2018年9月15日

生きられない、そして生きたくない


ブログ村を再び退会した。今回は僅か一週間足らずの登録だった。

今はもう、書くことすべてが「厭世観」と「厭離穢土」に結びつくことばかりで、
最早他人が読むようなものではなくなっている。

まいにちが苦しい。何もできない。一週間前に出来ていたことができなくなっている。
緩い坂道を少しづつ下ってゆくというよりも、急勾配を転がり落ちてゆく感じだ。

秋のことはわからないどころか、来週には寝たきりになっているかもしれないのだ。

くるしい・・・けれども精神科に行く意味がどうしても見つからない。
今、この時代に「健康になる意味」が、どうしても、どうしてもわからない。

戦場で兵士がこころを病むことは異常ではない。
しかし、ある人にとっての「戦地」が、必ずしも現実の「戦場」であるとは限らない。
彼の生、彼の内面、彼の感受性にとっての戦地がどこであるのか、誰も傍から推し量ることはできない。

精神医療やカウンセリングとは、彼が生きている「いま・そこ」にいることに無感覚になることを目指しているのだろうか?
つまり平気で(彼にとっての)「バトルフィールド」或いは「地獄」に留まって居られることが「治癒」の謂いなのか?

どう考えても、わたしは現代社会で生きてゆくことはできない。
時代の流れは、外の世界は、凄まじい速さでわたしの美意識に逆行している。

今やこの場所(ブログ)は、生きることもままならず、そして自裁することも覚束ないくたばりぞこないの、悲しくも滑稽な独り語りの場でしかない。


「性格とは運命である」






0 件のコメント:

コメントを投稿