2018年9月18日

高貴なる人びと


辺見庸の次のような文章にこころが動いた。

彼が旧友と喫茶店に居たときのことだ。「性能のいい補聴器」について友と話す。「最高級の補聴器をしてまで聴きたい話や音がいまあるだろうか。うるさいだけではないかね。」などと頗る不熱心につぶやいている。

「身のまわりで、うまくいっていることなどなにひとつないのだ。みな死を待っている。はっきりそうまで意識しないにしても、おおかたが漠然と「終わり」を待っている。」
そんなことをぼんやり思いながら、お互いに心ここにあらずといった気怠さを纏いながらコーヒーを啜る。


以下、辺見庸〔2014年7月18日ブログ〕より引用


そのとき、高校の低学年か中学の高学年くらいの少年がひとりで入ってきた。カバンを右肩から斜めにかけている。おっとりとした無表情。右足をおもくひきずっている。右手を胸のまえでかたくにぎっている。壁ぎわのスツールに座った。慣れているのだろう、左脚を軸にしたやわらかい動作だった。右脚には意思がつうじていないようで糸が切れたマリオネットのようだった。木瘤のみたいにかたくにぎりしめた右手は開かれることはなく、ずっと胸か腰のあたりにそえられたままである。店員が運んできたケーキを少年は左手のフォークですくい、ときどきケーキの断片に顔を近づけてマジマジとみつめてから、幸せそうにほおばるのだった。幸せそうに、というのは、わたしの一方的な観察であって、本人がどうであったかはさだかではない。より正確にいえば、みていたわたしのほうが幸せなような心もちになったのだ。わたしはじぶんをみるように少年にみいった。かれの右肩、右腕、右手、右腹、右足の痺れを、わたしの痺れとひとつらなりのもののようにかんじることができた。
ふだんは、わたしの身体なのに、わたしのものとはとうていかんじられないときがしばしばあるあるのに。とりわけわたしの右半身はわたしが所有する「他人」である。しばしばどころか、いつもそうなのだ。行為も知覚も、わたしの行為、わたしの知覚であるというリアルな生動性に欠ける。「それらは多かれ少なかれ、本当のわたしではないにせの自己の行動、にせの自己の知覚と感じられる」(市川浩『精神としての身体』)のである。「私はあたかも傍観者のように私の身体とその行動をながめ、生との直接的な接触を失うことによって、しだいに空虚となり、生のすべてが無意味・無目的であるという気分に浸透される」(同)。こうした「症状」は、半身麻痺をともなう脳血管障害者によくあるものなのだが、わたしは『精神としての身体』を脳血管障害者になるはるか以前に読み、ふかく同感したのだった。「あたかも傍観者のように私の身体とその行動をながめ、生との直接的な接触を失うことによって、しだいに空虚となり、生のすべてが無意味・無目的であるという気分に浸透される」というのは、してみれば、脳血管障害者特有の病症(感覚障害)なのではなく、〈ひとはだれしもおのれの存在から疎外される〉という普遍的な感覚と地続きなのかもしれない。世界という器から意味という意味のいっさいがぼろぼろとこぼれ落ち、どのような死も生も、かんがえればかんがえるほど無意味になってしまったこの曠野にむざむざと生き延びてしまったこと。それでもなお〈いまも〉在らねばならないこと。そのことに噴出口のはっきりしない憤りをかんじる。
(下線 Takeo)

いまこの世界に、このような(様々な「障害」)を持った者、貧しい人たち、絶望する者、今宵の寝蔵にも困っている人たち・・・つまり、「ふつう」とか「いっぱんのひと」と言われている存在とは「異質の者たち」がいる。そのことでどれだけわたしの魂が、わたしの実存が、支えられ、慰撫され、救われているか。最近はそんなことを思わぬ日の方が少ないくらいだ。

宿無し、孤独な老人、障害者、狂人、犯罪者・・・彼らはみなわたしよりも尊く高貴な存在であり、わたしの守護天使に違いない。

確かに現代の世界は穢土に他ならない。けれども、障害者も、デラシネも、病み衰えて孤独な老人も居ない世の中を想像してみる。そこはしかし、「浄土」とは程遠い、清潔で、脱臭され、漂泊消毒された、頗る居心地の悪い、別あつらえの穢土ではないか。

「できることでなく、できないことにたいして、しないでいられることにたいして、盲目になっている
ー ジョルジュ・アガンベン「しないでいられることについて」『裸性』より

彼ら、「できない人」「しないでいられることの出来る人たち」の生き方、存在の姿が、「する人」だらけのこの世界で、どれだけ心のオアシス足りえているかを思う。

「こうした無能力=非の潜勢力からの疎外は、何にも増して人間を貧しくし、自由を奪い去る」(同上)

木があるということ、小鳥がいるということ、馬がいるということ、道に石ころがあるということ。そのような多様性のない世界で、どうしてわたしは生きていくことができるだろう。
東京とは正に、樹のない、小鳥のいない、石ころのない世界。人間と、人が利用するために作られたモノだけの世界だ。


ポール・ヴァレリーの『カイエ』から
即ち我々を力づくで単純にする状態、状況、感覚 ── 我々の機能の多様性を使い、我々の諸手段を多様なものとして扱い、語や行為による表現を形作る一切の自由を吸収してしまうあらゆる状態、状況、感覚を私はもちろん嫌悪する。
── 要するに、極端なものは人を貧しくし、その上またそれは後に何も残さない。
 (略)
── 神経に強く働きかけようという意志は新しいものではない。── ギリシャ人にもそれはあった。しかしそれを露骨に利用するのは高貴ではない。他から加えられるそういう暴力に対して、自由を再び取り戻してくれる形態でもって常に償いを付けなければならない。
(太字は元 傍点)

障害をもつ人、宿無したち、死を想う人、衰えた老人・・・彼らが天使であるのは、
このうるわしく汚れた現世・現在の人間の在り方から、みなが一定の「距離」を持っているからだ・・・








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