2019年11月28日

無題


来週、つまり十二月の二日に父は埼玉のケア・ハウスに入居する。
以前にも書いたが、それにわが家の全収入であった父の年金を充てる。

わたしも弟も手帖を持つ精神障害者で、収入はなくなる。

わたしとの不和・・・というよりも、わたしが避けているせいで、現在隣接する市のURに別に住んでいる弟の家賃、月々6万円(+)をこれからは出せない。仮に出せたとしても、弟はここに戻ってきたがっている。

主治医は同居には反対の立場だ。それは、わたしが暴れる可能性があるからだ。

しかしわたしは母と弟が望むのなら戻ってくればいいと思っている。おそらくわたしは堪えられないだろう。だったらその時にはわたしが出ていけばいい。出ていくというのは、どこか他に住処を見つけるという意味ではない。

わたしは生きているのが辛くて仕方がないのだ。

そして有体に言ってしまえば、毎日欠かさず弟が来ることにも、もう耐えられなくなってきている。
弟があそこで、一人ぼっちで毎日を過ごすことに耐えられずこちらに雨の日も風の日も自転車で片道10キロの道のりを往復するように。

主治医の意見は、全員が生き残る方途を示している。中途半端な形で。

けれども、わたしはもう、いい。

そこまでしてここに残って、ここで生き残って何がある?

わたしは弟との同居におそらくは耐えられないだろう。けれども、戻ってくればいい。
わたしは弟を憎んではない。寧ろ、父や弟のありのままを受け容れられない自分の狭量を憎む・・・




0 件のコメント:

コメントを投稿