2018年10月19日

「愛」について、断想


友情というものが、お互いに対等の関係であって、忌憚なく自分の意見を言える存在であるとしたら。当然「彼 / 彼女」は、引きこもりで無職のわたしに対して、「そろそろ何とか・・・」などと言いだすかもしれない。そういうのは正直言って鬱陶しいのだ。
その関係が、所謂「友達」であろうと「恋人」であろうと、わたしを、今、目の前にいるわたしの存在以外の基準で裁かないで欲しい。況や「真人間に立ち返らせよう」などとゆめゆめ考えないで欲しい。箸にも棒にもかからない、ありのままのわたしを愛せるか否か。ただそれだけだ。
「世間の基準に合っているわたし」だから好きなのか、それとも、「犯罪者だろうとアル中だろうとシャブ中だろうと、わたしが他ならぬわたしであるから好いているのか」
「あなたが好きだから、真人間になって欲しい」という言い分は、残念ながらわたしには伝わらない。
共に滅びるか・・・いや、そこまで行かずとも、滅びてゆくわたしを傍で手を握り見守っていてくれるか。それがわたしにとっての真の友情であり愛なのだ。
堕ちてゆくわたしを許容できるか?「愚」を「狂」を慈しめるか?即ち共に愚者となり狂者と成り果てることができるか・・・肝心なのはそれだけだ。












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