2018年6月30日

非国民


かつて作家中村真一郎は、「ぼくは非国民を任じているんです」と語った俳優天野英世について、「自ら「非国民」と名乗るのは、よほどの愛国者でなければならない」と書いた。
わたしも「非国民」を任じているが、だからといって「愛国者」とは思われたくない。
わたしはこの国が、心底、嫌いだ。

勲章・褒章はおろか、腐った国から金などもらいたくないと、年金の受給さえ拒否した
天野さんのこと、「真の愛国者」などと言われて、泉下で片腹痛しと思っているかもしれない。




2018年6月29日

この生命誰のもの?


作家の辺見庸が、相模原の障害者施設殺傷事件について、事件の翌月、2016年の8月に、沖縄琉球新報に二度にわたり記事を掲載している。
非常に興味深く読んだので、それをここに引用する。




【誰が誰をなぜ殺したのかー惨劇がてりかえす現在 ー 底なしの穴の深さ(上)】


わたしらは体に大きな穴を暗々(くろぐろ)とかかえていきている。その虚しさにうすうす気づいてはいる。しかし突きとめようとはしない。穴の、底なしの深さを。かがみこんで覗きでもしたら、だいいち、なにがあるかわかったものではない。だから、アナなどないふりをする。空しさは空しさのままに。穴は穴のままに、ほうっておく。いくつもの穴を開けたまま笑う。うたう。さかんにしゃべる。穴ではなく愛について。ひきつったように笑い、愛をうたい、空しくしゃべる。黒い穴の底に、愛がころがり落ちていく。

相模原の障がい者殺傷事件の容疑者はとっくにつかまっている。だが、誰が、誰を、なぜ殺したのかーこの肝心なことが正直よくわからない。のどもとをにはせいあがってきているものはある。それを言葉にしようとする。言葉がボロボロとくずれる。白状すると、わたしは夜中に思わず嗚咽してしまった。闇にただよう痛ましい血のにおいにむせたのではない。人間にとってこれほどの重大事なのに、その”芯”を語ろうとしても、どうしてもうまく語りえないだけでなく、わたしの内奥の穴が、仮説という仮説をのみこんでしまうのだ。それで泣けてきた。
惨劇からほのかに見えてくるのは、人には①「生きるに値する存在」②「生きるに値しない存在」ーの2種類があると容疑者の青年が大胆に分類したらしいことだ。この二分法じたいを「狂気」と断じるむきがあるけれども、だとしたら、人類は「狂気」の道から有史以来いちども脱したことがないことになりかねない。生きるに値する命か否か―という存在論的設問は、じつのところ古典的なそれであり、論議と煩悶は、哲学でも文学でも宗教でもくりかえされ、ありとある戦争の隠れたテーマでもあったのだ。

たぶん、勘違いだったのだろう。自他の命が生きるにあたいするかどうか、という論議と苦悩には、これまでにおびただしい代償を支払い、とうに決着がついた、もう卒業したと思っていたのは。それは決着せず、われわれはまだ卒業もしていなかったのである。あらゆる命が生きるに値する―この理念は自明ではなかった。深い穴があったのだ。考えてもみてほしい。あらゆる命が生きるに値すると無意識に思ってきた人々でも、おおかたはあの青年への来たるべき死刑判決・執行はやむをえないと首肯(しゅこう)するのではなかろうか。つまり「生きるに値する存在」と「生きるに値しない存在」の種別と選別を、間接的に受けいれ、究極的には後者の「抹殺」をみんなで黙過することになりはしないか。
だとしたら...と、わたしは惑う。だとすれば、死刑という主体の「抹殺」をなんとなく黙過するひとびとと、「抹殺」をひとりで実行した彼との距離は、じつのところ、たがいの存在が見えないほどに遠いわけではないのではないか。少なくとも、われわれは地つづきの曠野にいま、たがいに見当識をなくして、ぼうっとたたずんでいると言えはしないか。

ナチズムは負けた。ニッポン軍国主義は滅びた。優勝劣敗の思想は消え失せた。天賦人権説はあまねく地球にひろがっている。だろうか?ひょっとしたらナチズムやニッポン軍国主義の「根」が、往時とすっかりよそおいをかえて、いま息を吹きかえしてはいないか。7月26日の朝まだきに流された赤い血は、決して昔日の残照でも幻視でもない。「一億総活躍社会」の一角から吹きでた現在の血である。それは近未来の、さらに大量の血を徴(しめ)してはいないか。
あの青年はいま、なにを考えているのだろうか。悪夢からさめて、ふるえているのだろうか。かれにはヒトゴロシをしたという実感的記憶があるだろうか、「除草」のような仕事を終えたとでも思っているだろうか。生きる術さえない徹底的な弱者こそが、かえって、もっとも「生きるに値する存在」であるかもしれない―そんな思念の光が、穴に落ちた彼の脳裡に一閃することはないのだろうか。
(続く)

(「琉球新報」2016年8月11日)



【誰が誰をなぜ殺したのか(下) ――痙攣する世界のなかで 】

目をそむけずに凝視するならば、怒るより先に、のどの奥で地虫のように低く泣くしかない悲しい風景が、世界にはあふれている。「日本で生活保護をもらわなければ、今日にも明日にも死んでしまうという在日がいるならば、遠慮なく死になさい!」。先だっての都知事選の街頭演説で、外国人排斥をうったえる候補者が、なにはばからず声をはりあげ、聴衆から拍手がわいたという。かれは11万4千票以上を得票している。わたしの予想の倍以上だ。これと相模原の殺傷事件の背景を直線的にむすびつけるのは早計にすぎるだろう。けれども、動乱期の世界がいま、各所で原因不明のはげしい痙れん症状をおこしているのは否定できない。あの青年が衆院議長にあてた手紙には、愛と人類についての考えが、こなごなに割れた鏡のかけらのように跳びはねている。「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意……」の文面が、ガラス片となって目を射る。「全人類が心の隅に隠した想い」とは、ぜんたいの文脈からして、重度障がい者の「抹殺」なのである。障がい者 は生きるに値せず、公的コストがかかるから排斥すべきだというのが、人びとが「心の隅に隠した想い」だというのだろうか。これが「愛する日本国、全人類の為」というのか。ひどい、ちがう!と言うだけならかんたんである。凶行のあったその日も、その後も、世界はポケモンGOの狂騒がつづき、テレビは「真夏のホラー(映画)強化月間」に、リオ五輪中継。リアルとアンリアルのつなぎ目がはっきりしない。そう言えば、善意と悪意の境界もずいぶんあいまいになってきた。障がい者19人を手ずから殺めた青年に、犯行の発条(ばね)となる持続的な悪意や憎悪があったか、いぶかしい。戦慄すべきは、殺傷者の数であるよりも、これが「善行」や「正義」や「使命」としてなされた可能性である。 

惨劇の原因を、たんに「狂気」に求めるのは、一見わかりやすい分だけ、安直にすぎるだろう。「誰が誰をなぜ殺したのか」の冷静な探問こそがなされなければならない。世界中であいつぐテロもまた「誰が誰をなぜ殺したのか」が、じっさいには不分明な、俯瞰するならば、人倫の錯乱した状況下でおきている痙れんである。そうした症状はなにも貧者のテロのみの異常ではない。米軍特殊部隊は2011年、パキスタンでアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディンを暗殺したが、その前段で、中央情報局(CIA)のスパイがポリオ・ワクチンの予防接種をよそおってビンラディン家族のDNAを採取していたことはよく知られている。ワクチン接種がポリオ絶滅のためではなく、暗殺のために利用されたのだ。結果、パキスタンでポリオの予防接種にあたる善意の医療従事者への不信感がつのり、反米ゲリラの標的となって殺される事件がことしもつづいている。ポリオ絶滅は遅れている。それでも米政府はビンラディン殺害を誇る。「米国の正義」を守ったとして。正義と善意と憎悪と "異物" 浄化(クレンジング)の欲動が、民主的で平和的な意匠をこらし、世界中で錯綜し痙れんしている。7月26日のできごとはそのただなかでおきた、別種のテロであるとわたしは思う。あの青年は "姿なき賛同者" たちを背中に感じつつ、目をかがやかせて返り血を浴びたのかもしれない。かれが純粋な「単独犯」であったかどうかは、究極的にかくていできはしない。石原慎太郎元東京都知事は、前世紀末に障がい者施設を訪れたときに、「ああいう人ってのは人格があるのかね」と言ってのけた。新しい出生前診断で "異常" が見つかった婦人の90%以上が中絶を選択している――なにを物語るのか。「生きるに値する存在」と「生きるに値しない存在」の二分法的人間観は、いまだ克服されたことのない、今日も反復されている原罪である。他から求められることの稀な存在を愛することは、厭うよりもむずかしい。だからこそ、その愛は尊い。青年はそれを理解する前に、殺してしまった。かれはわれらの影ではないか。

(「琉球新報」2016年8月12日) 



惨劇からほのかに見えてくるのは、人には①「生きるに値する存在」②「生きるに値しない存在」ーの2種類があると容疑者の青年が大胆に分類したらしいことだ。この二分法じたいを「狂気」と断じるむきがあるけれども、だとしたら、人類は「狂気」の道から有史以来いちども脱したことがないことになりかねない。」

人はすべからく生きるに価するのか?それとも、「生きるに価する存在」と「生きるに価しない存在があるのか?」
どう考えても簡単に答えの出せる問題ではない。

わたしは自分自身を生きるに価する人間の側に入れてはいない。入れることができない。
そしてわたしのように感じ、考えている人は決して少なくないはずだ。
生きるに価する存在か否か?それは一体何を基準に、誰が裁くことができるのだろう?
わたしじしん、彼・彼女自身は、自分の意思で自らのいのちを絶つ権利を有する。
自分には生きる価値がないのだと、考え、感じ、主張する権利を持つ。


ここに『私的所有論』という立石信也氏の本の書評がある。
本を読んでいないので、書評にある断片的なことばからの判断になるが、

評者の森岡正博は
障害者を産んだらとてもしんどいことばかりだし、自分も子供も不幸になるという考え方は本当に正しいのか。まず、障害者を産んだらその本人が可哀想だと考える人は、「自分の子供は自分の持ち物である」という発想に凝り固まっているのではないかと立石さんは言う。こどもの人生が不幸かどうかは子供自身が決めることだ。

現実的に考えて、21世紀現在の日本で、在日韓国人の子供として生れて、仮にその子供と、家族がいかにいたわり合い、愛し合っていたとしても、彼らは果たして「幸福」になり得るだろうか?
20世紀初頭の欧州に、ユダヤ人として生まれてきた子は、どのように幸福になり得ただろうか?

特定の時代・地域に、特定の民族・人種であること、疾病や障害などで、「健常者」と呼ばれるその他大勢と「違う」ということは、如何に強い家族の愛を以てしても突き崩すことの出来ない巨大な壁の前に立ち竦むことではないのか?

「私的所有」ではない。好むと好まざるとにかかわらず、望むと望まざるとにかかわらず、生れてきた子供は、ある時代、ある国、ある社会、そしてある文化の内部に生きる。
言い換えればわたしたちは誰もが、国に、社会に、その文化に緩やかに(或いは強く)「所有されて」いる。

「障害は(自他ともに対して)不幸しか生まない」という植松聖の言葉は、決して狂気の沙汰として、また全くの見当違いと切り捨てることはできない。

障害を持って生まれてきたことは絶対的な不幸ではない。そのような人たちが、安心して普通に生活できる環境さえあれば、彼ら、彼女らは確かに幸福になることはできるのだ。

一方で、子供の自責の念というものも考えなければならない。
いかに親に、周囲の人たちに愛されようとも、自分の存在が彼らの負担になっていると感じることは、障害を持つ者たちの共通の思いではないだろうか?
愛されれば愛されるほど自責の苦しみが増す。そんな悲しいパラドクスは、単にわたしの歪んだ物の見方のせいなのだろうか?

書評は続けて
障害者だとわかった上で出産を決意し、喜びも苦しみもある「普通の」人生を送っている親たちが現に存在する。
「五体満足な子供を持つためには何でもする」という誘惑に、ぎりぎりのところで踏ん張って抵抗し、「子供の生命の質を選ばない」という選択肢をゆっくりと納得しながら選び取ってゆく、そういう道を立石さんは探そうとする。

親は、家族は、我が子の生命の質を問わないという決心をしたとしても、そのような属性を持った個々人が帰属している社会が(作為・不作為を問わず)生命の質を選別するという現実があるのだ。
「犯罪とは病気そのものではない。症状なのだ」という言葉に従うなら、「植松聖」とは、この病んだ社会の「症状」といえるだろう。

「私的所有論」は1997年に出版された500ページ近い大部の書である。

1997年といえば、アウシュビッツから生還し、1987年に自死したイタリアの化学者ー思想家、プリーモ・レーヴィの死後10年に因んで、ローマで「プリーモ・レーヴィ、ヨーロッパの作家」と銘打たれた集会が催された。
その集会で、レーヴィの友人であったユダヤ人の教授は、ブレヒトの言葉を引いてこう言ったという

「あのモンスターを生み出した子宮はいまだ健在である・・・」














2018年6月28日

Temporally Post ( But Forever Green)



文句なしに素晴らしい!1978年。
わたしが15歳の時の歌。当時から大好きな曲だった。

消されるまで。

今日の一枚



Personnage assis au bord de la Seine, Maurice de Vlaminck. (1876 - 1958)



「セーヌ川沿いの人影」(Ⅰ908-1909年)モーリス・ド・ヴラマンク


手の温もり、こころの温もり


もう20年近く前の雑誌を眺めていたら、小さなコラムが目に留まった。
印をつけていたので、はじめて読んだ当時に印象に残っていたものだろうが、すっかり忘れていた。
読み返してみて、やはりいいなと思うので、ここで紹介しようと思う。

書いたのはベトナム在住の当時47歳の日本人女性。




先日、ハノイ市中心街の横断歩道を渡ろうとした時、見知らぬおばあさんが自分の右手を、あたかもいつも身近にいる人の手を借りるように、とても自然に私の左手に伸ばし軽くつかみました。
 無言でしたが、一緒に道路を横断して欲しいという思いが伝わり、共に渡り終えると、何事もなかったように私から離れていきました。
 ここ数年、ハノイではオートバイや車が驚くほど増え、交通事故もよく目にします。
信号は増えても、市民の交通マナーは徹底していません。
 そんな中で、あの出来事に教えられたのは「豊かさ」でした。お年寄りが誰に対しても「手助けして欲しい」という意思を、言葉を発せずとも伝えられる。頼む側に頼むという意識がない分、受ける側にも構えがない。これは社会がお年寄りを受け容れる器を広く持っているから。「豊かさ」とはこういうことかと感じました。
 頼む相手は誰でもよかったのです。だれもが手を貸す心構えでいるという「暗黙の了解」が社会に存在しているからこそ、あのお年寄りは自然に手が出たのでしょう。
 いつか自分が年を取った時、日本は何も意識せずに隣に立つ人の手を握れる社会だろうか、と思いながらその時の光景を思い出しています。



もしわたしが信号で待っていて、お年寄りが、或いは目の、身体の不自由な人が、突然何も言わずに手を握ってきたら、きっとうれしく感じるだろう。
年齢や性別を問わず、このようにされるということは、信頼されているということだと思うからだ。人間不信の塊のような自分であるだけに、ただ道路を渡るためだけであっても、わたしを信用してくれたことはとても大きな喜びだろう。

一言も言葉を交わさなくとも、人と手を握るということは自然と心を潤すものだ。
手を取って一緒に横断歩道を渡ってあげたこの筆者も素敵だが、無防備に人を信じ、見知らぬ人の手を取るこのおばあさんは、何とも言えず素敵で、チャーミングな女性じゃないか。

残念ながら、当時から約20年を閲したこの国は、そういう親切で寛容な「やさしい国」になることはできなかった。人びとは人と手を携えるよりも、プラスティックの板と手を携える選択をした。

しかし、いまでも、見知らぬ人に黙って手を差し出せるような心の温もりを、日本が持ち得なかった豊かさを持っている土地が、社会が、どこかにあると思いたい。

衰えていること、病んでいること、不自由であること、ままならないこと、すなわち人間であるということを詫びる必要のある社会など、あってはならないのだ・・・








2018年6月27日

身捨つるほどの祖国はありや?


辺見庸が所謂「常識的な穏健な、リベラルな文化人」と呼ばれる「けっ!」系の人たちと、どうしようもなく反りが合わないのは、彼のブログの以下の投稿でもわかる。

2017年6月14日。共謀罪成立の日の投稿。



◎死にもせで

国会前で、ひとりふたり死にもせで、なにが共謀罪反対ですか、
花曇り。


わたしもこの気持ちに強く共感する。

抗議の焼身自殺。かつて何冊かの本で読み、かいじの「テロルの系譜」にもそのシーンがあり、「命を賭した抗議」というものを知った。いや、そもそも権力への抵抗とは命懸けのものだということを知った。

と同時に

「マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」

という若き日の寺山修司の歌が頭を過る。

マッチを擦り、全身を紅蓮の炎に包み込んでまで 抗う価値のある国なのか?
きょうび命懸けの抗議など動画のネタにされて冷笑され、愚民たちに消費されるのが関の山だ。

身捨つるほどの祖国はありや?

残念ながら答えはノーだ。滅びればいい。速やかに。










2018年6月26日

サイテーだ…


Hello,  Hello,  How Low ?
[ ハロー ハロー ハウ ロウ?(どのくらい最低?)]

Just Awful! 
(ひどいもんだよ サイテーだ!)

なんて電話をかけてきてくれる人なんていやしない。
こちらSuicidal FM。
孤独な人、心をひどく病んでいる君。刃物で身体に傷跡を残している君。
今夜も向精神薬の塊をビールで流し込もうと思っている君。
ぼくは君たちに何もしてあげられないし、君たちも同情なんて真っ平だろう。
誰が同情なんてするもんか!何故って君たちこそが真っ当な人間なんだから。
昔の哲学者も言っている、「苦しんでいる者だけが生きるに価する」って。
ベツニイキタイワケジャナイケド・・・

Hello,  Hello,  How Low ?


ここでぼくの好きな詩を紹介するとしよう。

天野忠さんの「ある歴史」

ロンドンシティのあのおだやかな市外電車の中に
五十歳の紳士が二人立っていた
気持ちのよい明るい夕陽に染まって
市外電車は愉快な魚のように走っていた
一九××年初秋のことで
戦争と戦争の間で
すこしばかりインフレの風向きだが
世間はまだおっとりして
石鹸の泡立ちもよく
ライラックの花は品よく匂った
その頃である。

──ねえ、君
五十歳くらいの紳士が ちっぽけな
ほこりみたいなあくびを掌でかくしながら
隣の五十歳くらいの紳士に声をかけた
──ところで あんたは
  まだ 生きていくおつもり?


おどろいたことに 怒りもせず
隣の紳士はだまっていた
長いこと前を見たまま だまっていた そして
明るいあの恥ずかしいほど明るい夕陽を見ていた
それからやっと やっとのこと 彼は呟いた
──それを 私に きくな

二人の前に坐っていたのは
小学生の私だった
顔なじみの野良犬と どこかの黒ぶちとの
あのふしぎな交歓のシーンを初めて見たときよりもそれはもっとショッキング!だった。

何故って?
それをきくほど
君は倖せかい?


Hello,  Hello,  How Low ?






2018年6月24日

追記


辺見庸2018年5月30日の日記より

「石原(吉郎)はスマホをもたずにすんだ。ひとつのパスワードももたずにすんだ。
それだけでもしあわせだった。」

思えば健康とはこういうことではないのか?
それに比べて、わたしたちは(少なくともわたしは)スマートフォンのある時代に、いかにして健康=幸福たりえるのか・・・



追記の追記・・・

1)現代において問題にされるのは生存すること、生き延びることであって「健康」などではない。

2)哲学を持たず、生きる意味を探らずに生きることは可能か?
生きることについて思索し「現実(現在)の不快さ」に気づき、その中で尚生き続づけることはどの程度可能か・・・

3)極めて坐り心地の悪い椅子に、尚腰を下ろしていなければならない理由は何か?



「健康」「狂気」…まとまらないままに…


「外へ出ればからだにいい」と言われている。おそらく太陽の光を浴びてからだを動かすことは、部屋の中でじっとしているよりはいいのだろう。
しかし「からだにいい」ことが「こころにもいい」とは限らない。
わたしは外に出ると本当に気分が滅入る。
ツマラナイ、アアツマラナイ ツマラナイ・・・
単純に外気を浴びること、少しでもからだを動かすことは健康にいいとされる。だから少し無理をしてでも外に出るようにした方がいいと。

しかしわたしは、じゃあ「健康とはそもそもどういう状態をいうのか?」というところで立ち止まってしまう。

心の底に重く沈殿しているどうしようもない虚無感、索漠、アンニュイ、厭世(人)観と、からだを動かすことによって得られるという「健康」とはどのように並置共存し得るのか?

「そんなことじゃ病気になっちゃうよ」
病気になるのは厭だ。けれども、病気ではない状態とはいったいどういう状態を指すのか?

健康とは、単に疾病がない状態をいうのではないと思っている。
また仮に病気や障害があっても、健康である人はいると思う。
その人の存在が、意識が、何ものかによって充たされている状態を健康と呼ぶのではないだろうか?

「戦場での健康」「永遠の漂流を続ける宇宙船内での健康」「刑務所の中での死刑囚としての健康」「動物園の檻の中での健康」・・・そんなアポリアからどうしても抜け出すことができない。
言い換えれば、21世紀の日本で、健康であるということは可能か?と考えずにはいられない。
(わずか70数年前、「健康な成年男子」であることは、「死の保証」に他ならなかった。)



精神病理学者木村敏は、2005年の朝日新聞のインタビューの中でこう語っている。

「69年から滞在したドイツで、先輩に誘われて、ハイデガーの自宅を訪ねたんです。
不十分なドイツ語を操り、離人症の問題などを80歳の大哲学者にに必死でぶつけてみた。でも彼は精神病を「非本来的」で「頽落」だと言う。違う。彼らはあなたの哲学が言う本来性を持つ、「自分が自分でありたい人たちなんだ」と説明したけれど、納得いく答えはもらえなかったな」

「健康」という抽象的な状態があるのではない、個々人にとっての健康、具体的なかたちを伴った健康のみがあるのではないだろうか?

「健康」とはなにか?
「狂気」とは?
それらのことについて先ず知らなければ・・・






2018年6月23日

漫然と…書きたいことを…


本を読む気になれない。ビデオやDVDで映画を観る気にもなれない。
一日の大半を、寝ているか、ネットを漫然と眺めて過ごしている。
昨日は久しぶりにTumblrと、ブログClock without handsに絵を投稿した。
どうしても19世紀頃の田園風景が多くなる。ツイッターなどでも、最近は(?)
綺麗な(言い換えればありふれた)風景写真が幾らも投稿されているので、「心安らぐ風景」には食傷気味のところがあって、どうせならもう少し「絵画らしい」ものをと思うのだが、以前のように鷲の目、豹の目を持ってネット上を渉猟して歩く気力も無くしてしまった。
ほんとうに無くしてしまったものばかりで生き続けている・・・





『万引き家族』という映画が話題らしい。わたしは是枝監督の映画を一本も観たことがない。是枝監督はカンヌでグランプリを取りながら、日本政権中枢の不興を買ったことが不本意であったのか、「一切の公権力と距離を置く」と発言していた由。
表現者である以上、自国に限らず「国家」という存在から一定の距離を置くというのは当たり前のこと。
外国の例は知らないが、日本ではそういう当たり前の見識を持つ人がほとんどいない。誰も彼もが国から、具体的には時の内閣総理大臣や天皇から文化勲章やら紫綬褒章などをもらって目じりを下げて尻尾を振るのである。

特別この映画を観たいとは思わないが、いづれDVD化され、機会があれば・・・という感じだろうか。
「救いのない映画」であればいいなと思う。
わたしが好きな映画のベストテンにあげる映画は、どれも救いのない作品ばかりだ。無論涙もない。
エンターテインメント作品として、笑いあり涙ありというのは構わないが、ドラマとして観るなら「涙」も「ラストの救い・仄かな希望」も、邪魔なだけだ。





知り合いのブログに、彼女が飼っている、というか共同生活しているカメについての投稿があった。
文章も写真もとてもいい。
あれを読むにつけ、見るにつけ、つくづく人間というのは下等な生き物だと思う。
「人間は考える葦である」(パスカル)を含めて、人間存在を動植物より上位に置くような発想には与しない。
ただ人間はその憐れさによって幽かに輝きを保っている。

「老い」と「稚気」・・・老いには稚気があるからこそ愛おしいように思える。無論これはわたしの「趣味の問題」に過ぎない。





昨日〈辺見庸のブログ〉を見た。
彼がブログをやっていることは数年前から著書を通じて知っていたし、ブログから抜粋された文章が本に載せられていることもあるので、興味はあったが、実際に訪れることはしなかった。
かつて一度だけ覗いてみたことがあったが、書籍広告の多さに驚いて、以来一度も行っていない。

昨日訪れたブログはあっけないほど普通の素人臭いブログであった。余計な広告が一切なくなっていて、その分親しみやすさを感じた。

一番古い記事が昨年の7月になっている。それ以前のものはどうなっているのだろう?
別に何としても古い記事が読みたいというわけではないが。

夕べちょっと覗いてみただけだが、長文の投稿はあまり見当たらず、あれなら一日で全投稿を読むことができるだろう。

ちらっと覗いてみたところから印象に残った箇所を引用する。

◇◇


『疯爱』は、映画であり文学であり絵画であり、暗がりから存在論を開示する最良の哲学書だ。「にんげん以下、動物未満」ないし「にんげん以下、バケモノ未満」。にんげんとはけだし、「にんげん以下」なのだ。」
 ◆


「狂者と厄介者こそ、にんげんという現象の基本中の基本である。
盤石の常識人こそが、真性の異常者である。」

  

「「罪人が刑場にひきたてられ、あるいは処刑されるのを眺めようと走ってゆくときの人の激しい欲望は、(高尚な)演劇をみにゆくときをしのぐ」・・・カントだったか。」

(以上2018年6月投稿文より)


「一昨日と昨日は、小林正樹の「東京裁判」(1983年)をみました。部分的にはもうみていたのですが、4時間半以上一気にむきあうと印象がちがいました。最大の関心は「天皇」のとりあつかいでした。
新発見はとくにありませんでした。でも、みてよかったです。
どっと疲れましたが。

「応答に抑揚低き日本語よ 東洋の暗さを歩み来しこゑ」(宮柊二『小紺珠』)
を、またもおもいました。武士道はウソですね。サムライ・ジャパンなんて、
「東京裁判」をみたら言えなくなります。いじましく、さもしく、みすぼらしく、
うそ寒く、無責任で卑怯・・・。A級戦犯らだけでなく、(米国主導のシナリオで)
法廷にたつのをまぬかれた、すめろぎじしんがそうなのです。

法廷におけるかれの不在を、映画はつよく意識させます。われらはあの卑怯者の赤子なのです。あれから70年、ニッポンジンのビヘイビアは基本的にかわっていません。
小林正樹も、あれまあ、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章をもらい、世間もそれを奇妙とおもってはいません。「人間の条件」の小林正樹さんも、しきたりどおり、穴におちたのです。
このクニには、みえない黒い穴があります。戦前も戦中も戦後もいまも。
底なしの穴です。そのなまえは「エンペ」といいます。たいていのものが、その穴におちます。おなじ穴の狢になります。」

(2017年8月投稿より)




辺見庸という人はヘンな人だ。芥川賞受賞作家であり、中原中也賞受賞の詩人のブログとはとても思えない。そこら辺の素人のブログと変わるところがない。
本の中でも時にひどく下品で下衆な言葉遣いをする。けれども決して不快ではない。
自棄なのか?韜晦なのか?
ある時は昏く深い水の底に真っ直ぐに沈潜して行ったかと思うと、
突然与太郎になっていたりする。

ブログは読み続けようと思う。
信奉も心酔もしない。あくまでも遠くから、けれども時にこっそり手を伸ばして旨そうな果実は失敬する。

辺見庸に限らず、誰であっても。



ー追記ー

辺見庸は、
「『瘋愛』と『精神』を同列でかたるのはバカげている。レベルがまったくちがう。」
と書いている。
相田和弘監督の映画『精神』は、母は映画館で観、わたしはレンタルDVDで観た。
出来のわるい映画とは思わなかった。だた、相田和弘を嫌いなのかなと思った。
とにかくリベラル嫌いの人だから。


昨年の8月に『精神』を観て、その感想をブログに書いた。
『精神』(病むということ)













2018年6月19日

愛されざる者


もしもわたしがこのブログを書いている理由を訊かれたら、プロフィールにあるように、「孤独な精神障害者であり、引きこもりである自分が、折々に感じ、考えたことの記録」であると答えるだろう。つまり自分のための記録である。

けれども一方で、ブログ仲間がたくさんいて、記事を書けばたくさんのコメントが寄せられるようなブログに、羨望・嫉妬を覚えることもある。
それはブログの書き手が健常者であろうと、「うつ病」や「発達障害」であろうと、「引きこもり」「統合失調症」「社会不安障害」などであろうと、彼や彼女に人を惹きつける魅力があるからに他ならないからだ。

人気のあるブログを羨ましいとは思いながら、どうすれば「人に好かれるブログ」を書けるかと考えたことは一度もない。理由は「誰からも好かれない自分」「愛されざる者としての存在」こそが「わたし」のアイデンティティであると認識しているからだ。
人に好かれ、愛されるわたしは、もはや本来の意味での「わたし」ではない。

上のようにこころの病を持った人たち、「ダメ人間」と自嘲するブラック企業勤務の独身中年たち・・・
わたしはかれらの書く物に魅力を感じているし、彼らのブログは現に大勢に愛されている。

いくら「愛されざる者」の旗を高く掲げて強がってみたところで、結局わたしにはなんにもない。

人生の落伍者であることよりも、人に好かれる何物も持ち得なかったことがかなしい。

今尚世界中の人に愛され続けている映画、1946年のフランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生』のラストシーンで、人助けをした二級天使クラレンスが、無事に家族の元に戻ったジョージの目の前にあるクリスマス・ツリーにカードを送る。

そこにはこう記されている

「ディア、ジョージ、
 ぼくからのメッセージだ。
 友のいるものは敗残者ではない

 翼をありがとう。
 愛をこめて、
 クラレンス」



若き日、この映画を観て、人生の敗残者である自分を知り、わたしは涙が止まらなかった。







表現と失語の間


こんな夢を見た。

大きな工場のようなところ。仕事が終わり、作業員たちは、ロッカー室や休憩室へとつづく広い廊下を歩いている。
わたしはなにか、どうしても彼らに言いたいこと、伝えたいことがあって、彼らを呼び止める。
けれどもいざ話しだそうとすると言葉が出てこない。
適当な言葉が選べないというのではない。発語できないのだ。

一言二言、語を発声したかと思うと、それ以上はもう、音になはらない呼気だけになる。

どうにかしてみなに伝えたいと焦る。近くの人に囁くように話して、それを声に出してみなに伝えてもらおうとしたがダメ。放送室で、マイクに向かって小声で話そうと試みても声が出てこない。
大きな黒板を使って、文字で伝えようとも考えたが、伝えたいことは山ほどあって、とても黒板に一文字一文字書いていくような方法では間に合わない。

皆は苦笑するでもなく、わたしの言葉を待ってくれているのだが、どうしても言葉にならない。
水を飲みながらゆっくり、少しづつ話そうとしてもやはり駄目。

万策尽き果てて、またいつかの機会にというところで夢は終わった。



これは一体何を暗示しているのだろう。
表現したいことはあるのだが、言語化の能力が追い付かないという事だろうか?

仮に自分の思いが他者に通じない事の暗喩であるなら、たとえば声を枯らして叫ぶように訴えても、道行く人はだれもこちらの存在にさえ気づかぬように、まっすぐ前を向いて歩いてゆく、といった場面の方が、より「言葉が通じない」というメタファーとしては相応しいようにも思うのだが・・・

先日「健康な障害者」ー「健康な盲人」「健康な聾唖者」というものは考えられるだろうかと書いたが、自分の内部にある表現したいという欲求が、何らかの障害によって阻まれて自由にならないなら、それは健康とは言えないだろう。
健康とは彼を取り巻く様々な環境との融和・調和だと書いたけれど、それと同時に、「自由」であること、本来自分の持っている能力を意のままに使いこなすことの出来る自由もまた、健康を構成する重要な要素ではないだろうか・・・

わたしの中に、気づかないながらも、表現され、表出されたい何らかの無形の欲求は存在しているのだろうか?ただ、わたしがそれに相当する「言葉」を持たないために、その存在に気づかないだけなのだろうか?
喩えるなら、目の前の海の中にはたくさんの魚が泳いでいるが、釣り糸を垂れていないために永遠に魚を釣り上げることはできない。この場合、釣り針、餌に相当するのが「語彙」になるだろう。

感情は、言葉と結合することによってはじめて意識の上に上るのだろうか?
しかしAという感情は必ずA´という「言葉(記号)」と結びつくという、なにか法則のようなものがあるのだろうか?
そしてまた、未だ言葉と出会っていない輪郭を持たない感情というものが、常に胸の奥底にわだかまっているのだろうか・・・


ー追記ー

言葉にするということは「定義」すること。そして「定義する」とは「限定すること」に他ならない。つまり明確な境界線を引くことだ。
けれども感情は当然ながら無限に分割できる。
ある気持ち、気分、情緒を言葉で捉える時には当然掬いきれなかった部分、フレームからはみ出した箇所への想像力を持たなければならない。


2018年6月17日

いくつかの断想


最近はツイッターに滅多に目を通さない。
久し振りに覗いたある読書好きの投稿を読んで意外の感を受けた。

そこにはこう書かれていた。

タイムラインの読書好きが例外なく称賛する作家の名前を聞くたび、まるで僕だけがうっかりその人に会いそびれてしまったような寂しさを覚え、いつか必ずお目にかかります、と声をかける気持ちで、まだ読んでいない本の背表紙を、そこに書かれたキニャールという名前を、しばらく眺めている。

わたしは決して読書家ではないが、自分と同じように本の好きな人たちが、「例外なく称賛する作家」の作品を読んでいないことをまるで恥ずかしいことのように感じる感性が、どうしても理解できない。
何故みながいいというものは自分にとってもいいものだと思うのだろう?
この人は、人と同じものが好きであることを恥かしいとは思わないのだろうか?
読んでいるこちらの方が顔が赤らむ。
かつてフロイトは「小さな違いのナルシシズム」といった。
人と異なること。できれば大幅にはみ出していること。そこにわたしのナルシシズムは潜んでいるようだ。


Kさんのページも覗いてみた。

カサヴェテスが死に、シネ・ヴィヴァンが閉館し、父が逝った。青山ブックセンター六本木店が今月末に閉店し、9月に渋谷のメアリー・ジェーンも店を畳む。 記憶がある限り、形が消えてもそれは本質的に消えない。ただ、人は有限だ。 人が消え、人に属する記憶も消えたとき、すべては潰えてしまう。


そこにあったものが消え、目の前に居た人がいなくなる。しかし過去の記憶は残る。
だからこそ、そこに「記憶」「思い出」があるからこそ、それらは「本質的な意味で消滅」しているのだ。
そこに苦しみがある。痛みがある。記憶の中にありながら現実には存在しない。瞼の内側と外側の世界の齟齬(不一致)、背馳・・・そんな分裂した状態にどうして人のこころが耐えられるだろう?

Kさんが書いているように、記憶が消えた時、物も、ひとも、本当に消えるのだ。
そして記憶を消すためには、記憶の主体が消えなければならない。


先日久しぶりにコンビニに行った。レジの若い女性からお釣りを受け取るときに、
彼女の手首にケロイドのような傷跡が見えた。

わたしは50代の中年男性だが、自傷やオーバードースをするという感覚が解る気がする。実際に自分の体を傷つけたことはないが、わたしのアイデンティティは自分を罵ることで保たれているところがある。
言葉で自分を傷つけていると、なんとなく落ち着くような気分になる。
自分を最底辺の、「人外」の存在と規定することで、生きるという責任から逃れようとしているのかもしれない。






2018年6月16日

一枚の絵




Auf der Türschwelle betendes Mädchen mit Madonnenbild. , 1857
(Girl praying on the threshold with Madonna picture)

 Ferdinand Georg Waldmüller.  Austrian (1793 - 1865)


「戸口に座ってマドンナの絵を見つめる少女」(1857年)

フェルディナンド・ゲオルグ・ワイズミュラー (1793 - 1865)


みなさんよい週末を。



2018年6月15日

檻の中の熊は健康か?


このところ、特別何を考えているわけでもないのに、頭の中が空っぽになって、上の空ということが多い気がする。一日中寝てばかりいるのに、その日僅かに話したこと、書いたことを忘れている。

先日「健康な障害者」ということについて書いた。ただ、誰かがそれについて何か反応をくれたか、憶えていない。

「健康な障害者」、たとえば「健康な盲人」「健康な聾唖者」これは形容矛盾だろうか?
ヘレン・ケラーは健康ではなかったと言えるだろうか。

確定死刑囚が刑務所の中で病気になり、「死刑にするまでは絶対に死なせるわけにはいかない」と、医師らの手厚い治療の結果、「健康状態」といえるまで回復したとする。しかし、彼は本当の意味で「健康」であると言えるのだろうか?
或いは動物園の檻の中の生き物たちが、定期的な検診で「異常なし」と言われても、果たして彼らは「健康」だろうか?

「健康」とは、それぞれの個体、単体のみを以て判断することはできないのではないか。

彼を取り巻く様々な環境との融和・調和なくして、健康(広義の意味での)というものは成り立たないのではないだろうか。

「健康」とはどのような状態をいうのだろう?

「健康」のアントニムは「病気」だろうか「障害」だろうか?「不健康」だろうか?
「健康」のシノニムとしては「健全」「健常」「正常」「常識的」「バランス感覚」などが思いつくけれど、いったいどこまでを「健康」という概念の中に含めるべきなのだろう?

こんなことを考えるのは、わたしにとって、「健康になる」ということがどういうことか、よくわからないからだ。

前にツイッターに投稿している女性について書いた。
彼女は重い病気を背負って生きている。けれども、彼女の書いたものを読むと、それが自身の病について述べている場合でも、まったく「不健康」或いは「病気」「病人」という印象を与えないのだ。

子規の随筆を読んでも、同じように感じる。

「健康な障害者」という言い方に準ずれば「健康な病人」と言ってもいいように見える。

浴びるほど薬を飲んでも、カウンセリングを受けても、
わたしと世界=外界とが友好的な関係を結べない以上、わたしが健康になることはない。

健康であるとは、この世界に「美」を見出す力だと思う。
なにかをうつくしいと思う心、それが健康である証なのだ。

しかしわたしには最早世界に美を見出す能力がない。
そもそもこの世界に、まだ「美」と呼べるものがあるのかどうかさえ、わからない。

現在病んでいるわたしが健康になるとは、「回復する」という意味だ。
けれども、わたしだけが回復しても、かつて融和し調和を保っていた世界が最早「回復不能」である以上、わたしの健康は取り戻すことはできない・・・







2018年6月14日

革新?保守?無定見?


昨日、ちょっとしたインターバルを設けたのは、最近とみに心身の調子が良くないこと、そしてその上で、これ以上精神科に通うことを断念した以上、この先ますますわたしは深く、静かにか、或いは目に見えて急速にか、いずれにせよ「狂気への道」を着実に滑り降りてゆくことが予想される。
既に物忘れも激しく、まだそれほど日も経っていないのに、ここに書いたことさえ憶えていないことも多い。読む側にとっては、(そんなものがいたとしたらだが・・・)また同じ話か・・・という当惑、苛立ちを覚える機会は、今後益々多くなるだろうと思われるので、一旦、これまでと、今日からでは、同じブログであっても、内容は、徐々にではあるかもしれないが、あまり(皆にとって)好ましからざる方向へ移行してゆくだろうという予断を持って、その上で読者への警告の思いを込めて、路線の切り替えを行ったつもりだ。



今日は、わたしという人間の価値観を自分自身で改めて振り返ってみたい。
なに、大したことではない。幾つかの問題について、肯定するか、否定するかのチェックリストのようなものだ。

わたしの父は、わたしにとって、最後まで謎の存在だった。どういうことについて、どんな意見を持っているのか?そんなことを、わたしも、母も、まるで・・・いや、ほとんど知らない。

けれどもそんなことは特別なことじゃないのかもしれない。父と娘の関係では、幾つになっても仲がいいということがあるとしても、父ー息子の間は、実際他人同然という家庭がほとんどなのかもしれない。それが「自然」であるかどうかは別にして、おそらく「父」のこと、「父の価値観」など知らないし、興味もないという息子が大半なのではないだろうか。

ある女性評論家は「母と娘は友達にはなれない」と書いたが、父と息子もまた同様だろう。いや、それ以上に、父と息子は本来の意味での「親子」になることさえ難しい、そんな関係なのかもしれない。

そんなことを考えていて、ではわたし自身は、社会で賛否の別れる問題についてどういう立場を採るのか?暇に任せて再確認してみようという思い付きである。

ここにわたしの価値観をいくつか並べて、これはイエス、これはノーと答えてみたところで、依然わたしにとってまたあなたにとっても、わたしという存在は謎だ。

『神々の黄昏』で狂王ルードヴィッヒは、「わたしは人にとっても自分自身にとっても、永遠に謎でありたい・・・」と語ったが、わたしもまた、片々たる○×で計り知れるものではない。
無論そのことはわたしが特別に深淵なる存在であることを意味しない。
ほんらい人とはそんな薄っぺらなものではないはずだ。

尚ここでの肯定・否定については、「それは何故?」と訊かれて「かくかくしかじかの理由を持って断固として賛成(不賛成)である」というような理論づけられたものではなく、わたしのこれまでの経験、見聞、そして主に直感から導き出されたもので、当然極私的なものである。

およそ意見とは、その人の知らないことによって成り立っているのかもしれない・・・


◇◇

【 賛成・OK・可 】

「自殺」「安楽死」「自殺幇助」「夫婦別性」「同性婚」「死者との婚姻」「生活保護受給者のパチンコ(などの娯楽)」「デモの暴徒化」「ゼネスト」「生涯未婚」「不登校」「選挙の棄権」「中学校での性教育」「廃棄食品の寄付の法制化(フードバンク)」「奨学金無返済制度」「伝統・保存・維持」「古いもの」「(弱者救済のための)新しい制度」「アナログ」「『生活保護』の名称変更」(寧ろ「保証」か)


【 反対・NO・不可 】

「改憲」「原発」「米軍基地」「あらゆる軍備」「自衛隊」「天皇制」「自民党」「公明党」「元民進党諸党」「勲章・褒章」「国民栄誉賞」「SEALDs」「東京オリンピック」「LINE」「電子書籍」「電話の音声ガイダンス」「駅・店内・車内でのあらゆるアナウンス」「犬に着衣」「死刑制度」「人工中絶」「立会演説」「道徳教育」「校則」「リクルート・ルック」「制服」「監視カメラ」「衣料品の白人モデル」「進歩・変化・成長・発展」「古い制度」「新しい機械」「デジタル」「SNS」(微妙なところだが、所詮は遊び暇つぶし。ICAN代表の言うようには、SNSでは世界は変わらない)

【微妙・よくわからない】

「室内・店内での喫煙」「日本名物お行儀のよいデモ」「人類」









2018年6月13日

分岐点



























































                           2018年6月13日 
                                 
                                  Takeo            

2018年6月12日

変わらぬ気持、秋葉原事件について


2008年6月8日に秋葉原で起きた事件について、当時わたしは、その半年前に書き始めていたブログに自分の思いを綴りました。
10年前。わたしが44歳の時でした。そして生涯に持った、ただたひとりの親友を、事件の数カ月前に失っていました。
記事を書いていた時、わたしが加藤君と同様の孤独に押しつぶされていたとは思いません。当時はまだ、6年間続いた友情の残響、残り香のようなものがあり、それがわたしを辛うじて支えていたのでしょう。

昨日、新幹線の車内で似たような殺傷事件が起こりました。
そのことについてわたしは特別な関心を持っていません。少なくとも今は。
わたしの情報源は新聞だけなので、今度の事件について興味深い記事が書かれるようなことがあれば、またそのことについて触れることがあるかもしれません。



10年前に書いたものを読み返して、秋葉原の事件について、その時わたしが抱いていた気持ちは今も変わっていないことに気づきました。

それがひょっとしたら、山田太一氏をして、「とてもついていけない」と言わしめた一因であったかもしれません。

秋葉原事件についての記事のリンクを載せますので、わたしという人間を、その暗部を(言い換えれば本性を)、より知りたいと思われる方は、目を通してみてはいかがでしょうか。

当時もわたしは精神科に通っていましたが、主治医のみならず、このことについては誰とも話した記憶がありません。

それはわたしが「反社会的な思想を持つ危険人物」であることを知られることを怖れてのことではなく、単にそのようなことを話題にする相手が最早わたしにはいなかったということです。












◇ 


おれはおれのいたましさをもつ おれの尊厳なるいたましさ

おれはおれのいたましさの息子である

おれはいたましさをもたなければ無である

おれはいたましさを食す

おれはいたましさを煙草にふかす

おれはそれを吐き出す

おれはそれが君のものであるが故にそれを愛する

ー 西脇順三郎 『アムバルワリア』より [ Le Monde Moderne / The Modern World ]






2018年6月11日

右も左も真っ暗闇・・・


「愛国心」(-)「憂国の情」(=)「ネット右翼」(自画自賛の夜郎自大)

「愛国心」(+)「処世術」(=)「リベラル(左派)」(状況次第でいつでも逃げられます)

こんなところか・・・

もひとつおまけに

「リベラル」=「畑の肥やし」=「掛け肥え(声)ばかり」




繰り返し自問する・・・


倒るれば倒るるままの庭の草 (良寛)

最近は、だんだん自分のことが解らなくなってゆくと同時に、出来ることがどんどん少なくなってゆく。

第一の疑問として、「わたしは(まだ)生きていたいのか?」という大きな問いがある。
このことに関しては以前にも書いたが、少なくない人たちが、「別に積極的に生きていたいとは思わないが、楽に死ねる方法もないので生きている」と答えるだろう。
しかし、そう答える彼らに、働かなくても暮らしてゆけるほどの潤沢な経済力があり、躰にも心にもこれといった病気も無く、健康な状態であっても、なお同じように答えるか?と尋ねたら、答えの比率はどう変化するだろう?

同じ問いをわたし自身に向けてみたとき、(それは現在の鬱状態の渦中での問答になるので、状況が違えば答えも違うのかもしれないが・・・)
少なくとも今、その問いに答えるとすれば、やはり「積極的に生きたいとは思わないが、なかなか楽に死ぬことができない」という同じ科白を繰り返すだろう。

仮にわたし個人が肉体的にも精神的にも健康で、金に余裕があったとしても、
わたしは今この時代、21世紀のデジタル・ワールドにどうしても馴染むことができない。
そして世界は、わたし個人の心身の状態とは全く無関係に動いている。

もし心が健康になるということが、これまで醜いと感じていたものを醜く感じなくなることだとすれば、それはいったいどういう事だろう?
スマートフォンやタブレットを醜いと感じなくなることが健康になった証しだとすれば、わたしは不健康のままでいい。
それらを自由に使いこなせるようになれば、もう完全に「普通の人間」だというなら、わたしは永遠に異形の者で構わない。

つまり他人のことは知らず、わたしに関して言えば、わたしの肉体と精神が単独で健康であるということはあり得ないのだ。

「精神病とは人間関係論である」という。「人間関係」だけでなく、周囲の環境、社会状況との相互作用である。

わたしが生きられるか、生きられないかは、全くわたし個人の健康や経済状態とは無関係な場所で決定される。
極論するなら、わたしが治るのではなく、世界が治ればわたしも快癒するのだ・・・


師岡カリーマは祖国エジプトの作家の言葉を引いてこういう。
「鳥のように自由に飛んでいけたらいいのに……」一度でも閉塞感を味わったことがある人なら誰しも、空を見上げてそう思った経験があるだろう。しかしハキームによればそうではない。飛ぶしか選択肢がない鳥よりも、私たちのほうが自由なのだ。
『私たちの星で』(2017年)
ではいったいわたしたちに、どのような多様な選択肢が与えられているというのか?
自分には様々な選択肢があるのだと感じることができるのは、選ばれた少数だと知るべきだ。(少なくともわたしはアフリカやプリンス・エドワード島に住むことはできない)

外に出られるか?生きることができるか?それはまったく心身の健康状態の問題ではない。
飽くまでもそれは、美意識にかかわる問題なのだ。











2018年6月10日

今日の一枚

 The Bath, Alfred Stevens.

「入浴」(1867年)アルフレッド・スティーヴンス(1817 - 1875)



みなさんリラックスした日曜日を。


2018年6月9日

更にふと思ふ


『たがや』という落語で、夏の花火が盛大に打ち上げられている中、両国橋は大勢の見物客で立錐の余地もなかった。橋のこちらからたがや、向こう側から伴を連れた侍が馬に乗ってやってきた。ただでさえ身動きもとれない中、ふとしたはずみで、輪っかに丸めたたがやの「たが」の留め金が外れて、伸びきった「たが」が、馬上の侍の傘をはじき飛ばした。

「無礼者そこへなおれ!」
平蜘蛛のようにはいつくばって謝っても許してくれない。
今まさに無礼討ちで首をはねられそうになった時、江戸っ子であるたがやは、もはやこれまでと橋の上にどっかと胡坐をかき、ひとしきり侍に悪態をつき、

「さあ、どこから斬る?腕からか?脚からか?首からか?どこを切っても真っ赤な血が流れてなけりゃ取り替えてやらあ!」と啖呵を切る。

何処を切っても真っ赤な血が流れている。そんな文章を書きたいとふと思った。




ふと思ふ、今更思ふ


今更ながら、わたしのブログは糞真面目で面白みがないとつくづく思う。しみじみ思う。
知性はユーモアのセンスにもっともよくあらわれる。

このブログの読者は、いまのところ、3~4人と思われる。
仮に何人だろうと、いったい何が面白くてこんな堅苦しく生硬な文章を読みに来てくれるのだろう。

ブログ村の「メンタルヘルス」のカテゴリーで、おもしろいブログを見つけて早速フォローした。20代の男性で、性的マイノリティだと言っている。
1991年生まれ。30歳以上年下だ。
引きこもりでニートだとも書いていた。

「面白いのでフォローします」とだけ伝えて、こちらのブログのアドレスは記入しなかった。「彼だから」ではない。誰であろうと、いま人様に「こんなブログ書いてます」なんて、とても言える気分じゃない。
顔が火照る。

わたしのピークはやはり2008年だった。今はとてもあんな文章は書けない。とても・・・



ただ、どうしても譲れないのは「言葉遣い」だ。
例えば「~じゃね?」「すご過ぎ!」「ありえない」「後悔(感謝)しかない」といった表現は、生理的なレベルで嫌悪感を感じてしまう。言葉遣いが堅苦しさの一因であるならスクエアーで一向構わない。

言葉遣いに関しては、頑固なまでの保守主義者でありたい。

うつつなきつまみごころの胡蝶哉 

という蕪村の句がある。

花にとまった蝶をそおっと捕まえようとしている。つまむときに力を入れすぎると翅を痛めてしまう。
つまんでいるような、いないような、現のような、夢の中のような・・・
そんな幽かな、繊細な仕草を描写したものだが、
言葉に対して、胸の中の蝶を捉えるようでありたいと思う。
決してぞんざいには扱うまいと思う。それはとりもなおさず自分のこころをぞんざいに扱うことだから。








2018年6月8日

「これが人間か」" If This Is a Man "  


(日付不明)
もうパパとママに言われなくても しっかりと じぶんから
 きょうよりかもっともっと あしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことしません ゆるして

(日付不明)
きのうぜんぜんできてなかったこと、これまでまいにちやってきたことをなおす
 これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから
やめるので もうぜったい、ぜったいやらないからね わかったね ぜったいのぜったいおやくそく
 あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやってパパとママにみせるぞというきもちでやるぞ


警視庁捜査一課によると文章は大学ノートに鉛筆で書かれてた。結愛ちゃんは雄大容疑者から平仮名を書く練習をさせられていた。毎朝午前四時ごろに起床しノートに起床時間と体重も書かされていた。

[今年三月父親に殴打され死亡、死亡時の体重12.2キロ。5歳児平均より7キロ減
死因ー低栄養状態に因る肺炎]

六月七日付東京新聞朝刊より引用


「人間であることの恥」" The Shame of Being a man "  ー Primo Levi  

断想(死と言葉)等・・・


昔好きだったミュージシャンのサポート・バンドのメンバーが、2008年に亡くなっていることを知った。You Tubeで、そのミュージシャンのライブの模様を久しぶりに視たら、亡くなったメンバーについてコメントしている人がいて、こんなことが書かれていた。
「地上での死は天国での誕生日」" Happy Birthday in Heaven "

矢川澄子は、たとえ幼くしてその命が病に奪われても、母の手の中で、愛に包まれての死は祝福である、というようなことを書いていた。
矢川はまた、「鬼は外」「福は内」、「お家にこそ福はある」とも書いている。
そとでは汚く乱暴な子供たちがいじめるけれど、お家には分別のある大人がいて、壊れやすいあなたを守ってくれるのだと。

わたしは「お悔み」というものを言えない。
特別親しいわけでもない人の死についてであっても、内心の伴わない口先だけの「お悔み」をどうしても口にすることができない。
まして愛する者や、その死に深い悲しみを感じる場合には、最早わたしのからだの中にはひと摑みの「ことば」も残されてはいない。
嵐のように吹き荒れる悲しみは、わたしの中の言葉という言葉を奪い去って行ったのだ。

死の悲しみに釣り合うような言葉は存在しない。死について言葉を弄することが、死を、そして言葉を軽んじることになる。


わたしがフェイスブックから距離を置くようになったのは今に始まったことではなく、
2011年に始めた当初から出たり入ったりを繰り返している。
昨年の11月から遠ざかっている間接的な、しかし大きな理由の一つは、皆が言葉を使わなくなったことだ。

決定的だったのは、昨年暮れにヨーロッパのどこかで起きたテロで、死傷者が出たとき、わたしの友達のひとりが、横一列にズラリと「泣き顔」の顔文字(というのかマークというのか)が並んでいる投稿にLike(=いいね)を押していたことだった。

最早フェイスブックでは、「カナシイ」という言葉さえ用いずに、泣き顔の絵で代用するまでになっていることに・・・いやそれ以上に、人の死に対するに、顔文字を以て応えるという非礼、鈍感さ冷酷さにショックを受けた。

「悲しい」にとどまらず「ありがとう」でも「やったね!」でも、ひとの気持ちは最早文字で表すよりも「さまざまな顔の記号」で伝える割合の方が多くなっているように見えた。
言葉は、軽んじられ、更には顧みられることすらなくなっていた。

ツイッターではフェイスブックに見られたような顔文字や記号は見たことがない。
しかし140文字という制限の中で「なにがしかものを言う」時、当然そこには思索を深めてゆく広さも深さもない以上、放たれた言葉は、所詮切り売りの、思索の跡を持たず、深化されることのないままに、はらはらと主体から剥離した、発信者としての責任を負うことのない無責任な、アノニムな言葉の断片になる。

文脈とは、思索する主体=「わたし」が思索の対象と共にへ巡ってきた思惟と思考の軌跡である。
俗に「仏つくって魂入れず」という。その魂の抜けた、形だけはそれらしい立像のみが居並んでいるのがツイッターのタイムラインではないのか?


わたしはなにを言いたいのか?

ただ、幼くして親と僭称する者たちに命を絶たれた少女に対して、SNSごときで喋々することを止めよ!ただ黙せ、といいたかったのだ・・・


「親になることはやさしい、けれども親であることは難しい」
ー 山本有三『波』







2018年6月7日

日の名残り


The End of the Day, 1938, Henry APayne (1868 - 1940)

「一日の終わり」ヘンリー・ペイン(1938年)


2018年6月6日

言葉、アート、わたしのコミュニケーション




 The Letter, 1979, Andrew Wyeth. - Watercolor - 
「手紙」アンドリュー・ワイエス(1979年)
(水彩)









以前から「言葉」「文章」は、わたしにとって重要なテーマのひとつであった。
過去の経験、特に、インターネットでの経験から、「言葉」はわたしにとって、寧ろ人と良好な関係を築く上での障害物であった。

無論それは「表現」の問題ではなく、言葉に、文章に、どのような感情・思考が込められているか、とりもなおさずそれは書き手の内面の問題であった。
一言でいえば、わたしの内面(=考え方、感じ方)は、あまりにもエキセントリックであり、ときにラディカルに過ぎ、30代から20年以上、手紙のやりとりしていたある著名な作家(脚本家)が、わたしの文章=2008年のブログを読んで、「私にはとてもついていけない」と言ったのもむべなるかな、である。

2008年は秋葉原で殺人事件があり、当時わたしがブログで数回にわたり犯人の加藤智大くんを全面的に「擁護」した年でもあった。

あの事件から10年という事で、今新聞に毎日特集記事が掲載されている。
わたしはそれを読んでいないが、今夜母とあの事件について話したとき、母は、「普通の人にはあなたの考え(気持ち)は到底わからない」と。
けれども母はごく当たり前の常識を持った普通のおばあさんではない。前にも言ったように、母はわたしの物の見方、考え方に最も大きな影響を与えた2人(3人?)のうちの一人である。

このように、根本的に異質な存在であるわたしが、なにをどのように書こうと、それが受け入れられるはずはない。一般的な「常識」乃至「良識」というものをそもそも共有していない者同士が理解しあえるはずはない。



「手紙」(私信)或いは「日記」という表現の形を考えた時、赤の他人に自分の内面をさらけ出すということ、それこそが言葉への、同時に自分自身への冒瀆ではないかと感じることもある。

とはいえ、芥川龍之介でさえ、死後、全集に「書簡集」が入れられることを計算に入れていたのだ・・・

先日の新聞の外信欄に、ロシアでは、生後40日間は新生児の写真を撮影してはいけないことになっているという記事があった。理由は、その写真をインターネット上にアップして、それを見た人の中に「悪い気」を持つ人がいるかもしれない、それが赤ちゃんに伝染しないように、とのことだった。

「悪意」というものを前提としなくとも、何の考えもなしに、自分の考えを無邪気にネット上に散布するという事に、一抹の懐疑と戸惑いを覚える。
「悪い気」「悪意」どころか、わたしの書いたものなど、世間の人にとっては、街中で風に舞うポリ袋のようなものでしかない、しかしいかにちっぽけで取るに足らなくとも、自分をそのような存在に貶めてもいいのか、という疑問が残る。



これほどまでに「言葉によって」通じ合うことができないわたしだが、不思議なことに、2011年から始めたタンブラーには1万4千人のフォロワーがいる。
タンブラーで何をしているかといえば、上に貼ったような絵や写真を載せている。

何故こんなわたしのセレクトした絵や写真、または引用を世界中の人が好んでくれるのか?
彼らがわたしという人物を知らないから?
けれども、わたしが選んだアートは、わたしの内面の(全てではないにせよ、その一部の)投影ではないだろうか?
わたしが選んだアートと、わたしという存在は、全く無関係なのだろうか?

とはいえやはりというべきか、わたしをフォローしてくれる1万人以上の中で、日本人は0.1%にも満たない。
たまにいるかと思うと帰国子女だったというケースが多い。

どうころんでも、何をしても、やはりわたしは日本人とは合わないようだ・・・



2018年6月5日

ホーマー、グリフィス (好きな絵、好きな歌)




Girl reading on a stone porch, Winslow Homer. (1836 - 1910)
「ポーチで本を読む少女」(1872年)ウィンスロー・ホーマー

アメリカを代表する画家のひとり、ウィンスロー・ホーマー。19世紀の、古き良き時代のアメリカのルーラル・ライフが素敵です。彼の絵を観ていると、そのモチーフから、アメリカの画家以外の何者でもないと感じます。

少女(?)が石のポーチで、そよ風に吹かれながら本を読んでいるこの絵は、なんの飾り気もないシンプルな作品ですが、奥に開け放った扉から見える山並みと青空の描写から、心地好い風の流れを感じさせます。横21センチ×縦15センチほどの小さな絵ですが、広がりと奥行き、風のさやぎさえ聞こえてきそうな、彼女のそばに小鳥が舞い降りてきそうな鮮やかなリアリティと、自由な空気を醸し出しています。

好きな画家かと訊かれると、好きな画家は多すぎて・・・と、困ってしまいますが、やはり好きな画家のひとりです。
ホーマーは水彩でも美しい絵をたくさん残しています。


Talk to me while I'm listening 

ナンシー・グリフィス、「トーク・トゥ・ミー・ホワイル・アイム・リスニング」
以前も紹介したアメリカのフォーク、カントリーのシンガー、ソング・ライターです。
「聴いているから話して・・・」読書する少女の絵にマッチしたタイトルかも知れません。これも好きな曲のひとつです。





精神科とはなにか?


まだたくさん残っていると思っていた睡眠剤が無くなっている。
1シートに10錠。1日1錠。2錠づつ切り取って、所定の場所に置いている。
もし無くなりそうであれば、あと1シートになった時点で気付くはず。
それが今日いきなりなくなっている。ついに呆けたのだろうか・・・

6月になった。今年はまだ一度も精神科に行っていない。ここから駅まで、今のわたしの脚で15分ほど、電車で2駅、そこから歩いて約10分。
その行程が大変だということもあるが、どちらかというと、もう精神科はいいよ、という気持ちの方が強い。

そんなことはざらにあることだと言われるかもしれないが、30歳の時から24年間、
それこそ大勢の精神科医と会ってきた。けれども未だこれと言った確定した診断名すらない。状態が改善されるわけでもない。

精神科医は信用できないというよりも、そもそもわたしに精神科が必要なのか、という根本的な疑問に突き当たっている。

過去に何度か触れたことがあるけれど、わたしの主訴は「人と良好な人間関係が築けないこと」。それによって孤立し、孤独感、抑うつ状態が生じる。その「二次障害」である「うつ」によって、わたしは障害者手帳を所持している。

しかし、主たる原因が解消されない限り、二次的な症状が無くなることはない。そして四半世紀をかけても、わたしの「問題」は解消されるどころか、そもそもなにが「問題」なのかの糸口さえ摑むことはできなかった。

「人間関係の構築」が上手くいかないのは、精神科に日参することで改善されるものではないと早々と見切りをつけ。あくまで二次障害の緩和のために通っていた。けれども、鬱状態は年々悪化するばかり。最早わたしは精神科に通院する意味というものを見失っている。

とはいえ、最低限の薬は手放せない。
(手放せない?いったい今飲んでいる薬がどのように利いているのかさえ解らないのに?)

昨年末、最後の受診の時に主治医が言った一言が、未だに小さな棘のように抜けずにいる。
「人と良好な関係を維持することができない」わたしが、これまで何度医者を替えてきたかは容易に想像できるだろう。過去に出会った20人近い医師の中で、明らかに相性が悪いというケースは稀だった。けれどもわたしの場合は、ちょっとした行き違いが致命傷になる。
今回のケースも、ドクターはわたしが受け取ったような意味で言ったつもりは全くなかったのかもしれない。けれどもそれを確かめる術はないし、仮にそれが誤解であったとしても、わたしが「疑った」という事実はドクターの心にしこりを残すだろう。

今処方されているくらいの薬なら、行きつけの内科でも出してくれるかもしれない。
勿論精神科では自立支援を使っているので向精神薬は無料だが、内科で同じ薬を処方してくれても、その分の支払いは必要になる。

仮に月に1000円ほどだとしても、それは大きい。けれどももう精神科は・・・現に、10年前にこちらに越して来た時、今の主治医にかかる前に6か所の精神科に足を運んでいる。現在の主治医と8年(?)ほど続いているのは自分でも驚くくらいだ。

ただ薬の処方をしてもらうだけの医師を探すにしても、どうしたらいい?
そもそもわたしには精神科医が必要であるのかないのか?それは本人次第なのか?それを誰に訊けばいい?

わたしはもはや都の精神保健センターの精神保健福祉士や、保健所の保健師と言った人たちを信用できないのだから。

わたしのブログには

「孤独な精神障害者、引きこもりの内面の記録・・・」と書かれている。しかしわたしは果たして本当に精神障害者なのだろうか?

畢竟ただの異形の者ではないのか?


2018年6月4日

呟き人との対話、または「エアー・リプライ」Ⅱ



Hさん(ブックデザイナー)

「何かを見、強い印象をうけたときのことを思いだしてみると、たいてい、ひとりのときに経験したできごとである」(石井桃子)。ひとりのときだけ開かれる、回路のようなもの。ひとりのひとだけに語りだされる、ことばのない物語みたいなもの。めったにないけれど、ときどきほんとうに、それは起こる。

Takeo:ボナールは「友は世界の翻訳者である」といったけれど、わたしはひとりぼっちの時にはすべての・・・いや、「何かうつくしいものを感じる」感覚が閉ざされ、蓋をされているように感じます。

二つの眼、二つの耳では捉えきれない何か、誰かと共有することではじめて見えるもの、聴こえる声があります。


Sさん

人の口から小さく漏れた言葉に根っこの腐った臭いを感じることがあった。その舌は死の毒に満ちていて、やがては全てを呑み尽くす悪の勢いを感じさせる。人望厚いとされる男の顔を見ながら、霊の淵から立ちのぼる低い声のぬしに私は対峙していた。こんな身震いすることがあるものだ。

Takeo:かつて辺見庸が、谷川俊太郎が保険会社のCM用に作った詩についてこれと似たようなことを言っていた。(自分と大企業の金儲けのための)甘く優し気なことば。まったく同感だ。


Sさん(大学の仏語の先生)

佐々木幹郎が『中原中也-沈黙の音楽』で指摘しているように、文字の連なりは声を音声的に再現するものではありません。そのことは承知していながら、それでも記された言葉に「声」を感じる読み方しかできません。情報として文を読めない。そうすると、いきおい多読はできません。ちょっと悩ましい。

Takeo:二階堂奥歯は小さいころ、本は声に出して読むものだと思っていた。ところが、或る日、発声しなくても言葉が理解できることに気が付いた。それは彼女にとって衝撃的な驚きだった。それ以降彼女は驚異的な数の読書を死ぬまで続けた。


Sさん(北国の花好き)

この世界は悪意に満ちた地獄だと思っているから、わたしは幸せではないかもしれない。でも生きてるうちは、地獄で花を植えていようと思う。

Takeo:好きな花に囲まれていれば、それがどこであっても地獄ではない、と思います。
残念ながらわたしには花に代わるものがありませんが・・・


Kさん(ライター)

「この世界の何が本物で何が幻なのか、私にはもう区別がつかないんだ。私は、私を信じることも、私が目にする世界を信じることも、もうできないんだ」(樋口直美)

「幻視という孤独」

Takeo:目に映っている世界のなにが幻で何が現実なのか、その区別がつかないという現象はわたしの想像を超えている。わたしが感じているのは、それが現実であっても、どうしても馴染めない世界に生きているという事実。そして人間は、生きてゆくために人為的な「幻」を必要とすること・・・

「現実と幻」、いったいその境目・相違とはなんだろう?
ツイッターのタイムライン上に溢れる様々なうつくしい風景写真。それは「わたし」にとってどのように「現実」であり、どのように「幻(イリュージョン)」であるのか・・・


Sさん(評論家)

自殺幇助で2人逮捕の報に西部邁さんの長女のコメント。「頼まれても2人には断って欲しかった」(読売)、「なぜ(父が2人に)自殺を手伝ってくれと頼んだのか申し訳ない」(毎日)。その両方の気持ちに自責の思いが混じって苦しまれているのでは。自殺の問題は、当人の死生観だけでは語れない。

Takeo:もし自死というものが、その命の持ち主だけの問題ではないとしたら、いったい誰がその人の人生(言葉を換えれば、個々人の持つ「運命」)を代わって生きてくれるのか?誰がその人の苦悩を肩代わりしてくれるのでしょうか?

いったい何者が、苦しむ誰かの背負う十字架を代わって荷える資格を持つのか?


Sさん(サイエンティスト)

いいぞ/グーグル、“犬の目線”のストリートビュー公開

Takeo:さすが科学者。バカ丸出し。人はどこまで堕ちれば気が済むのか?


Kさん

"戦争は、私たちから数え切れないものを奪う。町、村、家、友人、仕事…。風景、空気、光、水…。奪えるかぎりを奪う。 名前さえも、奪う。ある幼稚園で、「あなたの名前は?」と先生に尋ねられた男の子は、「ぼく難民」、と答えた
「名前」に象徴されるアイデンティティーさえも、戦争は奪ったのだ。"
山崎佳代子 『そこから青い闇がささやき』抜粋

Takeo:平和と繁栄はなにも奪いませんか?それは町、村、家、友人、仕事、風景、空気、光、水、そして人の尊厳、魂さえも奪いませんか?
奪われ(得る)ものを基準にしたとき、この国は今戦時下でしょうか?そして真の平和とはなんでしょうか?


Jさん

ことばに したから のこる おもい ことばに できずに きえた おもい

Takeo:ことばに したから

    わすれた おもい

    ことばに できずに

    とどまる おもひ 















2018年6月3日

故に我あり・・・



われさびしいゆえにわれあり



Moonlit River Scene with a Ruined Gothic Church and an Arched Stone Bridge with an Angler.
William Pether. (1738 - 1821)





2018年6月2日

遠い声、街の音


混んでいて、吊革にすがっているとこんな言葉が耳に入ってきた。「おとうちゃん、今晩のおかずどうしよう。厚揚げの残りあるし、あれ炙って、生姜醤油で食べるか・・・」

これは山田稔のエッセイ『あ・ぷろぽ』の中に出てきた様々な言葉の中でも、特に印象に残っているものだ。
彼が「天野さんを偲ぶ会」に出席した帰りのバスの中で偶然耳にした言葉である。


先日、ツイッターでも素敵なことばを見つけた。

走り抜けてゆく電動自転車の後ろに座っていた男の子が「いい匂いがしてきた、いい匂いがしてきたよ」と嬉しそうに2回言うのを確かに聞いた。前から来た女の子が何かを両腕で抱きしめながら「かりんとう、かりんとう」と呟いていた。大切な言葉のように何度も。猫の頭は砂まみれ。払った手も砂まみれ。

投稿したのはOさんという男性(?)で、プロフィール欄にはなにも書かれていない。
本好きの人らしい。

こういう言葉を読んでいると、とても不思議な感覚にとらわれる。
それは、今でも町ではこんなやりとりが交わされているのだろうか?という驚きに近い。
驚きでもあり、また、半信半疑でもある。

山田さんのエッセイが書かれたのは2000年初頭だから、もうかなり前と言っていい。
Oさんの投稿はごく最近とはいえ、これが「創作」でないとは言えない。

先日母がバス停で待っていたら、小さな男の子と若いお母さんが隣に並んでいて、お母さんが「今日の晩御飯何にしようか?」と訊いたら、男の子は「からあげー!」と元気に答えたという。

わたしがたまに外に出ても、こんなやりとりは久しく耳にしたことがない。
最近は滅多に電車に乗ることも無くなったが、電車の中ではほとんどの乗客が一心にスマホを眺めていて、音を立てるのも憚られるような雰囲気さえ漂っている。実際、赤ん坊の泣き声がうるさいと文句を言われることさえある時代だ。
人はみな、外では余計なおしゃべりはしないもののようにわたしには感じられていた。

電車で、スマホをいじっている人の隣に座れば、覗かれるのを厭がるように反対側にからだをズラす人も多い。もっとも今隣に腰を下ろした人も、すぐさまスマホを取りだすのだが・・・

今や街中は、個々に閉ざされた無数の「私的空間」が犇き合っている。
そんな中、夕食なににしようかなどという「あけっぴろげな」話ができるのだろうかというのがわたしの疑問なのだ。

先日、町に出るにはどうしたらいいか、誰に尋ねたらいいのだろう、と書いた。
それは空間的な場所ー町のことではなく、上のような会話が聞かれる場所、人と人とが笑顔で言葉を交わし合っている場所のことを言っているのだ。

喫茶店やレストラン、食堂で向かい合って話していても、スマホを傍らに置き、着信音が鳴ればただちに反応し、「あ!ゴメンね」と、目の前の相手に会話の中断を告げなければならないような殺伐とした光景が存在しない場所のことだ。

確かに運がよければ、ひょっとしたらどこかで、人間の声、人間が人間と向き合って、機械の仲立ちなしに、直におしゃべりしている場面を見ることができるかもしれない。けれどもそれは最早日常の中のありきたりの風景ではなく、出会えたことが幸運だったと言えるような貴重な、稀な、遠き日の残照ではあるのだろう。

ちなみに『あ・ぷろぽ』で、興味を引いた言葉をもう一つ挙げるとすれば、

毛沢東がいったと言われる、作家が創造的でいられる三つの条件について。

一、若いこと、二、貧しいこと、三、無名であること、

混み合えるバスの中での夕食の相談は、毛沢東語録に匹敵するほど、わたしには新鮮で感動に満ちたものだった。





2018年6月1日

呟き人との対話、または「エアー・リプライ」


わたしはツイッターをやっていないが、時々、政治(リベラル系)や文学系の投稿をのぞく。たまに目を惹く言葉が記されていて、本の余白に書き込みをするように、それらの言葉に勝手に反応している。

彼・彼女たちの短い言葉と、それへのわたしの反応を書き記しておこうと思う。

それはひとつには、彼ら・彼女ら、一般にまっとうな見識と高い知性をもった人たちとの齟齬・乖離を明らかにするためでもある。

簡単に言えば、普通の人達との違いを知りたいのである。





Nさん(弁護士)

日本人ってマナーを守るのは得意だけど、ルールについては守るのも作るのも不得意という印象。ルールを守らない人よりもマナーが悪い人に対する非難の方が激しいこともざらだし。

Takeo:まったく逆の印象です。ルールは「規則」決まり事だから嫌々でも守る。(=お上の決めたことだから。)マナーは人としての良識、センスに基づく不文律。基準が自己の内面にしか存在しない。つまり「お隣」を基準に出来ないので、センスの鈍い人にとってはマナーを守ることは難しい。


Sさん(政治学者)

支配されていること、つまり不自由を自覚するところから自由への希求と知性の発展が始まりますが、そもそも支配されているとの自覚がなければ、何も始まらず、奴隷根性だけがはびこります。

Takeo: 自由ー不自由というのは相対的な概念で、そもそも「自由」を呼吸したことのないものが「不自由さ」を苦痛に感じることはないはず。かつては日本にも真の自由が存在していたという前提が必要では?奴隷として生まれた者は、果たして自由という概念をどのように知るのか?



Nさん(ルベラル派)

自民党「一強」政治は常に低投票率に支えられています。現状の政治に不満を訴えながらも選挙には行かないという「選択」をすることにより、現在の閉塞した社会状況が結果的に継続してしまう恐れが高い現状を私は何よりも恐れているのです。どうか、決して選挙の棄権だけはしないでください。

Takeo:では白票を投じます。汚い話で恐縮ですが「カレー味の雲固」か「雲固味のカレー」か、どちらかを「選ばなければならない」という「義務」をわたしは負わされてはいません。残念ながら我々は日本人です。中国人でも朝鮮人でもありません。分を知ることだと思います。

政治へのコミットメントが「投票」「粛々たる」「暴徒たらざる」デモ(乃至パレード)に限定されるという思考の限界・・・


Bさん(読書と散歩好きのおとうさん)

人間としてあることに疲れたら、一度、とことん動物になればいい。鬱による2年の引きこもり生活の末に僕が選んだのは四国遍路だった。百薬に勝る遍路に出にけり─この句に背中を押され、一人用テントを買い、夜行バスで高松に降り立った。かくして人間であることを捨て、野生動物になる冒険は始まった

Takeo : わたしは「人間でなくなって久しい」ことに疲れました。同行二人の道行きは、弘法大師よりも「友」でありたい。人は人に愛されてはじめて人になるのだと思います。
You're Nobody Till Somebody Loves You ...


Kさん

腹を割って話すことはまずない。そこはたぶん、胸にある思いが時を経て沈殿した昏い沼のようなところだ。意を決して切開したら、タール状の重くどろりとした黒い不穏が流れ出すに違いない。 だから私は心の上澄みだけを掬い上げ、更に濾過して不純物を除いた言葉ばかりを日々話しているのだろう。

Takeo : わたしは長い年月をかけて積み重なったその「澱」こそが「わたし」の核だと感じています。だからわたしは透明澄明にはなれませんし、それを自分とは認められないのです。

「淀みを話さないこと」と「核が存在しなこと」とは同じではありませんね。 おそらくわたしが言いたかったのは、「本来のわたし」として人と接したいがために、透明な自分を見せることはできない(しない)ということだったのかもしれません。


Kさん

幼い頃、ゆっくり坂を上ってゆく老いた人の左側を軽やかな足取りで追い抜くとき、その人の横顔をそっと窺うのをやめられなかった。 優越でも侮蔑でもなく、憐れみでも同情でもない。幼い私には名付けようもない感情がそうさせた。 今ならあれは畏怖であると言える。衰える、ということへの畏れ。

Takeo : わたしは若い女性の顔には関心ありませんが、障害を持った人や老人の横顔を見てしまいます。老いや、障害を負った生に、何か(言葉にすると薄っぺらに聞こえますが)神聖なものを感じるからです。衰えや、傷を負った生の持つ美、でしょうか。


Kさん

四月の庭はひねもす黄色、五月の庭は白ときどき青、六月の庭は白ところにより紫だ。緑は愈々濃く、暗くなる。 名もない人がいないように、名もない花もない。名もない、というのは語り手の緩慢で、言われた花は密かに憤慨しているかもしれない。

Takeo :「雑草という草はない」と言ったのは牧野富太郎ですが、
わたしは「名もない花」「名もない人」という語感とその存在の在り様が好きです。 「名を上げる」「名を求める」「名を成す」「名を欲す」という心情が好きになれないように。 「名前はまだない」がわたしの生涯だったように。


Kさん

"ヨバノビッチ先生は、言った。「外科医にはメスがある。私たち、精神科の医者には『言葉』がある。あたたかい言葉は、傷を癒すのです」。" 山崎佳代子 『そこから青い闇がささやき』抜粋

Takeo:しかしそれが「あたたかい言葉」であるかどうかはどのようにして解るのだろうか?


Mさん(編集者、ライター)

作家を褒めたりする必要はないと思う。作家のものの見方に、賛成か、反対かを言うべきだと思う。作家自身が批評家なんだから。作家が批評される必要なんてない。評論家の多くは、批評する対象を間違えている。批評するべきは作家じゃない。作家とともに、批評するべき対象について考えるべきだと思う。

Takeo : 何を言っているのか理解不能・・・