2021年5月31日

時代に逆らって書くということ

 
天野忠に「エピローグ」という詩がある。

あなたの詩は
よく効く薬のように
激しい副作用がある。
だから用心して
時間を置いて
ほんの少量をたしなむ。

あなたの詩は
おだやかな薬のように
効き目は薄いけれど
つよい副作用がない。
だから安心して
長く服用する。

あなたの詩には
全く副作用がない。
しかし、残念なことに
本作用もない。
だから
服むこともない。




これまでわたしの書いてきた文章はどうだったろう。
本人は一番目のような、強い効果乃至毒性のあるものをと無意識の裡に望んでいた。
おだやかな春の日差しのような文章はわたしには書けなかった。
三番目に関しては何とも言えない。
ほとんどの人たちにとって、わたしの文章は、自分とは関係のないものとして黙殺された。
これは、副作用もない代わりに主作用もないということと同じではないか。


「書き置き」

ひとり暮らしの
足の不自由な
おばあさんが
自殺しました。

長いあいだ
朝も
昼も
夜も
仲良しだった
唯一の友へ
ひとこと書き残して。

 「さよなら テレビさん
  元気で」


この詩を読む度に、目が潤んでくる。

わたしはテレビを視ないのでここ10年・・・いや、20年くらいのテレビ番組がどのようなものなのかを知らない。

このようなおばあさんにひつような、
 
「おだやかな薬のように効き目は薄いけれど
つよい副作用がない
だから安心して長く服用できる」ような番組がそんなにあるのだろうか?

「昔はよかった」という趣旨の投稿をした時に、あるブログの筆者と、その仲間たちに散々馬鹿にされ、嗤われた。

けれども、全ての人がもれなく、「ニューノーマル」だ、「これからのあたりまえ」だという世界に馴染めるわけではない。いったいそんなに急ぎ足で人生を駆け抜ける意味とはなんだ。
変化のスピードが速ければ速いほど、時代についてゆけない、わたしを含めた「足の不自由な人たち」が取り残される。しかし、脱落する者たちをあざ笑うかのように、時代の列車は速度を上げてゆく。

わたしはとうの昔にそんな世界から降りている。

反・時代、反・進歩を標榜することは、いうまでもなく敵を作る行為に等しい。「敵」とまではいわずとも、つねに孤独・孤立はついてまわるだろう。

けれども不器用で狷介なわたしが「書く」ということは、畢竟そういうことなのかもしれない。


ー追記ー

天野はんの他の詩に在った高村光太郎の最期の言葉「死ねば死にっきり!」という言葉に僅かに心慰められている。


※参考文献『現代詩文庫 85 天野忠詩集』(1986年)












2021年5月30日

夢の中


Dreaming, ca 1900, Alfons Maria Mucha (1860 - 1939)
- Pastel, Gray paper -

「ドリーミング」アルフォンス・ミュシャ、1900年(茶色の紙にパステル) 

*

「夢は第二の生である」

ージェラール・ド・ネルヴァル






 

2021年5月29日

ペンと剣

 
「ペンは剣よりも強し」とは、人々がペンの力によって、剣を手にする勇気を得た時のことを言うのだ。








野の花


 Wildflowers, 1915, Tom Thomson. Canadian (1877 - 1917)

「野の花」カナダの画家、トム・トムソンの1915年の作品です。






憎むことを知らない者たち

 
そもそもニッポンには社会があるか疑わしいのだ。西欧的な意味合いで社会というとき、「個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳を持っているとされており、この個人が集まって社会をつくるとみなされている」(阿部謹也『「世間」とはなにか』)。とすればこの国には西欧的概念としての社会はないのであって、あるのは「非言語系の知」の集積たる「世間」なのである。

社会ということばは輸入語でありSocietyの訳語だった。個人も同様で、もともと日本語にはなく、Individualの訳語として19世紀後半にお目見えしている。社会や個人の概念がこの国に定着したかというと、阿部謹也氏によれば否だという。国家権力との緊張関係を前提とする社会や、その成員としてそれぞれに異なった内面世界をもつ個人はこの国にはなじまなかったということだ。万葉以来千年にわたり時空間の暗黙の秩序をつかさどってきているのは、やはり非言語的(非論理的)価値体系でもある世間なのである。

こういってもよいだろう。ニッポンは社会と世間の二重構造によってなりたっていると。社会は建前であり世間が本音である。タテマエでは、人には生きる価値のあるものとそうではないものの区別はないと言いつつも、ホンネでは、<死すべきもの><生きるべきもの>の異同を暗々裡に認めている。かくして死刑制度は世間によって強固に支持される。世間は天皇制、軍国主義、独裁政治、ファシズムとうまく調和しながらそれらを下支えしてきた。

ー辺見庸『コロナ時代のパンセ』
(下線、引用者)


日本には、所謂西欧的というか欧米的な「社会」も、また「個人」も存在しない。
それでなんとなく分かった気がする。何故日本人は闘わないのかということの訳が。
これだけ踏みつけにされても、日本人のデモは決して暴徒化することはない。そして欧米のように、政府がこう決めましたということに怒り、ほとんど条件反射的にたちまち百万人単位のデモ隊が街頭を埋め尽くすという光景に出逢ったこともない。ヨーロッパでしばしば行われるゼネストが、この国で最後に行われたのはいったいいつのことだったのだろう。
欧米に限ったことではない。韓国では前大統領弾劾の際にやはり数百万人規模のデモが行われた。

阿部謹也氏は、「社会は国家権力との緊張関係を前提とする」と述べている。その緊張関係は、時として、市民に牙をむかせる。ところが、日本人が牙をむくのは、常に自分よりも弱い立場にある者たちに対してである。
辺見庸ー阿部謹也は、「世間」とは「非言語的(非論理的)価値体系」であると言っている。世間とは「非言語系の知」の集積であると。これは本来阿部氏が言わんとしている文脈からは離れるが、欧米諸国やそのほかの国々でしばしばみられる、大規模デモやその暴徒化、そしてゼネストは、正に「非・言語的」社会活動ではないか。極論すれば社会と個人との間の緊張関係は、時に、生きるか死ぬか、殺るか殺られるかの次元で発現する。


昨年物故した作家、坪内祐三に『右であれ左であれ思想はネットでは伝わらない』という著書がある。内容はタイトルとはあまり関係のない、インターネット出現以前の日本の知識人と呼ばれた人物たちの紹介である。

坪内のSNS嫌いは夙(つと)に知られており、「ツイッターには文脈がない」と批判していた。
SNSユーザーも、また当然ツイッター上で坪内批判を展開した。

昨年だったか、辺見が、(あれほど嫌っていた)「ツイッターを始めました」という報せを彼のブログで発見した時、彼も堕ちるところまで堕ちたな、という思いを抱いた。そして更に既刊本を何冊も「電子書籍」化しているのを知り、本気で、辺見庸とは縁を切ろうと思った。所蔵していた彼の本もすべて処分した。
そしてその気持ちを、毎日新聞出版部の彼の長年の担当編集者にメールにして送った。
その頃はまだツイッターのことは知らなかったし実際、やってもいなかっただろう。ただわたしは、ブログで、そして自著の中で、大手マスコミを撫で切りにしながら、新刊が出版される段になると、微笑みをたたえてインタビューに応じる彼の器用さ、融通無碍な感じ、狡猾さについて言行不一致ではないかと、彼を難詰したメールを書いたのだった。無論返事は無用ですと書き添えて。
翌日メールを送った編集者から電話があった。盛んにわたしの言い分はもっともとしながらも、辺見の擁護に終始している印象しか残っていない。

今回数年ぶりに彼の新刊を手に取ったのは、やはり彼の思想に共感するところが大きいからだ。「巧言令色少なし仁」という言葉が辺見庸に当て嵌まるか、わたしにはわからない。
このように辺見庸の言葉にいちいち頷きながら、しかし、わたしにとって、彼は最早、どこに行くにも彼の本をお守りのようにバッグに入れていた頃とは違っている。当時は言えた「心酔」という言葉を今、辺見庸に対して使うことは難しい。


日本には、非言語的社会活動=デモ、暴徒化、ゼネストといった闘争がない。闘いが存在しない。
一方で、言語活動だけは極めて盛んなようだ、日本学術会議の委員任命を菅が拒否した時、それに反対する署名がツイッターで500万だか集まった、それで菅は、政府関係者は顔色を変えて戦(おのの)いたか?これが仮に一千万だったら、菅の態度も変わっていただろうか?
SNS上では菅の言動がいかに過っているかという、非の打ちどころのない正論が飛び交っていたのではないか?しかしこの国のトップにとって、そんなものは痛くも痒くもない。

SNSとは「社会」ではなく「世間」であると考える。かほどに日本人の多くはSNSに依存している。SNSが「社会」ではなく「世間」であるというのは、そこにいかなる形での「社会」乃至「権力」との対立・緊張関係が存在しているのかがわからないからだ。
どんなに主張が正しくとも、それによって権力が倒されるということはない。
何故なら、権力とはそのような善や悪の彼岸に存在しているからだ。

目取真俊さんは「日本は舐められている」と。「なめられて当たり前だと思います。パレスチナでは、子供たちがイスラエル軍の戦車に石を投げているのに、(沖縄の米軍基地前では)シュプレヒコールしてプラカードで抗議しているだけですからね。アメリカ兵から、お前ら自爆テロもできないだろうと思われてあたりまえなわけです」
「よその国ではレイプしたら報復されて殺されるかもしれないが、沖縄、日本ではそんなことはない。」(略)米兵にしてみれば、沖縄は「ぬくぬくしたリゾート地」であり「夜中に酒飲んで歩いていても後ろから刺されることも、撃ち殺されることもない」と作家は語っている。

(同書)

全面的に同感である。

沖縄を日本人に、アメリカ兵を日本政府に置き換えることは充分に可能だ。

大状況を変えるには、こちら側も、欧米諸国のように、非・言語により拮抗する大状況を持たなければならない。何百万人の人たちが、スマートフォンで、ツイッターに、現政権にNOと書きこんだところで、それを権力に拮抗する力とは言わない。


元号が明治に代わり、新生日本は「脱亜・入欧」をスローガンとして掲げた。
しかし、ヨーロッパから持ち帰ったものは、機械文明と富国強兵への道筋だけで、肝心の民主主義や自由・平等・博愛の精神は受け取ることはできなかった。
そして最も肝心な「社会」や「個人」「基本的人権」という概念も。しかし、「日本という国」にとって、欧米的な「社会」や「個人」「人権」という観念は、「脱亜・入欧」を唱えていた当初から、在ってはならないものだったのかもしれない。












2021年5月28日

鳥の巣


 Lady with a Hat II, Mirror, 1981, Albín Brunovský (1935 - 1997)
- Etching, Drypoint and Mezzotint -

*

“You cannot keep birds from flying over your head
but you can keep them from building a nest in your hair”
― Martin Luther


鳥たちがきみの頭から飛び立ってゆくことをおしとどめることはできない。
だが彼女たちがきみの髪の中に巣をつくらせることはできる。
ーマルティン・ルター









2021年5月27日

なにが規準になり得るのか

 
辺見庸の『コロナ時代のパンセ』は、今年、2021年4月25日に毎日新聞社から出版された。収められた86篇のエッセー乃至論考は、月刊『生活と自由』(生活クラブ連合会)に、2014年2月から2021年3月まで掲載されたものである。つまりいちばん古い記事は7年前の2月のものになる。

辺見の大嫌いなモノが四つある。「戦争」「天皇制」「死刑制度」そして「オリンピック」である。それかあらぬか、辺見庸は中央のメディアからはほぼ黙殺されている。「朝日」「毎日」「読売」所謂3大紙は悉く東京オリンピックの公式スポンサーである。(現在は既に過去形なのかは知らないが)そして彼はいうところの「リベラル派」の論客をも嫌う。当然ながらリベラル派も辺見を嫌う。


さて、先日「生は特権化された人々の権利に過ぎない」というアメリカのフェミニスト・哲学者であるジュディス・バトラーの言葉を引いた。
これは今年、2021年に書かれた「なぜ働きつづけるのか?」というタイトルの論考にあった言葉である。

以下その文章を引用する。


現実は小理屈ではすまないほどにリアルである。もともとそうだったのだが、ますます隠しようがないほどに切羽づまってきた。コロナと大不況・・・人間はいまや「生きるか死ぬか」というほどに追いつめられているといってもオーバーではないだろう。失業したくないから、条件が悪くとも働きつづける。だが働くのも命がけである。生活のためにはウィルス感染の危険を冒してでも労働せざるを得ない。失業ー貧困ー病気ー無収入のプロセスは、もともと頼りないセーフティーネットから容易に漏れ、死へと直結する。

「誰が命がけで働くのか。誰が死ぬまで働かされるのか。誰の労働が低賃金で、最終的には使い捨て可能で代替可能なものなのか」。バトラーによれば、パンデミックはこれら「一般的な問い」を、あらためてなまなましく浮かびあがらせ、答えを迫っている。「職業に貴賎なし」「同一労働・同一賃金」といったお題目は、依然、”正論”ではあるのかもしれないが、従来の足場を失いつつあるのだ。

昨夏、若い女性がカッターナイフを手に真珠販売店に入り、お金を奪おうとしたが未遂、すぐに交番に自首したという記事が九州の新聞に載った。女性は新型コロナの影響で客足が遠のいたうどん店を解雇され、生活に窮し、公園で寝泊まりするようになった。彼女は一時、「食べ物を下さい」と書いた紙を掲げて公園に立っていたという。胸が締め付けられる。

この風景は、路上生活者の女性をバス停のベンチから立ち去らせようとしてひどい暴力をふるい、死に至らしめた”きれい好き”の住民の挙措と重なる。新型コロナは、多数の失業者とともに、おびただしい「過剰潔癖症候群」を生み出しつつある。後者は一般に、職を失い重い影を引きずって街をさまよう人々を地域から排除しようとする。お腹を空かせた失業者がコンビニでパンや弁当を万引きすると、さもとんでもない重大犯罪でもあるかのように詰(なじ)る。

なんだか胡乱な目をしたこのクニのトップによれば「自助・共助・公助」だそうである。なべて「自己責任」なそうな。福祉・公共サービスを縮小し、公共事業は民営化、規制緩和により競争を煽り、貧者、弱者保護政策を最小化するいわゆる「ネオリベラリズム」を臆面もなく推進する現政権にとっては、「食べ物を下さい」の女性も、殺された路上生活者も、増えつづける自殺者も、「自己責任」ということになるのか。

1970年代のスタグフレーションをきっかけに物価上昇を抑える金融経済重視政策が世界の主流になり、レーガノミクスに象徴されるような「市場原理主義」への回帰が大勢となった。いうまでもなくここには貧者・弱者保護の精神はまったくない。2013年6月発表の「日本再興戦略」いわゆるアベノミクスも、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を政策運営の柱としたが、まちがえてもらっては困る。レーガノミクスもアベノミクスも、貧者、弱者切り捨ての上に成り立った「富者のための戦略」だったのだ。

コロナ時代のいま、哀しいかな、「生は特権化された人々の権利」に過ぎない(バトラー)のかもしれない。貧しい人々は、にもかかわらず、コロナの死線を越えて日々働き続けなければならない。でなければ今日を生きながらえることができないからだ。


この辺見庸の文章を読んで、「ちょっと大げさすぎるんじゃないの」「ちょっと騒ぎ過ぎなんじゃない?」と感じる人も少なくないと思う。
彼自身書いているが、東京の某紙では彼のことを「オオカミ老人」と呼んでいるらしい。

山本薩夫監督の『武器なき斗い』では、共産党議員でさえ、「日本がアメリカと闘うなんて、いくらなんでも日本政府も、そこまで馬鹿じゃないよ」と苦笑しているシーンが強く印象に残っている。

確かに街を歩けば、「すべて世は事もなし」といった、辺見の描く世界とはまるでかけ離れた一見平和そうな人々が当たり前の、昨日と変わらぬ日常世界を歩いているように見える。けれども、世界の近・現代史を振り返れば、既に取り返しのつかない段階になって、「あの時が分岐点だったんだな」と気づくことはしばしばある。「あらゆる重大なことは凡て「にもかかわらず」起きる」という中島敦の言葉を思う。


世のひとびとに、真実を伝える人物を、「Fool」=「愚か者」と呼ぶ。良寛が自らを「大愚」と称したのと同じである。

『武器なき斗い』では、共産党の仲間からすら失笑されつつ、労農党の山本宣治議員(1889 - 1929)は、演説の前夜に暗殺される。実時間に於いて、彼の言葉に耳を貸す者はいなかった。彼もまたひとりの「ほらふきおおかみ」であった。故に彼は己の孤立を悟り、「山宣ひとり孤塁を守る」としたためたのだ。

そして時代は正にやませんの予言した通りの路を辿ってゆくことになる。

彼の墓には「山宣ひとり孤塁を守る」という言葉が刻まれている。

辺見庸はオオカミ老人かもしれない。フールかもしれない。けれども、彼のような存在がいないと考えると、最早このクニに信頼できる論者はひとりもいない。

嘗て坂本和義明治学院大学教授は、世間が極端に一方に偏っているときには、逆の方角で、極端な人がいた方がいいんです。と述べていた。

「辺見庸ひとり孤塁を守る」それでいいと思うのだ。











2021年5月26日

ひとを幸福にさせない「日本」というシステム

 
ある本を読んでいて、一見どうということのないトートロジー(同語反復)にいたく感じ入った。「あなたがたがダメなのは、ほかでもなく、あなたがたがダメだからだ」。
簡明といえば簡明。しかし生きる出口を封じる極めて残忍な、今日的ロジックである。あなたがたの貧困は政治や社会ではなく、あなたがたの「無能」にげんいんがある、と同義の、これこそいわゆる新自由主義の論法だ。それがいま、「自己責任」論とともに、世界に蔓延している。
新自由主義とか歴史修正主義とかいえば批判が足りるとおもうのは大きなまちがいだ。わたしたちはここにきてにんげん圧殺の怒濤のような流れに直面しているのであり、極論するならば、各種ヘイト・クライムにたいしてもあまりにも無抵抗である。ヘイト・クライムはげんざい、人種・民族差別を超え、生活保護受給者や申請者ら貧者や社会的弱者を「怠け者の常習的たかり屋」などと決めつけて排斥する流れにもなっている。

なつかしくおもいだす。英国の全労働者は自分たちを組織的に搾取している富者にたいし、「深いうらみ」をいだいており「このうらみはあまり遠からずして ── ほとんど計算しうる時期に ── 革命となって、それに比べれば第一次フランス革命と1794年(「テルミドールの反乱」)も稚戯に類するであろうような革命となって、爆発するのである」と、エンゲルスが予言した(『イギリスにおける労働者の状態』)のはむかしもむかし、1845年のことだった。エンゲルスはマンチェスターの工場で労働をし、資本家による過酷な労働者搾取を身をもって経験したのだった。だが、エンゲルスのいうような革命は起きなかった。革命いまだし・・・・というべきかどうか、わからない。

経済的・政治的に対立する階級間の争いを階級闘争といい、往時はもっぱら搾取される労働者が資本家側にしかける争議をさしたものだが、げんざいは「上からの階級闘争」が主流になっているという見方もある。富者が貧者に攻勢をかけ、いよいよ崖っぷちまで追いつめているというのだ。富者=善。貧者=悪「あなたがダメなのは、ほかでもなくあなたがダメだからだ」という理屈によって。

ー辺見庸『コロナ時代のパンセ』(2021年)
(下線、引用者)

◇ 

あるブログの筆者及びその取り巻きが、わたしの社会批判に対して常に用いていたフレーズがある。
「自分を常に弱者の立場に置いておきたいのだ」「自分は常に被害者でいたいのだ」
更に「自分の不幸を社会のせい・政治のせいにするような人間にはなりたくないね」

この論法を聴くたびに、怒りや悲しみといった感情以前に、わたしには彼らのロジックがさっぱり理解できなかった。彼らの論理によれば、世の中で弱者と言われる人、被害者と呼ばれる人、いじめやパワハラに苦しめられている人、それでも訴訟を起こす財力も気力もなく、ただひたすらうづくまって生きている「虐げられし者達」は、誰もが、自分を「被害者の立場に置いておきたい人」「弱者の位置に居座りたい人」たちばかりだと言うことになりはしないか。彼らは言うだろう「自分を見つめず、社会や政治が悪いと言っているほうが楽だからな」「自分には非はないと思えるし」

わたしはこういう考えを持つ人間が心底恐ろしくなり、同時に強い憎しみをおぼえるようになった。

彼らが言っているのは、結局、「社会」「政治」は常に正しいということに他ならない。

そしてエンゲルスも御多分に漏れず、その道理がわからない愚か者であった。


サム・クックにA Change is gonna come という歌がある。「変化はもうすぐやってくる」
キング牧師たちの公民権運動に連動した名曲である。
以前You Tubeでこの歌を聴いていたら、A change is YET gonna comeと書かれたコメントが目についた、上の辺見の言葉を借りれば「改革(=「自由」「平等」「博愛」いまだし」という感じだろうか。

わたしが心を病んだ人たち、或いは引きこもりと呼ばれる人たちのブログを読んで屡々思うのは、彼ら自身の中に、「あなたがダメなのは、ほかでもなくあなたがダメだからだ」という、為政者にとって極めて都合のいい論理が知らず知らずのうちに内面化されているのではないかということだ。もしわたしの推測が左程大きな誤りでないとしたら、彼ら/彼女らにそのように思わせているのは何(誰)なのか?

階級闘争に関していえば、最近はエンゲルスがいうように、自分たちを非・人間的な搾取の対象としてしか見做していない経営者たちへの憎悪が人民を蜂起させるのではなく、また政府が生活保護費を引き下げ、逆に介護保険料を引き上げ、社会的に弱い者を徹底的にいためつけるというだけにとどまらず、アフロ・アメリカンたちに見られるような、或いはヨーロッパ各国で見られるような横のつながり=連帯がなく、ワーキング・プアが生活保護受給者の受給額の引き下げは当然と考える向きもあるようで、そのようなことを聞くたびに暗澹とした気分になる。健康で強い者であれ、社会的弱者であれ、ひとりひとりが孤立していたのでは無力だが、連帯することによってはじめて力を持つことが出来るということを我々はまだ知らないし、それを教えてくれるリーダーも存在しない。


尚、今回のタイトルに使った「人を幸せにさせない日本というシステム」というのは、

元「南ドイツ新聞特派員」カレル・ヴァン・ヴォルフレンの著書
『人間を幸福にしない日本というシステム』(1994年)の書名をもじったものです。
「幸福にしない」を敢えて「幸福にさせない」と変えてみました。
カレル・ヴァン・ヴォルフレンは『民は愚かに保て』というタイトルの本も出しています。











2021年5月25日

「わたし」は「あなた」ではない。「あなた」は「わたし」ではない。では「わたし」は永遠に「わたし」であり続けるのか

 論理学で「自同律」ということばがある。「A=A」の形で表わされるもので、概念は、その思考の過程においては同一の意味を維持しなければならない。と言うことなのだが、なに、さほどにむずかしくかんがえることもあるまい。A=Aは、「わたしはわたしである」という根本的というより、あたりまえの同一原理にひとしい。しかしA=Aは、敷衍すれば「わたしがわたしである」ことからどうしても逃れられない、という自己強制か自縄自縛の論理にもなりかねない。わたしがわたしであり、そうでしかありえないとしたら、悦びであるよりも、不快にもなりうる。

先日作家の目取真俊(めどるましゅん)さんと対談した折に、「自同律の不快」にわたしの方から触れた。といっても、この不快感についてはもともと埴谷雄高が言いだして有名になり、目取真さんはそれをうけて、A=Aを、「日本に住むもの=日本人」に転移し、はげしい不快感を表明していたのであった。「私は、と口にして、日本人である、と言い切ることのできない『自同律の不快』が私にはずっとある」(『論座』2006年7月号)。同じエッセイで、さらにこうも書いていた。「私の国籍はいま日本にある。しかし、私は日本人である、と言い切ることには生理的嫌悪さえ覚える」
 (略)
目取真さんは「私はあくまでウチナンチュー・沖縄人であり、沖縄に強い愛郷心は抱いても、日本という国に愛国心を持とうとは思わない」ときっぱりと言いきっていた。いわばA=Aへの反逆であり、「日本に住む者=日本人」への謀反である。

ー辺見庸『コロナ時代のパンセ』より

◇ 

「わたしはわたしであり、わたしでしかありえない」と言うことは自明のことだろうか?
現に辺見庸自身、老いと衰えという自分自身の「変化」に戸惑っているではないか。主観的には「わたしはいつまでもわたし」であっても「心身の衰え」がそれを裏切る。そこでは最早A=Aという自同律は成立しない。

一方、現在76歳の辺見が、自分の老いを持て余しているのとは逆に、57歳のわたしは既に気分は76歳と変わらない。わたしはまだ50代だなどとは意識の上では到底思えない。
身体の衰えと、思考力の低下、母の援けを借りなければ自分ひとりではほとんど何もできないことを考えると、所謂「実年齢」が57歳なのか78歳なのかよくわからない。
「実年齢」というものが、生まれてからこんにちまでの年月を言うのなら、確かにわたしは57歳だが、身体機能、及び精神的な状態の衰えの度合いを以て測定するものなら、わたしは明らかに高齢者に違いない。


わたしが現代社会についてゆけないのは、肉体の衰えや、精神活動の低下乃至劣化のみに因るのではない。

わたしが普通の人たちにどうしてもかなわないと屡々感じるのは、おそらく本を読んでいるからではないかと感じるのだ。大学時代から「何故生きるのか?」=(Why ?) ばかりを考え、「どう生きるのか?」=(How ?)についてほとんど思考したことがないからではないか、と言うことだ。
「自同律」ということで言えば「わたし=考える人」ということが、わたしを並みの人間よりも劣った存在にしている。
けれども「わたし」は「考える人」であるという同一律からおそらくは逃れることはできない。

ずっと孤独でいると、身体的なことを別にして自分のどこがどう「おかしくなってきている」のか、誰も教えてくれない。以前、時々わたしのブログを読んでもらっている主治医に、「確かに文章は上手いけど、書かれていること=価値観は、やっぱり「ビョーキ」ですね。」と言われたことがある。

先日或る人から、わたしのブログを見たことはないが、ひょっとして、密かに共感してくれている人もいるかもしれないじゃありませんか、ということばをもらった。その言葉がどれだけわたしを励ましてくれたか。

けれども、今はその人の何気ない親切な言葉に感謝しつつも、わたしのブログに共感してくれる人などひとりもいないと言いきることができる。なぜなら今ではわたしも主治医と同じ意見であり、文章も、とても自分の目指している水準に遠く及ばないどころか、日に日に読むに堪えない悪文になってきていることを実感しているからだ。

わたしは自分の頭で考えない人を好きになれない。しかし現実には、自ら考えることによって、より劣位の存在になっている。そして「わたし=考える人」は、それにもかかわらず、不快ではない。


ー追記ー

わたしは、自分が好きではないが、こんな出来損ないをここまで生かしてくれた「自分」という存在を罵るのはもうやめようと思っている。わたしの身体はわたしという生体をここまで守ってくれ、わたしが愚かなのは、決してわたしの精神のせいではないのだから。










2021年5月24日

サムウェアー・ダウン・ザ・ロード


 Ralph McTell  - Somewhere Down The Road Live

先日紹介した英国のシンガー、ソングライター、ラルフ・マックテルの「サムウェアー・ダウン・ザ・ロード」。彼の70歳のバースデー・コンサートの模様です。
ひょっとしたら、彼の代表作である「ストリーツ・オブ・ロンドン」よりもこちらの方が好きかもしれません。







「生きるってのは・・・・ずいぶん屈辱的なんですね・・・・」

『コロナ時代のパンセ』、3分の2ほど読み終えた。これまでに読んだ分で、いちばんこころに深く残っている言葉は、辺見庸の友人が彼に言った「生きるってのは・・・・ずいぶん屈辱的なんですね」という述懐である。


友人の父がまた入院した。ときどき意識がうすれ、食べ物の飲みくだしがむずかしくなるので、どうしても付きそいと介助がいる。ひとり息子の友人は去年、仕事を休み、両親の介護に明けくれたすえに母を喪ったばかりで、心身共に疲労の色が濃い。
絞り出すようにつぶやいた。「生きるってのは・・・・ずいぶん屈辱的なんですね・・・・」。ドキリとしたまま返事に窮する。屈辱的とは、父親のことか、じぶんのことか、それとも、今生きてある人間たちぜんぱんについてそうなのか。屈辱の意味と所在についてせんさくし、わたしはおもいを沈めた。友人が察して話題を変えてくれた。意識が遠のく父の耳に「お父さん、お父さーん!」と懸命に声をかけていたら、肝心の父親ではなく、隣の病床の患者が「はーい」と明るく返事したのだという。だんだんからだをうごかさなくなる父に、せめて手くらいはなんとかさせようと、「はい、グーパー、グーパー」と号令をかけていたら、さっぱり応じないのに、認知症もあるらしい隣の患者がしきりに「結んで開いて」をやっていたとか。笑えないが笑ったふりをした。
 (略)
病院側はだれもことばはやわらかい、けっして暴言を吐いたりはしない。患者を理不尽に叱ったりもしない。だがそれ以上でもそれ以下でもない。治療は特に熱心でも、観察するところ、ことさらに手抜きをしているのでもなく、さりとてべっしてやさしいわけでもない。問題の析出は容易ではない。老いおとろえたか弱い<生体>の危機をめぐり、しかし病院は、いや社会ぜんたいが、なにかシステマティックに、無機質に乾ききり、それに慣れっこになっているのではないか。法的にはなにも問題はない。ただ、法的に問題がないことが、ただちに人間的に、あるいは究極の人間倫理にかなうかどうかはまたべつのことじゃないか。
治療費、入院費をはらえず、病院が治るみこみもない患者を、強制的に<たたきだす>のではなく、ていねいなことばで<退院していただく>からといってそれが暴力でないといえるのだろうか。

ー辺見庸『コロナ時代のパンセ』(2021年)

そういえば、昨年、コロナ禍第一波の頃だったと思うが、病院の病床がいっぱいになり、空きが出来た時に、まだ働ける者の処置を優先したということを、うそかまことか、屡々耳にした。 わたしはテレビも視ないし、新聞も遠ざけ、ネットのニュースにも関心がないので、不正確なことしか言えないが、病人の治療に際し、なんらかの条件を満たしている者を優先するということがはたして許されるのだろうか?
八十代の老人と、四十代の働き盛りがほぼ同じ時間に搬入された時、後者の治療を優先させるという事実があった(ある)としたら、その選別の根拠は何か?それはとりもなおさず、「人の命には軽重がある」ということを医療関係者が問わず語りに認めていることに他ならないのではないか。
はたして人間(医療者)にその判断を下す資格があるのか?あるとしたらそれは如何なる根拠・権限に基づくのか。
「生」というものが「老・病・死」と不可分である以上、今日治療を受けられたもの、治療したものも、いずれは、「後回し」にされるということになる。
何故なら彼らもやがては「老い、病み、衰え」る存在であることから逃れることはできないのだから。


しかし仮に辺見庸の友人のような境遇から免れていたとしても「生きるということは屈辱的なこと」であることに変わりはない。

「生まれてきたことが既に敗北なのだ」とエミール・シオランは言っている。

しかし誰もがそうであるというわけではない。世の中には我々を辱め、貶め、尊厳を傷つける輩がいくらでもいる。

また孤独・孤立・疎外・無理解も我々に深い苦悩と厭世観の味を教えてくれる。

故にわたしは孤独の苦痛、「生きることの屈辱を」少しでも和らげてくれるものとしてのドラッグやアルコールを否定しない。

坂口安吾は、「薬物中毒」について、

「孤独であるうちは何度でも手を出す、薬物中毒から抜け出すには何よりも友達=孤独でないことが必要だ」と書いている。

また一方で、

・・・しかし私のように、意志によって中毒をネジふせて退治するというのは、悪どく、俗悪極まる成金趣味のようなもので、素直に負けて死んでしまった太宰や田中(英光)は、弱く、愛すべき人間というべきかもしれない...
とも書いている。

全面的に賛成である。

生きるということは、屈辱的であると同時に、それほどまでに過酷なのだ。







2021年5月23日

生は特権化された人々の権利か

 
現代アメリカのフェミニストであり、哲学者でもあるジュディス・バトラーは、「生は特権化された人々の権利に過ぎない」とまで言っている。

このジュディスの言葉も同じく『コロナ時代のパンセ』ー 辺見庸の中で見つけたものだ。
この本は現在予約が6人入っているが、もっともっと読まれていい。辺見は1944年生まれで、今年76歳になるが、今の若者にこそ読んでほしい。

ところでわたしは、ジュディス・バトラーのように「生は特権化された人々の権利に過ぎない」とは思わない。何故なら何度も書いているように、わたしは、「生」というものを格別素晴らしいものであるとは考えていないからだ。
太宰治は「生まれてきたのが運の尽き」といい、エミール・シオランは、『生誕の災厄』(生まれてきたということの不都合について)というタイトルの本を著している。

わたしは自分が極めて特異な存在であることによって、或いは様々な障害を持つことによって、常に孤立し、疎外されて来た。それがわたしの「生」であった。それゆえどうしても、「生が特権階級のもつ権利」などとは思えない。

無論ジュディスは「生一般」についてではなく、人間が生きてゆく上での諸権利について語っていることはわかる。例えば日本国憲法第25条を例にとれば「全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と言うとき、では現実に日本国民及び(国籍を問わず、現在日本国という国土内にいるすべての人間)が「健康で文化的な生活」を、「平和で安全な人間らしい生」をだれでもが享受しているのか?ということに対する全き「NO!」であることは明らかである。

しかし、そのような視点からしても、カミュのいうように「にんげんは誰もが「不条理」と双子として生まれてきた」という言葉が思い出される。

われわれ人間の生来の愚かさが、その賢明さをはるかに上回っているということは、歴史が証明しているのではないか。


ジュディス・バトラーのいう「生」とは「人間が人間らしく生きていること(生きることが出来ること)の謂いである。

2021年2月、2013年から実施された、「生活保護費の引き下げは不当である」とする原告の主張が大阪地裁で認められた。原告は全国の生活保護受給者約千人、一審の名古屋判決ではこの訴えは斥けられ、二審の大阪地裁で、「生活保護費の引き下げは違憲である」という判決が下された。けれども、この原告勝訴を受け、直ちに大阪府内の全ての自治体が判決を不満とし控訴した。更に次に行われた札幌地裁の判決でも、「大阪地裁の判決は不法判決」であると、再度原告側の訴えを斥けた。

おりふれ通信 2021年4月号


ジュディス・バトラーとわたしとの大きな相違は、わたしは人間というものに何の期待も持っておらず(持てず)、ジュディスはおそらく、フェミニストという人権活動家であることもあって、よりよい社会を作り上げるために思索し、また活動を続けるだろう。

仮に何とかあと10年、辛うじて戦争から免れたとしても、わたしは管理・監視社会の中ではとても生きてはいけない。

「落魄を詩とは見做さない世界」とは、即ち「美」の存在しない世界である。

こんにち誰もがスマートフォンを手にしている。相互監視のための携帯用の監視カメラのように。
そしてホームで飛び込みがあれば、呆然としたり、顔を引きつらせたり、蒼くなったりする代わりに、何人かの人たちが、その様子を「動画」に撮影するのだろう。わたしを心底戦慄せしめるのは、線路上の轢死体を覆うシートではなく、ひとの死の瞬間にファインダーをかざすという信じがたい心性である。皆が皆そうではなくとも、そのようなことが可能な機器が存在し、そのような光景を撮影する人間がたとえ僅かであっても存在する世界というだけで、わたしは脱落する。

それは最早、ゼニ・カネ(労働条件や報酬)の問題ではなく、健康で文化的な生活の保証以前の問題として、わたしの「生」を困難にしている。











2021年5月22日

人間がわからない

「 最早隠れ処など存在しない」。主体から主体性がうばわれ、世界からそれぞれ固有の「質」が奪われた・・・・と言ったのは誰だったか。
 (略)
「最早隠れ処など存在しない」「管理社会から脱落した者がつつましく冬を越すことすらもはやできなくなっている」。ああ、そうだ。T・アドルノが半世紀以上前に言ったのだった。ヒューマニティーの喪失。そうだ、アドルノがいいたかったのは、しかし、おそらくそれだけではない。21世紀の管理社会では、システムとしてのヒューマニティーは前世紀よりも、もちろん19世紀よりもはるかに向上している。ではなにが問題なのか。

アドルノによれば、ファシズムの時代に人々を支配していたのはナチスのような「暴力団」でありナチス以降は管理社会がとってかわったけれども、実は両者に決定的なちがいはない。
19世紀末、落魄のアル中詩人にして一文無しのホームレス、ポール・ヴェルレーヌに献身的に手を差し伸べた医者はたしかにいたが、管理化された社会では、形骸化した弱者救済のシステムらしきものはあっても、その分人間の主体性が希薄になるので、ヴェルレーヌのような詩人も彼を本気で救うような医師も、ずいぶん少なかろう、というのだ。

管理社会はひとというものの落魄をそもそもみとめはしない。管理社会では「落魄」はもう詩ではなく、たんに病理なのである。

ー辺見庸『コロナの時代のパンセ』(2021年)より

◇ 

山田太一のドラマ『男たちの旅路』で、ひときわ印象に残っているセリフがある。
鶴田浩二の演じる警備会社の司令補が、新人である水谷豊、柴俊夫らに「おれははみ出さない奴はきらいだ」という。
「誰かがかばん屋に靴を直してくれといってきたらどうする」
「俺なら靴屋へ行けというねぇ」
「靴屋がないからいってるんだ!」

つまり鶴田はここからここまでが決められた俺の仕事で、それ以外のことは知ったことかというようなやつは人間ではないというのだ。決められた自分の分担・領域をはみ出してこそ人間だと。

これは上でアドルノー辺見庸が言っていることと通じると思う。

「キミは決められたことだけをこなしていればいい。それ以外のことをする必要はない。」
これが管理社会である。鶴田浩二は「俺ははみ出さない奴はきらいだ」というが、「はみ出してはいけない」「はみだすことができない」社会がいま出来つつあるのではないか?

それは何も仕事に限ったことではない。このような時にどうすべきか?を考えるのは、他ならぬ自分自身という「主体」である。暴力的なファシズムと、管理社会に相違があるわけではないと辺見が言うのは、どちらも、個人の主体というもの、自分で考えた上でその考えに従って行動すること=はみだすことが許されないという点で、同一だからである。

ジョルジュ・アガンベンは「自分の生が純然たる生物学的なありかたへと縮減され、社会的・政治的な次元のみならず、人間的、情愛的な次元の全てを失った、ということに彼らは気づいていないのではないか・・・」と書き、案の定、多くの論者から非難されている。しかしわたしはアガンベンの主張にCOVID-19の不当な過小評価よりも、コロナ禍でまちがいなく減縮されつつある人間存在へのまっとうな危機意識を感ぜずにはいられない。

辺見庸同書(下線引用者)

しかし仮にコロナが存在しなかったとしても、管理社会はその網の目を更に広く、細かく張り巡らしてくるだろう。人間による人間の疎外そして迫害は、コロナとは無関係に強まっている。

精神を病む者が増えるだろう・・・と書きかけて、ふと指が止まった。そもそも、「主体」=「わたし個人」というものを持たない者たちがこころを病むということがあるのだろうか、と。

4月25日に発売された辺見庸の本は、既に都立中央図書館などに所蔵が見られたが、わたしの住んでいる市には所蔵がなく、いつまで経っても「新着図書」のリストにも挙がらない。

問い合わせたところ、これから選書をして、購入するかどうかの検討の段階ですという。
そこでわたしがリクエストをして、購入してもらった。過去にもそのようなことがあった。

彼に対しては、愛憎相半ばする感情があるが、4~5年ほど前に読んだ『1★9★3★7』(いくみな)以来、久し振りに本来の(?)辺見庸に再会した気がする。


 


 



2021年5月21日

個性と畸形について(ダイアン・アーバス)

わたしには外の世界の微妙な差異というものを見分けることが出来ない。
わたしにとって世の中は単純な要素で構成されている。若者、中年、老年、そして男と女。
そして若者でも、四・五十代の中年であっても、わたしが識別できるのはせいぜい性別くらい。それ以上の個々の違いを認識することは難しい。

昔から、或いは誰でもそうなのかもしれない。わからない。

久し振りにダイアン・アーバス Diane Arbus. American (1923 - 1971)の写真集を視た。主にフリークスや、一見して、非・日常的な姿をしている人たちを撮った女流カメラマンである。
彼女の写真の中の人物たちは皆それぞれに独特である。

奇形の人々の写真を多く撮りました。それは私が写真を撮った最初の題材のひとつですし、わたしに非常に強い興奮をもたらしたのです。私はただ、彼らを崇拝したものでした。いまでもそのうちの何人かの人々にはそうした感情を持っています。親密な友情というのではないのですが、彼らはわたしに羞恥と畏怖の入り混じったような感情をもたらしてくれます。奇形の人々には伝説の中の人物のようなある特別な価値がそなわっているのです。例えば人を呼びとめてはなぞなぞを出すお伽噺の主人公のように。ほとんどの人たちは精神的に傷つくことを恐れながらいきていますが、彼らは生まれた時から傷ついています。彼らは人生の試練をその時点で超えているのです。彼らはいわば貴族です。

 

わたしが彼女の写真に惹かれるのは、人物ひとりひとりが、正に他ならぬ「その人」以外の何ものでもないからだ。
「美」は個性(個別性)に宿る。わたしが東京の街を視て、砂を噛むような味気無さ、味も素っ気もない感触を覚えるのは、冒頭に述べたように誰もが同じように見えるからだ。
蟻の群れのひとつひとつの個体を区別できないように。
あるいは極論すれば、こんにち個性的であること、独自の存在であるということは、「異形の者」であることを意味するのかもしれない。
みなが整然とブランドのスーツに身を包み、皆が同じように街中で、電車やバスの車内で携帯電話に見入っているような「同一性の魔」に比べれば、自身、精神的畸形者であるわたしは、寧ろ化け物の世界に身を置きたいとさえ思う。

お化け屋敷は、暗闇の中で様々な姿形をしたモンスターが次々に姿を現すから怖いのであって、同じ化け物がここでもあそこでも出没するのでは意味がない。
お化け屋敷の怖さは、そこにいるのが自分たちとは「異質」「異形」の存在であるということの恐怖である。そして恐怖の中での楽しさは、次に現れるモンスターが、今、自分たちに悲鳴を上げさせたモンスターとは全く違った姿をしているということへの好奇心ではないだろうか。

「ニンゲン」というのは、それぞれが違って当たり前なのか?或いは、同じ種の動物である以上、本質的に均質で、そこからはみ出たものを、「フリーク」「畸形」と呼ぶのだろうか?

われわれすべてがこのアイデンティティというものを持っています。それは避けることのできないものなのです。ほかのすべてが取り去られたあとも残るものがアイデンティティなのです。私は最も美しい創造は、作者が気づかなかったものだと考えています。

わたしには彼女のいう誰もが避けがたく持っているアイデンティティ(「自分自身」或いは他と己を必然的に分かつものとしての「自己」)が見えない。実際に話してみればそれぞれに固有の自己を持ち、その当然の結果として(表現の巧拙は度外視して、)自分の意見があることがわかるのだろうか?

私は写真は何が写されているかということにかかっていると思っています。つまり何の写真なのかということです。写真そのものよりも写真の中に写っているものの方がはるかに素晴らしいのです。


ダイアン・アーバスは、最後に、

「でも本当に、自分が撮らなければ誰も見えなかったものがあると信じています。」

と語っている。

確かに、わたしは彼女の写真を通じて、人間の多様性というものを目の当たりにした。

そして、フリークスに対しての、

「彼らはわたしに羞恥と畏怖の入り混じったような感情をもたらしてくれます。」

という言葉にも全面的に共感する。


Untitled 10, 1970–1971
 
Female impersonators in mirrors, NYC

Two Men Dancing at a Drag Ball , 1970

 

Untitled 5 , 1969–1971

Russian midget friends in a living room on 100th Street, NYC , 1963



□参考図書□ 『ダイアン・アーバス作品集』伊藤俊治訳 筑摩書房1992年


ー追記ー

個人的な好みを言えば、

引用文中の

” Like a person in a fairy tale who stops you and demands that you answer a riddle. "


「例えば人を呼びとめてはなぞなぞを出すお伽噺の主人公のように。」

よりも

「彼らはあたかも妖精たちの物語の中の人物のように、あなたに立ち止まり、謎を解くことを求めているようだ 」

の方がいいと思う。












2021年5月20日

ダンス


Dance / Nature Children, 1902, Hugo Hoppener Fidus (1868-1947)
 - Brush in Black and Gray and Pencil on Paper -

フーゴー・ホーピーナー・フィドゥス「ダンス、自然の子供たち」(1902年)








2021年5月19日

説明並びにお詫び

 昨日の投稿でわたしはこのように書いた、

『ある女性が、「みな歯を食いしばって生きている。」と、わたしに言ったことがある。わたしにはこの世界が、歯を食いしばってまでしがみ付いていなければならない場所であるとは到底思えない。』

と。

わたしは決して、歯を食いしばり、額に汗して生きている人たちを軽んじるつもりも貶めるつもりもない。
わたしがこのように書いた理由のひとつに、この言葉が、数年前、短い期間参加していた、『リタリコ発達ナビ』という「発達障害の子供を持つ親、及び当事者たちの(インターネット上の)コミュニティー」で、ひとりの人間が、顔も知らず、声を聴いたこともない人間に対し、ここまで深く憎しみの感情を抱くことが出来るのか、と思わせるほどに、わたしに対して、悪口雑言の限りをつくして中傷・侮辱してきた女性の言葉だという背景もある。

「歯を食いしばって生きる」とはどういうことか?それはかならずしも、身体の動きを伴うものではないと思う。重度の身体障害を持った人たちは、ゆび一本動かすことさえ困難かもしれない。同じように重度の知的障害を持った人たちは、現実に歯を食いしばるということもできないかもしれない。見落としてはいけないのは、何かをしている(何かが出来る)人間の方が、何もできない(何もしていない)人間よりも、上の存在ではないということだ。
人はそれぞれに到底他人の窺い知ることのできない過去を背負い、心の痛手を抱えている。(「すべての人間は」、とは敢えて言うまい)その背景を知らずに、その人の現実を知らずに、今目の前のディスプレイの向こう側にいるその人の片言隻句、発言、主張のみを以て彼/彼女を裁くことは誤りであると思うのだ。

哲学者のヴィトゲンシュタインは、「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」という有名な言葉を遺した。けれどもわれわれの多くは、インターネットという道具を手にすることによって、語り得ないこと、語ってはいけないこと、言うべきではないことについて沈黙するすべを忘れてしまったようだ。

同時に、「人のいのちは地球よりも重たい」といった文句のように、言葉にした瞬間から、その本来の意味がたちまち揮発して、安っぽく薄っぺらなクリシェ(決まり文句・常套句)になってしまうことが多い。

「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」

けれども、実際には「語り得ぬこと」など無いのだ。「語り得ること」と「語るべきではないこと」とを分かつのは、結局それぞれの人間の個々の感受性であり倫理観、思慮深さ、美意識などに因るのだと思う。

昔観た映画で、タクシーのドライバーが雨の夜、新たな客を乗せる。その時に彼の心の中のモノローグが流れる。
「いいドライバーとは、沈黙すべき時を弁えている者のことだ・・・」

これはドライバーに限ったことではない。

質のいい人間とは、沈黙すべき時と、強く主張すべき時を弁えている者の謂いだろう。

最後になってしまったが、昨日のわたしの言葉で少しでも傷ついた方がいたら、心からお詫びいたします。仮に誰も傷なんか受けていないとしても、わたしの書き方は拙速でした。











地球の上で


Stars, Anselm Kiefer. Germany, born in 1945

「星空」アンセルム・キーファー


耳は静寂を、無音を聴くためのものでもあり

目は、闇に光る星辰を視るためのものでもある

この絵の中に人間本来の姿を見る

彼が生きていても、この肉体が骸(むくろ)であっても、

これが人間本来の姿だ。







 

2021年5月18日

ストリーツ・オブ・ロンドン


Ralph McTell with John Williams 70th Streets Of London Live 

ラルフ・マックテル&ジョン・ウィリアムス『ストリーツ・オブ・ロンドン』

以前にも紹介したことのある英国のシンガー・ソングランター、ラルフ・マックテルの70年代の名曲を、彼の70歳のバースデ・ーコンサートで演奏した時の映像です。

わたしはこの歌をメリー・ホプキンのカヴァーで知りました。
もう20年以上も前になります。
歌詞の内容は、ペトゥラ・クラークの「ダウンタウウン」に似ています。

歳老いた孤独なホームレスに向かって、さあ、手を貸して、わたしがロンドンのストリートをあなたに見せてあげる。あなたの気持ちを少しでも明るくするために。

語り掛けているのは女性とも男性とも示されていません。

そう、語り掛けてるのは、隣人愛、思い遣り、やさしさです。







マザー ナース ゴッド

 
1977年に出版された矢川澄子のエッセイ集『静かな終末』の中に「ナース」に関する文章がある。
「ナース」即ち看護婦である。
「今は『看護婦』なんて言わないの、全て『看護師』!」そんな嘲笑(わらい)が聴こえてくるようだが、わたしはナースは看護婦さん、と教わった時代の人間なので、それで通させていただく。

わたしは精神障害者だが、「障がい者」や「障碍者」などとは書かれたくはない。
現にそのように「ショウガイシャ」の表記を改めたところで、世の中の障害者に対する差別・偏見は少しも減ってはいないどころか、寧ろ、野放図の感を呈しているようにすら感じてしまう。これもまた人にいわせれば「障がい者特有の被害妄想」ということで片付けられてしまうのかもしれないが。


矢川氏はこの一文で、様々な視点から「ナース」について考察しているので、どこを引用すべきか悩むところだ。

例えば

「ナーチュア」Nurture という養育を意味することばがあり、氏育ちという時の氏はネイチュア、つまり自然で、育ちの方がナーチュアとされる。このナーチュアはしかし同時に滋養分としてのたべものそのものをもさすのである。

*

滋養などということばもいまではいいかげん古びてしまったらしい。けれどもじつはこの滋養とか慈母とかいうときのないしにあたるものが、ナースというときのニュアンスを伝えるのにいちばんふさわしいように思われる。
さながら母の如く、といってもここが肝心なところで、ことわっておくがナースとはけして母そのものではない。あくまでも母代わりなのだ。養いはぐくむことと母であることとははっきり別物である。
 (略)
ナースとはいつくしみであり、救いである。それなしでは人間が生きつづけられぬものの謂である。乳なしでは生きられぬみどりごにはじまって、老人、子供、病者、弱者、ひいては人生の敗残者、落伍者、故郷喪失者など、あらゆる孤独な魂がひとしなみに求めているもの。それは母(マザー)でも神(ゴッド)でもない、わたしにいわせればそれこそナースなのだ。
ナースには鬼子母神のおぞましさも、多産な牝のふてぶてしさもない。ただひたすら甘美にこまやかに、傷手を癒し、飢えや渇きをみたしてくれる機能があるばかりである。生きることに何らかの難儀を感じている人間がさいごにあてにすることのできる、いわばやさしさの代名詞みたいなもの、それがナースであり、ナースさえ行き届いていればたいていの問題は解決されるといっても過言ではない。

*

エロスといい、アガペーという。
むずかしいことはよくわからないが、大ざっぱにいって肉の愛を意味するエロスに対し、アガペーはふつう聖愛などと訳されている。肉の絆の束縛からはあくまでも別個のところに成立する友愛、同志愛などで、ほとんど神の愛にもなぞらえられるものだ。
素人考えで突拍子もないことを持ち出すが、日本人にはともすれば親しみにくいとされるこのアガペーなるものを、西欧のひとびとに思いつかせたのは、ひょっとしてこのナースという観念のなせるわざではあるまいか、というのがこの頃のわたしのおぼろげな直観なのだ。
マザーとナースの微妙なニュアンスのずれが、そのままエロスとアガペーの区別にもなぞらえられる気がする。
ばあや、ねえや、乳など、日本語ではこのナースにあたる役割がおおむね血縁関係からの類推ですませられてきたということも考えるに値しよう。
 (略)
これはやはりしあわせな島国の、閉鎖的な農耕社会の家族制度のなごりでもあろうか。養老院に行くよりは疎まれてもやはり家族と一緒の方が、といった発想も、ナースに対する信頼の情の歴史的欠如にもとづいているような気がしてならない。

(引用文中太字は本書では傍点、下線は引用者による)


この文中で、矢川氏は、「ナースとはけして母そのものではない。あくまでも母代わりなのだ。養いはぐくむことと母であることとははっきり別物である。」と書いている。
山本有三は『真実一路』の中で

「母になることは簡単だ、けれども、母であることは易しいことではない」

と言っている。


わたしにとって、
「それなしでは生きつづけられぬもの(者)」とは即ち母である。
先にも書いたようにわたしは「他者と良好な関係を築くことができない」人間である。
そして、ナース=「看護婦」もまた「他者」に他ならない。
わたしにとって、母はまさに、「それなしでは生き続けることができない存在」であり、わたしを「養いはぐくむこと」のできるただひとりの人である。

「生きることに何らかの難儀を感じている人間がさいごにあてにすることのできる、いわばやさしさの代名詞みたいなもの、それがナースであり、ナースさえ行き届いていればたいていの問題は解決されるといっても過言ではない。」

嘗て上に引用したような形で、わたしに「やさしさ」を惜しみなく与えてくれた人が母以外にひとりでもいただろうか?わたしが救いを求める手を差し伸べた時に、誰かがその手をしっかりと握ってくれただろうか。

上の文章の「ナース」を「神」に置き換えれば、それも可能かもしれない。けれども、ナースはいうまでもなく「神」でもなければ「天使」でもない。生身の人間である。
「日本人のナースに対する歴史的な信頼感の欠如」も致し方のないことだと思う。
矢川氏はナースを存在論として語っているのであって、職業としての看護婦・看護師について言及しているわけではない。
職業としてのナースはいても、存在としてのナースが、宗教と、就中哲学の欠如した国に育つことは難しいように思われる。それは障害者としてのわたしが、市役所の「障害者支援課の保健師」や都の「精神保健福祉センターの精神保健福祉士」そして「保健所の精神担当の保健師」と話をしていて、こちらの訴えが全く理解されていないと屡々感じることとも通じていると思うのだ。


以上、まとまりのない文章になってしまったが、

「生きることに何らかの難儀を感じている人間がさいごにあてにすることのできる者」

わたしにとってそれは福祉関係者でも障害者支援者(団体)でも、そして「ナース」でもなく、地球上に母ただ一人である。

母が死ねばわたしも死ぬ。なぜなら「母とはいつくしみであり、救いである。それなしでは人間が生きつづけられぬものの謂」であるのだから。



ー追記ー

「存在としてのナース」とはいっても、報酬をもらっている以上は「存在としてのナース」もまた「職業としてのナース」と同一である。
真の愛情、まことのいつくしみとは無償のものであるべきであるというのが、個人的な思いである。

更に付け加えるなら、ナースの勤めは苦しみを癒すことである。けれども、癒すことと、生かすこととは決して同義ではない。どころか、時として、「癒す」と「生かす」とはアントニム(対義語)かもしれないのだ。




 








2021年5月16日

障害者と「素晴らしき新世界」

Bさんへ。

先日のブログの投稿を興味深く拝見しました。

わたしは日頃、インターネットで情報を得るということをしませんし、逆にそのようなことを避ける傾向があります。書き手個人の言葉、思いよりも、情報の方が多いようなブログにわたしは関心を持てません。けれども、今回偶然あなたのブログあったリンクを読み、それについて感じたことを少し、お話します。

先ず

「障害とは皮膚の内側にあるのではない。皮膚の外側にあるものだ。階段をのぼれない私の体の中に障害があるのではない。階段しか設置していない建物の中に障害がある、というのが社会モデルの考え方です。この考え方は180度、私の見方を変えてくれました」

これは精神乃至・知的障害と、肉体的障害との違いであると思いますが、 わたしは、精神障害というものと、その障害を持つ個人とは不可分の関係にあると考えます。以下はあくまでもわたし個人に関することですので、それを一般化するつもりはありません。



昨日わたしは、東京西郊の町から、御茶ノ水の眼科に行きました。
わたしはひとりではバスにも電車にも乗れません。車内に流れる人工音声の「ご注意ください」という執拗なアナウンスに堪えられないのです。最寄り駅から御茶ノ水まで行くにも、電車内での同様のアナウンス、プラス「スマホ人の群れ」(西部邁)堪えがたく、新宿までは特急を使っています。晩年の西部が、「スマホ人の群れを見ると吐き気を催す」ので、何処へ行くにもタクシーを使っていたのと同じです。

この世界がうるさいと感じるのは他ならぬ「わたし」という個人の感受性であり美意識です。

ところで、人にやさしい社会って何でしょう。「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」というのも、「この車両には優先席があります、お年寄りや身体の不自由な方には席をお譲りください」・・・このようなアナウンスが人にやさしい、親切と感じる人も少なくないでしょう。けれども、それを苦痛に感じ、付き添い(騒音から意識を逸らすための話し相手です)なしでは公共交通機関を利用できない人間もいます。「障害者への配慮」というものが、階段にスロープを設けるとか、エレベーターを付けるといった目に見える「バリアフリー」のようなものであれば苦労はしません。

リンクに貼られた文中に

「変わるべきは、私の体ではない。私の心ではない。変わるべきは社会環境だということを先輩が教えてくれたのです。自分を責めすぎることなく、運動という形で社会の側を変えるということを信じていくことで生きていくことができるようになりました」

「社会を変える」という。しかし、社会というものは言うまでもなく、その国の国民、長い長い年月をかけて蓄積されてきた民族の文化、考え方、価値観が土台となって形成しているものです。逆にいえば、社会を変えるということは、日本人全体の意識の在りようを変革すると言うことです。そういう意味で、わたしは、「社会を変える」というお題目は所詮絵に描いた餅に過ぎないと考えます。

「『お忘れ物、落とし物にご注意ください』というアナウンスがなかったから、忘れ物をしたじゃないか。」とクレームを言うような人がいる社会が、成熟した大人の社会に変わるということは、文字通り「百年河清を俟つ」ようなものであろうと感じています。
勿論障害者を含めたほとんどの人がうるさいと感じていないものを一人や二人の例外のために変える必要を感じる人は、ほぼ、いないでしょう。わたしは一人や二人であっても、そのマイノリティー中のマイノリティーを尊重せよというほど、愚かではないつもりです。
つまり、それがいかなる国の社会であろうと、一人や二人の例外は苦しみ続けることを運命づけられているということを知っていると言うことです。



さて、いろいろな事情から、眼科の朝一番の診察・治療に間に合うためには、前日から、病院の近くに宿を取っておく必要がありました。駅に近いということと、比較的料金が安いといいうだけのビジネスホテルです。すぐ隣にセブンイレブンがあり、わたしは、飲み物を買ったのですが、迂闊だったのは、そのコンビニの支払いが自動精算機であったことです。
わたしはコンビニやスーパーの自動精算機は使えません。財布からお金を出そうとしていて、少しでももたついていると、「オカネヲイレテクダサイ オカネヲイレテクダサイ」とその喧(かまびす)しいこと。全く同じことが、障害者手帖更新のために証明写真を撮った折にもありました。こちらは「必要な金額を挿入してください」だったか、とにかく、一分たりとも「待てない」。「待つ」ということを知らない。お金が投入されるまで何度でも同じ言葉を繰り返す。何故かほどに人間が機械に振り回され、苛立たされなければならないのか。
「人が財布からお金を出わずかな時間をすら待つことが出来ずに、何べんでもしつこく催促する」これが「障害者やお年寄りにやさしい」社会と言えるでしょうか。

社会を変えるどころか、当の社会は、コロナ禍により、人間同士が物理的に接触しないという「対策」を奇貨として、益々機械による人間の疎外、そして生体の浸蝕を促しているように見えます。

繰り返します

「変わるべきは、私の体ではない。私の心ではない。変わるべきは社会環境の方だ」

という言葉は、なにかひどく実質を伴わない虚しい掛け声のようにしか聞こえないほど、説得力に欠けるのです。

無論人間の存在が多種多様である以上、何を快とし何を不快とするかが、個人個人によって違う以上、全ての人を掬いあげるということはもとより不可能なことではあっても、貧困や差別の解消が喫緊のテーマであることは言を俟ちませんが、

「障害とは皮膚の内側にあるのではない。皮膚の外側にあるものだ。階段をのぼれない私の体の中に障害があるのではない。階段しか設置していない建物の中に障害がある。」

或いは

「変わるべきは、私の体ではない。私の心ではない。変わるべきは社会環境だ。」

という言葉が、何かとても表面的で軽いものに聞こえてしまうのです。

そこには、「障害」とは何か?「社会」とはなんで、「障害者や高齢者にやさしい」とはどういうことで、社会をどう変えれば、僅かでも「それ」に近づくことができるのかという、具体的な議論が欠如した、空疎な抽象論(乃至キャッチコピー)があるだけのように思えてならないのです。











踊ることなく過ごしけり


Girotondo, ca 1960, Federico Patellani (1911 - 1977)


Street Organ, Amsterdam, 1933, Ilse Bing. Germany (1899 - 1998)


Au Bal Musette, Les ‘Quatre Saisons’ Rue de Lappe, 1932, Brassai.


Couple dancing, 1953, Roy DeCarava. (1919 - 2009)


A couple at a dance, 1960. Diane Arbus



Romualdas Požerskis. Lithuanian photographer, born in 1951


六 十 年 踊 る 世 も な く 過 ご し け り (一茶)






2021年5月15日

いま 思うこと

ふたつさん、Junkoさん、コメント欄一枠あたり原稿用紙10枚分にも亙るご意見を複数回頂き、ありがとうございました。 「自己愛」及び「承認欲求」についての議論はひとまずここで打ち切りたいと思います。おふたりがそれぞれに仰っていましたが、人間というこの不可解な生き物の脳や心の働きを、「自己愛」であるとか「承認欲求」という一語を以て裁いて=捌いてしまうことに昔から抵抗がありました。人間の心は重層的なものであり、各々の人間の「微妙な機微」というものを心理学で測定できるとは到底考えられないのです。

わたしは現在「例のブログ」を閲覧することができない。しかしそれはよく考えれば、悪いことではないのかもしれません。一時は以前にも話したことのある、わたしのコンピューター及びAV機器全般のアドバイザーのような友人に、何とかして「あのブログ」を見ることができないものだろうか?と訊いてみようかと思いました。けれども、変な言い方ですが、わたしの内側で彼の声がしたのです。

「なんでそんなにまでして見たいの?」

「・・・・」

「向こうはキミのことをよく言ってないんだろ、なら尚更どうしてそんなブログを見たがるのかな?」

「・・・・」

わたしは自分の中の想定問答で、彼の問いに答えることができませんでした。
そしていまのままの状態でなんら不都合はないと考えました。

唐突ですが、

「わたしは不完全である」ということ、「人間誰だって完全な奴はいない」ではなく
「わたしは」不完全な存在であるということを改めて思いました。

今回の一件で、わたしは思慮分別に欠けているということをこれも改めて認識しました。
無論先方のブログにも同じことが言えます。「思慮・分別」というのは、主に「大人」の属性です。わたしたちは誰も言葉の本来の意味での「大人」ではなかったということを今強く思うのです。

10代の女性が、中学時代に自分をいじめた子を法廷に連れ出して勝訴したという出来事に快哉を叫びましたが、わたしはもう10代ではない。関わらないで済む者であるなら関わりを持ちたくはない。いかなる形であろうと。

それが可能であれば、いちばんシンプルで効果的な解決策は、このブログを先方の人間たちが閲覧できなくすることです。けれども、ブロガーに関してはそれを行うのは極めて難事業です。日本語のテクニカルサポートもなければ、日本語版のヘルプも、「よくある質問と解決法」が載っているだけ。要は電話やメールでこちらの要望や質問を伝える方法がありません。


Junkoさん、約8千字に及ぶコメント、何度か読み返しました。
いかにもJunkoさんらしい痛快で愉快なコメントです。

成程エネルギー・ヴァンパイアというのも言い得て妙です。

わたしは長く続いた、「彼ら」との関係を、この際きっぱりと終わりにしたいと思うのです。
ふたつさんも、Junkoさんも、そして底彦さんも、これだけ度々話題になりながら、遂に、(下衆な)好奇心と野次馬根性に駆られて、あのブログを見に行くことはしなかった。そのことをわたしは感謝・・・というよりも、良い読者に恵まれたなと感じています。

省みて、わたしは彼らを罵倒するだけの何ほどのものを持っているかと自問した時、結局同じ穴の狢ではないかというような気持ちになるのです。知らず知らずのうちに、「バーカ!」「バカって言ったらお前がバカ」の世界、子供の世界に入り込んでいたのです。

ジェーン・オースティンは言っています、

「私たちの人生は余りにも短く、人といさかいを起こしている暇なんてないんです」

わたしの目指すブログはあくまでもアート、文芸、そして自己表現の三本柱です。

Junkoさんの言葉

Takeoさんが嫌がれば嫌がるほど、怒れば怒るほど、反応すればするほど彼らは嬉々としてエネルギーを取り入れます。多分、Takeo さんに完全に関係を断ち切られ、相手にされなくなって一番ショックを受けるのは彼らだと思います。

同感です。けれどもわたしには、

Takeo さんも、相手がTakeo さんがブログを閲覧する事を阻止しているのであれば、この際彼らとのコンタクトを完全に断ち切り、彼らの存在自体をなかったもののように、無視すればどうかと思います。

これが難しいのです。そいういう点でも、今現在、わたしが彼らのブログを見たくても見られないという状況は、寧ろ望ましいことと言えるでしょう。

しかし、見ることを阻止することが出来ず、見られていることを常に意識してしまうわたしのような人間にとっては、自分の目指すブログを作るためには、新たなブログの開設以外にないのかなと思います。(その辺りはまだ迷っています)

無論、新しいブログが軌道に乗れば、Junkoさん、ふたつさんにも連絡します。

最後に「自己愛」「承認欲求」云々についての対話は打ち切らせていただきますが、この投稿についてのコメントは気軽に書きこんでください。

改めて、示唆に富むコメントをありがとうございました。


不一










迷い

 
わたしは今とても迷っている。ふたつさんのコメントへの返信にも書いたように、10代の女性が、中学校の時に自分をいじめた者(たち?)を提訴して、最終的に東京高裁で、勝訴したというニュースを母が教えてくれた。一審での賠償金が僅か数万円だったのが高裁では五十万。
母がせわしない中、斜めよみした記事なので、不正確なところもあると思うが、およそそんな内容であった。


彼女は世に知らしめたのだ、「どのようなかたちであれ人を傷つけることは許されないことだ」ということを。このような判決を下した裁判長も立派である。
彼女の勇気に惜しみない拍手を送りたい。





現時点から過去24時間にqinggengcai.blog.fc2.com からの閲覧は17回。
無論こちらからのアクセスはできない。
先方が「本当にもうおれたちに関わってくれるな!」という意味で、わたしをブロックする分には一向に構わない。嫌われて遠ざけられるのは寧ろ歓迎したいくらいだ。ところが、彼らは相変わらず、こちらに日に十回前後訪れている。これはいったい何を意味しているのか。

「あいつの御託を聞いているとイライラする」というのなら来なければいいだけの話だ。
「虫唾が走る」「イラつく」「殴ってやりたくなる」「どうしてここまで頭がいかれているのか不気味である。」「とにかく嫌い!」....etc...というのではないらしい、だからこそ相変わらずこのブログに日参しているのだろう。

わたしは彼らに「いわれのない侮辱を浴びせられた」とは一言も言ってはいない。
いずれ「いわれ」があるのであろうからそれを聞かせて欲しいと頼んでいる。
しかしそれは法廷でも難しいらしい。
あちらだけがわたしのブログを閲覧でき、こちらからは見ることができないとなると、どうしても、「例によって」陰でコソコソひそひそという想像に飛躍する。

嘗てふたつさんは、彼らのわたしに対する執着は異常と言った。然り。
このような形でブログを「覗き見られて」嫌な気分にならない方がおかしい。
嘗て坪内祐三は言った、「SNSはこれからも絶対にしないでしょうね。SNSってなんだか暗闇に紛れて、他人の生活を覗き見ているような後ろめたさがあります」『スパ』2010年3月23日号での福田和也との対談」より。


迷っている、彼らは、少女をいじめた子供に比べて、法廷に引き合う存在なのか、と。
本気で戦う価値のある相手なのか、と。

昨夜、ネット上を彷徨っていたら、どこかのブログランキングが目に入った。そこに例のブログもあり、彼のブログの人気は群を撫いていた。人気の点で言えば、わたしのブログが野良猫なら、彼のは巨きなゾウくらいの差がある。それを見て瞬時にやはりなと思った。

これも母が新聞で読んで紹介してくれた記事だが、それはある読者の投書であった。その投書をした女性は、連れ合いが亡くなり、彼の蔵書を処分しようと、古書店に電話をした。実際に見に来たのか、ざっと書名を読み上げただけなのかは分からないが、結局古書店は亡くなった夫の蔵書を買い取ってはくれなかった。彼女は、こういう本は今は読まれないのかと愕然としたという。

何故件のブログに人気があるのかがわかるだろう。
或る人がSNSの要諦を、「迎合性と相互依存性」と言った。
彼らのブログが正に相互依存性の見本である。

わたしは下のコメント欄で、ふたつさんの意見と視点が異なる旨を伝えたが、件のブログに於いて、AとBとCとDがそれぞれ意見をいう上で、仲間の肯定と承認を求めていることは確かなようだ。

下で、ふたつさんのコメントに、「彼らに承認欲求など無いように思う」と言ったことは、ここで訂正する。ひょっとしたら、彼らのそれはわたしの認めて欲しいという感情よりも、皮相ではあるが、より根深いのかもしれない。

ブログというものが、もし、若旦那と太鼓持ちの関係と相似形であるとすれば、一体個人の意見は何処にある?

いずれにしても、向こうは見られる、こちらは見られないという不均衡について、近いうちに弁護士の事務所に相談にいくつもりだ。

しかし、わたしがいくら鈍いとはいえ、あそこに集う者たちの本質的な魯鈍性を、その空虚を見抜けないようではまだまだ・・・









2021年5月12日

承認欲求とはなにか?

前の投稿で、何故中途に、「自文化理解」についての長い論考を、敢えて全体のまとまりを乱すような形で割り込ませたか。── これは後知恵になるかもしれないが、あの引用と、それに関するわたしの意見、更に先方のブログには書かなかった補足的文章を加えたか。

わたしは引用の直前に、

「わたしは「話し相手」を切実に求めている。

一例として下記のブログに書いたわたしのコメントを、ブログの本文と共に引用する。

と記している。

件のブログの中でこのような表現が見られる。

「困って雪隠詰めになってまたは自主的に
隠遁生活で満足してくれたらいいけれど、
「自己愛」があるから幼稚な承認欲求を
満たすために、これからもいろんな人にネット上で
ふっかけては揉め事起こすでしょう。
 」

わたしは大田区にいた頃、区民大学で誰よりも進んで著名な講師に向かって、異論を唱えてきた。それは講演会でも同様である。何故か?「わたしはそのようには考えないから」という単純な理由からである。欧米では、話をしていて、「僕は君とは考えが違うんだけど」というと、途端に相手は目を輝かせて、「へえ、是非聞かせてくれよ」と言うらしい。
同様に、カフェやパブでは、政治や哲学について一般の市民が盛んに意見交換をしていると聞く。

それが何故か日本に来ると、「それは違うと思う」「わたしはこう思う」と発言することが「承認欲求」という言葉に早変わりしてしまう。人と、或いは多数と違う意見を述べることが幼稚な承認欲求ということになる。そしてまた、上記の発言をした女性も、リタリコの発達障害の女性も、やはり「徒党を組んでいた」「仲間に囲まれていた」「群れていた」そして、こちらはひとりだった。

繰り返すが、わたしは意(異)見を言うのが好きなのだ。だから返事はないと知りながらも、下の投稿にあるような意見を表明する。そして同時に議論とまではいかなくとも、対話が好きなのだ。
幼稚な承認欲求というのなら、誰よりも自己顕示欲と権力欲が強いはずの政治家連中が、ほとんど自分の意見らしい意見を持っていないのはどういうことなのか?

引用した哲学の先生の文章の結びの言葉を再度引用する。

「日本の高校で哲学が必修になる日が来るとはとても思えないが、もしそんな日が来るとすれば、それは日本の社会が大きく変わるときであろう。」

異論に報いるに「承認欲求」等と言っているうちはまだまだ・・・



 





2021年5月11日

どうしようもないわたしが(まだ)生きている


今回の投稿は極私的な内容で、今現在のわたしという混沌とした存在の胸の裡を、なんとか言葉にしてみようという試みに過ぎない。であるから、理路整然とした文章の対極にあるが、逆にいえば、この混乱、惑乱ぶりが、そのまま今のわたしであるともいえる。いずれにしても、書く主体が既に崩壊しつつある状態で書かれたものなので、極めて読みにくい文章になると思う。その点、予めご理解ください。


先日のコメントで、ふたつさん、Junkoさん、それぞれから、「しばらく休んでください」と言われた。以前にも、「やすんでください」と言われたことがあった。ところがわたしには「やすんでください」の意味がよくわからない。
わたしが最も求めて已まないのは、心の底からの安心、安息である。けれども、生きている人間に、真のRest in Peace「心やすらかな休息」を求めることが可能だろうか?
横になって身体(からだ)を休めることはできても、果たして、魂の安らぎがそうやすやすと得られるものだろうか?(いうまでもなくこの文章は、ふたつさん、Junkoさんの気遣いに対する反論ではない)

「神」或いは「信仰」を持たない者にとって、彼/彼女を「抱き締めてくれる者」とは何者か。人間は力強く抱きしめられる者を持たずに生きて行けるほど強い存在なのか?


訴訟問題の浮上で、今更ながら気づいたのは、このような小さなブログであっても、ひとりでも読者がいる以上、そしてその読者が、現実にも付き合いのある気心の知れた仲でない以上、ブログを書くということもまた、人間関係の渦中に身を置くことに他ならないということであった。そしてわたしは人間関係が極めて不得手であるにもかかわらず、孤独が苦手であるという極めて厄介で面倒な性格の持ち主である。

わたしは「話し相手」を切実に求めている。

一例として下記のブログに書いたわたしのコメントを、ブログの本文と共に引用する。

「内的自己対話ー川の畔のささめごと」

より



「上級日本語」の課題として、平均二週間に一回、小論文を課す。今学期は計六回。明日が第六回目の作文の提出期限である。最低八〇〇字というのはこれまでの課題と同じ条件だが、今回は最終回ということで上限なし。一昨日あたりから届き始めている。今回の課題は、昨年も扱った主題をめぐる問いだが、昨年より難易度を上げた。昨年は、「わかる」と「理解する」との違いを述べさせたのだが、今年は、授業中に私が示した両者の違いについての説明を前提として、「自文化は理解可能か」という問いに答えさせた。なかなか興味深い回答が返ってきている。すでに添削を終えた十三本の小論文のうちで私が最も高く評価しているのは、「わかっている」状態を説明するのにプラトンの『国家』の中の「洞窟の比喩」を援用したもの。その後半を引用しよう。

 この現象は哲学者プラトンの『国家』の中の「洞窟の比喩」に比べられます。確かに、洞窟に住んでいて、縛られていて、動けない人は、洞窟の壁に映る影は彼の社会だと思い込んでいます。そして、洞窟人にとって影は彼の社会、彼の文化で、自然的で唯一の事実なので、その文化の規則の理由を説明できず、理解することができません。あるとき、一人の洞窟人がその洞窟から出ることができたとき、彼だけが自文化の規則の理由を説明できて、自文化を理解することができました。
 それゆえ、自文化を理解するために、自文化から離れて、その歴史を学んで、その価値観や慣例の原因を理解する必要があります。例えば、自文化の歴史を見ると、異性愛が自然な状態と思われている理由は中世において、戦争時、多数の戦士を必要としたので、人口を増やすために、同性愛を禁止したことにあると言われています。それを理解するために、自分の社会の文化から離れて、異性愛は「自然な状態」であるとする通念からも離れる必要がありました。
 しかし、外に出た洞窟人が自文化を理解することができたのは、他の文化を身につけたからで、それによって彼の自文化に変化が起こり、新しく身につけた文化と比べることによって元の自文化を理解しました。故に、自分の社会を離れて自文化を見るときはじめて、本当にそれが自分の文化だと言えるのではないでしょうか。


 これを書いた学生は、毎回思慮深い内容の文章を書いてくれるのだが、この学生にかぎらず、要求したわけではないのに、哲学者を引用する学生が毎回必ず何人かいる。私が哲学を専門としていることを意識してのことかどうかはわからないが、感心するのは、それらの引用が付け焼刃でなく、面白い着眼点を示していることが多いことだ。それから、これはたまたまに過ぎないと思うが、哲学者を引用するのは女子学生に多い。これは私の勘繰りだが、彼女たちは、高校三年次文系理系を問わず必修科目でバカロレアでも同じく必修である哲学をかなり真面目に勉強したのではないかと思う。日本学科における他の授業で哲学の知識が役に立つことはほとんどない(と思う)が、私の授業ではそれが大いに役に立っているようである。これまでにも、アリストテレス、スピノザ、ライプニッツ、ルソー、カント、ニーチェなどを引用した小論文があった。もちろん、私はそれをとても嬉しく思っている。
 日本の高校で哲学が必修になる日が来るとはとても思えないが、もしそんな日が来るとすれば、それは日本の社会が大きく変わるときであろう。


上記投稿に対するわたしの意見



確かに出されたテーマは「自文化は理解可能か」でした。自文化をなんらかの(例えば、洞窟から外へ出るというような)形で相対化することは、或いは可能かもしれません。

けれども、自文化を「わかる」乃至「理解する」ということと、それを受容するということは同義ではないと思われます。

「わかる」或いは「理解する」というのは、あくまで「知的な領域」での営為であって、心理的・精神的側面が欠けています。
「わかっている」と、それができるということとは同じではありません。

前回の『自己認識の方法としての異文化理解』の際にも感じましたが、世界が広がるということは、単に「認識」の幅が広がるということ。認識の広がり、知識の蓄積は、「わかっている」「理解している」に留まり、実存が豊穣になったこと、また自己が自文化の桎梏から解き放たれたことを意味しないと思います。

肝心なのは「自文化」を受容出来、同時に、自文化から受容されうるか、ということではないでしょうか?

異文化を知ることによって、逆に自文化に幻滅し、憎しみすら覚えるというのも、いうまでもなく「自文化理解」のひとつの在り方です。
私は寧ろそのような自文化理解こそが健全な「わかった」「理解した」ということの形であると思います。

「わかる」「理解する」「学ぶ」ことは、
自文化を受容することも、自文化を忌避・拒否することも含意していません。

>故に、自分の社会を離れて自文化を見るときはじめて、本当にそれが自分の文化だと言えるのではないでしょうか。

この最後の文章はわたしにはわかりません。何故なら再三の繰り返しになりますが、知る、わかる、理解する、学ぶということと、その対象を、自己と言う個別的な存在と融和させることとは違うと思うからです。


無論ブログの筆者であるフランスの大学の哲学の教師からの返信はない。

ただわたしはこのようなことを話し、自文化理解というテーマを掘り下げてみたいのだ。

自文化を知り、自分はその自文化の中でどのように生きて行きたいのか、そもそも生きてゆけるのか?更に自文化の改革はどのようにすれば可能か?そのような思惟のない、単なる1=1という「認識としての」「理解」は、そこにある事実・現実としての自文化の無言の承認でしかない。何故そのようなことを言うのかといえば、わたしにとって、自文化、更には、現代という時代を「理解」「認識」するということは、とりもなおさず「そこはわたしの生きる(生きることのできる)場所ではない」という、更に根源的な「認識」へと結びついているからだ。「自分がその中でどのように生き(られ)るのか?」或いは「生きることは困難なのか?」というそれぞれの自己という個別の実存への問いかけを抜きにした「(一般論的)自文化理解論」は所詮は机上のアカデミズムにしか見えないのだ。


昨日、『法テラス』の弁護士と、電話で30分間件のブログについて話をした。
結論から言えば、「とても『訴訟』などに持ち込めるケースではない」ということはないということ。
但し、相手の発言の真意、根拠を示せと言うことは無理であるということ。
更に名誉棄損というのは、先方が、Takeoさんという特定の個人の名誉を著しくきずつけ評判を悪くしたという場合に当てはまるもので、お話を伺う限りでは、相手はTakeoさんの名前を出したことはないと仰る。ですから。名誉棄損にも該当しないでしょう。
ただ、わたしが電話口で読み上げた

「ミュンヒハウゼン症候群と同じで、「困っている」ことが彼の人の存在に必要なことですから、
どうあっても手放さないと思います。 


「困って雪隠詰めになってまたは自主的に
隠遁生活で満足してくれたらいいけれど、
「自己愛」があるから幼稚な承認欲求を
満たすために、これからもいろんな人にネット上で
ふっかけては揉め事起こすでしょう。
 」


「知らずと関わった人は不幸です。
特に彼の人の嫉妬の対象になった人はいい迷惑です。
この種の人間との遭遇を一度経験すると
他の自己愛にはひっかかりにくくなりますが、
それでも心に負う傷は深いです。

これらの発言は「侮辱」に当たる可能性がある、と。

更に弁護士は、個人=ブログの管理者を相手に闘うことは難しいと言っていた。
そうなると、相手は、FC2ということになるのか?
その辺のもっと詰めた話し合いは、第2回(未定)以降になるのだろう。
今回話した弁護士は、高圧的でも投げやりでもなく、真面目に話を聴いてくれたし、「訴訟も不可能ではない」と言っていたが、「それには費用も掛かるし、時間も、労力も、精神的負担もかかる、そして仮に損害賠償が認められたとしても、大した金額ではないでしょう。その辺りをよくお考えになって、また、引き続きの相談をご希望でしたら、私の事務所に連絡を下さい。その際は実際に双方のブログを見てお話することになるでしょう。」

※尚ここ数日、わたしのパソコンからは件のブログは閲覧できないようになっている。

繰り返すが、わたしは先日いくつかここで紹介したコメントの削除も、それぞれの書き手の謝罪も、況やブログの削除も求めていない」賠償金がいくらであってもそんなものはいらない。

ただ一重に、発言の真意の説明を求めているだけだ。

問題発言と見做せば直ちに削除する、重罪人は時間をかけて犯行に至った経緯、その成育歴、心理的背景を探ることなく、一刻も早く抹消しようとする。
わたしはここに日本の裁判制度の致命的な欠陥があるように思えてならない。


訴訟という形であれ、どのような形であれ、あのブログとはもう関わり合いを持ちたくないという気持ちが強いが、



これらの言葉を読む度に、5年ほど前、「発達障害の子供を持つ親及び当事者のためのサイト」=「 LITALICO リタリコ 発達ナビ」で、ひとりの人間がここまで深く相手を憎悪し、ここまで深く人の心を傷つける言葉を吐くことができるのかという言葉を浴びせられたことが思い出されるのだ。
その女性も、やはりわたしの「自己愛」云々ということを言っていた。

一体人が口々に指摘する「わたしの自己愛的性格」とはなんだ?


前に書いたでしょ、暴走族は田んぼで走らないって。
その意味が分かりますか?
人に迷惑かける、かけるといいながら町中で
みんなに眉ひそめながら暴走するのが暴走族。

もっと言うと、スーパーのおやつコーナーやおもちゃコーナーで
ひっくり返って泣くのと同じ心理。
「承認欲求」「注目欲求」が幼稚なんです。


大人なら、努力してまっとうに承認されるまで歯を食いしばって
るものです。努力したから必ず賞賛されるとは限らない。
だから自分軸で、努力するんです。
発達凸凹があろうと、やりづらかろうと、努力するんです。
あなたはどちらでもない。


巨大な自己愛、身の丈に合わない理想像の間で
駄々こねてるだけの、「年老いた2才児」と変わらないように見えます。


自分に関係ない、と思うと全く読まない人、
想像力の欠如が著しいからヒントを書いてあげても、わからないんですよ。
自閉症じゃなくて、人格障害で、無職で、親の年金で暮らしていて
医療費は一文も払いたくない。そんな世の中のお世話になりまくってる人が、
発達障害の診断を受けて、どこまで社会復帰していくのか
はなはだ疑問だけど、一応おつきあいしましたが、
結構難しいケースじゃないでしょうか。


それで日本が嫌いの、自分は嫌われるの、
性格は運命の、差別だ、マイノリティーだ、
言ってるなら、
治療としての発達障害診断じゃなくて、
「研究対象」として医学部のモニターになるほうが
ずっと世の中のためになるんじゃないかと思います。


そしたら、「自分は特別なんだ」って自己愛も満たされるし。
納得行く診断名も着くと思いますよ。
何種類か複合タイプかもしれないし。


だいたい失礼ですよね、もともと発達障害や知的障害を
馬鹿にしているでしょう。
自分も仲間ですよ、仲間かもしれない、
本当はそんなこと微塵も思ってないでしょう。


私は、偏見なく最初おつきあいしました。
慈しみの心を持って私にできる精一杯をしています。
今もそうです。どうぞお幸せに。




冒頭に書いたように、心の底からの安息もなく

人からは身に覚えのない「自己愛」とやらで憎しみを買い

自身、その余りに特異な性格ゆえ、孤独から抜け出すことができない。


寄る辺なく、人から憎まれ嘲弄されることの多いわたしに、母は、できるだけあなたの味方でいたいと言ってくれる。その意味は、できる限り、からだと気力が続く限り、あなたのサポートをするつもりだ。

先日、2011年から始めたTumblrのアーカイブスを眺めていた。

今年、2021年から遡り2015年辺りまで来ると、所々で、その絵や写真を投稿した時のことを思い出す。そして同時に、わたしも母も、このころから今に至るのと同じ長さの歳月をこれから先生きることはほぼ無いのだなと、歳月の流れの速さに改めて思いを馳せた。