2021年5月19日

説明並びにお詫び

 昨日の投稿でわたしはこのように書いた、

『ある女性が、「みな歯を食いしばって生きている。」と、わたしに言ったことがある。わたしにはこの世界が、歯を食いしばってまでしがみ付いていなければならない場所であるとは到底思えない。』

と。

わたしは決して、歯を食いしばり、額に汗して生きている人たちを軽んじるつもりも貶めるつもりもない。
わたしがこのように書いた理由のひとつに、この言葉が、数年前、短い期間参加していた、『リタリコ発達ナビ』という「発達障害の子供を持つ親、及び当事者たちの(インターネット上の)コミュニティー」で、ひとりの人間が、顔も知らず、声を聴いたこともない人間に対し、ここまで深く憎しみの感情を抱くことが出来るのか、と思わせるほどに、わたしに対して、悪口雑言の限りをつくして中傷・侮辱してきた女性の言葉だという背景もある。

「歯を食いしばって生きる」とはどういうことか?それはかならずしも、身体の動きを伴うものではないと思う。重度の身体障害を持った人たちは、ゆび一本動かすことさえ困難かもしれない。同じように重度の知的障害を持った人たちは、現実に歯を食いしばるということもできないかもしれない。見落としてはいけないのは、何かをしている(何かが出来る)人間の方が、何もできない(何もしていない)人間よりも、上の存在ではないということだ。
人はそれぞれに到底他人の窺い知ることのできない過去を背負い、心の痛手を抱えている。(「すべての人間は」、とは敢えて言うまい)その背景を知らずに、その人の現実を知らずに、今目の前のディスプレイの向こう側にいるその人の片言隻句、発言、主張のみを以て彼/彼女を裁くことは誤りであると思うのだ。

哲学者のヴィトゲンシュタインは、「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」という有名な言葉を遺した。けれどもわれわれの多くは、インターネットという道具を手にすることによって、語り得ないこと、語ってはいけないこと、言うべきではないことについて沈黙するすべを忘れてしまったようだ。

同時に、「人のいのちは地球よりも重たい」といった文句のように、言葉にした瞬間から、その本来の意味がたちまち揮発して、安っぽく薄っぺらなクリシェ(決まり文句・常套句)になってしまうことが多い。

「語り得ぬことについては沈黙しなければならない」

けれども、実際には「語り得ぬこと」など無いのだ。「語り得ること」と「語るべきではないこと」とを分かつのは、結局それぞれの人間の個々の感受性であり倫理観、思慮深さ、美意識などに因るのだと思う。

昔観た映画で、タクシーのドライバーが雨の夜、新たな客を乗せる。その時に彼の心の中のモノローグが流れる。
「いいドライバーとは、沈黙すべき時を弁えている者のことだ・・・」

これはドライバーに限ったことではない。

質のいい人間とは、沈黙すべき時と、強く主張すべき時を弁えている者の謂いだろう。

最後になってしまったが、昨日のわたしの言葉で少しでも傷ついた方がいたら、心からお詫びいたします。仮に誰も傷なんか受けていないとしても、わたしの書き方は拙速でした。











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