2020年7月24日

言葉が通じるということ・・・


In the impossibility of words,
in the unspoken word
that asphyxiates,
I find myself 

ことばの不可能性のなかに
息をつまらせるあの
語られぬことばのなかに
おのれを見出す。

ポール・オースター[ Interior / 内] 



わたしがここで繰り返し語って来たことのなかに「言葉が通じる」とはどういうことか?というテーマがある。

以前からこのブログの紹介には、書き手は「狂人」であると明記してある。
そして『孤立と独特の認識の化け物』であるということも。嘗てこのブログに真摯に向き合ってくれていた人たちは、「『独特の認識』そしてまあ『孤立』ということも否定できないにしても、Takeoさんは「化け物」ではないでしょう・・・」と言ってくれた。
しかし、「独特の認識」と「孤立」そして「化け物であること」はどれが欠けても成り立たない、(いわば三位一体の)存在の姿なのだ。「彼はその独特のものの見方によって孤立しがちである」では同じことを穏やかに言っているようでも、わたしという存在を表現する上でその根源において全く異質であるし、誤りでさえあると言えるだろう。

以前何度か触れたことがある「友だち作りの無料サイト」の「みんなのつぶやき」というコーナーを久しぶりに覗いてみた。

いくつか言葉を追っていたら、このような書き込みが目に入った


「人を幸せにしたかったら、自分が先に幸せにならないと幸せに出来ないんだって。Twitterで見かけた言葉…。そうか、そうなんだ。もう、自分を後回しにしなくていいんだって。フッと笑ったよ」

わたしにはこの言葉が理解できなかった。もちろん日本語として「意味」は通じるのだが、どうしても、「共感」することができない。いや、「共感」以前にそもそも「理解」出来ていないのだろう。この言葉が、何を意味しているのか。



既に何度も書いてきたことだが、わたしの主治医は、初めての面接からどのくらいの月日を経てからか、もはや憶えてはいないが、「Takeoさんと話が合う人は1000人にひとりくらい」であると言った。わたしはそれは甘いと思った。もっともっと少ないはずだ、と。

それから何年たったかわからないが、こんにちわたしと、仮にインターネット上のみであっても、「はなしが通じる人間」はひとりもいない。精神科にも行かなくなった。デイケアも止めた。無論現実の生活に「友人」と呼べるものはひとりもいない。

様々な読者がいるので、いわでものことを言わなければならないが、そしてこれも繰り返し言っていることだが、「誰もわたしの話を理解できない」のは事実だとしても、それは「どちらかが優れているー劣っている」といった問題ではなく、「わたしと、彼(ら)彼女(たち)」の「相違」という至極単純な理由に他ならない。それは「誰もヘブライ語を理解できない!」と言っているのとまったく変わらないと理解してもらっていい。そしてそれはヘブライ語自体の問題でも、それを理解できない者の問題でもなく、単に、多くの日本人にとって、ユダヤ人の書き、話す言葉が(その「地理的な距離」「民族・文化及び歴史の相違」により)「非・日常の世界言語」であるという事実乃至現実に基づく。

だからわたしは知りたいのだ。
何故多くの人たちは、上記の言葉を当たり前のように理解・共有できるのか?

「彼(彼女)の言っていることが常識だから」「2+2が4だというのと同じように、あまりにも真っ当なことを言っているだけだから」

だとすればわたしには何故その「あたりまえ」が理解できないのか?
逆にいえば、普通の人々はいつ、どこで、その「あたりまえさ」を身に着けたのか?
わたしの「異質性」はなにに起因するのか・・・

「引きこもりは常識がないから」という説明を、とりあえず仮の前提とするにしても、ではほとんどの引きこもりの人たちは、わたしとおなじように、やはりこの言葉の理解が困難なのだろうか。

何らの根拠があるわけではないが、わたしにはそのようには思えない。



わたしは自ら「化け物」であり「狂人」であるということを知っている。

ではわたしを化け物たらしめ、狂人たらしめているものとはいったい何か?

そして同時に「化け物」でもなく「気狂い」でもない「わたし」とは、そそもそも何者なのか?



It is nothing.
And all that he is. 
And if he would be nothing, then let him gegin
where he find himself, and like any other man
learn the speech of their place.

For he, too, lives in the silence 
that comes before the word
of himself.

それは無。
それこそ彼のすべて。
もし彼が無だとしたら おのれを見出すところで
はじめさせよ。
そして 他者と同じく
この場所の語りを習わせよ。

彼もおのれの
存在に先立つ
沈黙のうちに住むのだから。


『壁の文字 ポール・オースター全詩集』飯野友幸訳(2005年)




わが病の その因るところ深く且つ遠きを想ふ
眼を閉じて想ふ (啄木)












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