2020年7月31日

マックス・ピルナー "A man is a wolf to another man" 「誰も他者にとって狼である」



Homo homini lupus, 1901, Max Pirner. Czech (1854 - 1924)
 - Gouache on Paper -



Homo homini lupus, 1901, Max Pirner. Czech (1854 - 1924)
- Watercolor on Paper - 


” The Hell is Others ” 

Jean-Paul Sartre (1905 - 1980)

「地獄とは「他者」である」

ジャン・ポール・サルトル

or 

“ Hell isn't other people. Hell is yourself. ”

Ludwig Wittgenstein (1889 - 1951) 

「地獄とは「他者」ではなく君自身である」

ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン


貴方はどう思われますか?









友人の必要性


「他人」だけが我々から引き出してくれるものがある。我々が「他人」からしか引き出さないものがある。
たとえば他人は我々から言い返し、ウィット、感情、欲望、羨望、淫欲、思い付き、よき或いは悪しき仕打ちを引き出す。
「他人」というものが、その行為によって、あるいはただ存在するというだけのことによって、それらを触発しなかったならば、我々は何と多くのことを抑制しもせず、なし得もせず、行いもせず、願いさえもしなかったろう!

ポール・ヴァレリー


友人の価値はおそらく、彼/彼女によって新たに与えられるものの多寡ではなく、彼らによってわたしの裡にあるいかに多くのものが引き出されるかということだろう。

本当の友とは、わたしをわたし自身のお気に入りにしてくれるような存在だ。








2020年7月29日

無題・・・


過去の投稿を読んでいたら、当時まだ「Nostalgic Light」というブログをやっていた頃、時々立ち寄ってくれていたドイツ在住の女性のコメントを見つけた。

「サン=テクジュペリ」に関する投稿である。
彼女はわたしの投稿する絵や写真、音楽の趣味の良さを褒めてくれていた。
しかし、やがてわたしのブログが「ぼく自身或いは困難な存在」になり、投稿内容も次第に暗くなっていくとともに姿を見せなくなった。

そして先程ある別の日本の女性からのコメントを読んだ。彼女はコメントを非公開にしてほしいと言った。そしてこのようなメッセージを送ることに随分躊躇した、と。
わたしを気遣うコメントであった。なんとか励まそうとしてくれていた。何度も、自分の言っていることが気に障るかもしれない、わたしの気分を害するかもしれないと謝罪しながらの文章だった。

それはあきらかに「ぼく自身或いは困難な存在」の投稿に対する必死のコメントだった。

そのコメントは一昨年のものだが、今改めて読み返し「コメントをしない読者は真の読者ではない」というわたしの言葉は明らかな誤りであり根拠のない誤解であったと痛感している。

いまでもわたしは「趣味がいい」「センスいいね」と思われるようなブログを作りたいという欲がある。色気がある。また一方のMさんのコメントを読むと、もっともっと自己の裡に沈潜していくべきなのかとも思い、暢気に絵や写真を投稿している場合かと悩み、しかし現実にわたし自身が海外の「アート・ブログ」に心慰められていること等をこもごも思い、千々に心乱れる。

趣味がいいと言ってくれたドイツ在住の女性を、また心の底からの言葉を送ってくれたMさんを、そして底彦さんを、Junkoさんを、ふたつさんを、瀬里香さんを、わたしは常に裏切り、失望させ続けてきたのではないか・・・

二階堂奥歯とブログのことを考えると、「たかだかブログで、裏切るも幻滅もないだろう」と軽く流してしまうことはできない。
現にわたしはブログこそが「自分の生きている証し」であると語っている人を何人か知っている。

「会者定離」とはいえ、以前瀬里香さんとも話したが、あまりにも「さよならだけ」が人生ではないかと思い辛くなる。

わたしのセンスを愛でてくれた人、

わたしの苦しみに真正面から応えてくれた人、

そしてタンブラーで今でもわたしをフォローしてくれている人、わたしの投稿を喜んでくれる人に、また母に、そしてひょっとしたら、未だにいるかもしれないこのブログのひそかなる真の読者に、嘗て、そして今現在わたしが傷つけてきた(いる)人たちに、わたしはいま、いったい何を返すことができるのだろうか?



L'attesa / The Wait, Alessandro Battaglia. Italian (1870 - 1940)
- Oil on Canvas - 





傍にいてくれるのは誰ですか? 



Boy huck finn style on homemade raft with dog fishing in lake, 1950,’s



Torre Annunziata, Campania, Fosco Maraini. Italian (1912 - 2004)



Nancy, 1965, Emmet Gowin. American, born in 1941



Swimming lessons on the rod, 1951, Kees Scherer. Dutch (1920 - 1993)

「傍にいてくれるのはだれですか?」
Who will stay with you? 

「あなたを守ってくれるのは誰ですか?」
Who will protect you ? 

「仲間はいますか?」
Do you have company ?

「頼れる人がいますか?」
Who you can depend on ? 













「自分の言葉」とは何か


昨日、久し振りにメールを書いていたら、文中に下線が引かれている箇所がある。見ると、文字が重複している。「しかししかし」と。これは送信する前に読み返せば気づくことだ。確かにわたしは比較的長い文章を書くことが多いので、書いたものを最初から読み返すという労を厭うことがままある。その場合は、あいては「しかししかし」と書かれたメールを読むことになるのだが・・・

最近のコンピューターは以前にもまして急速に不自由になっていると感じる。
先日やはりメールを書いていて、「いづれにしても」と記入したところ、「いづれ」というのは旧仮名遣いで現在は通常「いずれ」という用法が一般的であるとかなんとか。
大きなお世話余計なおせっかいである。



前のことになるが、アマゾンのレヴュー欄で、二階堂奥歯の『八本脚の蝶』の書籍版(2006年刊)に新たなレヴューが書かれていて、書籍ではブログの一部が削られていることと、彼女=二階堂が、疲れて帰って来て書いたであろう日記の誤字(タイプミス)が修正されていることに、その女性レヴュワーは疑問を呈していた。
そのような視点に感心し、深く共感するとともに、やはり『八本脚の蝶』を愛読している人らしさのようなものを感じた。

正しくは「シモーヌ・ヴェイユ」と書くべきところを「ヴァイユ」と書かれているので、「正す」ということが本当にするべきことなのかという疑問がある。「正確を期する」というのであるならば、寧ろ「筆者自身の誤記のままに、間違いのままに」書籍化すべきであると思うのだ。繰り返すが、そのレヴュワーは、彼女が「会社から疲れて帰って来て書いた(であろう)日記・・・」と、その「誤記」の背景にまで想像の射程を展げている。「誤り」には誤るだけの理由があるはずだと。それを一律に機械的に「『ヴァイユ』は誤記」とすることに、そのレヴュワー同様の抵抗を覚える。

「しかししかし」とかかれたメールを読んだJunkoさんは、ああ、Takeoは手抜きをしてるなと不快に感じるかもしれない。感じてあたりまえだけれども、しかししかし、「しかししかし」とタイプしたのがその時のありのままのTakeoであるともいえる。

「われ過つ 故にわれ人也」

今は「ここの文字が重複していますよ」「これは旧い仮名遣いですよ」という段階だが、有無を言わさずに間違いを一掃されるようになったら・・・その時はわたしはコンピューターから離れるだろう。

人間らしい誤りを強制的に矯正修正訂正すること。誤字の背後に「きっと疲れていたんだな」というごく自然な想像を巡らすことを止めさせること・・・それをこそ、真の(人間の)「愚かしさ」という。


ここで気の利いた引用でもしたいところだが、今日は、敢えて止めておく。

「人間が機械に勝っている点は何か?いまだ「まったくなんにもしない機械」を作ったことがないこと」

それと同様に、「しょっちゅう間違える機械を作ったことがないこと」

これこそが人間の尊厳の最後の砦と言えるだろう・・・



ー追記ー

引用は止めておくと言ったが、やっぱり一言。

”A point of view can be a dangerous when substituted for insight and imagination.” 

Marshall McLuhan

「 固定した視点というものは時に危険である。それが「洞察力」と「想像力」に取って代わる時 」

マーシャル・マクルーハン


この場合の「固定した視点」とは言うまでもなく(この文脈でいうならば)「進歩」「便利さ」「正確さ」=「善」というPoint of view である。













2020年7月28日

ブログについて 再度


わたしの「愛読」・・・というよりも、敬愛し、慰められているアート系のブログには、押しなべてコメントというものが付いていない。800人近いフォロワーを持つドロローサのブログ然り。彼女はフェイスブックでブログの100倍近いフォロワーを持つが、それでもコメントは僅かしかない。原則的にアート・ブログにコメントはつかない(コメントのしようがない)というのが現実なのだ。
仮にそこに文学作品からの多彩な引用や詩が添えられていても事情は変わらない。
そもそも絵や写真を観て、また詩や文芸作品の一節を読んで心打たれたとしても、
それを言葉にするということ自体が野暮であるともいえる。沈黙とともに差し出し、沈黙とともに受け取るのがいい。「コメントはしないこと」が礼儀作法だと極論できるかもしれない。

わたしは今やっているようなスタイルをもう少し深めたいと思っている。

これまでのスタイルを否定するつもりは更々ない。ただ、現時点では自分の満足のいく文章を書くことがままならず、また今の心理状態で書くとすれば、それは果てしもない不毛な愚痴乃至嗟嘆に終始してしまうことは書かずともわかっている。

わたしにできるのは、わたしが希みうるのは、ひとりでも、そのアートなり、ことばを好いてくれる人がいる(と想う)こと、そしてわたし自身がそうであるように、それらによって束の間、慰められる魂がひとつでもある(と空想する)こと。それだけだ。
そしてそのひとつの魂が己自身のものであれば、それで十分ではないのか・・・









誰からも好かれるということ・・・



“ I’m so popular it’s scary sometimes. I suppose I’m just everybody’s type. ”

 Catherine Deneuve


「とても人気があるって怖いことだわ。時々思うの、私は誰からも好かれるただの平凡な女でしかないんじゃないかって」

カトリーヌ・ドヌーヴ


Catherine Deneuve, ' Repulsion' 1965 





父と息子 母と娘 



Hands, Maynard and Dan Dixon, ca 1930, Dorothea Lange. (1895 - 1965)



Untitled, 1962, Vivian Maier. American (1926 - 2009)

*

“It is easy to become a father, but very difficult to be a father.” 

Wilhelm Busch (1832 - 1908) 

*

” 母になることは易しい。しかし母であることは難しい ”

山本有三『真実一路』








2020年7月27日

The Way for live


“My destination is no longer a place, rather a new way of seeing.”

Marcel Proust


「最早生きるべき場所はない。世界を見る目を変えない以上」

マルセル・プルースト



「世界を見る目を変える」・・・
けれども、それは「堕落」と呼ばれるものではないのか?




ブログについて つづき


これも以前に少し触れたかもしれません。『ブログ村』がまだリニューアルする以前、わたしはいくつかのブログをそこでフォローしていました。
そのなかのひとつに、こうさんという、おそらくわたしと同世代の、社会不安障害をもつ女性のブログがありました。こうさんの更新は2~3日に一度くらいでした。過去形で語るのは、『ブログ村』リニューアル後、わたしはそこを利用しなくなり、ブログ村を仲立ちにしてフォローしていたブログとも縁が切れてしまったからです。

当時こうさんのブログにコメントを残す人はいませんでした。一ヵ月間の投稿にひとつのコメントもつかないことも稀ではありませんでした。ということは、何か月間も、ひとつのコメントもなしに、彼女はそれでも淡々と様々な身辺の出来事、感じたこと、読んだ本やテレビやラジオ番組、そして非正規(?)で働いていた会社での人間関係などを綴っていました。

「僕は寂しいとダメなんだ」・・・アラン・ルロワの言葉ではありませんが、わたしは、こうさんが全く反応がなくとも常に変わらず日記を書き続けていたことに驚きと賛嘆の念を禁じ得ませんでした。
わたしは彼女に「平気なのですか?」と尋ねました。また、折に触れひとことふたことのコメントを残すようにしました。同情というよりも、自分がそうしてもらえればうれしいと思うことを勝手に自分の気持ちでやっていたのです。
わたしの問いかけに対してこうさんは、「私の書いていることが誰かの心に届いているかもしれないから」(或いは「届くかもしれないから」・・・)正確には覚えていませんが、そのようなことをわたしに答えました。
これは二階堂奥歯がブログ(ウェブ日記)を書き続けていた気持ちと重なります。
『八本脚の蝶』の最後の方は彼女自身の言葉が無くなり、引用だけになったと、よく言われます。しかし、わたしはそもそも「引用」が「その人の言葉ではない」とは思わないのです。

いまのわたしは、こうさんのように、また二階堂のように、「誰かの心に届いている(届く)かもしれない」と思うことはできません。

「言葉が通じる」ということがどういうことかわからない者に、「誰かの心に届いているかも」と考えることはできません。また仮に「届いているよ」という返事があったとしても、その「届いている」というのはどのような状態をいうのでしょう・・・

それでも、わたしがここになにをポストしようと ── アートであろうと、写真であろうと、詩や映画のセリフであろうと、エロ・グロ・ナンセンスの絵画であろうと、そのどれもが「わたしの言葉」であることは変わりません。

二階堂奥歯が最後の最後まで自分の言葉で気持ちを綴り続けたように・・・





ウッディー・アレンの初期の作品『ハンナとその姉妹』のワンシーン。わたしの大好きなシーンです。

マイケル・ケインは自分の妻の妹に恋心を抱きます。彼女は老画家(故マックス・フォン・シドー)と同棲中です。
ある時彼は偶然を装い、彼女の住む画家のアトリエ兼住居であるアパートの近くに出向き、彼女を待ちます。そして、近所の雰囲気のいいセコハン・ブックショプに彼女を誘い、これまた偶然のように、e.e.カミングスの詩集を贈ります。
そして別れ際に、「112ページ、112ページを読んでみて!」
そこにはカミングスのうつくしい恋の歌が書かれていました。

彼(マイケル・ケイン)はe.e.カミングスが大好きで、その素晴らしい詩を彼女に紹介したくてそのようなことをしたのでしょうか?
そうではなく、その詩こそが彼自身の気持ちであり、また彼自身の言葉以上に、「彼の言葉」だったからです。

わたしがここでやっていることもそれと変わりません。






somewhere i have never travelled

somewhere i have never travelled, gladly beyond
any experience,your eyes have their silence:
in your most frail gesture are things which enclose me,
or which i cannot touch because they are too near

your slightest look easily will unclose me
though i have closed myself as fingers,
you open always petal by petal myself as Spring opens
(touching skilfully,mysteriously)her first rose

or if your wish be to close me,i and
my life will shut very beautifully,suddenly,
as when the heart of this flower imagines
the snow carefully everywhere descending;

nothing which we are to perceive in this world equals
the power of your intense fragility:whose texture
compels me with the color of its countries,
rendering death and forever with each breathing

(i do not know what it is about you that closes
and opens;only something in me understands
the voice of your eyes is deeper than all roses)
nobody,not even the rain,has such small hands








当ブログの一貫した姿勢


” 私は自分の言葉しか話さない。
それがたとえ他人の言葉であっても ”

ポール・ヴァレリー








2020年7月26日

グレン・プリース、 オーストラリアン 1957年生まれ / Glen Preece. Australian, born in 1957.



Lovers Dancing
- Oil on Canvas - 



The Artist and his Muse in her New Red Shoes
- Oil on Canvas - 



Five Women
- Oil on Canvas - 



Jazzman plays the blues
- Oil on Board - 



Dreams of Flying - the Artist's Life
- Oil on Linen - 



A Conspiracy of Ravens
- Oil on Canvas - 



Winter coats
- Oil on Board - 



The Beach with Dogs and Angel Clouds
- Oil on Board - 










現代文学とは・・・


Martin O'Neill

” 現代文学とは病人自身の手による処方箋である ”

三島由紀夫








Francesca became "Woodman"



Untitled (MacDowell Colony, Peterborough, New Hampshire), 1980, Francesca Woodman (1958 - 1981) 
- Gelatin silver print - 






幻肢痛


幻肢痛、というのをご存知でしょう・・・」
六十を越した精神科医は目の前の男性に尋ねた。
「ええ、詳しいことはわかりませんが、手や脚を失ってしまった人が、あるはずのない手や脚の痛みを感じる、というような・・・」
「ええ、総入れ歯の人が歯の痛みを感じるということもあります。
これは失われた肉体の一部が痛みを感じるという現象ですが、ひょっとして人間の魂にも似たようなことが起こるのではないかと考えたのです」
「と、いいますと」
「あなたは外に出られないという。あなたが若い頃に通い慣れた場所も、思い出の建物も、みな無くなってしまった。昔ニューヨークで、ある女性が・・・これはその人の樹ではないのですが・・・アパートの窓からいつも眺めていた樹が切り倒された時に意識を失って、何年もその状態が続いたという話があります。自分の身体だけではなく、愛着のあるものが失われた時に、その人の魂の、それに対応していた部分が同時に消滅する、ということは、十分に考えられることです」医師は穏やかに話した。
「わたしはこの街で半世紀近く生きてきました。しかしもうどこへいっても、あの頃のままだという建物も、懐かしいと感じる場所も見つけることができません。この街で生まれ、この街で何十年も生きて来たといっても、実際には、今朝空港に降り立った異邦人と全く変わるところがないのです」そういって男性は苦い笑いを噛み締めた。
「つまり、あなたは現実には手も脚もあるが、魂の手足を失ってしまっているのです。そして外に出ると、その失われた手や脚が痛む。なにしろかつてその脚が歩いていた街並みも、その手が触れた樹々も、馴染んだ喫茶店のドアや椅子も、ビルの階段の手摺も、みな失われてしまっているのですから」
「つまり、幻肢痛、この場合先生の言う心の幻肢痛は、無いのに痛むのではなく、無いから痛む、ということでしょうか」
「ええ。無いものが痛みを感じるというのは理屈に合わないと言われるかもしれませんが、哀惜の感情が痛みを伴う。失われているものの痛みなのです」
男性は深く息をつくともう一度医師に尋ねた。
「それではやはりわたしはもう治らないということでしょうか」
医師は眼鏡を直しながら静かな口調で「残念ながら。たしかに薬物によって幻覚を見ることくらいは可能です。けれどもそれは所詮幻であって現実ではない」
「・・・・」
「考えられる方法としては、あなたの脳から「過去の記憶」を消してしまうこと。そして、今、この瞬間のみに生きるようにすることくらいでしょうか。そうすればあなたの失われた魂は元通りになるでしょう。いや、より正確には、魂を持つ必要がなくなると言った方がいいかもしれません。あるいは・・・」
「あるいは?」
「いや、非現実的なことですが、人工冬眠させていつの日かタイムマシンが完成したときに目覚めて、あなたの過去にもどる。つまり過去を手に入れるために未来にゆくのですが、これはまぁ、お伽噺として聞き流してください・・・」
「お話し、よくわかりました。わたしの過去、失われた風景、消えてしまった街並みとともにわたしの手も脚も・・・わたしの魂の手足が無くなってしまって、わたしは外を歩くことができなくなってしまった・・・」
「それで、よくよくお考えになられてここを訪ねた」
「ええ」
「お気持ちは変わりませんか?」
「もちろん、穏やかな気持ちとはいえませんが、わたしは最早この世界に属してはいないと感じています。このような格子なき牢獄・・・一生外に出ることができないような生活にはもう疲れました」
医師はふと窓の外に目をやる。木々の緑が初夏の風にそよぎ、光の粒を散らす。
「あなたがこの申請をされてからちょうど3年が経ちました。その間にも街並みはみるみる変わっていきました。今度の議会では知事の推進する、都市の街路樹をすべてプラスチック製にするという法案が提出されたようですが、どうやらこれも決まりそうです」
男は顔を上げ、かすかに微笑みながら「わたしは土に、自然に戻りたいのです」
「わかりました。安楽死法及び自殺幇助法にもとづくあなたの申請は承認されました。それであなたは当センターではなく、ご自宅での最期をご希望ですか?」
「いえ、海でも、また深い山の奥でも、自然の残ってるところで、生を終えたいと思っています」
「そうですか。それでは帰りに書類に署名をして、許可証と薬を受け取ってお帰り下さい」
「いろいろとありがとうございました」
「3年間、よく辛抱されましたね。おめでとうございます。よい旅を」



© Takeo 










2020年7月25日

母と子 Pietà


 

Untitled (Mother and child), 1938, Jean Charlot (1898 - 1979) 



Mother with her baby, Béla Kádár  (1877 - 1956)
- Tempera on Paper -


Mother, Paul Guiragossian (1926 - 1993) 
- Oil on Canvas - 



Mother, Lucien Lévy-Dhurmer (1865 - 1953)
- Pastel on paper - 



The Good Mother, Jean-Honoré Fragonard (1732 - 1806) 



Mother and child, 1902, Picasso



Mother's embrace (Mother's Hug), Mikuláš Galanda (1895 - 1938) 
- Oil - 



Mother and Child, 1937, Arshile Gorky (1904 - 1948)



The kiss of the mother, Gyzis Nikolaos (1842 - 1901) 



“The best thing a father can do for his children is to love their mother.”
― John Wooden

「父親がわが子にできる最良のことは、その子の母を愛することだ」
ージョン・ウッデン






海自身のための海


Marine Solitude, 1852, Anton Melbye (1818 - 1875) 
- Oil on Canvas -


誰も見ていないとき
海はもう海ではない
誰も見ていないときの
ぼくらと同じものになる
べつな魚が住み
べつな波が立つ
それは海のための海
今ぼくがしているような
夢見る人の海になる

ジュール・シュペルヴェイル








2020年7月24日

何故自己を肯定するのか?何故肯定しなければならないのか? 


奈々子に
          
赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり 奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの つややかな頬は
少し青ざめた

お父さんにも ちょっと酸っぱい思いがふえた
唐突だが 奈々子
お父さんは お前に多くを期待しないだろう

人がほかからの期待に応えようとして
どんなに自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり知ってしまったから

お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ

人が人でなくなるのは 自分を愛することをやめた時だ
自分を愛することをやめる時
人は他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう
自分があるとき 他人があり 世界がある

お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた
苦労は 今は お前にあげられない

お前にあげたいものは 香りのよい健康と
かちとるにむずかしく はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ

ー吉野弘





ひとが

ひとでなくなるのは

自分を愛することをやめるときだ。


吉野弘 -奈々子にー

「自分を愛すること」。もうずいぶん長く聞いたことのないような、または生まれて初めて聞くようなふしぎな言葉だ。
この言葉は私には、まるでラテン語か何かのように響く。にもかかわらず、この言葉の中に、久しく忘れていたあるなつかしいものを感ずるのだ。
わたしには、自分を心から愛したおぼえがない。

自分で自分の身体に泥をなすりつけるようなことばかりして来た。

時には負いきれぬほどの過大な要求をし、時にはわれとみずからを路傍へうちすててきたりした。


自分を愛すること。


自分を愛すること。


一体それはどういうことなのだろう。


『石原吉郎詩文集』「一九五六年から一九五八年までのノートから」(2005年)


2019年11月30日付け「Junkoさんのコメントへの返事に代えて…」再掲





わたしと普通の人たちと距離は、いまでは吉野弘と石原吉郎との間の懸隔にも似ている。いまのわたしには、吉野の言葉はどうしても理解不能だ。
そして更には、いまのわたしはこの詩のような「吉野弘的なもの」を嫌悪さえしている・・・

いったい「誰もが(自ら)愛するにあたいする自己を持つ」という前提はなにを根拠にしているのか?

わたしがデイケアに行くのを止めたのも、間接的には「認知行動療法」や「WRAP」(元気回復行動プラン)といったプログラムに参加してはその都度反対意見ばかり述べていることに意味を見いだせなくなったからだ。

わたしは自分を愛することはできない。
そのような努力は自分に都合のいい「自己欺瞞」にしか思えない。
そして自分をあまり好きではないという人間に比べて、自分を満更嫌いでない人間というものをどうしても信用できず、
そもそも自分を愛して(認めて)いいという許可を自分に与えるつもりもないのだ。


人は自分を嫌うものを嫌い
自分を愛する者を愛するという(わたしから見れば極めて奇っ怪な思考様式を持つ)ということを承知で、わたしはこれを書いている。

身も蓋もない言い方をすれば、自己愛、自己肯定、自己承認・・・なんでもいいが、詰まるところ、種の(個ではなく)保存本能に縫着するのだろう。














言葉が通じるということ・・・


In the impossibility of words,
in the unspoken word
that asphyxiates,
I find myself 

ことばの不可能性のなかに
息をつまらせるあの
語られぬことばのなかに
おのれを見出す。

ポール・オースター[ Interior / 内] 



わたしがここで繰り返し語って来たことのなかに「言葉が通じる」とはどういうことか?というテーマがある。

以前からこのブログの紹介には、書き手は「狂人」であると明記してある。
そして『孤立と独特の認識の化け物』であるということも。嘗てこのブログに真摯に向き合ってくれていた人たちは、「『独特の認識』そしてまあ『孤立』ということも否定できないにしても、Takeoさんは「化け物」ではないでしょう・・・」と言ってくれた。
しかし、「独特の認識」と「孤立」そして「化け物であること」はどれが欠けても成り立たない、(いわば三位一体の)存在の姿なのだ。「彼はその独特のものの見方によって孤立しがちである」では同じことを穏やかに言っているようでも、わたしという存在を表現する上でその根源において全く異質であるし、誤りでさえあると言えるだろう。

以前何度か触れたことがある「友だち作りの無料サイト」の「みんなのつぶやき」というコーナーを久しぶりに覗いてみた。

いくつか言葉を追っていたら、このような書き込みが目に入った


「人を幸せにしたかったら、自分が先に幸せにならないと幸せに出来ないんだって。Twitterで見かけた言葉…。そうか、そうなんだ。もう、自分を後回しにしなくていいんだって。フッと笑ったよ」

わたしにはこの言葉が理解できなかった。もちろん日本語として「意味」は通じるのだが、どうしても、「共感」することができない。いや、「共感」以前にそもそも「理解」出来ていないのだろう。この言葉が、何を意味しているのか。



既に何度も書いてきたことだが、わたしの主治医は、初めての面接からどのくらいの月日を経てからか、もはや憶えてはいないが、「Takeoさんと話が合う人は1000人にひとりくらい」であると言った。わたしはそれは甘いと思った。もっともっと少ないはずだ、と。

それから何年たったかわからないが、こんにちわたしと、仮にインターネット上のみであっても、「はなしが通じる人間」はひとりもいない。精神科にも行かなくなった。デイケアも止めた。無論現実の生活に「友人」と呼べるものはひとりもいない。

様々な読者がいるので、いわでものことを言わなければならないが、そしてこれも繰り返し言っていることだが、「誰もわたしの話を理解できない」のは事実だとしても、それは「どちらかが優れているー劣っている」といった問題ではなく、「わたしと、彼(ら)彼女(たち)」の「相違」という至極単純な理由に他ならない。それは「誰もヘブライ語を理解できない!」と言っているのとまったく変わらないと理解してもらっていい。そしてそれはヘブライ語自体の問題でも、それを理解できない者の問題でもなく、単に、多くの日本人にとって、ユダヤ人の書き、話す言葉が(その「地理的な距離」「民族・文化及び歴史の相違」により)「非・日常の世界言語」であるという事実乃至現実に基づく。

だからわたしは知りたいのだ。
何故多くの人たちは、上記の言葉を当たり前のように理解・共有できるのか?

「彼(彼女)の言っていることが常識だから」「2+2が4だというのと同じように、あまりにも真っ当なことを言っているだけだから」

だとすればわたしには何故その「あたりまえ」が理解できないのか?
逆にいえば、普通の人々はいつ、どこで、その「あたりまえさ」を身に着けたのか?
わたしの「異質性」はなにに起因するのか・・・

「引きこもりは常識がないから」という説明を、とりあえず仮の前提とするにしても、ではほとんどの引きこもりの人たちは、わたしとおなじように、やはりこの言葉の理解が困難なのだろうか。

何らの根拠があるわけではないが、わたしにはそのようには思えない。



わたしは自ら「化け物」であり「狂人」であるということを知っている。

ではわたしを化け物たらしめ、狂人たらしめているものとはいったい何か?

そして同時に「化け物」でもなく「気狂い」でもない「わたし」とは、そそもそも何者なのか?



It is nothing.
And all that he is. 
And if he would be nothing, then let him gegin
where he find himself, and like any other man
learn the speech of their place.

For he, too, lives in the silence 
that comes before the word
of himself.

それは無。
それこそ彼のすべて。
もし彼が無だとしたら おのれを見出すところで
はじめさせよ。
そして 他者と同じく
この場所の語りを習わせよ。

彼もおのれの
存在に先立つ
沈黙のうちに住むのだから。


『壁の文字 ポール・オースター全詩集』飯野友幸訳(2005年)




わが病の その因るところ深く且つ遠きを想ふ
眼を閉じて想ふ (啄木)












2020年7月23日

「ノーマル」であるということ


Steve Martin 


Buster Keaton

Harold Lloyd 


“Nobody realizes that some people expend tremendous energy merely to be normal.” 
- Albert Camus


昔、NHKの英語講座で、コロンビア大学の留学生に英語を教える授業がそのまま放送される(勿論録画)番組があって、ある時「ノーマル」という言葉を使った留学生に対して、教師が「何が、誰がノーマルであるかなんて誰も決められないわよね。この場合は、「アベレージ」という言葉の方が適切だと思います」と言っていた。

上記のカミュの言葉にも同じことが言えると思う。
しかし「人と同じように振る舞う」ことにエネルギーを使うなんて。
世の中にもっと「奇人」「変人」が沢山いればどんなに生きやすくなるだろう。

わたしは「同質性」というもの、「均一性」というものにある種の恐怖を伴った不快感を覚える。「奇人」「変人」がそうである所以は、彼ら/彼女らが、「多く」と似ていない=違っているからだ。

カミュの言葉が事実であるにしても、わたしにとってそれは特別の意味を持たない。
そのような努力は不要だと思うからだ。

なぜなら「ノーマル」でないこと「平均的」でないことの方が存在として数段上なのだから。

常識的な人間がつまらないのは以下の理由からだ。

「常識とは二点間の最短距離を意味する」

ラルフ・ワルド・エマソン



追記(乃至蛇足)

もしわたしのブログに「真の読者」がいるとすれば、

「常識とは二点間の最短距離を意味する」というエマソンの言葉と、先に引用した木村敏の
「常識とは決して外面的・公共的な規範ではなく、深く内面的間主観性に関わる状況感覚のことなのである」
この二つの記述の間に矛盾があると考える者はひとりもいないと確信している。









2020年7月22日

「個」と「状況」との〈あいだ〉


精神科面接の神髄は「聴くこと」にあるといわれる。特定の心理療法を採用するとしないとにかかわらず、精神科医療のすべては患者の言葉に耳を傾けることから始まるといってよい。そして患者の言葉に耳を傾けて聴くというのは、この場合、患者の言葉の〈意味〉を共有しようとする努力を指している。
言葉の意味といっても、個々の単語の標準的な意味は「国語辞典」に書いてある。それをつなぎ合わせた文章の意味は「文法」によって規定されている。その限りにおいて言葉の意味は公共的な性格のものであって、それをあらためて共有しようとする努力など必要のないことだと考えられるかもしれない。

しかしそのようにしてアプリオリに共有ずみの公共的な言葉の意味と、治療者に共有への努力を求めるある一人の患者の言葉の〈意味〉とではそこに大きな ── 精神医療にとっては決定的ともいえる ── 位相の差異がある。
  (略)
しかし言葉というのものは、そのつど特定の誰かが、特定の誰かに向けて特定の話題を伝達するための道具である。この誰かが言葉を語るとき、それは常に「語る主体」であるのだが、この主体は決して三人称的に客観化できない一人称で主観的な主体である。その誰かの言葉を聞く誰かについても、まったく同じことがいえる。一人称的主観的な主体の語る言葉を一人称的主観的な主体が聞く、言葉の交わされる現場の実情はつねにこのような構造になっている。
 (略)
語の意味が記号としての語そのものにアプリオリに含まれているのでなく、話し手とと聞き手との相互関係という〈場〉において多様に解釈されうるという経験は、パースの三項関係の記号論を連想させる。パースは周知のように、記号とその指示対象を一対のものとする従来の二項構造と違い、この両者にそれを媒介する「解釈」という第三項を加えた三項構造を考えた。パースによると《記号、もしくはレプリゼンタメンとは、なんらかの点で、あるいは何らかの能力において、誰かに対しある何ものかを表意するものをいう。それは誰かに話しかける、つまりその人の精神のなかにそれと同等の記号または多分もっと発展した記号を生む。それが生むそのような記号のことをわたくしは最初の記号の解釈内容と呼ぶ。その記号は何ものか、その対象を表意する》。
パースによれば《たがいに理解できる共通の意味または解釈思想 ── すなわち第三項の媒介 ── がなければコミュニケイションは成立しない》のであって、彼はこの媒介mediationのことを「中間性」betweenness つまりわれわれの言い方では「あいだ」とも呼んでいる。

ただ、パースとわれわれの大きな違いは、彼がこの第三項を第一項、第二項といわば同一平面上で考えていることである。したがって彼のいう解釈項は《それ自体がまた新しい記号となって、それと対象をつなぐもう一つの解釈項を生み、それはまた新しい記号となって更に次の解釈項を生んで・・・記号と対象と解釈項という三項関係が無限に生ずる》(有馬道子)ことになる。これに対してわれわれのいう〈あいだ〉は、語やその標準的な意味内容(ないし指示対象)とは位相の異なった次元にあって、それ自体がさらなる記号となることは絶対にない。むしろ公共的・三人称的に固定された語やその意味内容と、間主観的に共有されうる〈場〉で〈意味〉を生み出す〈位相差〉(これをハイデガーに倣って「存在論的差異」と呼んでもいい)を見失わないことこそ、現象学的精神病理学にとってはその死命を制する要務なのである。
  (略)
〈場〉には〈場〉固有の主体性が備わっていて、これがその場で行動する個人の主体性の動向に大きな影響を与える。そしてその場合、その個人が何をどのように語り、相手の言葉をどのように受け取るかを決定的に方向づけるのは、場の主体性と個の主体性との〈あいだ〉の緊張関係だといってよい。話し手と聞き手の相互関係を「水平的な〈あいだ〉」と呼ぶなら、この緊張関係は「垂直的な〈あいだ〉」と呼ぶことができるだろう。
 (略)
このことは客観的な知覚の対象に用いられる個別感覚(いわゆる五感)の底にあって、状況全体との実践的な関係を司っているアリストテレス的な意味での共通感覚 sensus communis が、時代がくだるにつれて共同体内部での個人の行動にかかわる常識common sense の意味に転化してきたこととも深い関係があるだろう。常識とは決して外面的・公共的な規範ではなく、深く内面的間主観性に関わる状況感覚のことなのである。

ー 木村敏『関係としての自己』第Ⅵ章「〈あいだ〉と言葉」より135-141P
(下線・太字Takeo)











われ思う ポール・ヴァレリー「カイエ」



” われわれは《存在》を持つ以上に精神を持ち、単にわれわれだけであるのに必要な以上に精神を持つらしい。もし私が誰かを愛するにしても、私はその人を嫌うことも出来るだろうと抽象的に考えることができるし、誰かを嫌うにしても、同じ能力を持てる。しかし私は思考がその可能な判断の全分野において、その叡智的結合の世界に於いて、発展するのを嫌がるような、そういう一個人であり、一人の特殊な人間である。
私は自分の精神について、自分の身体、顔、経歴と同じ《特異性》でないものは知りたくない。なぜなら、不公平ということは、各生者に免れ得ないことだから。
生命は彼ら各自の裡に認識を生み出し、各自に自分の一般性の充溢を拒む ── ”





” われわれの身体と、われわれの趣味でさえ、われわれの精神にはしばしば、何かしら普遍的実質に妙な具合に押し付けられた偶発事と見えてくる。鏡の中のわれわれの顔も、われわれにとっては、まったく隅々まで決定された他人の顔であり、この他人に、われわれの内部にある無限に様々な形態を永遠に作り出すものが、不可解な魔術によってつながれているだけのことなのだ








” 私としては、己の理念の中に孤立する者の持つ意志、否、その倨傲をさえも偏愛する者であることを告白しておく。”






「彼(ヴァレリー)の友人に求めたものが、あまりに「非人格的」な純粋な精神の交流であったため、友情はヴァレリーの精神世界の理念として最後まで重要な意味を持ち続けながらも、実生活ではその十全な実現をみなかったように思われる ── 」







大自然に対するように女に接したい・・・



Sophie, Collioure, France, 1954, Edouard Boubat



Young Lady By The Sea, On Backlighting, ca 1947, Edouard Boubat


” 大自然に対するように女に接したい。一人で海や森にいるとき、ひとことも言葉を発しないが、そこに対話が生まれる。問いかけ、応える・・・そんな女が理想なんだ。”

ミケランジェロ・アントニオーニ






パリ、1950年



Paris, 1950, Maico Barneveld 


” 眼と眼を見つめ合っているふたりは、眼ではなく、視線を見ているのだ。”

ロベール・ブレッソン






2020年7月18日

変わらないもの


季節のせいか、いっときほどではないにしろ、朝まだき、夕間暮れには屡々小鳥のさえずりが耳を楽しませてくれる。何という鳥かわからないが、うぐいすのような声で華やかに啼いている。わたしにとってはなににも勝る音楽である。

そんな折、江藤淳の随筆を読んでいて、ある文章に、わたしの子供の頃から今に続く伝統が引き継がれていることを知り、いたく感慨を深めたのであった。

以下彼の随筆『夜の紅茶』(1971年)より抜粋引用する。1971年といえば、わたしが小学校2年生。その当時出版された本である。



そういえば昔おぼえた萩原朔太郎の詩に、

ふらんすへ行きたしと思へど
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広を着て
気儘なる旅に出てみん
というのがあった。この伝でいくなら、

ゔぇけーしょんをとりたしと思へど
ゔぇけーしょんはあまりに贅沢らし
せめては原稿用紙とぺんをかかえて
軽井沢へでも逃げ出さん

とでもいうことになるか、という次第で、わたしは軽井沢の山小屋にやってきたのである。

(略)

私の小屋のある千ヶ滝の東区というところは、小鳥の多いところである。御近所に別荘のある、慶應の言語文化研究所の鈴木孝夫教授などは、人間の言葉だけでなく小鳥の言葉の権威でもあるので、どの鳴き声がどんな鳥のものか、たちどころにあててしまわれるが、私に聴きわけられるのはカッコウとウグイスぐらいのもので、あとは名前は知らないが夕方やって来て、堺正章みたいな声でさわぎ立てるのがいるのを印象にとどめているくらいのものだ。
それでも私の耳には、小鳥の声はなによりもまず小鳥の声らしく聴こえるのである。ところがこのごろの若い人たちの耳には、かならずしもそうは聴こえないらしい。このあいだ泊りがけで遊びに来たお嬢さんは、朝いっせいに小鳥が鳴き出すと、
「あら、どこかでテープが回っているみたい」
と、ひとりごとをいった。「テープじゃなくて、本物の小鳥ですよ」というと、びっくりして、どうしてもテープに聴こえて困るという。彼女が通勤の途中で乗り替える大きな駅では、毎朝テープで小鳥の声を流しているので、どうしても条件反射がおこってしまう、というのである。
このお嬢さんばかりではない。同じ日のお昼ごろにやって来た青年も、小鳥の声を聴くと反射的に、「あれはテープですか?」といったものだ。それならきっと、この人たちの脳裡には、小鳥の声が聴こえるたびに、ラッシュ・アワーの駅の光景が浮かんでいるにちがいない。なんということだと、わたしはいたましいような気持ちになってしばらく言葉が出て来なかった。
駅長さん、お願いですからテープで小鳥の声を流すのはやめて下さい。そうしないと日本の若い人たちの耳が、自然のなかにやって来ても、自然からはじき出されるような耳になってしまいます。(1971年8月26日)



今日駅ビルの中の眼科に行った。眼科は3階にあるのだが、エスカレータに乗った時にいつものように「エスカレーターにお乗りの際はベルトにつかまりステップの中央に・・・」といったアナウンスが聞こえない。これはなにかコロナによる客足の影響なのか。いずれにしても、静かな、音のしないエスカレーターというのには生まれて初めて乗ったような気がする。方々でこのような静けさを獲得できるのであれば、「コロナさまさま」だな、と感激していたが、何のことはない、診察を終えて処方してもらった薬をもらって下りのエスカレータに乗る時に聞こえてきたのは「良い子のみなさん。エスカレーターの駆け下り駆け上りは大変危険ですから・・・」なあんだ、なんにも変わってないじゃないか。









いずこもおなじ子のこころ (ウィリアム・ブレイク / 小林一茶)



I Want! I Want!, 1793, William Blake  (1757 - 1827)


名月をとってくれろと泣く子かな 一茶  (1763 - 1828) 







2020年7月17日

チャンスを逃すな!



Children in class, 1937, Wiel van der Randen. Dutch (1897 - 1949)


Difficult problem, ca 1960, Dmitri Baltermants. Russian (1912 - 1990)

“No man was ever wise by chance”
― Seneca

「何者もチャンス無くして賢くはなれなかった。」
ー セネカ







至上の愛 



あなたの もっとも 暗い すべてを 知り 愛する 

そして私もその一部になりたい・・・

ーフリーダ・カーロ




"I want to be inside your darkness everything"  

この言葉は、直感的にはわかる気がするのだが、もう少し詳しく知りたいと思い、Tumblrでわたしのブログをフォローしてくれているジェフとジェリーのふたりのアメリカの友人に尋ねてみた。

このフリーダの言葉についての解釈はふたりともほぼ同じで、
「私はあなたのすべてを知っている。明るい面も暗い面も。そしてその最も暗い面も含めてあなたを愛する」というようなものだった。

しかしそれではわたしの解釈とはズレてくる。

わたしは、「あなた」(この場合ディエゴ・リベラ)に非常に暗い面があるが故に「愛する」という解釈だ。

あなたにはとてもダークな一面も(二面も三面も)あるけれども、それに勝る才能や思い遣り、優しさなどの「素晴らしい面も」持っていることをわたしは知っている。だからわたしはあなたを愛する・・・

そうではなく、わたしにはあなたの中に暗闇しか見えない、「だからこそ」あなたを愛します。と、わたしなら言って欲しい。

少なくともフリーダほどの芸術家であるならば、人の心の底知れぬ闇、くらい沼地をこそ愛すると思いたい。そこには決して明るい陽の光が差し込むことはない。それゆえにこそ、暗さを暗さ故に、「光」あるが故の「影」ではなく、「光のまるで見えない影」をこそ愛してほしい。

貴方(わたし)が頭の先から爪先まで「暗黒の塊」であるからこそ、わたしもその一部になりたいと・・・

至上の愛はサタニズム=悪魔崇拝に似ている。



But I see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful
Like a rainbow



そうじゃない・・・

“Love means to love that which is unlovable; or it is no virtue at all.”
― G.K. Chesterton

「真の愛とは、愛されざる者(もの)を愛することである、でなければそれは全く美徳ではない・・・」
ー G.K.チェスタトン