2018年7月7日

追記


先の投稿はもちろん矛盾を孕んでいます。
例えば世界の「幸せの総量」の問題。
「誰かが泣き止めば誰かが泣き出す・・・世界の涙の総量はいつも変わらない」とベケットは書きました。
けれども、ひとりでも多くの人が幸せな人生を送れるようにと願うことは、人間の自然な、当たり前の感情です。仮に誰もが、世界中の人が幸せになることなど見果てぬ夢だと承知していても、少しでも不幸の要因を減らしたい、無くしたいと思います。

けれどもそういう現実のレベルとは異なった次元で、落魄の美、敗者の美、不幸であることの美をわたしは尊ばずにはいられないのです。

わたしには功成り名遂げて、胸を反らしている人よりも、
ひとりで膝を抱えてうずくまっている人の姿形の方が遥かに気高く美しく見えるのです。

世間と、或いは世界と折り合えない人、狎れ合わない人の後ろ姿に惹かれるのです。

「背(手)は語り、口は騙る」と言います。
黙す人たちの背中や、皺だらけの、あるいは垢にまみれた手を愛おしむことができるようになりたいと思っています。

「美」は、わたしにとっての宗教です。






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