2019年9月21日

人生の寓話



〔寓話の続き〕


その物語は刺繍した布のような 神秘の中の

郷愁のフォルム


あなたは薄暗がりの中で人生と言葉を紡いだ

とても細い糸で 夢の断片を

それは傷付いたバラの混沌の物語


終わりがあるということ


沈黙とともにナイチンゲールがやってきた

揺らめき 拠り所のない風が

愛が集まる脆い楽園の郷愁に

近づいていた


夢は雪の詩集をされた青いリンネルの

ハンカチに似ていた


その糸は傷ついた雨であった


物語は続き ゆっくりと

深く 暗く 不治の傷となった

その存在のまさに中心で…




『ルース・ポソ・ガルサ 詩集』桑原真夫 訳 より












4 件のコメント:

  1. こんにちは。

    Takeoさんが、この詩をいいと思う気持ちと、デイケアの参加者の方たちが『あれがおいしい』『私はこれが好き』と食べ物のことについて話し合うのとは、どう違いがあると思いますか?

    「その好き」を仲間と共有するか否かですか?
    それとも、「その屈託のなさ」ですか?
    それとも、「生」に向かっているか?「死」に向かっているか?の違いでしょうか?

    また、他に何かあれば、もしよければ、教えてください。


    では、また。


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    1. こんばんは。

      どのように違いがあるか・・・

      先ずわたしは仮に相手が誰であっても、食べ物やスポーツについて語り合いたいとは思わない。つまり話題の対象に興味が無いこと。

      「屈託のなさ」についてもそう言えるかもしれません。いい悪いでも、高尚・俗っぽいということではなく、多人数の屈託のなさには極端に言えば居たたまれなさを感じます。ただ一方で、今は無くなってしまいましたが、クリニックのある駅から少し歩いたところに、焼き鳥屋があって、この時期(暑い時期)には、外にテーブルを出して、スーツ姿の中年の男女がおいしそうにビールや焼酎を飲んでいました。
      それを見て、「ああいいなぁ」と感じたのは、そういう風景がどんどん東京から消えていることもあるだろうし、夏の夕暮れ時に仲間と飲むビールは美味しいだろうということ。わたしはそれがなくなって残念です。いつまでもそれを傍観者として見ていたかったという気持ちがあります。その居酒屋に対する気持ちは親しみ。昨日のデイケアでの盛り上がりにはどちらかというなら、居心地の悪さを感じました。

      わたしが昨日感じた気持ちは、自分も仲間に入れたらなというものではありませんでした。最後に一言づつ感想と、好きな鍋料理をということになったのですが、わたしは鍋料理はわかりませんが、とそのことに関しては素通りし、感想のみを述べました。
      その感想というのが、「皮肉でも何でもなく、盛り上がっているみんなとぽつんと押し黙った居るわたし。これは昔から覚えのある情景です。この構図がわたしなんだなと改めて気づくことが出来てよかった」というものでした。

      多分これが、「好きな食べ物」「好きな鍋料理」ではなく、「好きな本」「好きな映画」についてだったら、みなの顔がこんなに文字通り光り輝くと言うことはなかっただろうと思います。もちろんわたしも含めて。

      多分わたしはあそこに「静けさ」「暗さ」を求めていっているのかもしれません。
      言い換えれば「落着き」です。



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  2. こんばんは。

    丁寧に答えていただいて、ありがとうございました。

    そこで、もう一つ、

    『多分これが、「好きな食べ物」「好きな鍋料理」ではなく、「好きな本」「好きな映画」についてだったら、みなの顔がこんなに文字通り光り輝くと言うことはなかっただろうと思います。もちろんわたしも含めて。』

    ということですが、もしも、「好きな本」「好きな映画」についてで、二~三人だったら、どうですか?
    それでも、静かなことは必須でしょうか?

    もしも、Takeoさんの中に「許せる範囲の静かじゃないもの」や「許せる範囲の明るいもの」があれば、教えてください。

    詮索するようなつもりではありません。
    ただ、「暗さ」や「静かさ」を愛しく思うという気持ちは、ぼくにも理解できるんですが、「明るさ」や「静かではない音(騒音ではなく)」を嫌うということが、ぼくには今一つピンとこないので、もし、良かったら聞かせてください。


    ぼくは、音楽でも、「やや騒々しいもの」も好きな場合がありますし(極端なラウド・ミュージックは好きではありませんが)、「絵」は「強い色の絵」が好きなのに、それでいて、「静かな音楽」も好きな場合があったり、「暗い色の絵」も好きなものは多く、自分でも、そういう「暗い・明るい」や「静かさ・騒々しさ」の好みに、特に偏りがないので、そういうこだわりのモトのようなものがあるのならば、知りたいと思う時があるんです。

    たとえば、「ジミ・ヘンドリクス」の曲は、確かここにも投稿されていたと思いますが、ぼくも、ジミの曲はほとんどすべて好きなんですけど、初めの15秒で十分です。
    最後まで聞くと、ぐったりしてしまいますね。

    それから、意外かもしれませんけど、バロック音楽なんかでも、ぼくにはけっこう疲労感があったりします。
    (これは嫌いということではなく、疲れるということですね)

    いや、それどころか、「ブルース」って、けっこう疲れます。
    (それなのに、たくさん聞く)
    ハッキリ言うと、スムースな「R&B」(例えばモータウン)の方が、心地いいことが多いですね。
    (それなのに、なぜか、あまり聞かない)
    でも、「モータウン・サウンド」を、それなりに「重い」と感じている人も居るようですから、人の好みはわかりません。

    自分のことで言うと、「レイ・チャールズ」は、あきらかに「R&B」なのに、「重い」と感じますが、なぜか「チェス・レコード系」の「ブルース」、たとえば、「マディ・ウォーターズ」でも「リトル・ウォルター」でも「ハウリン・ウルフ」ですら、「重い」とは感じません。


    すいません、話がそれました。
    最後のところは、無視していただいて構いません。

    どうぞ、よろしく。


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    1. こんばんは。

      >「暗さ」や「静かさ」を愛しく思うという気持ちは、ぼくにも理解できるんですが、「明るさ」や「静かではない音(騒音ではなく)」を嫌うということが、ぼくには今一つピンとこないので、もし、良かったら聞かせてください。

      多分それはわたしのここ10年くらいの生活が、それ以前とまったく変わってしまったことが原因だと思います。

      例えばわたしは陽光あふれるギリシャの海辺の町などに憧れます。
      瀬戸内海の小さな島の朝はきれいでしょう。
      田舎の夏祭りは賑やかで楽しいだろうし、盆踊りも好きです。
      子供の頃はみんなと一緒に踊るのが楽しかった。

      つまり今のわたしにとって、「明るさ」(光の意味で)や「賑やかさ」イコール「大嫌いな東京」の象徴なのです。

      田舎で、外国での明るさや、賑わい(観光地・観光客の賑わいは除いて)は全然嫌いではありません。

      つまり上記のようなもの、即ち非・東京的なるものが
      >「許せる範囲の静かじゃないもの」や「許せる範囲の明るいもの」なのだと思います。
      いや。非・東京というよりも、非・日本の都市部、いや、「現代日本」以外のものであれば、「許せる範囲の静かじゃないもの」や「許せる範囲の明るいもの」になり得ると思います。

      >もしも、「好きな本」「好きな映画」についてで、二~三人だったら、どうですか?
      それでも、静かなことは必須でしょうか?

      二・三人なら盛り上がってもいいと思います。

      なににしてもはっきりとしたことは言えないですね。複数=3人以上の仲間というものを持ったことがないので想像でしかものを言えないのです。

      音楽ではやはりメロディーが綺麗であることですね。でもチャールズ・ミンガスのようにノイジーな感じもたまには聞きます。ジャニスも好きですがあれは「ウルサイ」とは言わないですね。ジャニスで一番好きなのは「クライ・ベイビー」ですかね。

      答えになったでしょうか?







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