2021年5月25日

「わたし」は「あなた」ではない。「あなた」は「わたし」ではない。では「わたし」は永遠に「わたし」であり続けるのか

 論理学で「自同律」ということばがある。「A=A」の形で表わされるもので、概念は、その思考の過程においては同一の意味を維持しなければならない。と言うことなのだが、なに、さほどにむずかしくかんがえることもあるまい。A=Aは、「わたしはわたしである」という根本的というより、あたりまえの同一原理にひとしい。しかしA=Aは、敷衍すれば「わたしがわたしである」ことからどうしても逃れられない、という自己強制か自縄自縛の論理にもなりかねない。わたしがわたしであり、そうでしかありえないとしたら、悦びであるよりも、不快にもなりうる。

先日作家の目取真俊(めどるましゅん)さんと対談した折に、「自同律の不快」にわたしの方から触れた。といっても、この不快感についてはもともと埴谷雄高が言いだして有名になり、目取真さんはそれをうけて、A=Aを、「日本に住むもの=日本人」に転移し、はげしい不快感を表明していたのであった。「私は、と口にして、日本人である、と言い切ることのできない『自同律の不快』が私にはずっとある」(『論座』2006年7月号)。同じエッセイで、さらにこうも書いていた。「私の国籍はいま日本にある。しかし、私は日本人である、と言い切ることには生理的嫌悪さえ覚える」
 (略)
目取真さんは「私はあくまでウチナンチュー・沖縄人であり、沖縄に強い愛郷心は抱いても、日本という国に愛国心を持とうとは思わない」ときっぱりと言いきっていた。いわばA=Aへの反逆であり、「日本に住む者=日本人」への謀反である。

ー辺見庸『コロナ時代のパンセ』より

◇ 

「わたしはわたしであり、わたしでしかありえない」と言うことは自明のことだろうか?
現に辺見庸自身、老いと衰えという自分自身の「変化」に戸惑っているではないか。主観的には「わたしはいつまでもわたし」であっても「心身の衰え」がそれを裏切る。そこでは最早A=Aという自同律は成立しない。

一方、現在76歳の辺見が、自分の老いを持て余しているのとは逆に、57歳のわたしは既に気分は76歳と変わらない。わたしはまだ50代だなどとは意識の上では到底思えない。
身体の衰えと、思考力の低下、母の援けを借りなければ自分ひとりではほとんど何もできないことを考えると、所謂「実年齢」が57歳なのか78歳なのかよくわからない。
「実年齢」というものが、生まれてからこんにちまでの年月を言うのなら、確かにわたしは57歳だが、身体機能、及び精神的な状態の衰えの度合いを以て測定するものなら、わたしは明らかに高齢者に違いない。


わたしが現代社会についてゆけないのは、肉体の衰えや、精神活動の低下乃至劣化のみに因るのではない。

わたしが普通の人たちにどうしてもかなわないと屡々感じるのは、おそらく本を読んでいるからではないかと感じるのだ。大学時代から「何故生きるのか?」=(Why ?) ばかりを考え、「どう生きるのか?」=(How ?)についてほとんど思考したことがないからではないか、と言うことだ。
「自同律」ということで言えば「わたし=考える人」ということが、わたしを並みの人間よりも劣った存在にしている。
けれども「わたし」は「考える人」であるという同一律からおそらくは逃れることはできない。

ずっと孤独でいると、身体的なことを別にして自分のどこがどう「おかしくなってきている」のか、誰も教えてくれない。以前、時々わたしのブログを読んでもらっている主治医に、「確かに文章は上手いけど、書かれていること=価値観は、やっぱり「ビョーキ」ですね。」と言われたことがある。

先日或る人から、わたしのブログを見たことはないが、ひょっとして、密かに共感してくれている人もいるかもしれないじゃありませんか、ということばをもらった。その言葉がどれだけわたしを励ましてくれたか。

けれども、今はその人の何気ない親切な言葉に感謝しつつも、わたしのブログに共感してくれる人などひとりもいないと言いきることができる。なぜなら今ではわたしも主治医と同じ意見であり、文章も、とても自分の目指している水準に遠く及ばないどころか、日に日に読むに堪えない悪文になってきていることを実感しているからだ。

わたしは自分の頭で考えない人を好きになれない。しかし現実には、自ら考えることによって、より劣位の存在になっている。そして「わたし=考える人」は、それにもかかわらず、不快ではない。


ー追記ー

わたしは、自分が好きではないが、こんな出来損ないをここまで生かしてくれた「自分」という存在を罵るのはもうやめようと思っている。わたしの身体はわたしという生体をここまで守ってくれ、わたしが愚かなのは、決してわたしの精神のせいではないのだから。










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