2021年5月5日

人外(にんがい)であるということ。

 
....お前は人間ではないのだ。お前は人交はりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物(いきもの)だ。
ー三島由紀夫『仮面の告白』

『仮面の告白』は若い頃に読んだきりで、内容もすっかり忘れてしまった。
上の引用は中井英夫の『磨かれた時間』で、乱歩と三島の類似性を述べている部分に引用されていた。

この言葉もやはり、ポール・ヴァレリーの『テスト氏』で、テスト氏の妻が敬愛する牧師が、彼女の夫を「テスト氏は孤立と、独特の認識の化け物」であると表現した言葉とともに、一目見た時に、「自分のことだ」と感じた。

「孤立と独特の認識の化け物」がわたしでなくてなんであろう。

人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物(いきもの)」がわたしでなくてなんであろう?

"I am grotesque, If I'm not grotesque I'm nothing" 

「わたしはグロテスクだ。もし私がグロテスクでなければ、わたしは無だ」と言ったのは、オーブリ―・ビアズリーである。


ふと思い立って、今年の初め、数回メールのやり取りをした鹿児島の出版社、ラグーナ出版から以前出された、『勇気をくれた言葉たち ~ 精神病体験を救ってくれた言葉 ~』を買ってみようとしたが、アマゾンのようには簡単にネット上で注文できなかったので、今年初め、定期刊行誌、『シナプスの笑い』を購入した際に本に同封されていた注文書で購入希望を伝えようと思う。

同書の解説には、

「この本は、全国の精神障がい体験者自身が、勇気づけられた言葉、救われた言葉、励まされた言葉を集めたものです。その言葉の背景や解説とともに紹介しています。(全72編の言葉を収録)

一言の言葉で孤独や絶望から救われていく体験者の姿は、病の方のみならず、ご家族、医療福祉従事者も心を打たれます。

現在病に苦しんでいる方々の励みと支えになり、また、ご家族、医療福祉従事者が言葉の大切さを考える一冊となればと願いを込めて刊行いたしました。」

とある。

いったい、嘗て、そして、今現在精神疾患乃至障害を持つ人たちが、どのような言葉に「励まされ」「勇気づけられ」また「救われた」のかに関心がある。

仮にこの本のために、わたしがなにか言葉を、勇気づけられ、励まされ、救われた言葉を入れるとしたら・・・何も思いつかない。

....お前は人間ではないのだ。お前は人交はりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物(いきもの)だ。」にしても、「孤立と、独特の認識の化け物」にしても、
好きな言葉であり、また、わたしという人間を表わすためにはもっともふさわしい言葉ではあるが、これらの言葉で救われたり、元気をもらったというものではない。

わたしの場合、好きな言葉がひとつも、それによって、励まされたり、救われたりする言葉になってはいないようだ。

おそらくわたしが勇気づけられたり、励まされたりする言葉は、他ならぬ「わたしに向かって」投げかけられた言葉だ。わたしにはどこかに、認められたいという欲、褒められたいという飢えのようなものがあるのだ。

上に挙げたいくつかの言葉は、わたしという人間を表現する言葉だと言った。
しかしわたしがそのように感じ、考えるに至った背景には、世人が、正にわたしを「そのように」見ているであろうという強い確信があるのだ。
わたしは世の中が、わたしの自己イメージ、わたしのアイデンティティーをこのようないびつなものにしたという気はない。わたしはこのように評される自分を、人外であり、化け物である自分を嫌いではない。けれども世の中もまたわたしをこのように見ているだろうと感じている。でなければ、ここまで他者と悉く反発するという理由がわからない。

人間ではない奇妙な生き物であり、独特の認識を持つグロテスクな化け物は、決して人に好かれることはない。

勇気づけられた、励まされた、救われた・・・といったようなたいそうなものではないが、
それに類する言葉をふたつ。


「自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。
 だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。」
ー エミール・シオラン

「自分自身を表現すること、それがすべてだ。善き他者であるよりも、悪しき自分自身であること。」 
-ピエール・モリニエ





The Sun Is Passing The Sign Of Virgo, 1906-1907, Mikalojus Konstantinas Čiurlionis. Lithuanian painter, Composer and Writer (1875 - 1911)
- Tempera on Paper -









1 件のコメント:

  1. Takeoさん、こんにちは。

    負けることは決してみじめなことではありません。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    かちたいならば
    その ほうほうを おしえましょう


    『もしも あなたが かちたいならば』
    よわい あいてを みつけなさい

    もしも あなたが かちたいならば
    その あいてが ゆだんしている ときに やりなさい

    もしも あなたが かちたいならば
    さらに その あいての うしろから おそいなさい


    そうすれば きっと あなたは かてるでしょう


    けっして つよそうな ものと たたかっては いけません
    けっして せいせいどうどうと しょうぶしては いけません
    けっして ひれつな やりかたを けぎらいしては いけません

    じぶんが つよくなれば かてると おもうのも まちがいです

    じぶんが どんなに つよくなっても 
    その じぶんより よわいものにしか かつことは できません
    つよくなれば じぶんより よわいものの かずが ふえるだけです

    かちたいならば 
    まよわずに やりなさい
    まよえば きっと まけるでしょう


    だから 
    もしも あなたが かちたいならば 
    この ほうほうで やりなさい



    そう もしも 

    あなたが それを 
    はずかしいと おもわないの ならば

    この ほうほうで おやりなさい



    かならず かてますから


    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    私は、絵とタイトルを別物として創っているので、まだ、この「詩のような題」に対応する絵はありません。

    こんなみじめな絵は描きたくないので。

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