2008年6月8日に秋葉原で起きた事件について、当時わたしは、その半年前に書き始めていたブログに自分の思いを綴りました。
10年前。わたしが44歳の時でした。そして生涯に持った、ただたひとりの親友を、事件の数カ月前に失っていました。
記事を書いていた時、わたしが加藤君と同様の孤独に押しつぶされていたとは思いません。当時はまだ、6年間続いた友情の残響、残り香のようなものがあり、それがわたしを辛うじて支えていたのでしょう。
昨日、新幹線の車内で似たような殺傷事件が起こりました。
そのことについてわたしは特別な関心を持っていません。少なくとも今は。
わたしの情報源は新聞だけなので、今度の事件について興味深い記事が書かれるようなことがあれば、またそのことについて触れることがあるかもしれません。
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10年前に書いたものを読み返して、秋葉原の事件について、その時わたしが抱いていた気持ちは今も変わっていないことに気づきました。
それがひょっとしたら、山田太一氏をして、「とてもついていけない」と言わしめた一因であったかもしれません。
秋葉原事件についての記事のリンクを載せますので、わたしという人間を、その暗部を(言い換えれば本性を)、より知りたいと思われる方は、目を通してみてはいかがでしょうか。
当時もわたしは精神科に通っていましたが、主治医のみならず、このことについては誰とも話した記憶がありません。
それはわたしが「反社会的な思想を持つ危険人物」であることを知られることを怖れてのことではなく、単にそのようなことを話題にする相手が最早わたしにはいなかったということです。
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おれはおれのいたましさをもつ おれの尊厳なるいたましさ
おれはおれのいたましさの息子である
おれはいたましさをもたなければ無である
おれはいたましさを食す
おれはいたましさを煙草にふかす
おれはそれを吐き出す
おれはそれが君のものであるが故にそれを愛する
ー 西脇順三郎 『アムバルワリア』より [ Le Monde Moderne / The Modern World ]
Takeoさん
返信削除ぎゃー〜ーせっかく書いた、長い長いコメントが 消えましたーーーーー (悲鳴)
悔しーーー
もう一度書き直そうか 熟考中
ああ、それは残念!
削除わたしもたまにありますが、気を取り直して書き直した方が、前のよりも整理されていることも多い気がします。
気が向いたらまた聞かせてください。
どうもありがとう。