2018年9月6日

文明あって文化ナシ(美術館嫌いの弁)


ある人のブログで、最近(?)の美術館では、展示会場でメモを取るため使うのに、鉛筆は芯が折れて飛ぶ可能性があるのでダメ。ボールペンはインクが飛ぶ可能性があるからダメ。シャーペンもボールペンと区別がつかないからダメだと書かれていて、本気でこの記事はブラック・ユーモアかと思った。

だいぶ以前、友人と三鷹駅前の美術館に行ったときに、友人が、のどがいがらっぽいからと、バッグからのど飴を出して口に入れたら、係員がすっ飛んできて、「飴は困ります!」というので、訳を訊いたら、咳やくしゃみで飛び出して作品に・・・



中井英夫のエッセイ集『地下を旅して』(1979年)の中に、彼が74年に雑誌の取材でフランスを訪れた時の様子を書いた文章がある。そもそも書名の『地下を旅して』の「地下」とはワインセラーの謂いだが、パリ随一のワインレストランで、地下の酒蔵に眠る18万本(!!)のワインの数と種類に驚嘆し、ひとしきりワインの国の贅沢さに触れ、

中でも自慢の、世界に二十本くらいしか残っていないという千八百六十五年のパ・アルマニャックを棚に戻しながら、こうして動かしたら(澱が浮くため)また一年は寝かしておかなくちゃならないんだというさりげない言葉からも、この国のある途方もない贅沢さを教えられるには充分であった。それはルーブルで国宝というも愚かな美術品の数々をろくに監視員もおかず掛け並べ、写真を撮るのも勝手なら、画架を立てさえしなければ模写も自由、中には手を触れる者がいてさえ知らん顔(実際にミロのビーナスの腰布あたりはだいぶ手垢でくろずんでいる)という太っ腹な贅沢さと相通うもので、いわば国をあげての主(あるじ)もうけに似たものと言えるであろう。
【主(あるじ)もうけ】ー 供応・手厚いもてなし

現在のパリ、ルーブルの事情は知らないが、それにしても、エンピツの芯が折れて飛ぶの、ボールペンのインクがかかるの、飴が口から飛び出すのと、そこまで作品が大事なら、そもそも展示会場に「生き物を入れる」という発想自体が間違っているのではないかとさえ思ってしまう。

誰が呼んだか土人の国。未開の国。文化果つる処・・・



わたしの好きな絵です。ルーブルで模写をする人たち、Louis Beroud (1852-1930)
アート・ミュージアムの本来あるべき姿だと思います。
共に1910年前後の作品ですが、それから約1世紀。今、文化、アートは、当時よりも一層わたしたちの日常生活の身近にあるようになったでしょうか。
少なくともこの国では、「藝術」は、まだまだ高みに奉られているように見えます。いや、新しい機械や芸術作品が高みにいるのではなく、人間存在自体が、その尊厳に対する意識が、途方もなく低い(鈍い)のだろうと思います。

確かにヒトは動植物よりも高等とは思いません。けれども、人間が、みずから作り出した機械・製品・作品の下位に置かれる、または従属するということはあってはならないことです。なによりそれは滑稽でしかありません。


The copyists in the Musée du Louvre, 1909, Louis Beroud. French (1852 - 1930)

Au Musée du Louvre -- les Murillo, 1912, Louis Beroud. French (1852 - 1930)

















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