わたしには「対人恐怖」というものはない。厭人観はあるし、人間は本質的にはとてつもなく恐ろしい生き物ではあるが、一般的な意味での対人恐怖はない。
けれども、駅で、店で、電車やバスの車内で、そしてもちろん歩きながら、いたるところでスマートフォンに憑依されている人間たちの姿は、ゴヤの「影」以上に醜く薄気味悪く見える。
とてもではないが「ニュー・ノーマル」「ニュー・ワールド」などには染まれないし、染まる気もない・・・
◇
ふと、あることばを思い出しひどく気が滅入る。
「死に場所はあるかもしれないが、逃げ場はない」
死ぬことはできるが、逃げることはできない・・・
'NO WAY OUT' ー「出口なし」
食事と寝床を与えられたホームレスと変わるところはない。
その内面の空虚、存在の虚無に於いて。
もう一度言う。逃げ場はない。いま引きこもっている場所は、決して逃げ場でも隠れ家でもない。そして「外」には「素晴らしき新世界」・・・
孤独・・・とてつもなく・・・こころ千々に乱れて已まず・・
Muchacho espantado por una aparición, ca. 1825, Francisco de Goya.
フランシスコ・デ・ゴヤ「影におびえる男」(1825年)
こんばんは。また来ました。
返信削除うーん、僕は人が怖いですね〜。外出すると緊張してしまいますよ、人から変に見られていないかと。で、そんなこと意識すると却って変に見られる、笑。
しかし、今の人は、みんないつでもどこでも本当にスマホににらめっこですよね〜良く飽きないなと思いますよ。
けど、みんなこっちに無関心だから、興味津々と見られていないで、助かるという意識はありますね〜。そういう意識ありません?
しかし、眠れない〜。
こんばんは、okiさん。
削除眠れないですか。なんだか親近感湧きますね。なんというか順調でないこと、順調でない人に安心します。
わたしは幸い人に見られているという意識が(今のところ)ないのですが、スマホに魂を吸い取られたような人々の中に出ていくことができません。
何がそんなに厭なのか?おそらくみんながみんな同じであるというところでしょうね。だからわたしはその反動で、「みんな違ってみんないい」に共鳴するのでしょう。「皆同じ」だけは耐えられません。
気温が不順ですね。お身体ご自愛ください。
コメントをありがとうございました^^