2020年7月15日

孤独についてⅡ


孤独=社会とのつながりのない状態が慢性化している状態は心と体を蝕み死期を早めるという科学的な知見が揃ったとして、「であるから」孤独は避けなければならない状態であると結論付けられるだろうか?

ドラッグ、アルコール、タバコ・・・明らかに健康に悪いと知りながら「それでも」止めない人は少なくない。それは依存体質になっていて「止められない」のではなく、「止める気がないのだ」それははたして悪いことだろうか?だとすれば何故?

孤独は心身を蝕むという前提を認めるとして、だから孤独は避けなければならないという結論には違和感を禁じ得ない。仮に心身を蝕むだけではなく、本人がそのことによって非常に苦しんでいたとしても、それでも、敢えてそれを受け容れるという生き方=死に方があってもいいのではないか。

それほどまでにわたしは「健康である」ということの意味がわからない。

わたしがジャニスを愛し、二階堂奥歯を愛するのは、彼女たちの稀有な才能もさることながら、それ以前に何よりも彼女たちの早世によるのだ。

孤独や病に肯定的な文学者や芸術家は少なくない。しかしもし孤独というものが何らかの生産性、創造性、そしてある種の「美」を伴うものであるなら、それは「真の」苦悩乃至孤独といえるのだろうか?

ただ苦しみしか生み出さない孤独、全き不毛性としての孤独を肯定できないものか。
「(心身の)健康」であれ、「心を豊かにし芸術を生み出す孤独、そして魂を耕す病」
巡り巡って世のため人のためという議論はやめにしないか?












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