅び」と共に、この家族の、就中「母の」「滅び」を感じる。
両者の死、双方の滅びは結ばれている。



死ぬことが怖い。今ここに銃があれば、その銃口を口に咥えることを厭わないし、誰もが思うように、「眠っている間に楽に死ねる薬」があれば、それを飲むことを躊躇わない。死、消滅よりも、死に至るまでの過程、終焉までの苦しみが怖いのだ。

桂枝雀師匠は若い頃、「死ぬの怖い病」だったと自著に書いている。そしてその気持ちは最後まで変わらなかったのではないか?「死を恐れるものは、殺される前に自ら死ぬ」
これは普通の人にはわかりにくい感覚かもしれない。
無論枝雀師匠の自殺については、わたしの勝手な憶測にすぎないが・・・

「死ぬことが怖い」と同時に、「生きることになんのたのしみも見出すことができない」
それはわたしの怠慢であるのか。それはわたしの無能・・・というよりも、愉しみを見出すことができないという、生きる上で何よりも必要な資質の欠如に因るのか?



昨夜から頗る体調が悪い。風呂の水を洗濯機に入れるというのが、今わたしのできる数少ない「手伝い」のひとつだが、それをやってしばらくしてからパソコンの画面を見ていることさえ大儀なほどの疲れが湧いてきた。

わたしの机の上に、2016年の卓上カレンダーが置いてある。
これも母に買ってきてもらったもので、それ以前は、毎年銀座伊東屋や、丸善のカレンダー・フェアにいって、ちゃんとした「来年のカレンダー」を求めていた。友人を失ってからは母と一緒に行っていたと思う。

その後わたしは ' a man with a past ' に ' Clock without Hands'になっていった。
つまり時が静止した。そして年を重ねるごとにできることが消えていった。
2016年、4年前には、今よりも4倍のことが出来ていたはずだ。
何故このように、毎年確実にできることが減ってゆくのか。



年を取ってゆくにつれて、できないことが増えてゆくということは、とりもなおさず、年々母の負担が増えるということに他ならない。

そうまでして生き続けている意味・・・だがもうそんなことを考えることにも疲れた。

どうしたら母をしあわせに・・・とまでは言わずとも、少しでも楽に、そして笑顔になってもらえるのか?それはおそらく、わたし自身が笑顔になること、わたしが元気になって実際に母の負担を軽くすることだろう。
けれども、それは難しい。元気になるには、「母のため」ではなく、自分自身の生きがいを、たのしみ、よろこびをもたなければならない。



今日は時間が重なって、ベランダでタバコを吸う弟の煙を、トイレの中で浴びてしまった。風に乗って、煙が流れ込んでくるのだ。
しかしわたしは舌打ちをする気も、ここから出てゆくと自殺を仄めかし、これ以上母を困らせるつもりもない。もうそんな気力もないのだ・・・

大田区にいた頃、馬込から蒲田の自宅に毎晩通っていたことは前に書いたと思う。
そこで食事をし、入浴して再び電車に乗って馬込に帰るのだが、帰路、歩きたばこをしていた人も珍しくはなかったし、アイドリングをしているクルマも皆無ではなかった。
けれども、それを苦にしたことはなかった。
一方で当時から、母に洗濯してもらったものを、もう一度、アパートの日当りのいい、風通しのいいベランダで、風に当てるということはしていたが。



今問題なのは、弟の煙草のことではなく、わたしの状態・状況だ。
わたしは母だけではなく、弟にとっても邪魔者になっている。
最近はそんな風に思うようになった。

昨日Tumblrで、こんな写真を見つけた。




ひどく嫌な思いをした。

同じアマチュア・フォトグラファーの


この写真も不愉快だった。けれども現実にわたしを取り巻く外界はこんなものじゃない。

(「」はいい写真もいくつも撮っている。)

同じ「待つ」といっても、わたしはこちらの絵を選ぶ。


James (Jacques) Joseph Tissot (1836 - 1902), Waiting (also known as In the Shallows)



生き難さを感じる者は、何かが「間違っている」のだろうか?

例えば「発達障害」とは「存在としての」「間違い」だろうか?

自分を苦しめる美意識・・・ニーチェだったか、「美に敏感な者が、醜さには鈍感ということは考えられない」と言ったのは。


啄木の歌を想ふ

 わが病の
 その因るところ深く且つ遠きを思ふ
 目をとぢて思ふ ー「悲しき玩具」より



昨夜つかれたからだを横たえて読んだ、昭和42年に33歳で処刑された、島秋人の歌集『遺愛集』より


● おろそかに過ごし得ぬ日とおもいつつなすことのなくひと日昏れたり


● 身に淋しきことのあるいま掌(て)にのりて啼く文鳥の啼くを愛(かな)しむ


● 幼な日の優しきことの幾つかを獄壁(かべ)にさはりつ憶(おも)ひ更けたり


● 温もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ

『遺愛集』の序文を書いた歌人窪田空穂は

「遺愛とは生前愛したもので、死後に遺すものという意であろう。秋人の遺しうるものは、ただその作歌があるのみおである。わが作歌こそわが生命であるとの意であろう」

と記す。

遺愛の品。そんなものがわたしにあるだろうか・・・







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