この先わたしが(家族を含め)誰かを殺すことはないとは決して言えない。
わたしは親にならなかったことで、ひとりの人間を殺すことから免れた。
わたしは母に対し、生まれてきたという大罪を犯した。
わたしの父は、わたしと弟の父親になるという大罪を犯した。
わたしは生まれてきたことで、母を殺した。
父は親となることで、わたしと、弟を殺した。
わたしは生まれてきたことで自らを殺した。
我々には悲劇的な結末しか待っていない。
Oh i once had love
And plenty of money
But someway, somehow
You know i failed, yes i did
Now all, all i have
In my pocket, it's a shame
All i can give account of
Right now is a nickel and a nail
|
Times Square, 1955, Erwin Blumenfeld |
出自のない裸体、絡め取ろうにも手がかりのない抽象的物体、自らの存立を問い直すような性の深淵、そんなのを見るつもりはないわけね。
[2002年5月19日(日)その2]
2002年12月5日(木)その1 |
6歳の頃私が考えていたこと。あるいは責任について。 「人間性」とは感情移入される能力のことであり、感情移入「する」能力ではない。 ほとんどすべてのヒト(ホモサピエンス)が人間であるのは多くの人々に感情移入されているからである。ヒトであるだけでまずヒトは感情移入され、人間となる。 しかし、人間はヒトに限られるわけではない。感情移入されれば人間になるのだから、ぬいぐるみだって人間でありうるのである。 そう、ピエロちゃんは人間だった。私が人間にしたのである。「した」と言う言い方は傲慢だ。言い換えると、ピエロちゃんは私にとって人間として存在していた。 上に書いたようなことを私は小学校1年生ながら理解していて、すさまじい責任を感じていた。なぜなら、ピエロちゃんに感情移入しているのは世界でおそらく私一人だったからだ。ピエロちゃんが人間であるかどうかは私一人にかかっていた。これは大きな責任である。ピエロちゃんに対する責任に比べると、この意味での責任を例えば生まれたばかりの弟に感じることはなかった。私一人弟に感情移入しなくたって世界中のおそらくすべての人間は彼を人間として扱うだろうから。 私がピエロちゃんが人間であることを忘れてしまったら、ピエロちゃんはきたない布切れで構成されたくたびれたピエロのぬいぐるみに過ぎなくなってしまう。それは人殺しだと私は思っていた。私がピエロちゃんをどこかに置き去りにしてしまったらピエロちゃんを見た人間は誰一人ピエロちゃんを人間だと思わないだろう。忘れもののぬいぐるみだと思って捨ててしまうかもしれない。 そして実際私はピエロちゃんを忘れ、ピエロちゃんはどこかにいってしまった。 ピエロちゃんはいつのまにか捨てられた。殺された。 違う。私が、ピエロちゃんを、殺した。 (私が子供を産まずペットを飼わないと決めている理由の一つは、私がピエロちゃんを殺した人間だからである)。 ◇ 「ヒトであるだけでまずヒトは感情移入され、人間となる。」 という意見には大いに異論があるが、それは措いて、 「母の死と同時にわたしの生命も終わる」というのはこのようなことだ。 つまりわたしは母によって「人間」となり、母にとってのみ「人間」なのだ。 |
Frank Auerbach – Head of Julia, 1960 (Left) / Head of Julia II, 1960 (Right) |
「なぜリスカ痕を隠すのか」
正直なところ、隠さなくても受け入れられる世の中なら隠したくはないです。自分の生き抜いた証だと思っていますので、、、。
しかし、世間の目はタトゥーを見るのと同じです。痕のせいで仕事にも就けません。
だから隠すのです。
小林秀雄氏の訳によると、『テスト氏』の中には、悪の問題についてわかりやすくふれている部分が少なくとも一箇所あります。テスト氏の夫人に向かって、夫人の敬愛する牧師が、テスト氏のひととなりを批評するくだりです。彼はテスト氏にくらべては鈍くても、なかなか頭の良い牧師であり、かつ牧師であることによって、我々知的弱者に親しい言葉を口走ります。
牧師の考えでは、テスト氏はまず「孤立と独特の認識の化け物」であります。そしてテスト氏の所有している倨傲が、彼をそんな不可解な物にしてしまったというのです。その倨傲は、実際の生きたもの、ただ現在生きているものばかりでなく、永遠に生きているものを悉く除き去ろうとするような倨傲だそうです。・・・・云々
私が犯す不善は
聖書の中に書かれていないから、
聖書は私の母ではない
彼は私を抱きしめることができない、
その不善は
あくまで獨創的で
私のものでなければならない。