2018年9月1日

「しないでいることができる人」


こんにち、「~できる」こと(ひと)よりも、「しない」でいることの方が、遥かに困難であり、同時に貴い。
つけくわえるなら、「どのような人間であるか?」よりも「どのような人間ではないか?」に、より興味を惹かれる。




2 件のコメント:

  1. 無知だから何となくのイメージしか湧きませんが、ひと言思いついた言葉がブレーキ!
    人間の世界の成長、発展のスピードは速くなるばかりです。
    スピードが出すぎてブレーキが効かなくなっている様で、そう思うとこの先どうなってしまうのだろうと、不安さえ覚えます。

    Nicoさんの危惧は、こうした事柄も含まれているのではないかと思いました。

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    1. こんばんは、yy8さん。

      ブレーキも確かにそうですね。人類が、とか、人間が、というよりも、「僕はもうこの辺りでいいよ」という個々人の停止地点ですね。
      みんながしている中でひとりだけ「していない」ひとってカッコいいですよね。
      それはとりもなおさず自己の基準を持っているということだから。

      高円寺の阿波踊りあったんじゃないですか?
      「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿保なら踊らにゃ損損!」
      わたしはね、踊りの輪の中に飛び込んでいく人を見苦しく思うようになってきたんですよ。どこかで「みんな」と一線も二線も画していたいという気持ちがあります。

      わたしは人類の未来のことなど危惧してはいません。滅びるべくして滅ぶでしょう。
      それよりも毎日「生きる、生きない、それが問題だ」といったところです。

      それにしてもとうとうコメントをくれるのはyy8さんだけになってしまいましたね(苦笑)
      逆に言えば一人いるだけでも奇跡みたいなもんです。
      このようなブログということを考えれば。

      いい週末を、そして平和な9月をお迎えください。

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