これも以前に少し触れたかもしれません。『ブログ村』がまだリニューアルする以前、わたしはいくつかのブログをそこでフォローしていました。
そのなかのひとつに、こうさんという、おそらくわたしと同世代の、社会不安障害をもつ女性のブログがありました。こうさんの更新は2~3日に一度くらいでした。過去形で語るのは、『ブログ村』リニューアル後、わたしはそこを利用しなくなり、ブログ村を仲立ちにしてフォローしていたブログとも縁が切れてしまったからです。
当時こうさんのブログにコメントを残す人はいませんでした。一ヵ月間の投稿にひとつのコメントもつかないことも稀ではありませんでした。ということは、何か月間も、ひとつのコメントもなしに、彼女はそれでも淡々と様々な身辺の出来事、感じたこと、読んだ本やテレビやラジオ番組、そして非正規(?)で働いていた会社での人間関係などを綴っていました。
「僕は寂しいとダメなんだ」・・・アラン・ルロワの言葉ではありませんが、わたしは、こうさんが全く反応がなくとも常に変わらず日記を書き続けていたことに驚きと賛嘆の念を禁じ得ませんでした。
わたしは彼女に「平気なのですか?」と尋ねました。また、折に触れひとことふたことのコメントを残すようにしました。同情というよりも、自分がそうしてもらえればうれしいと思うことを勝手に自分の気持ちでやっていたのです。
わたしの問いかけに対してこうさんは、「私の書いていることが誰かの心に届いているかもしれないから」(或いは「届くかもしれないから」・・・)正確には覚えていませんが、そのようなことをわたしに答えました。
これは二階堂奥歯がブログ(ウェブ日記)を書き続けていた気持ちと重なります。
『八本脚の蝶』の最後の方は彼女自身の言葉が無くなり、引用だけになったと、よく言われます。しかし、わたしはそもそも「引用」が「その人の言葉ではない」とは思わないのです。
いまのわたしは、こうさんのように、また二階堂のように、「誰かの心に届いている(届く)かもしれない」と思うことはできません。
「言葉が通じる」ということがどういうことかわからない者に、「誰かの心に届いているかも」と考えることはできません。また仮に「届いているよ」という返事があったとしても、その「届いている」というのはどのような状態をいうのでしょう・・・
それでも、わたしがここになにをポストしようと ── アートであろうと、写真であろうと、詩や映画のセリフであろうと、エロ・グロ・ナンセンスの絵画であろうと、そのどれもが「わたしの言葉」であることは変わりません。
二階堂奥歯が最後の最後まで自分の言葉で気持ちを綴り続けたように・・・
◇
ウッディー・アレンの初期の作品『ハンナとその姉妹』のワンシーン。わたしの大好きなシーンです。
マイケル・ケインは自分の妻の妹に恋心を抱きます。彼女は老画家(故マックス・フォン・シドー)と同棲中です。
ある時彼は偶然を装い、彼女の住む画家のアトリエ兼住居であるアパートの近くに出向き、彼女を待ちます。そして、近所の雰囲気のいいセコハン・ブックショプに彼女を誘い、これまた偶然のように、e.e.カミングスの詩集を贈ります。
そして別れ際に、「112ページ、112ページを読んでみて!」
そこにはカミングスのうつくしい恋の歌が書かれていました。
彼(マイケル・ケイン)はe.e.カミングスが大好きで、その素晴らしい詩を彼女に紹介したくてそのようなことをしたのでしょうか?
そうではなく、その詩こそが彼自身の気持ちであり、また彼自身の言葉以上に、「彼の言葉」だったからです。
わたしがここでやっていることもそれと変わりません。
somewhere i have never travelled
somewhere i have never travelled, gladly beyond
any experience,your eyes have their silence:
in your most frail gesture are things which enclose me,
or which i cannot touch because they are too near
your slightest look easily will unclose me
though i have closed myself as fingers,
you open always petal by petal myself as Spring opens
(touching skilfully,mysteriously)her first rose
or if your wish be to close me,i and
my life will shut very beautifully,suddenly,
as when the heart of this flower imagines
the snow carefully everywhere descending;
nothing which we are to perceive in this world equals
the power of your intense fragility:whose texture
compels me with the color of its countries,
rendering death and forever with each breathing
(i do not know what it is about you that closes
and opens;only something in me understands
the voice of your eyes is deeper than all roses)
nobody,not even the rain,has such small hands
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