2021年5月21日

個性と畸形について(ダイアン・アーバス)

わたしには外の世界の微妙な差異というものを見分けることが出来ない。
わたしにとって世の中は単純な要素で構成されている。若者、中年、老年、そして男と女。
そして若者でも、四・五十代の中年であっても、わたしが識別できるのはせいぜい性別くらい。それ以上の個々の違いを認識することは難しい。

昔から、或いは誰でもそうなのかもしれない。わからない。

久し振りにダイアン・アーバス Diane Arbus. American (1923 - 1971)の写真集を視た。主にフリークスや、一見して、非・日常的な姿をしている人たちを撮った女流カメラマンである。
彼女の写真の中の人物たちは皆それぞれに独特である。

奇形の人々の写真を多く撮りました。それは私が写真を撮った最初の題材のひとつですし、わたしに非常に強い興奮をもたらしたのです。私はただ、彼らを崇拝したものでした。いまでもそのうちの何人かの人々にはそうした感情を持っています。親密な友情というのではないのですが、彼らはわたしに羞恥と畏怖の入り混じったような感情をもたらしてくれます。奇形の人々には伝説の中の人物のようなある特別な価値がそなわっているのです。例えば人を呼びとめてはなぞなぞを出すお伽噺の主人公のように。ほとんどの人たちは精神的に傷つくことを恐れながらいきていますが、彼らは生まれた時から傷ついています。彼らは人生の試練をその時点で超えているのです。彼らはいわば貴族です。

 

わたしが彼女の写真に惹かれるのは、人物ひとりひとりが、正に他ならぬ「その人」以外の何ものでもないからだ。
「美」は個性(個別性)に宿る。わたしが東京の街を視て、砂を噛むような味気無さ、味も素っ気もない感触を覚えるのは、冒頭に述べたように誰もが同じように見えるからだ。
蟻の群れのひとつひとつの個体を区別できないように。
あるいは極論すれば、こんにち個性的であること、独自の存在であるということは、「異形の者」であることを意味するのかもしれない。
みなが整然とブランドのスーツに身を包み、皆が同じように街中で、電車やバスの車内で携帯電話に見入っているような「同一性の魔」に比べれば、自身、精神的畸形者であるわたしは、寧ろ化け物の世界に身を置きたいとさえ思う。

お化け屋敷は、暗闇の中で様々な姿形をしたモンスターが次々に姿を現すから怖いのであって、同じ化け物がここでもあそこでも出没するのでは意味がない。
お化け屋敷の怖さは、そこにいるのが自分たちとは「異質」「異形」の存在であるということの恐怖である。そして恐怖の中での楽しさは、次に現れるモンスターが、今、自分たちに悲鳴を上げさせたモンスターとは全く違った姿をしているということへの好奇心ではないだろうか。

「ニンゲン」というのは、それぞれが違って当たり前なのか?或いは、同じ種の動物である以上、本質的に均質で、そこからはみ出たものを、「フリーク」「畸形」と呼ぶのだろうか?

われわれすべてがこのアイデンティティというものを持っています。それは避けることのできないものなのです。ほかのすべてが取り去られたあとも残るものがアイデンティティなのです。私は最も美しい創造は、作者が気づかなかったものだと考えています。

わたしには彼女のいう誰もが避けがたく持っているアイデンティティ(「自分自身」或いは他と己を必然的に分かつものとしての「自己」)が見えない。実際に話してみればそれぞれに固有の自己を持ち、その当然の結果として(表現の巧拙は度外視して、)自分の意見があることがわかるのだろうか?

私は写真は何が写されているかということにかかっていると思っています。つまり何の写真なのかということです。写真そのものよりも写真の中に写っているものの方がはるかに素晴らしいのです。


ダイアン・アーバスは、最後に、

「でも本当に、自分が撮らなければ誰も見えなかったものがあると信じています。」

と語っている。

確かに、わたしは彼女の写真を通じて、人間の多様性というものを目の当たりにした。

そして、フリークスに対しての、

「彼らはわたしに羞恥と畏怖の入り混じったような感情をもたらしてくれます。」

という言葉にも全面的に共感する。


Untitled 10, 1970–1971
 
Female impersonators in mirrors, NYC

Two Men Dancing at a Drag Ball , 1970

 

Untitled 5 , 1969–1971

Russian midget friends in a living room on 100th Street, NYC , 1963



□参考図書□ 『ダイアン・アーバス作品集』伊藤俊治訳 筑摩書房1992年


ー追記ー

個人的な好みを言えば、

引用文中の

” Like a person in a fairy tale who stops you and demands that you answer a riddle. "


「例えば人を呼びとめてはなぞなぞを出すお伽噺の主人公のように。」

よりも

「彼らはあたかも妖精たちの物語の中の人物のように、あなたに立ち止まり、謎を解くことを求めているようだ 」

の方がいいと思う。












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