かつて作家中村真一郎は、「ぼくは非国民を任じているんです」と語った俳優天野英世について、「自ら「非国民」と名乗るのは、よほどの愛国者でなければならない」と書いた。
わたしも「非国民」を任じているが、だからといって「愛国者」とは思われたくない。
わたしはこの国が、心底、嫌いだ。
勲章・褒章はおろか、腐った国から金などもらいたくないと、年金の受給さえ拒否した
天野さんのこと、「真の愛国者」などと言われて、泉下で片腹痛しと思っているかもしれない。
「惨劇からほのかに見えてくるのは、人には①「生きるに値する存在」②「生きるに値しない存在」ーの2種類があると容疑者の青年が大胆に分類したらしいことだ。この二分法じたいを「狂気」と断じるむきがあるけれども、だとしたら、人類は「狂気」の道から有史以来いちども脱したことがないことになりかねない。」
障害者を産んだらとてもしんどいことばかりだし、自分も子供も不幸になるという考え方は本当に正しいのか。まず、障害者を産んだらその本人が可哀想だと考える人は、「自分の子供は自分の持ち物である」という発想に凝り固まっているのではないかと立石さんは言う。こどもの人生が不幸かどうかは子供自身が決めることだ。
障害者だとわかった上で出産を決意し、喜びも苦しみもある「普通の」人生を送っている親たちが現に存在する。
「五体満足な子供を持つためには何でもする」という誘惑に、ぎりぎりのところで踏ん張って抵抗し、「子供の生命の質を選ばない」という選択肢をゆっくりと納得しながら選び取ってゆく、そういう道を立石さんは探そうとする。
「あのモンスターを生み出した子宮はいまだ健在である・・・」
先日、ハノイ市中心街の横断歩道を渡ろうとした時、見知らぬおばあさんが自分の右手を、あたかもいつも身近にいる人の手を借りるように、とても自然に私の左手に伸ばし軽くつかみました。
無言でしたが、一緒に道路を横断して欲しいという思いが伝わり、共に渡り終えると、何事もなかったように私から離れていきました。
ここ数年、ハノイではオートバイや車が驚くほど増え、交通事故もよく目にします。
信号は増えても、市民の交通マナーは徹底していません。
そんな中で、あの出来事に教えられたのは「豊かさ」でした。お年寄りが誰に対しても「手助けして欲しい」という意思を、言葉を発せずとも伝えられる。頼む側に頼むという意識がない分、受ける側にも構えがない。これは社会がお年寄りを受け容れる器を広く持っているから。「豊かさ」とはこういうことかと感じました。
頼む相手は誰でもよかったのです。だれもが手を貸す心構えでいるという「暗黙の了解」が社会に存在しているからこそ、あのお年寄りは自然に手が出たのでしょう。
いつか自分が年を取った時、日本は何も意識せずに隣に立つ人の手を握れる社会だろうか、と思いながらその時の光景を思い出しています。
倒るれば倒るるままの庭の草 (良寛)
「鳥のように自由に飛んでいけたらいいのに……」一度でも閉塞感を味わったことがある人なら誰しも、空を見上げてそう思った経験があるだろう。しかしハキームによればそうではない。飛ぶしか選択肢がない鳥よりも、私たちのほうが自由なのだ。ではいったいわたしたちに、どのような多様な選択肢が与えられているというのか?
『私たちの星で』(2017年)
うつつなきつまみごころの胡蝶哉
「親になることはやさしい、けれども親であることは難しい」
ー 山本有三『波』
The Letter, 1979, Andrew Wyeth. - Watercolor -
「手紙」アンドリュー・ワイエス(1979年)
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混んでいて、吊革にすがっているとこんな言葉が耳に入ってきた。「おとうちゃん、今晩のおかずどうしよう。厚揚げの残りあるし、あれ炙って、生姜醤油で食べるか・・・」
走り抜けてゆく電動自転車の後ろに座っていた男の子が「いい匂いがしてきた、いい匂いがしてきたよ」と嬉しそうに2回言うのを確かに聞いた。前から来た女の子が何かを両腕で抱きしめながら「かりんとう、かりんとう」と呟いていた。大切な言葉のように何度も。猫の頭は砂まみれ。払った手も砂まみれ。