2020年1月25日

断想1


● 昨日『石原吉郎詩文集』を読んでいて、(あらゆる場所での)身近な他者と言葉(気持ち、感覚)が通じ合うことが困難で、尚且つ「生きる」ということの意味がわからないわたしにとっては、今更ながらに本を読むこと、本の中に「似た人」「ごく近い感性」を見出す必要性を痛感する。

F.トリュフォーは脳腫瘍に罹った時に、秘書にありったけの関連書を集めさせた。
「病気」に関する書籍ではない。古今東西の「生と死」をテーマにした本だ。

わたしの「病の根源」が、おそらく、「現代に於ける生(と死)」であると考えられる以上、わたしが読むべきなのもまた、医学・医療関連の本ではなく、「人間存在」について考察された本であるはずだ。


わが病の
その因るところ深きを思ふ
目をとぢて思ふ (啄木)

「一握の砂」に収められたこの一首、わたしは下のように勘違いしていた。そしてわたしにとっては、この方がしっくりくるのだ。

わが病
その因るところ深きを思ふ
深く且つ遠きを思ふ






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