2018年9月17日

好きな絵について


Flowers and Fruit, 1918, Chaim Soutine.


ドイツ表現主義の代表的画家の一人、シャイム・スーチンの「花と果物」(1918年)
(下はディテイル)

ああ・・・いいなあ、この厚塗り、ボッテリ感。



同じくスーチン、「人影のある風景」(1922年)

「哲学」(1921年)



もちろん均整のとれた「美しい絵」も大好きだが、ドイツ表現主義や、20世紀の抽象表現主義(ポロック、デ・クーニング、アーシル・ゴーキー等)もたまに見たくなる。

マイルスのクールなジャズも、チャールズ・ミンガスの暑苦しい、土の匂いのする、日向臭いサウンドも同じように好きなように、内なる激しい破壊衝動をキャンバスにたたきつけたような表現主義絵画を見ていると文字通り血が湧きたつ・・・

いうまでもなく、抽象絵画は「解る」「解らない」ではなく、単純に好きか好きでないかだけでしかない。自分の体内の、まだ言語化されていないところに作品が触れるかどうか。
それは頗る直截にわたしたちの本能・感覚に訴えてくるものなので、鑑賞に難しい理屈は寧ろ具象画以上に不要だ。

「わたしは書物(そして「作品一般」について)もっと私であるよう、私を掻き立てる書物しか好まない」と、ポール・ヴァレリーは書いている。
それを読み、観ることで、「わたしを、もっと「わたし」で満たしてくれる作品」・・・殊更言わなくとも、それ以外にいったい何を求めるのか?
スーチンの絵は、わたしの中に眠っていた、「衝迫」を目覚めさせる。

世界をこのように撓め、捩じり、折り曲げ、歪め、不安定にさせる内なる衝動。

ネットでひとしきり抽象絵画を眺めながら、束の間、取り澄まし気取ったスクエアな世界の破砕と意味の剥奪の感覚に身を委ねる・・・












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