2018年10月29日

生きて在ることの罪(仮題)


人の世話にならずには生きてゆくことの出来ない人たちは生きていてもいいのか?
そのことについてわたしは「もちろん生きていていいのだ」という結論を出したはずだ。
その考えにいささかも変わりはない。

けれども、人の世話にならなければ生きて行けない「わたし」は生きていてもいいのか?
その問いにどうしても「イエス」とはいえない。






4 件のコメント:

  1. >けれども、人の世話にならなければ生きて行けない「わたし」は生きていてもいいのか?
    >その問いにどうしても「イエス」とはいえない。
    僕は、たいして考えもせずに、Takeoさんは生きていてもいいですよ、って言いますけどね。
    他人に対しては言えますが、
    自分で自分を、生きていてもいい、なんてのは、
    なんだか口ごもってしまいます。

    他人から、理解されないとか、
    冷たいとか、馬鹿にされるとか、拒否られるなんてことには、
    僕は耐えていけそうな気がするのです。
    それによって、自分で自分を歪めること、
    自分が自分でなくなること、そっちのほうがつらいな。
    どうしても「イエス」と言えないのなら、
    そのままでいいですよっ。

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    1. でもね。誰からも理解されない本当の自分っていったいなんでしょうか?

      もちろんこのことでわたしはわたしの生に否定的になっているわけではなくて、大事な人の時間=人生を食いつぶしていることが辛いからですが。

      人が「生きてもいい条件」「生きていてはいけない条件」ってなんでしょう?
      頭が混乱します・・・

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  2. こんばんは。
    今日は、なんだ、自殺志願者9人を殺した事件から一年とか。
    Takeoさんはあの事件をどう思いますか?
    僕は、何というか、自殺志願者がネットの投稿を頼りに集まる妙な世の中になったなぁと。
    お手軽に自殺が出来る。
    僕が自殺したかった頃は、一人で悩んで、熱海の海に飛び込もうか、青木ヶ原の樹海に行こうか考えたものだけど、今は、自殺志願者が集まれる〜。
    自殺も大変苦しい。
    首を括ろうとしたことあるけど、辛くてやめた。
    みんなで死ぬなら、多少辛くても耐えられるのかな?
    いや、皆で死のうとして、一人だけ生き残ったらどうするのかな?
    あれこれ考えるけど、今の僕には、自殺しようとする人の気持ちは理解できない。
    死ぬ時が来れば嫌でも死ぬのだし、それまで、ちょっと息をしていればいいだけ。
    死んでも誰も悲しまない。それが本当の人は僕も含めて沢山いるかもしれないけど、死んだあとに別の世界がないという保証はないし、その新しい生で、自殺者は苦しまないとも限らない。
    まとまりもないけど、そんな事を。

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    1. こんばんは、okiさん。

      そうですか、もう1年経ちましたか。確かツイッターでしたね。
      まだSNSもスマホもない時代にも、集団で練炭自殺なんていうことがありましたね。

      わたしは見知らぬ人と死ぬほど自分の命は安っぽくないと思っています。
      死ぬならひとりで死にます。

      「ちょっと息をしていればいいだけ」「生きている振りをしているだけで構わない」
      そんなことを言われても、現実の苦しみが消えてなくなるわけじゃないし、全てを時が癒せるわけでもない。

      自殺を想う人の気持ちが分らないのは当然だと思います。
      この数日前の「あなたに想像できますか?」で書いたように、わからなくてもいいから、批判や非難はしないで欲しいただそれだけです。

      okiさんの言葉はそのまま「ハムレット」ですね。

      『コントラクト・キラー』という映画が好きで、何をやってもダメな人間が会社をクビになって自殺を試みるけど悉く失敗する。そこで彼は金を払って殺し屋を雇う。ターゲットは彼自身。ところがその間にある女性と恋に落ちて、死ぬのを止めたいんだけど、殺し屋には連絡が取れない・・・そんな映画です。

      ま、恋で死ぬ人もいますけれど・・・

      コメントをありがとうございます。

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