今から34年前。1985年の『暮しの手帖』を眺めていた。中に「レコード」を紹介するページがあった。
作曲者の名は知らずとも、彼の作曲した曲は誰もが聴いたことのある、アメリカのスティーヴン・フォスター(1826-1864)のレコードが紹介されていた。
「ケンターキーのわが家」「おおスザンナ」「オールド・ブラック・ジョー」「夢見る人」「故郷の人々(スワニー川)」「草競馬」・・・
しかし、解説によると、フォスターはうつくしい歌を数多く作りながら、経済的には恵まれず、アルコールにからだをむしばまれて短い生涯を閉じたのだった。
「金髪のジェニー」という歌を捧げたジェニーとは、結婚後3年後には別れ、37歳の若さで一人ぼっちで死んだとき、ニューヨークの貧民街の木賃宿に残っていた身の回りの品は、背広一着、ズボン一枚、チョッキ一枚、帽子ひとつ、靴が一足、外套一着。下着も靴下もなく、小さな財布の中には「親しい友達、そして優しい心」と走り書きした一枚の紙切れと、所持金が38セントだけだった。
これを読んで、涙がこぼれた。彼の不幸な生涯に同情したからではない。
「親しい友達、そして優しい心」それがフォスターその人であり彼の音楽だった。
或いは人は彼の生涯を「あまりにも悲しい」「あまりにも不幸せ」だったと評するかもしれない。けれどもわたしは敢えて、彼の人生に、「あまりにも美しい」という言葉を添えたい・・・
Stephen Foster - Hard Times Come Again No More
Hard Times Come Again No More - Nanci Griffith
Al Jolson - Old Black Joe
わたしはフォスターの「ハード・タイムス・カム・アゲイン・ノー・モア」という歌を、
ナンシー・グリフィスの『アザー・ヴォイセズ TOO』(1998)で20年ほど前に初めて知った。
「ケンターキーのわが家」や「草競馬」の同じ作曲家が、こんな辛い歌を作っていたことを初めて知ったのだった。
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