わたしの「愛読」・・・というよりも、敬愛し、慰められているアート系のブログには、押しなべてコメントというものが付いていない。800人近いフォロワーを持つドロローサのブログ然り。彼女はフェイスブックでブログの100倍近いフォロワーを持つが、それでもコメントは僅かしかない。原則的にアート・ブログにコメントはつかない(コメントのしようがない)というのが現実なのだ。
仮にそこに文学作品からの多彩な引用や詩が添えられていても事情は変わらない。
そもそも絵や写真を観て、また詩や文芸作品の一節を読んで心打たれたとしても、
それを言葉にするということ自体が野暮であるともいえる。沈黙とともに差し出し、沈黙とともに受け取るのがいい。「コメントはしないこと」が礼儀作法だと極論できるかもしれない。
わたしは今やっているようなスタイルをもう少し深めたいと思っている。
これまでのスタイルを否定するつもりは更々ない。ただ、現時点では自分の満足のいく文章を書くことがままならず、また今の心理状態で書くとすれば、それは果てしもない不毛な愚痴乃至嗟嘆に終始してしまうことは書かずともわかっている。
わたしにできるのは、わたしが希みうるのは、ひとりでも、そのアートなり、ことばを好いてくれる人がいる(と想う)こと、そしてわたし自身がそうであるように、それらによって束の間、慰められる魂がひとつでもある(と空想する)こと。それだけだ。
そしてそのひとつの魂が己自身のものであれば、それで十分ではないのか・・・
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