久し振りに昔のSNSの仲間たちに、フェイスブックでアートを送った。
もともと「わたしたち」のフェイスブックは、2006~8年ごろ、アート系SNSで出会った、文字通り世界中のアート好きの友人たちと、そのサイトがフェイスブックの台頭によって自滅した後も繋がっていたかったから、ほとんど全員が旧サイトに後ろ髪引かれる思いで、かといって、連絡を取りつづけるには新しい交流サイト以外になかったという事情から、わたしを含め、多くがあまり乗り気でなしに始めたものだった。
当然ながら、当時の活発さはないし、わたしもSNS自体が好きになれないので、前にも書いたかもしれないが、出たり入ったりしている。今回は昨年の暮れ、11月にいったん離れて以来だろうか。
久し振りに彼ら、彼女らのアルバムを覗くと、往時が偲ばれ、ついつい引き込まれてしまう。
例えば、当時の友達だったフランスの女性、オーファンのフェイスブックのアルバム。
Orphan Visual's Album 彼女自身、絵を描くこともあって、ご覧の通りとてもユニークだ。わたしはなんども彼女にフレンドリクエストを出しているのだが、その度に断られている。(ちなみにOrphanとは「孤児」の意味だ)
尚、アルバムの上の方に並んでいる子供の絵のようなのは、ジャン・ミシェル・バスキアの絵。
それからこちらはフェイスブックではないが、ここと同じ「ブロガー」でアートを投稿しているドロローサのブログ。 彼女もやはりアイリッシュのアーティストで、グロっぽさはオーファンに通じているが、当時から彼女のセンスには強く惹かれていた。
◇
わたしは、必ずしも彼女たちと同じようなテイストを持っているわけではなく、残念ながらいたってオーソドックスで大人しめな絵を好むが、それにしても、何故か日本では何処へいっても人気がない。
これがわたしのフェイスブックのアルバムだ。
昨日はこんな絵を投稿した。
ノーマン・リンゼイ(オーストラリア) |
ヤン・トーロップ(オランダ)「オルガン」 |
ロンドンのブティック、 BIBA、1963-1975 ブックカバー |
セシル・B・デミル監督の30年代の映画「マダム・サタン」 |
ジャック・ペットリアーノ(スコットランド)「フェティッシュ」 |
アートを投稿する際には、全て海外のサイトで見つけた絵や写真を投稿する。
タイトルも、アーティスト名も、イタリア語だったり、オランダ語、スウェーデン語だったりするので、それを日本のサイトに投稿するときに、詳細をいちいち日本語に翻訳するのは非常に面倒だし、第一そんなことは不可能だ。(どうやって、ハンガリーやオランダ人の固有名詞を日本名にする?)
タンブラーやフェイスブックの友達やフォロワーだって、いちいちそれらを読んでいるわけではない。ここに時々来てくれるYさんのように、その絵や写真を見て、自分がどう感じたか、そのように見てくれているはずだ。
Yさんはアートには無智だと言っているが、わたしにすれば、それが本来のアートの楽しみ方だと思っている。
◇
ところで、フランス人でもドイツ人でも、スペイン人でも、両親がそろってスペイン人(といってもスペインは多民族国家であることはご承知だろう)で、その両親の二親もまたスペイン人で、そのまた両親も・・・と数百年遡っても、ひとりの人物のなかに、その国の血しか流れていないなどということは考えられない。第一それぞれの国家自体が常に流動的で、2百年前・・・いや数十年前にはにあった国が既に存在しないなんてことは珍しくない。
地理的な制約があるにせよ、数百年前までさかのぼっても、わたしの中には日本人の血しか流れていないはずだ。彼もそう。彼女も多分そう・・・右を向いても左を見ても、日本人ばかり・・・そのように考えると、なんだか薄気味が悪くなってくる。わたしにとってはこの均質性、同一性は、オーファンやドロローサの好む絵以上に、不気味だ。
同じフェイスブックでも、日本人はほとんどが日本人ばかりで集まっている。
それが不思議で仕方がない。
アート好きといっても、どこそこの美術館で誰それの展示会をやっているという話ばかり。確かに美術に関してのアカデミックな知識は豊富なのだろう。けれどもどうしても馴染めない。
10に満たない日本人のブログを除き、わたしのパソコンの「お気に入り」には外国のサイトしか入っていない。(そしてわたしは英語も満足に読めない)
しかしイトミミズの走触性のように、サッと群れ固まる性向・本能を持った日本人の中では、皮肉なことに、大嫌いなデジタル・ワールドの一端であるインターネットは、わたしにとって唯一、外気を取り入れる窓のような存在になっている。
こんばんわ、Nicoさん。(こんな挨拶は初めてかも)
返信削除紹介されているブログを見ました。
だいぶ特異な世界ですね。
これを見た後にNicoさんの取り上げている絵を見ると、ほっとします。
ただ、全体的には閉塞感がありますね。
だからでしょうか、私が一番印象的に感じるのは、鉄格子(?)と白い雲の背景に向かって屹立している女性を映した写真です。
若いころ写真雑誌を見ていたことがありますが、それを思い出すと私は絵よりも写真の方に惹かれるのかもしれません。
週刊誌に載っていた美智子妃の陛下と婚約したころの、子供を前にしたお姿の写真とか、カメラ朝日とかいう雑誌に載っていた、お坊さんとそれを見つめる女性の後ろ姿の写真を思い出します。
私がNicoさんのようにアルバムを作るとしたら、たぶん写真になるのだろうと思いました。
やってみようかしら。
こんばんは、yy8さん。
削除オーファンのFBのアルバムとドロローサのブログをご覧になりましたか?
確かにああいう絵を好む人はあまりいないかもしれません。わたしもしょっちゅうは見ませんが、たまに強い酒を飲みたくなることがあるでしょう?
そういう時、彼女たちの「毒気」は効くんですよ。生温い日本の中にいるとね。
日本人は写真にはほとんど関心を示してくれませんね。アート=絵画ということになっているのでしょうか。
わたしはその時の気分で写真ばかりの時もあり絵ばかりの時もあります。
yy8さんもご自分のブログなり、FBで写真を投稿されてはいかがですか?
フェイスブックでは、タイムラインに投稿すると、自動的に「Nicoのアルバム」に収められてゆきます。
わたしも興味があります。是非試してみてください^^