2018年7月8日

理解しているという誤解


アンドレ・ジードの書いた言葉で、ノーマン・メイラーが好んで引用したものがある。
それは「あんまり早くわたしを理解するな」である。

誤解されることを避けるには口を噤むしかないのだろうか・・・



木村敏著『関係としての自己』(2005年)。
図書館に返してきてもらうか迷う。

序論にはこんな言葉が書かれている

「人間とは精神である。精神とは何か。精神とは自己である。自己とは何か。自己とはそれ自身に関係するところの関係である。すなわち関係ということには関係が関係それ自身に関係するというそのことである」
ー キルケゴール『死に至る病』より

全編こんな感じで、フーコー、レヴィナス、プリーモ・レーヴィ、ジョルジュ・アガンベン、フロイト、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、ハイデガーなどの引用で彩られているが、とても今はこれを精読する気力はない。


寝ても疲れが取れない、一日中何にもしていないのに。

ラクニナリタイ・・・




4 件のコメント:

  1. 誤解は不快ですね。
    腹は立つし、内容次第で怖くもあります。
    でも、黙っていては理解されない。

    なんて思っていたら、誤解を恐れていたら何も云えない、といった常套句が出てきました。
    Nisoさんはここでよく喋っています。
    だから随分とNicoさんのことが分かってきました。

    「私にとって美とは宗教である」と云うNicoさん。
    これがNicoさんの主体ですね。

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    1. こんばんは、yy8さん。

      人間て、長く付き合っていても、あることをきっかけに、「え、この人こんな人だったの?」と驚くような状況にぶつかることがありますよね。
      「わたし」が「あなた」の全てを把握できるわけがないのだし、また人は関係によって異なりますから、「Aさんはこういう人」っていうのは、ほんとうに大雑把な把握でしかないんですね。

      「理解とは、その人なりの誤解である」ということもできるかもしれません。

      「語れども黙せども理解はされない。」それがわたしの偽らざる心境です。

      最近はよく弱音を吐くようになりました。ほんとうに毎日辛いのです。
      自殺のことがしばしば頭を過ります。それほど楽になりたいのです。

      ここ以外に本心を、また考えや感情を吐露する場所(人)が存在しませんからね。

      そう、美がわたしの信仰です。

      「イントレランス」へのお返事、ちょっと遅れるかもしれません。

      いつも感想を聞かせてくれてありがとうございます。

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  2. アトリ姐ちゃん2018年7月10日 19:08

    常連じゃないけど、時折登場します(笑)
    Takeoさんの信仰は美なのでしょうけど、
    何事にも Genuine を求めているような気がしますね。
    超パラドックスでややこしいですが、真っ直ぐで正直な方。
    そういうところがTakeoさんの一番の魅力だと思うのですが、
    でも潔癖症と完璧主義で、自分で自分の首を絞めてはいませんか?

    コメントがあまりないからといって、凹んでらっしゃるるようですが、
    それはね、記事が面白くないから来ないのではなくて、
    哲学的で高尚過ぎるから来ないのですよ。
    ぐるりと見回すと、Takeoさんに限らず、そういう高尚な記事を載せてるブログには
    コメントはあまり来ないものです!(笑)
    かろうじて理解はできて、共感したとしても、自分でそれに見合えるだけの
    コメントを書くのに自信が失せる人は多いのではないでしょうか。私も含めてね(笑)
    いつかの記事にコメント書こうと思ったけど、ボキャブラリーが不足していて、
    途中まで書いて断念して消したことがありました(笑)
    だからもっと自信を持ってあまり気にすることはないのでは。

    右横に載せてる絵や写真がいいですね。では。

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    1. アトリ姐ちゃん。お久しぶりです。

      「フェイクの美」というものはそもそも語義矛盾ですからね。道端の野の花だって、本物だから美しいのだと思います。
      そういう意味では、「偽物」、「まがいもの」、「~風」なものは全てわたしにとっては醜いモノの範疇に入ります。
      (あ、でも本物の宝石が買えないからガラスの指輪で・・・というのは「偽物」とは思いません。本物=高価なモノ、ではないですからね)

      そうですね。完璧主義と潔癖症はもうどうしようもないですね(苦笑)
      最近は辺見庸のブログ(アーカイブですが)を読んでいますが、流石に硬軟自在というか、糞真面目なわたしには時に下品で下衆過ぎてついていけないとこともありますが、そんな風に感じるところがわたしのスクエアでお堅いところなんでしょうね。(苦笑)

      「哲学的で高尚」なんて思ってもみませんでした。ただ、コメントの多いブログに嫉妬して、自分の非才を嘆いています。

      ただやはりここにもわたしの潔癖症と完璧主義は顔を出して、「自分の実力でコメントを得たい」と思ってしまうんですね。
      人気のあるブログの真似をして、というか、人気の秘訣(コツ?)を探ろうなどとは思わないですね。

      無い物ねだりかもしれませんが、もっと幅のある記事を書きたいと思います。

      でも「つまらない」から「中身がないから」人気がない、のでなければ良しとします(笑)

      コメントをありがとうございました。また登場してくださいね(笑)

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