2018年10月1日

狂気を感じるということ


わたしは正気のまま狂いたい。

「狂う」とはどのようなことか、「狂気」を通じて世界がどのように見えるのか、正確に感じ、記録したい。

或いは現にそうであるのかもしれないが・・・



The vision of Catherine of Aragon, 1781, Johann Heinrich Füssli. (1741 - 1825)

「キャサリン妃の幻視」ヨハン・ハインリッヒ・フュースリー(1781年)




2 件のコメント:

  1. 狂うというのは、正気には戻れないという事、ではないでしょうか。
    他者にとっての狂気も当人には正気だと思います。

    今はまだ、正気が狂気的なモノを見ていますね。

    試しにお母さんに、「ほんとのお母さん?」と聞いてみてはどうでしょう。
    そうすればその時から狂人扱いされるようになると思います。

    でも親不孝の最たる言葉だから、私は言って欲しいなんて微塵も思ってはいません。
    出来ればそんな思いは直ちに払拭すべきです。

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    1. 「正気のまま狂気を感じる」という表現はわかりにくいでしょうね。
      ただ、こうしか言いようがないのです。わたしは狂人の目で、感覚で、世界を捉えたい。そのためには狂気と正気の双方が不可欠なのです。

      例えばゴッホの絵のようなものです。

      「狂人扱い」されることと狂気を感じることとは別物です。

      わたしはそもそも自分がまともな人間であるとは思っていませんし、母も同じだと思います。「狂人」とは思っていないにしろ、「正常」とは思ってはいないはずです。

      お心遣いをどうもありがとうございます。

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