2019年11月24日

混乱の中で…


ここのところ調子が良くない。過日の投稿にもあるように、自分のこと(気持ち・状態・状況)がまるでわからない。内面の声が聞こえない。
たったひとりのストライキ」にもらったJunkoさんのコメント、「今回の大病を経て、少し世界を、人を見る目が変わった。厭世観が多少だが和らいだ・・・」というメッセージ。ショックではないが、正直、距離が広がったと感じている。無論それは(そう感じることは)誰のせいでもない。

以前のブログから、拙文を読んでくれている(た?)底彦さんのブログを、例によって、まとめて読む。

苦しい時の底彦さんの状態はわたしの比ではないだろう。しかし一方で、彼には、「数学」と「絵画」(絵を描くこと)という「楽しみ」がある。わたしが読む限り「気晴らし」といったレベルではなく、もっと積極的な「たのしみ」であり「よろこび」であると感じる。
また彼は、最近近所に居心地のいい喫茶店を発見したようだ。「また来たい」と書いてある。苦しさの隙をみて・・・いや苦しみの只中に居ながら、映画館に行き、絵を観に行く。デイケアも充実しているようだ。

「心が落ち着く三つの場所のこと」というタイトルの投稿があった。
わたしには仮初にもこのような表現を使える場所は、自室を除けばどこにもない。
(これは自分の部屋が唯一の安息の場という意味ではない)

病気という点では、或いは底彦さんの方が重いのかもしれない。(鬱病と人格障害だか発達障害だかを比較することにはそもそも無理があるが)けれども、「生への姿勢」という意味では、わたしは底彦さんにも遥かに及ばない。

少なくとも、「たのしみ」というものがまるでないこと、「心が落ち着く」という場所を持っていないこと。これだけでも大変な差だと言っていい。

底彦さんの文中に最近散見される。「少しづつだが回復・・・」という言葉を目にするたびに、Junkoさんとはまた違った隔たりを感じてしまう。仮にそれが医師の眼から見ての「客観的」な状態ではなく、あくまでも底彦さんの希望・期待に裏付けられた「感覚」であったとしても・・・

何もわからないが、いろいろなことが悪くなっていることだけは感じるから。





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