2018年10月2日

引きこもり雑考Ⅱ


● 外出困難(引きこもり)については、既にあらかた書きつくしてしまった。
何故外に出ることができなくなるのか?そのメカニズムを知りたいと思うけれども、
なかなか参考文献が見つからない。
そもそも「引きこもり」という概念自体が極めて曖昧なもので、「外に出られないこと」を精神病理学的な視点から考察した本がどの程度存在するのか。また同時に、「引きこもること」と「哲学的見地」は分離不能なはずだ。
わたしが知りたいのは、その「原因」であって、外に出られるようになるならないは必ずしも問題ではない。

● ウディー・アレンの『ラジオデイズ』に、「神は「個人」に関心を持たない」というマルクスの言葉が引用されていたと思う。

「心理学」「医学」とは純粋な科学なのだろうか?
そもそも「科学」とは如何なるものなのか? 
科学にとって「個体」とはどのようなものなのか?
科学にとって「例外」という概念は存在するのか?それはどのような位置づけをされていて、どのような意味を持つのか?
医学は「個体」を診るか?

●「見たくないモノ」に対して目を瞑る。
 「聴きたくない音」に対して耳を塞ぐ。
 「厭な匂い」に鼻をつまむ・・・

わたしの外出不能も、その拡大した現象に他ならない。外界=世界は醜い。だから見たくない、聴きたくない・・・出たくない。世界が変わらない限り外に出ることはできない。
或いは急に世界が醜く思わなくなるような魔法にでもかからない限り。

では何故世界が醜く感じられるのか?わたしが知りたいのは正にそのメカニズムだ。
よしそれを知ったところで、世界の醜悪さは1ミリも変わりはしないが。

●「外に出られない」「出たくない」というのは「病気」の「症状」がそうであるように「自然な生体反応」だ。風邪を引いて熱が出る、頭が痛い、咳やくしゃみが出る、洟水がでる。これは「症状」であって「風邪」そのものではない。生体が自己防衛のためにそのような「症状」を発している。症状は身体が病気に抵抗することで示されているものだ。
肝心なのは、「出られない」という「症状」を解消することではなく、出られなくしている「根本原因」を究明することだ。

ー追記ー

世界が醜く見えなくなる「魔法」のひとつに例えばフレッド・アステアやメル・トーメが歌っている ' A Foggy Day ' に代表されるようなある種の「秘密」もある。ただその「奇跡」も、今では既に賞味期限切れのような気もするが・・・




A foggy day in London Town
Had me low and had me down
I viewed the morning with alarm
The British Museum had lost its charm

How long, I wondered, could this thing last?
But the age of miracles hadn't passed,
For, suddenly, I saw you there
And through foggy London Town
The sun was shining everywhere.

A foggy day in London Town
Had me low and had me down
I viewed the morning with alarm
The British Museum had lost its charm

How long, I wondered, could this thing last?
But the age of miracles hadn't passed,
For, suddenly, I saw you there
And through foggy London Town
The sun was shining everywhere.

◇◆◇

A Foggy Day (in London Town) Music by George Gershwin. Lyrics by Ira Gershwin.Song by Mel Torme.





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