2018年7月31日

憂きわれを淋しがらせよ閑古鳥


わたしのブログがこうまで人気(ひとけ)がないのは何故だろうと改めて思います。
文章が下手なのはよく承知しています。そのためでしょうか?
あるいは、ちょっと気が狂っているので、何が書かれているのか読み手に理解不能なのででしょうか?
あまりに独り善がりなので相手になっていられない?
とにかく人としての魅力がない?

わたしはなぜ好かれないのか?それは20代のころからの疑問、言い換えれば生涯を通じての謎でした。

それでも、ただひとつ確かなのは、わたしは自分が何故好かれないのかを知りたいけれど、人の言葉に従って自分を変えるつもりはないということです。
それはとんだ心得違いでしょうか?「誰もありのままで好かれているわけじゃない。
皆好かれるために努力しているのだ。」そうなのでしょうか。わたしにはわかりません。

ただわたしは、キラワレモノのわたしのままを認めてくれる人を、それが決して現れないと知りながら待ちつづけるだけです。

そしてもっともっと文章が上手くなりたいのです。

時々わたしは、もし金銭的な余裕があり、引きこもりでなければ、「文章教室」のようなところへ通いたいと思います。
そして毎度毎度糞真面目な文章ばかり書いているので、『これであなたも人気者!ユーモア会話術』といった講座を受けてみたいとも思うのです。

前にも書きましたが、わたしは20代の頃、3か所の小さな出版社に勤めていました。
そしてそれぞれの会社から、異口同音に「キミはモノを書く仕事には向いてない」と言われて馘になった経験があります。3か所の中で一番長く続いたところが10カ月。ひと月でお払い箱になったところもありました。
ですから書くことに関しては強い劣等感があります。

「文章の巧拙よりも、書いたものにね、人間性、人がらが出るんだよ!」と言われれば、返す言葉もありませんけれど。



私は、ただしゃがんで指でもって砂の上に文字を書いては消し、書いては消し、してゐるばかりなのだ。何も言へない。何も書けない。けれども藝術に於いては、ちがふのだ。歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲がり、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露地で、一生懸命ヴァイオリンを奏してゐる、かの見るかげもない老爺の辻音樂師を、諸君は、笑ふことができるであらうか。私は、自身を、それに近いと思ってゐる。社会的にはもう最初から私は敗残してゐるのである。けれども、藝術。それを言ふのも亦、実に、照れくさくてかなわぬのだが、私は痴(こけ)の一念でそいつを究明しようと思ふ。
辻音樂師には辻音樂師の王国があるのだ。
ー太宰治「鴎」 







2 件のコメント:

  1. Takeoさん、こんばんは。

    「誰もありのままで好かれているわけじゃない。
    皆好かれるために努力しているのだ。」

    ↑、私も母に良く言われました。
    でも、努力しても好かれない場合も多々あるのですよね。
    全く努力してない人というのは実は珍しくて、皆、何かしら努力はしているんですよね。
    でも、それが空回りしてたり、却って好かれない原因になっちゃったりする場合も多いんですよね。
    努力のしすぎは自分ってものを無くしちゃうと危惧されてませんか?
    その通りだと思います。

    私も他人に好かれたいです。
    その思いはTakeoさんより強いと思います。
    でも、残念ながら持ってうまれた魅力が極端に乏しいので、「努力」するしかないのです。
    いつもへらへら笑顔をつくり、人の話をさも興味深げに熱心に聞くふりをして、やさしい思いやりのあると人思ってもらえるは発言をしようと必死になって考えます。
    精神が疲れ切ります。
    そこまで努力して、果たして努力に見合った成果があるのかというと、これが芳しくないんですね。。。
    いつもニヘラニヘラして、八方美人で自分の意見が無い奴、と思われて軽く扱われる事が一番多いですかね。
    後、ある種の人には酷くいらつく人間に映るらしく、結果として却って嫌われる事もあります。

    だから、Takeoさんの「自分を変えるつもりはない」との発言に、潔いな、カッコよいなといたく感銘を受けました。
    私もそこまで割り切れればなと思います。
    でも、弱くて臆病な性格なので、一生、他人の顔色を窺いながら、へらへら、おどおどし続けるんだと思います。

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    1. こんばんは、チビキンさん。

      なんだか情けない投稿で、読んだ人が苦笑しているんじゃないかと思って、削除しようかと考えていたところです。チビキンさんのコメントが無ければおそらく削除していたでしょう。

      これはチビキンさんへの反論ではないので、そのつもりで読んで下さいね。

      「極端に魅力に乏しい」?そうでしょうか?チビキンさんはあのブログでも、ご自分を「作って」いるのでしょうか?面と向かい合っていない分、本来のチビキンさんに近い、或いはあれがチビキンさん自身ではないのでしょうか?
      だからこそあれだけ親しまれているのではないかと思うのですよ。

      わたしはなかなか自分を肯定することができないし、劣等感の塊のような人間です。
      けれども、わたしはチビキンさんより欲が深いせいか「このままで好きになって欲しい」のです。けれども、現実には、電話を掛ける友達、メールをやり取りする友達ひとりいません。それでもわたしはわたしのこのあるがまま=ないがままを受け容れてくれる人だけを求めています。

      犯罪者であろうと、ホームレスであろうと、アル中であろうと、それでも愛してくれるか?わたしはそれが本物の愛であり、本当に「わたし」が愛されるということだと思っているので、「好かれるための努力」はしません。
      もちろん本を読んだり、映画を観たり、あれこれ考えることによって、自分が変わってゆくこともあるでしょう。でもそれは、自発的な内面の変化であって、他者のための意図的な変化ではありません。

      わたしはチビキンさんの「努力」を軽蔑しないし、批判するつもりもありません。
      そんな資格はありません。

      ただ、わたしが怪物なら、きっとどこかに怪物のまま愛してくれる人がいるかもしれないと思っているのです。
      おそらくそれは見果てぬ夢でしょう。それならそれでいいんです。

      チビキさんが本当に上っ面の人間だったら、そもそもブログを見に行ったりしませんよ^^

      コメントをどうもありがとうございました。

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