2018年11月9日

現実


「生きている価値がない」とかあるとか、そんなことどうでもいいし、誰もそんなこと知っちゃいない。思いたいように思うがいいさ。
道端の草や土を喰って、人に迷惑をかけさえしなければ、人の目に入りさえしなければ、お前さんが生きていようが死んでいようがわれわれには全く関係はないんだ。

洞穴の中で「生きる価値がない」と100万遍唱えようと勝手だが、自殺だけはよしてくれよな、現実に迷惑がかかるんだからさ・・・塵ひとつ残さず跡形もなく消えてくれるなら話は別だがね・・・



8 件のコメント:

  1. 腹が立つ!
    ふと思いました。
    Nicoさんは、いじめにあって死ぬ人たちをどう思っているのだろうかと。

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    1. こんばんは、yy8さん。

      「腹が立つ」-誰が?はyy8さんが、ですよね。誰に?

      これはわたしに対する「世間」「社会」の思いを書いたのです。
      誰もわたし=Takeoが生きようが死のうが知ったこっちゃない。ただ、立つ鳥後を濁さずで頼むよ・・・と。

      「いじめ」で自殺する人・・・わたしにはわかりません。誰であれ、「逃げ場」があれば逃げればいい。

      今はわたしは死ぬことはさほど恐ろしいことではないのではないかと感じ始めています。この世界に(上記のような世界で)生きることに比べれば・・・

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    2. 立つ鳥後を濁さず、は生を全うする事が出来た限られた人達、に適用できる言葉でしょう。

      残された人たちの事を考えろ、という言葉も「理解」していない事の証明と云えます。


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    3. ええっと、ちょっとわかりにくいです。
      何か怒ってますか?

      なんでも書いてください。これではちょっとわかりにくいので。^^

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    4. 自殺は残された人に迷惑をかけることになる。だから良くない事だ。やめろ。

      と云う考えに、腹が立つのです。

      苦しんで、苦しんで、苦しみぬいている人に、他者の事も考えてみろなんて云う心理に、解かってない!と思うのです。

      第三者としての意見でしかありません。

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    5. こんばんは、yy8さん。

      コメント頂いていたの気が付かなくて。

      そうですね。まったく同感です。でもそれがなにやら「現実」らしいので、そのように敢えて、「当たり前のことのように」書きました。

      この短い投稿を誰の立場で読むかが興味深いですね。

      わたしは、そのように「世間が」「わたしに」言う或いは心の中で思ってる(であろう)ことを書きました。

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  2. >たったひとつ、わたしが胸を張って言えること。それは
    >「誰もわたしを愛することはできない(わたし自身をも含めて…)」
    というTakeoさんの主観的な解釈がある。
    TakeoさんがTakeoさんについて思っていることですから、
    それはいつも必ず正しくなる。
    その正しさについて、他人はどうこう言えません。

    以上、ですね。
    ただ、解釈があるだけ、ってときの解釈は、主観です。
    人はものごとを主観的にしか判断できません。
    主観を通して世界を解釈してるんだから、当たりまえの循環です。

    でも、ブログに書かれたときは、
    読み手を想定していますから、書き手は、
    読み手の主観的な解釈によって読まれてもいい、という了解があります。
    ブログに書かれた文章は、
    もはや、自分だけのものではありません。

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    1. もちろんそうです。わたしにとってあるがままの世界を描いた絵画でも詩でも、それをわたしが感じたままに感じ取ることは鑑賞者・読者にはできません。解釈に解釈を重ねる。ということになります。それが作品に対する受け手の醍醐味ではないでしょうか。

      ただ、「わたしの外側」にどんなに多くの「解釈」が存在しようと、わたしは依然として、自分の内側にいるだけです。

      うまく言えませんが、「他者との接点」の問題でしょう。
      わたしの「作品」=「わたしの宇宙」が他者によって十重二十重に取り巻かれても、わたしは依然として外界と融合することはできない。どこまでも「自分の中」にいる。
      それを「孤独」とは言わないでしょうか。

      考えがまとまらずに思ったままを書きました。

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