以下は
一昨日のわたしの投稿に、はじめてコメントをくださった「ふたつ」さんとのやりとりを元に、最新の彼のコメントへの返信の形を借りてのひとりがたりです。
先ずどのようなやりとりが行われていたのか、ここに引き写します。
(最初の「ふたつ」-「Takeo」「Takeo」-「ふたつ」の4つのコメントは省略します。上記リンクを参照してください)
その後に続く「ふたつ」さんへのわたしの返信から。
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こんばんは、ふたりさん。
さて、早速いくつかのオールド・ファッションド・ブルースをおしえてくださってありがとうございます。
わたしにとっての音楽って、基本的にはBGMなんです。音楽と正面から対峙して、という聴き方はほとんどありません。
例えば、モダン・ジャズを聴きながら、ブログに貼る写真を探すと、どうしてもニューヨーク、モノクロ、50年代、という感じで、逆にバッハやヴィヴァルディを聴いていると、ドイツロマン派とか、或いは大自然を描いた、主にドイツやオーストリアの風景画を探してみたくなります。
じゃあどんな音楽にもそれにふさわしい視覚的なイメージがあるかというとそうでもないようです。(その辺りは全く曖昧ですが)ただ、やはりわたしは視覚的イメージと音楽との組み合わせが好き、というか、それを求めます。
教えていただいた戦前のブルースに合うイメージってなんだろうって考えました。
『ゴーストワールド』のイーニドは何故あの歌に心惹かれたんだろうと。
ただ、高校卒業したばかりのティーンが、戦前のブルースに惹かれるってところが気に入っています。「文化」が連綿と引き継がれていくところや、彼女個人の感性に惹かれます。
ソウル・シンガーで私が好きなのは、そう、確かにカーティス・メイフィールドも好きです。
ジェリー・バトラーと一緒にやっていた頃から、彼の独特のメロディーはすぐわかりますね。
OVライト、いいですねえ。わたしはスタックスよりもHIレーベルのアーティストが好きかもしれません。オーティス・クレイとか、ドン・ブライアントとか、キャンディー・ステイトン。わーなつかしいなあ。白人の太った女性ですよね。女性なら、アーマ・トーマスなんかもいいですね(カーラだったかな?)、ミリー・ジャクソンとか。
あとはソロモン・バーク、ジェームス・カーと言った濃いいところから、チャック・ジャクソン、アーサー・アレキサンダーなど、ポップな感じ。リトル・ウィリー・ジョンのバラード、もちろんサム・クック・・・こちらもキリがありません。
ゴスペルもたまに聴きますよ。基本的にコーラスが好きなんです。
インク・スポッツ、ミルス・ブラザース、デルタ・リズム・ボーイズとか。
ドク・ワトソンとか、エリザベス・コットンという人達はどういうジャンルなんでしょうね。
でもやっぱりブラックミュージックで一番好きなのはDoo-Wopですね。
◇
絵は観るだけです。それこそ嫌いな絵ってほとんどありませんが、特に好きなのはドイツロマン派、ラファエル前派、ヴィクトリア朝の絵画、主に19世紀ヨーロッパ絵画が好きですが、印象派にはそれほど惹かれません。それならドイツ表現主義の面々の方が好きですね。
基本的に陰気ですから(苦笑)
夜の絵が好きです。
抽象画はほんとうにそれぞれですね。フランツ・クラインやサイ・トゥオンブリー(?)なんてどこがアートだ!と思いますが、右側に彼の絵を貼っていますし(笑)
アナーキーな感じはいいと思います(笑)
◇
わたしのブログ、好きとか嫌いとか以前にそもそも読者が存在することが驚きです。
ただ世の中が気に入らないとひたすら愚痴っているだけですから。
だから「他人が読んで共感できる」ブログをかける人が羨ましいですね。
ふたりさんのブログ、検索で辿りつきました。
わたしが言うのも変ですが、確かにとっつきにくいタイトルが並んでいますね。
一見芸術に関するブログかと思いますがそうではないようです。
お気に入りに入れて、少しづつ読ませていただきます。
しかし今回ふたりさんからコメントを頂いて、改めて、古くからの(他のサイトで知り合った縁以外の人が)純粋にこのブログだけを見つけ、且いくつかでも投稿を読んでいる。ということの不思議さを改めて実感しました。
「うれしい」というよりも、「え!なんで!?」という感じです。
ただ、こういうイレギュラーはあっても、「知り合い」以外で、継続して読んでいる人はいないはずです。
ブログ、拝見します。
また気が向いたら、お立ち寄りください。
では平穏な週末を。
◇
● つづいて最新の「ふたつ」さんのコメントです。
ふたつ 2018年11月17日 17:03
Takeoさんこんにちわ。
キャンディ・ステイトンは黒人の女性シンガーで、そんなに太ってませんよ。サザンソウルの女性シンガーとしては私の一押しです!!
それからアーマ・トーマスとカーラ・トーマスは別人で、アーマはディープなタイプで、カーラの方はカワイイ系です。
それから、私は「ふたり」ではなくて、一人ですが「ふたつ」です。
音楽=BGMということですから、そこの所は私とは正反対の感じです。私の場合はブルースやソウルやゴスペルなどを聞いていると意識がそっちの方に乗っ取られてしまうようなところがあって、とても他のことに集中できないですね。
昔、まだカセット・テープだったウォークマンを聞きながら歩いていて何度か電車を乗り過ごしたり、事故に遭いそうになって、使うのをやめたことがありました。
ちなみに、私も携帯電話を使ったことが無いんですが、スマホをいじっている人を見ると、いったい何が彼らをそこまで惹きつけるのか?という疑問がわてきますね。
あと、この数年来(地上デジタル化してから)テレビも持ってませんが、いまだに見たいと思わないのが何とも不思議な気がしていますよ。
NHKの集金が来たときに追い返すのが小さな快感だったりします。
クルマも乗りません。
というか免許を持ってません。
というか、教習所を途中でやめたことが二回ありますね。
絵の方で、私のおススメは「ザオ・ウーキー」という中国出身のフランスで活躍した人ですね。日本人では池田龍雄(漢字が間違ってるかも?)と言う人も好きですよ。
私のブログは、知り合いには一切教えていないので、読んでる人が居るのかどうかさえも見当がつきませんね。
でも、Takeoさんに取っ付きにくいと言われれば、かなり「ホンモノ」なんじゃないかな?と思いましたよ。
なにが「ホンモノ」なのかわかりませんけど、私はTakeoさんと違って(なのかな?)、読む人を喜ばせたいという気持ちもそれなりに有るんですけどね。
それでも、誰からも相手にしてもらえないわけですが、それでもめげずにやっている自分に、やや感動してしまうんですねぇ。
つまり、私のブログの継続的な読者は私自身です。
私は、自分のブログが大好きなんで、たぶんそこがTakeoさんとの違いなのかも知れませんが、実は、Takeoさんもご自分のブログがけっこう好きだったりするのかも知れませんよ。
それでは、また。
◇ ◇
こんばんは、ふたつさん。先ずお名前を「ふたり」さんと間違えて書いていたことをお詫びします。わたしは人の名前を覚えるのがとても苦手なんです。先日精神病院のデイケアに行ったときに、2回の体験参加の際の講師(スタッフ)に、それぞれお礼を言おうとした時、最初の講師の方はもちろん、その当日に、プログラムが始まる前に自己紹介されたスタッフの名前すら憶えていなくて。帰り際のあいさつの際に、二人に改めてお名前を伺いました。そして今、そのお二方の名前をすっかり忘れています。
ま、言い訳はともかく、「ふたつ」さんに対して、「ふたりさん」を連発したこと、改めてすみませんでした。
キャンディ・ステイトンって太った白人のブルース・シンガーじゃなかったですか。
じゃああれは誰だったんだろう?わたし「彼女」のCDを2枚ほど持っています。
多分ふたつさんのお好きなキャンディ・ステイトンって、わたしの知らない人です。
アーマ・トーマスとカーラ・トーマスもごっちゃになっています。どっちがルーファス・トーマスの娘だったかも忘れてしまったし、ストーンズがヒットさせた「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」がどっちの歌だったかも。
こんな時、普通の人はその辺りを「ケンサク」して確認するのでしょうが、わたしはズボラでものぐさなので、そういうことはしません。
正しく知ってどうする?という気持ちもあります。なにかの時に思い出すこともあるでしょうし、それらが曖昧なままでも一向不便を感じないのです。
例えばわたしとふたつさんがおしゃべりをしていて、こういう話題になった、そしてふたつさんもわたしのようにあまり正確な知識がない。確信がない。そんな時にどちらかが「スマホ」を取り出して、「カーラ・トーマス」なり「アーマ・トーマス」、或いは「キャンディ・ステイトン」という文字を検索ボックスに入れて調べれば「正しい答え」がわかるのでしょう。でもそれを知ってどうなりますか?繰り返します。「それを知ってどうなりますか?」
できればわたしはスマホや「ケンサク」と無縁な人と話したいのです。わからないところはわからないまま、曖昧なところは曖昧なままにしておける人と。
◇
音楽を聴いていると、そちらに意識が集中してしまうというのは、なんだか羨ましい気がします。音楽はBGMと言いましたが、広い意味での生活の、日々のバックグラウンドミュージックです。東京ではしじまを聴くということが、一部の時間帯、一部の場所に限定されていて、我々の耳は、生体は、一日中ノイズに晒されています。ですからせめて、わたしにとって心地好い音楽を聴くことで、この喧噪の中を生き延びていられるのです。
わたしは今カセット / CDウォークマンに代わる屋外での音楽再生装置を探しています。
完全な無音状態になるノンズキャンセラーってありませんからね。
スマホ現象は全く理解できません。いったい何がほとんどすべての人間を惹きつけて放さないのか?そして、この現象を奇怪だと感じる人がおそらく世界中でわたしひとりだということも(苦笑)。もう今の世の中には「天邪鬼」っていなくなってしまったようです。
TVはわたしも観ません。視る価値のある番組が存在するとは思えないし、仮に稀にそんなものがあったとしても・・・う~ん、今のわたしにとっては、TVもスマホも大差ないんでしょうね。
わたしのスマホ嫌いは何度も言うように、全体主義への嫌悪です。
今日、クリニックに行く途中で、黒いスーツを着た20代くらいの若者が4~5人、集まって話していました。多分就職活動中なのでしょう。
あの姿を見ても虫唾が走ります。どうして頭の先からつま先まで、ああまで皆そっくりなのか。ああいう「なり」をしなければ仕事に就けないというのなら、それで結構。こっちからお断りします。どうしても食えなきゃ餓死するまでです。
少なくとも、何故皆同じスタイルでなければならないのか、合理的に納得のいく「根拠」が聞きたいですね。「そういうのは理屈じゃないんだ」ということは「不合理」であるということです。「不合理」をどう納得せよというのでしょう。
クルマはね、わたしも免許を持っていませんが、免許は取っておけばよかったと思います。ただわたしは極端に物覚えが悪いので、交通法規がどうしても覚えられないんです。
若き日、免許の本(?)を見て、覚えなければならないことの多さに圧倒されて断念しました。(苦笑)
運動神経もリズム感もいい方ですが、野球とか陸上競技など個人でやるものに限られます。
チーム(集団)でやるスポーツは全然ダメです。人との連携プレイというものがまるで出来ないのです。
◇
わたしはそもそも「知り合い」というものがほとんどいませんので、(ブログの存在を)教える人もいません。
わたしも、読んでいる人がいると仮定して、「読者を愉しませたい」という気持ちはあります。しかし残念ながら、わたしと、多くの人たちとでは、おもしろいと感じる対象がずいぶんと異なるようです。またわたしはオタクでもマニアでもコレクターでもないし、何かについて深い造詣があるというわけでもない。ですから結局誰も愉しませるには至りません。
「ふたつ」さんは書くのが好きなんだろうなと感じます。わたしなどよりもブログで自己完結できるのだろうなと。
わたしが自分のブログを好きか?それは敢えて問わないでおきます。
ただ、読者がいなくても書いているわけですから、書くこと、つまり考えることが好きなんだと思います。
最後に、お好きな画家で、「日本人では池田龍雄(漢字が間違ってるかも?)」と書かれていましたね。わたしは基本的に存命の芸術家というものに関心がないのです。それは多分「現在」というものが好きではないからだと思います。そして古い人たちが好きなのは、「現在」と距離を保っているからではないか、と思っています。
「字が間違っているかも?」と書かれているということは、「正しい名前をケンサクで確認しなかった」ということですね。字が違っていたら、なにか不都合がありますか?少なくともわたしとあなたとの会話で。
あなたを「ふたり」と呼んだ不都合は、重ねて謝ります(苦笑)
ではまた。よい日曜日を。
=追記=
「実は、Takeoさんもご自分のブログがけっこう好きだったりするのかも知れませんよ。」
これを
「実は、Takeoさんもご自分がけっこう好きだったりするのかも知れませんよ。」に置き換えてみます。
あまりにも自分の感受性に忠実であるがために「社会」からはじき出されるキャラクターを描いた二本の映画を紹介します。一本は例の『ゴースト・ワールド』。彼女、イーニドは何処へいっても=社会へ出ても、イーニドであり過ぎました。
もう一本は実話に基づいた作品『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』あまりに自分の気持ちに誠実であり正直であり過ぎたため、何もかも失った男のストーリーです。
共にわたしの好きな映画です。
ふたりは決して社会を舐めているわけではありません。ただ、それ以上に自分自身に忠実であろうとした。いや、無意識にそのように生きていた。そのようにしか生きられなかった。
そのような意味で、嘗てわたしが「自己愛性人格障害」と診断されたのも、あながち見当違いではないのかもしれませんね、と、今日、主治医と話したのでした。