2018年6月9日

ふと思ふ、今更思ふ


今更ながら、わたしのブログは糞真面目で面白みがないとつくづく思う。しみじみ思う。
知性はユーモアのセンスにもっともよくあらわれる。

このブログの読者は、いまのところ、3~4人と思われる。
仮に何人だろうと、いったい何が面白くてこんな堅苦しく生硬な文章を読みに来てくれるのだろう。

ブログ村の「メンタルヘルス」のカテゴリーで、おもしろいブログを見つけて早速フォローした。20代の男性で、性的マイノリティだと言っている。
1991年生まれ。30歳以上年下だ。
引きこもりでニートだとも書いていた。

「面白いのでフォローします」とだけ伝えて、こちらのブログのアドレスは記入しなかった。「彼だから」ではない。誰であろうと、いま人様に「こんなブログ書いてます」なんて、とても言える気分じゃない。
顔が火照る。

わたしのピークはやはり2008年だった。今はとてもあんな文章は書けない。とても・・・



ただ、どうしても譲れないのは「言葉遣い」だ。
例えば「~じゃね?」「すご過ぎ!」「ありえない」「後悔(感謝)しかない」といった表現は、生理的なレベルで嫌悪感を感じてしまう。言葉遣いが堅苦しさの一因であるならスクエアーで一向構わない。

言葉遣いに関しては、頑固なまでの保守主義者でありたい。

うつつなきつまみごころの胡蝶哉 

という蕪村の句がある。

花にとまった蝶をそおっと捕まえようとしている。つまむときに力を入れすぎると翅を痛めてしまう。
つまんでいるような、いないような、現のような、夢の中のような・・・
そんな幽かな、繊細な仕草を描写したものだが、
言葉に対して、胸の中の蝶を捉えるようでありたいと思う。
決してぞんざいには扱うまいと思う。それはとりもなおさず自分のこころをぞんざいに扱うことだから。








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