2018年9月20日

沈黙…


「生きたい」のか? 「生きたくない」のか?

自分自身で全く、まったく、わからなくなった時、誰に訊けばいいですか?

そして

「生きたくないのだ」という答えの時。どうすればいいですか?

「生きたいのだ」という答えの場合。どうすればいいですか?



誰かが言う「己の心に訊け。」

自分の心に静かに耳を傾けてみても、心は黙している。

なにを訊いても心は沈黙し続けている。

胸のあたりを黒い緘黙が支配している。

もはやこころはわたしに何も語りかけてはこない。

心は夙に揮発してしまっているのか?

わたしの耳が心の声を聴くことができなくなってしまったのか?

蜘蛛の巣を揺らす幽かな風のそよぎすら聞こえない、

陰鬱な無明無音が、胸を領している。
















5 件のコメント:

  1. 誰に訊く?

    他者の声を聞き入れることの“出来ない”Nicoさんは、自分に訊くしかありません。

    「生きたくないのだ」という答えなら、潔く「死ぬ」べきです。
    「生きたいのだ」という答えなら、これまでどうり「主張」すべきです。

    私のNicoさんへの望みは、お母様を大切にしてほしい、と云う事です。

    Nicoさんの苦しみは想像で、ある程度理解していると思っていますが、お母様の苦しみも想像ですが解かるからです。

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    1. こんばんは、yy8さん。

      >誰に訊く?

      >他者の声を聞き入れることの“出来ない”Nicoさんは、自分に訊くしかありません。

      他者の声を聴きいれることの出来ない・・・か。
      そうか・・・

      でもね、最近はわたしがいくら自分の心に問いかけても、心は一向に反応してくれなくなってしまっているのです。なにを訊いても沈黙している。
      わたしは生きたいのだろうか?と聞いても、生きていたくないのだろうか?と尋ねてももうこころは答えてくれません。

      こころも、わたしの同様に、言葉を失ってしまったのか。それとも既にこころじたいが揮発してしまっているのか。

      わたしは母を大切に思っています。昔からわたしがいることで、母の苦労は絶えませんでした。けれどもわたしは「真人間にはなれなかった」・・・否。なろうとしなかった。

      毎日毎日頭の中が混乱して、苦しいのです・・・



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    2. 私はNicoさんの美に対する姿勢が好きです。
      少し前の油絵に心の内を表現した絵、に興味を持ちました。

      でも、Nicoさんのそうした説明がなかったら、その絵をどう見ていいのかわからなかったです。

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    3. 今見たら、内なる激しい破壊衝動、とありました。
      この表現が私にはとても新鮮です。

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    4. こんばんは、yy8さん。

      「美はわたしの宗教である」と前に書きましたね。もちろんそれはあくまでも、わたしの感性にとっての個人的なわたしの「美」です。

      先日のスーチンの絵は、典型的なスーチンらしさが見えにくかったかもしれません。でも彼に限らず同時代の、ナチに「頽廃芸術」と呼ばれ排斥された一群の表現主義の絵は、それこそのちのアブストラクト絵画以上にわたしの「内なる破壊衝動」を呼び覚まします。

      いつもきちんと向き合ってくれて、どうもありがとうございます。

      よい週末をお過ごしください。

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