2018年9月23日

或る哲学的告白


昨年暮れからフォローしているブログがある。「ブログ村」では『ダメ人間』のカテゴリーに自らを置いている。

今日は久しぶりに「哲学的」「思索的」な内容で、大いに共感するところがあったので、
以下に全文を引用する。

混ぜるな!危険!ネガティヴが感染しますより

「浮世離れ」

平成2018年9月22日(土)
ブログがどんどん凡庸でありきたりな内容へと
変化してしまったことに気づく。

俺は嫌いだった。
世間の話題に合わせて下らないブログを書くことが
何よりも嫌いな筈だった。

そういった意味では仕事をしていない時に
書いたブログの内容の方が今より刺激的で、
良い意味なのか悪い意味なのか分からないが
尖っていたように思える。

無職のころは世の中と強制的に引き離され
いわゆる「孤独」で、世間の流行とか
話題となってることから、大きく遠ざかり、
自身の世界が全てであった。
自身の世界は世間一般のそれと
著しく乖離しており、自身の考えこそが解となるため、
その全ての文章が浮世離れしていたと思う。

しかしいくら障害者枠だからと言っても
「働いている」今の状況では、
世間に合わせざるを得ないといったところか。

どれだけ俺自身が本来「狂気の沙汰」のような
人間であるといっても、
会社に行けばそれなりに猫を被る。
そして世間とか一般とか常識とかいう安い毒が
全身に巡り、脳にまで達し、下らない思考を生み出す。

実に詰まらない。
自分の書いている文章を読み返し
「何と陳腐な内容か」とガッカリする。
文章力がなくても、頭が悪くても、
「自身の世界」は少なからず「独特」だったと思う。
今のこんなありきたりのブログに何の意味があるのか。

休日に独りでいると、我に返る。
即ち、会社にいる俺は全て演じられた自分。
呼ばれれば「はい」と返事をするし、
多少、上司と揉めたりしても、
所詮は「常識の範疇」程度。
本来の俺は常識から逸脱した「狂人」なのだから。




一読、「う~ん」と唸ってしまった。これだけの内容のある投稿には滅多にお目にかかることはない。
わたしにしても、このブログの筆者である薬師寺天膳にしても、屡々自分自身を「狂人」或いは「キチガイ」と呼ぶけれども、それは決して卑屈になっているわけではなく、寧ろ「狂(たぶ)れ人」であることに矜持を抱いている。

彼は今日、ふと「正気」に戻ったのだ、「『狂者』である自己」という本来の自分に。
連休が明ければ彼もまた否応なく「一般人」「正常者」に戻らなければならない。
そう。「喰っていく」ためには「正常」であることを、すくなくともそのように「装う」ことを余儀なくされる。
「狂人」即ち「表現者」であることは許されない。

束の間ではあっても真っ当な人間ー狂者に戻った表現者薬師寺。
この投稿に拍手を送る。















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