2018年10月25日

拝啓 辺見庸様


はじめまして。突然のお手紙失礼いたします。

東京郊外在住の55歳男性です。蛇足ながら、精神障害(多分知的も)者兼「外出困難者」です。

今回の『月』、出版おめでとうございます。久し振りの新作ですね。
それに合わせての講演会を11月と12月、それぞれ八重洲ブックセンターと
新宿紀伊国屋書店で行われると聞きました。(実際にはブログで見ました)
本を通じて、以前から辺見さんの講演を聞いてみたいと思っていました。
現在所謂「引きこもり」であるわたしには、共に中央線一本で行ける両会場での催しは好都合でした。早速、12月の紀伊国屋のチケットを2枚、購入しました。
母と行きます。母も講演自体に興味もあると思いますが、実際には「遠方へ」行くわたしの介添え役です。

ところで、先日のブログ添付の講演会の広告「チラシ」を見て、正直複雑な気持ちになりました。
相模原やまゆり園の事件に着想を得て書かれた小説。
大勢の障害者の殺戮。新作発表。都内での講演会。TV放送予定。会場では著者によるサイン本即売・・・

あなたは「饒舌」を嫌うのではありませんでしたか?会場でのサイン会、これを「行いによる饒舌(乃至無駄口)」とみるのはわたしの偏見でしょうか。なにやら「いやな感じ」を受けるのは何故でしょう。

あなたのほとんどの本を読み、ブログを何度も読み返してきた者にとって、
『月』の出版、講演会は作家として普通の事とは思いますが、会場でのサイン本即売会と聞くと、わたしのイメージの中の、数々の言葉で構築された「辺見庸」が、なにやら「百日の説法屁一つ」という感じでガラガラと崩れていく気がします。

そういうとあなたはおそらく「初めからおれは「屁」みたいな存在だよ。一度も「法」なんて立派なことを説いたつもりもないし。買い被られて失望されても困るね」と苦笑なされるのでしょう。

それでもなお、本書執筆に伴う「痛み」そして『月』が抱える「悼み」・・・(そういう安易な評言は躊躇われますが、全くの見当違いでもないでしょう。)その「痛み」や「悼み」と「サイン即売会」という、同一の対象に対する二つの異なる行為が、わたしの中でどうしても、同じ次元のものとして収まらないのです。強い言葉を用いるならば、自著に対する、そして「あのこと」に対する「冒瀆」とさえ言えるのではないか、と。



嘗て一人の若者が三島由紀夫を訪ね。「先生はいつ死ぬんですか?」と単刀直入に尋ねたと何かで読みました。その時の三島の反応は憶えていません。(その後程なくして市ヶ谷での自決があったと思いますが定かではありません)
自裁した西部邁氏。西部氏とは、日本の核武装、改憲、先の戦争の正当化、現憲法の「押し付け論」等、政治的スタンスとしては全く相容れませんが、最後に「この国に絶望して」死を選んだ。
わたしはただその一点のみで、彼を評価します。彼の「思想」ではなく「志操」に心動かされます。
彼の最晩年の言葉、「この国に絶望する人がひとりでも増えること、それが希望です・・・」

わたしがまだ若かったら、講演会で質疑応答があれば、「辺見さん。あなたは何故死なないのですか?西部のように、三島のように、何故ニーチェのように狂わないのですか?」
と言葉の匕首を突き付けるかもしれません。

精神の障害ゆえか、生来のものか、わたしには「人間」というものがよくわからないのです。
何故親友とも呼べる人を二人も、貴方が(わたしも)最も忌み嫌う「処刑」という形で喪いながら、尚生きていられるのか?何故クスとでも笑えるのか?何故サイン会を開けるのか?
いったいあなたは何を、或いは誰を喪った時、何に絶望したとき真に狂し、死するのか?
「喪失後の世界」になぜ、あなたは生き永らえることができるのか?

それが、つまり恥辱に「敢えて塗(まみ)れること」が生きるということなのでしょうか?

体調不良のため、講演会に行けなくなることがないように願います(お互いに(笑))
サイン会は見て見ぬふりをして足早に会場を後にします。

無に等しい、いや、無そのものの末席の読者の戯言をお読みくださりありがとうございました。

講演、楽しみにしています。

草々


追伸

二つの講演中止を考えていたと、たった今、ブログで読みました。経緯がわかりませんが、何やら「饒舌」を厭う信条・志操と通底するものを感じるような気がしました。好感しますが、講演は、できれば行ってください。


一読者より。





2 件のコメント:

  1. 辺見庸とかいう人。

    Nicoさんから見て、この人は健常者ですか?

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    1. こんばんは、yy8さん。「狂気」と「正気」がメビウスの輪のようなものである以上、誰が健常で誰が狂人であるかそれは誰にも分らないと思います。

      「狂気であるからマトモ」という言い方もできるわけです。

      ただ、辺見庸氏は2004年に脳出血で倒れ、その後遺症で、右半身の麻痺が残り、
      身体的には障害者です。

      そのこと以降、書く物がずっと深みを増しました。

      ただ、わたしは誰をも「信奉」しないし「偶像化」もしないので、一愛読者というだけです。

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