とにかく先ず、わたしは自分が愚鈍で、バカで、無能で、生きている値打ちのない存在であるということを改めて確認しておく必要がある。
ああ、自分で自分を貶める ── 正確には「本来の自分」を直視することだが ──「言葉による自傷」は、時になんと快いのだろう。自分が最早これ以上落ちる(堕ちる)ことのない「どん底」の泥濘の如き存在であるという安堵感、最早人間ですらないという心の解放感。
わたしは自分の身体に物理的に傷をつける人の気持ちを知らないが、やはりどこか鎮静作用があるのだろう。
何度も引用している啄木の
死ぬことを
持薬を飲むがごとくにも われは思へり
心痛めば
という歌も、そういう気持ちと相通じているのかもしれない。
◇
人生という旅に於いて、両の腕に下げたトランクの中には、様々な「悩み事」だけしか入っておらず、「楽しいこと」「うれしいこと」など、なにひとつ入ってはいないのに、何故尚旅を続けるのか?続ける必要があるのか?続けなければならないのか?
先日も書いたことだが、母が、わたしだけの母ではなく、同時に弟の母である以上、親は兄弟を均等に扱わなければならない。
わたしは昔から弟とウマが合わない。ここ数年、わたしが外に出ることが困難になってから、3つの部屋に、仲の悪い兄弟と、仲の悪い夫婦とが一緒に暮らしていることに堪えられなくなり、わたしは常に苛立ち、このままでは一触即発という感じにすらなってきたので、3年ほど前だったか、わたしの主治医の意見もあり、弟がここから別のアパートに移った。弟は現在51歳、統合失調症で障害者手帖2級の、やはり精神障害者である。大田区にいるときから、つまりわたし同様に、30代で発病して自宅に戻ってからは、医者に行く以外には外に出ない生活を続けている。
統合失調症と診断されているが、弟の主訴は、とにかくやることがなく、毎日ひまでひまでしょうがない。ということだ。だから一緒に住んでいる時から、「やることが無く暇」なものだから、話し相手(口を利く相手)を求めてしょっちゅう母の後をついて回っていた。
現在はここからJRで二駅の街に分離して住んでいるが、週一回の「休み」以外は、朝9時から午後の2時まで、自転車で毎日通って来て母の傍にいる。
そしてわたしにとっての最大の問題は、彼が喫煙者であるということだ。
わたしは闇雲に喫煙者を排除しようとは思わない。高校時代の友人は、30代の時に彼が結婚して疎遠になるまで、それはそれはものすごいヘビースモーカーであった。
やはり高校時代からのもう一人の友人も、当時は喫煙者であったが、わたしは彼らのタバコの煙にいぶされながら交流を続けていた。そもそもタバコを止めてほしいと思ったことすらなかった。
昨年の今頃、母と神田の精神科クリニックに行ったときに、時間を潰すために駅前の喫茶店に入った。そこは禁煙でも分煙の店でもなかった。それほど混んではいなかったが、客のほとんどはタバコを吸いながらコーヒを飲み、食事を摂っていた。多少の抵抗はあったが、わたしはそれを知りながら母と店に入って、タバコの臭いの中でコーヒーを飲んでサンドイッチを食べた。
仕事の休みで一服しているひとの煙の匂いはそれほど気にならなかった。
今でも、仮にわたしの親しい友だちが喫煙者であって、一緒に入った喫茶店でタバコを吸いたいと言ったら、わたしは反対はしないだろう。
けれども弟は昔から、他に何もすることが無いからタバコを吸う。確か大田区にいた頃は一日に2箱吸っていたはずだ。
◇
80:50×2=80:100問題である我が家で、弟は、朝一でやって来て5時間、母の後に付き纏っている。部屋で少しでも一人にされると出てくるのだ。その間母は当然弟の相手をしながら家事をしなければならない。
弟のタバコの臭いが母の部屋に染みついている(ことに過敏になり始めてきた)ので、これまでは、夜、母の布団を敷くのがわたしの仕事・・・とも言えない形ばかりの手伝いでしかないのだが・・・だったのが、母の部屋に入ることができなくなった。弟は母の部屋の窓を開けたベランダでタバコを吸うので、ベランダに出て、シーツや毛布の埃をはたくことができなくなった。
そして一応これは弟の唯一の「手伝い」で、母と一緒に駅前まで買い物に行き、荷物を持ち帰ってくるのだが、喫煙者である弟の衣服には当然ながらタバコの臭いが染みついていて、わたしがトイレに行こうとすると、玄関付近に漂っているその臭いが気になって、そんな時には、今朝取り替えたばかりのパジャマを、また洗濯してもらい、どんなに身体がだるくても風呂に入って全身を洗わないと気が済まないようになってきた。(つまりは「神経症」である)
母には何度か弟の喫煙のことを言っているのだが、「彼の唯一の愉しみ(?)気晴らしだから。」「いい大人に親が口出しすることじゃない」「彼なりにあなたに気を遣っている」と結局「禁煙」という方向性はまるで出てこない。
今年になってわたしは完全に外に出ることができなくなった。理由は何度も書いているように「孤独」と「デジタル・ワールドへのアレルギー」そして外界の「歩き(自転車)スマホ」「車のアイドリング(しばしば中で運転手がスマホをいじっている)」「街路樹を剪定する時の騒音」同じく「落ち葉を吹きよせる際の爆音」「昼間から駅に灯されている無駄な照明」「電車やバスの中での執拗な注意喚起のエンドレスのアナウンス」そして同じく車内での「スマホに憑依された人々の群れ」・・・
わたしが僅かながらでもできていたことができなくなったことで、必然的に母がそれをわたしの代わりにやることになった。そして週に6日、一日5時間、ただただ「ヒマだから」ということで母につきまとう弟・・・
先日帰宅後の弟から母に電話があり、(彼は暇だと電話をかけてくる。毎日朝9時から午後2時まで話しても、まだ暇だと母に電話をかけてくる。)
その電話で、彼は、母に「自分だけが犠牲になっている」と不満を漏らした。
それをたまたま聞いていたわたしは、限界を感じ、母にこの家から出ていくことを告げた。
そうすれば弟は一日中母といられる。── 実際には弟は、母に、「自分の現状」はしょうがないにしても、せめてわたしに「感謝の気持ち」を持ってほしいというようなことを言ったらしい。そうすれば、今の「蚊帳の外」の状況も耐えられるだろう ── と。
けれども残念ながらわたしは弟の現実に「感謝」する気持ちにはなれない。
わたしが自分の命よりも大事に思っているのが母の存在である。そしてわたしはこのような存在であることによって母の人生を台無しにした。
わたしが「出てゆく」即ち「自裁の覚悟」を伝えると、母は「じゃあわたしも死ぬよ」と言った。
前に書いたように、母はシオランの言う「親となった罪」を、生涯を、そして命をかけて贖うつもりなのだ。「あの男性」と結婚したことを生涯後悔し続けた母は、その男性との間に「わたしを生んだ罪」そして同時に「弟を生んでしまった罪」を負い続けようとしている。
このことから、母が弟に強く言えない理由も理解できる・・・
わたしが唯一出来ることは、どう考えても二つの50からひとつを消すこと。
バカなわたしにはそんなことしか思いつかない。しかしそのことが却って母の死を招き寄せることになったら。
わたしは現実にどんどん「出来ること」の幅が狭まっている。「母のために健康になる」という気持ちでさえ、「孤独」と「現代社会への激しい嫌悪(憎悪)」「人間存在への不信」の重みで挫けてしまう。であれば、誰にとっても母の負担を軽くするには、弟以上に「何もできないで神経ばかりがピリピリしている」わたしがいなくなる以外、どうしても考え付かないのだ。
弟に「禁煙を勧める」くらいなら、わたしとともに死ぬ。
それも、「(わたしと弟ふたりの)親となった罪と罰」を考えれば、決して理解不能なことではない。母はわたしにも、弟にも、背負いきれないほどの負い目を感じているのだ。
そしてわたしは「子になった罪」「このような人間であるという罪」を感じながら日々生きている。
そしてまた、ひょっとしたら、母の気持ちの中には「あの男性」と結婚をして、自分の母も、子供も、そして自分自身も、誰も幸せになれなかったという事態を招いた、若き日の母自身への復讐或いは「面当て」の感情もあるのかもしれないと憶測しもする。
いずれにしてもわたしは母が死んだその日に命を絶つつもりだ。愛なくして何の命か・・・持病を持つ母なので、とてもあと10年はないだろう。
10年。わたしがあと10年生きれば65歳。
かつて親友だった女性は、64歳の誕生日をふたりで祝った時、「64歳まで生きるなんて考えてもみなかった・・・」としみじみと述懐していた。幼いころに虐待を受け、自分を「愛されざる者」とさえ見做すようになり、自殺すら何度も考えた悲しい半生だった・・・
同じつぶやきを、65歳になったわたしが誰かに、また独り言つことはほとんど考えられない。来年どころか、今年中に何が起きるかすらわからない風雲急を告げる暗雲のただ中にいるのだから。
明日から11月。とても来年のことなど思いもよらない。もう何年も「カレンダー」というものを買っていない。明日の見えないものには無用のものだからだ。
事態はただただ悪くなる一方だろう。そしてこの状況を救えるものは何処にもいない。