2018年7月10日

尹東柱


「弟の印象画」(1938年9月)


ほのあかい額に冷たい月が沁み
弟の顔はかなしい絵だ。
歩みをとめて
そっと 小さな手を握りながら
「大きくなったらなんになる?」
「人になるよ」
弟の説はまこと 未熟な答えだ。

何食わぬ顔で手を放し
弟の顔をまた覗いて見る。

冷たい月が ほのあかい額に濡れ
弟の顔はかなしい絵だ。

ー 尹東柱 ユン・ドンジュ (1917 - 1945) 金時鐘 キム・シジョン訳



「大きくなったらなんになる?」
「人になるよ?」

「人になる」とはどういうことか?

1945年7月、27歳の若さで、治安維持法違反で投獄されていた福岡刑務所で獄死した朝鮮人、尹東柱は、だれよりも「人」ではなかったか?
誰よりも純粋に人であったので、人でなしの国に殺されたのではなかったか。
言い換えれば、尹東柱は「ひと」ではあったが「邦人(くにびと)」ではなかった。



人になる 人であるとは、どういうことか?

そして今、この街に この邦に「ひと」はいるのか・・・

わたしには見えない ひとの姿が

わたしには聴こえない ひとの声が

誰がわたしに返事をしてくれるのか?

届かないのは わたしが「ひと」でないからなのか?

それともひとでなしの邦で「ひと」になってしまったからなのだろうか?

わからない

たったひとつわかること、それはわたしも尹東柱と同じく、「邦人(くにびと)」ではないということだ・・・



私はなにを望んで
私はただ ひとり澱のように沈んでいるのだろうか?
ー 尹東柱













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