無料の「友達作り」のサイトに登録していたが、当たり前だが、当たり前すぎるほど当たり前だが誰とも合わないので退会した。
そこにはツイッターのように「つぶやき」を載せる場所があって、わたしもいくつか「呟いて」みた。
アカウント削除を決めていたのでその前に一応こちらに残しておいた。無論反応は殆どナシ。
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写真はロベール・ドアノー。授業中時計を気にする子供。
今時、小・中・高校にこんな時計あるんでしょうか?
わたしは50代ですが、古い写真を見るたびに、「何もかも懐かしい・・・」という想いに囚われます。
「今を生き」てはいません・・・
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ふたたびドアノー。
Baiser Blotto (kiss in delivery bicycle), 1950(デリバリー・バイシクル=前に荷物を入れる箱の付いた自転車ですね)
古き良きパリの光景です。
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今度は絵、これは英国の20世紀の画家、ローレンス・スペンサー・ローリーという人の作品です。
「製粉工場の前」といった感じでしょうか。水彩絵の具で描かれた極度に簡略化された人物たちがとてもいい味を出していて、彼の絵はこんな感じの作品が多いのですが、好きな絵です。
ではみなさま寒いのでご自愛の上、良い週末を。
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今のわたしは、今日(金曜日)のような日の夕暮れに、ひとりで、歩いて5分の比較的緑の多い公園に行くというだけで、誇張ではなく、「孤独死」してしまうだろう。
わたしは東京の郊外に住んでいるが、今の時期、午後五時から、渋谷に行って改札を出て、5分間駅前を歩いて帰ってきたら十万円やると言われても絶対にお断りだ。
晩秋の宵は人を愁殺する・・・
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先日新聞を読んでいたら、「違いを受け容れられない社会の側の障害」という言葉があって妙に印象に残っている。新聞もたまにはまともなことも書くんだな。
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「何が人生を難しくしているのかしら・・・」
「人間・・・」
けれども人生を「生き易く」することができるのもまた「人間」
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ただ、この絵には抗い難い魅力があります。特に惹かれるのは、この女性「マリアナ」ではなく、
木の床、そこに落ちている枯葉、そしてネズミなどのディテイルです。
1851年の作品です。ジョン・エヴァレット・ミレイ作。
つくづく、日本人とは反りが合わない・・・
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