2020年1月26日

「違い」


なんでこんなに苦しいのだろう。鬱の症状としてわたしよりも重篤な人は大勢いる。

つまるところ「孤独」であること、そして「生きる意味」を見いだせないこと。

鬱の辛さを増しているのは、「仮によくなったとして、よくなった後の世界にはたして何が残っているのか?」という大いなる疑問が常に心の中に横たわっているせいではないだろうか。(良くなるという目標と意味の不在)



一昨日のデイケアで、前回出席した人の、他の参加者への質問として提出された、「あなたは世のため人のために生きていますか?」という話題が取り上げられた。

その質問者が不在だったこともあり、進行役のスタッフはじめ、「世のため人のためになんか生きてないよね。自分のためだよ」という声が多かった。

ひとりひとりに意見を求めたわけではないが、わたしは、「世のため人のため、というのなら寧ろ死んだ方が世のため人のためになる。わたしに関していえば・・・」と言った。
おそらくその発言を承けてだろうが、隣の同世代の男性が、「ぼくたちひとりひとりのいのちなんて、せいぜい長くて百年程度でしょう。その前、ぼくたちの前に先人たちの生きてきた軌跡が、何万年か何十万年か知らないけど、あるわけじゃない。ぼくたちは、その中のほんのちっぽけな点に過ぎないわけ。だから、ぼくたちの役目は、よりよい世界を次の世代に手渡すことなんじゃないかな?」

この発言には少なからずショックだった。

理由の一つは、今度この男性を含め四人でバンドを組もうということになって、そのリーダーのような存在がその男性だったからだ。

彼の意見が暗にわたしへの反論だとは思っていない。そして間違っているとも思わない。
「反駁」でも「間違い」でもない。けれども、「違う」・・・

ふたつ目はここで既に何度も引用しているように、わたしは以下の意見に100%・・・いや、それ以上に共鳴する者だからだ。



私が黒百合姉妹を知ったのは16歳の頃だ。
その頃私は生きているのがおそろしかった。
そして決心した。私は決して子供を産まない。
私が耐えかねている「生」を他の誰かに与えることなど決してしない。


私は高校生で未成年で被保護者だから今はしないけれど、大人になって自分で生計を立てるようになったら、卵管圧挫結紮手術を受けよう。
避妊だとか、ましてや掻爬といった場当たり的な手段では足りない。私が生を与える可能性を完全に消し去ろう。

私は、産む機能を持たない身体を得ようと思った。
このおそろしさは、私で終わりにする。

卵管圧挫結紮手術を受け、妊娠が不可能な身体になった後、私が考えを変えて子供をほしがることがあるかもしれない。今の気持ちは変わらないなどと思い上がりはしない。私は自分がどれほど変わりやすく、忘れやすい人間かを知っている。
だからこそだ。私は取り返しのつかない改変を自分の身体に加えようと思った。子供をほしがる未来の私を私は決して許さない。未来の私が今の私を裏切ろうとするのならば、思い知るがいい、私は決してあなたを許さない。

子供をほしがる未来の私よ、あなたは忘れたのか。
この世界がどれほどおそろしかったのかを忘れたのか。
このおそろしさをあなたの子に味わせようというのか。
あなたは悔やむだろう。今の私を恨むだろう。これほど大きな不可逆的な決定が既に下されていることに苦しむだろう。
苦しめばいい。この恐怖を味わう可能性を産み出そうとする私など苦しみ嘆けばいい。
子供を産もうとする私よ、あなたはあらかじめ罰されている。


二階堂奥歯『八本脚の蝶』〔2001年11月2日〕の日記より抜粋引用(下線Takeo)



先日主治医と話した時に、久し振りにこのブログを読んだ感想を訊いた。
初めはあたりさわりなく、「いいんじゃないですか。文章は上手だし」と言っていた。
わたしが「精神科医として読んでどうですか?」と更に尋ねると、「精神科医として・・・うーん、やっぱり普通の人とだいぶ価値観が違うことは事実ですね。ただし、「狂気」といった混乱はない。極めて理路整然としている。ただ、その価値観が「病気」ですけどね」
※わたしの記憶で書いているので、一言一句正確ではないことをお断りしておきます。けれども、「価値観が病気」であるという言葉を聞き間違えるはずはない・・・



しかし、身近な人間との意見の「大きな隔たり」以上に、わたしを苦しめているのは、現代社会との決して埋めることのできない懸隔・隔絶だ。「わたし」が「世界」とは「違う」ということ。

一方で、わたしは何故こうも「人と同じであること」に拘るのか?


「孤独」ということは、ひとつの「場合」ではない。孤独ということは「存在」と同義なのだ。人間は時たま故郷へ還るように、各自の孤独へ還るのだと思っているが、しかし人間ははじめから孤独の中に居り、一歩も孤独から出てはいないのだ。
『石原吉郎詩文集』「一九五六年から一九五八年までのノート」より
しかしこの石原吉郎の文章の中にも、あちこちに「違い」を見つけて躓き、疲弊しているのだ・・・














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