フォローというほどではないが、時々覗くツイッターの(文学系)アカウントがある。
数日前、こんな投稿があった。
「2018年上半期の映画からのベストフレーズは、ハリー・ディーン・スタントンの遺作『ラッキー』の「つまらない雑談なら気まずい沈黙のほうがマシだ」です。」
このセリフのどこがいいんだよ?
今年は全然映画を観てないな。Hは2013年頃のブログで盛んにベルイマンを語っている。彼に心酔しているように見えたが、ベルイマンも観る気がしない。
もちろんHが言っていた『沈黙』は名作だし、もう一度観たい。
ベルイマンで今手元にDVDがあるのは『恥』『野いちご』『蛇の卵』(これは途中で寝てしまった)あれ?「神の沈黙三部作」ってなんだったっけ?『沈黙』『鏡の中にある如く』あとは?数年前わざわざ品川区の図書館まで、この三部作を借りに行ったのに。
Hがカサヴェテスについて書いていた。『こわれゆく女』。これも持ってるがそのままになっている。
大田区に住んでいた頃、母が何処かの映画館でやっていたカサヴェテス特集を観に行った。3回ほど行ったのだろうか?母はジーナ・ローランズが好きだという。
その時に観た『ラブ・ストリームス』という映画の中でカサヴェテスが語る科白について教えてくれた。
「まあ、人生なんてものは自殺と離婚、裏切られた約束と幼児虐待の連続ってところかな」
"Yeah, well, life is a series of suicides, divorces, promises broken, children smashed, whatever."
こういうのをほんとうの「いいセリフ」っていうんだよ。
再見や過去に何度も観たものも含めて今観たい映画は・・・
『十階のモスキート』『ゆきゆきて神軍』『記憶の扉』くらいか。
あ、いや!トリュフォーの『緑の部屋』、『ゴダールの映画史』ブレッソンの諸作品。とりわけ『ラルジャン』。アニエス・ヴァルダの『落穂拾い』それに『木靴の木』『春にして君を想う』そして、ああ、『ローサのぬくもり』は名作!blah blah blah...
今年初めに初めてYou Tubeで観た映画、『日本暗殺秘録』(1969年)中島貞夫監督
ラストの
「そして現代
暗殺を超える思想とは何か?」
科白ではないが考えさせられる命題だ。
けれどもそもそも「暗殺」或いは「テロル」とは「思想」だろうか?
転覆に転覆を重ねても、またいかなる体制であろうとも、国家がある限り権力があり、権力のあるところには支配がある。
狂気(兇器)の沙汰と言われ「思想以前」と言われても、それ故に、わたしはそこに人間性の哀しき美の発露を見る。
「テロリズムとは心優しき者の心に宿る思想である・・・」
ー 竹中労
とにかく今は何もできない。
本を読み、映画を観ることができる日がまた来るのだろうか?
ジョン・カサヴェテス監督『アメリカの影』(1958年)のために、ミンガスが書き下ろした曲。"Nostalgia in Times Square"
「つまらない雑談なら気まずい沈黙のほうがマシだ」
返信削除もし、私がこのように発言するとしたら、どんな心持でこの様に云うのかと想像してみました。
つまらない雑談、くだらない雑談、なんてこの貴重な人生の時間の浪費でしかない。
それよりは、気まずい雰囲気の中ではあっても、沈黙のその一時は“有意義”とする事が出来る。
と、まあ、こんな感じでした。
う~ん。わたしにはこの科白のどこがいいのかさっぱりわかりません。
削除全然粋じゃない。「つまらない雑談なら、お互い黙ってる方がマシだ」というならわかりますけど。
「つまらない雑談」も「気まずい沈黙」も「気疲れ」することには変わりはないでしょう?
一緒にしゃべってるか一緒に黙ってるかの差しかありませんよね。
まぁこれもわたし個人の感想でしかありませんので、yy8さんへの反論じゃありません。
こちらにもコメントをありがとうございました。^^
「まあ、人生なんてものは自殺と離婚、裏切られた約束と幼児虐待の連続ってところかな」
返信削除わたしにはこちらの方が感想を持てませんでした。何度読み返してみても正直云って、何が何だか解からない、と云った感じです。
やっぱり、いい加減に生きてきた人間(わたし)の、人生への思いの浅薄さが原因なのでしょう。
いや、人生への浅さ深さの問題ではなく、人生の影(蔭)の部分を見るか、明るい面を見ているかの違いに過ぎないと思います。
削除一言でいえば人生なんて嫌なことだらけという事ですが、あまりこの科白を額面通りに取るひとは少ないと思います。わたしはそのひとりですけど(苦笑)
「わたしはそのひとりですけど」と云うのがNicoさんらしくて、可笑しくて嬉しい。Nicoさん健在!と云った感じです。
削除こんなことで健在でもねえ(苦笑)
削除陽気になりたい!(爆)