こんばんは、Junkoさん。
また直接に反映されなかったようですね。メール助かります。
今日は(も)とても疲れていて、考える力がありません。
ふたつの詩文を紹介し、今のわたしの気持ちとして、お返事の代わりとさせてください・・・
◇
奈々子に
赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり 奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの つややかな頬は
少し青ざめた
お父さんにも ちょっと酸っぱい思いがふえた
唐突だが 奈々子
お父さんは お前に多くを期待しないだろう
人がほかからの期待に応えようとして
どんなに自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり知ってしまったから
お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ
人が人でなくなるのは 自分を愛することをやめた時だ
自分を愛することをやめる時
人は他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう
自分があるとき 他人があり 世界がある
お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた
苦労は 今は お前にあげられない
お前にあげたいものは 香りのよい健康と
かちとるにむずかしく はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ
ー吉野弘
◇
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
吉野弘 -奈々子にー
「自分を愛すること」。もうずいぶん長く聞いたことのないような、または生まれて初めて聞くようなふしぎな言葉だ。
この言葉は私には、まるでラテン語か何かのように響く。にもかかわらず、この言葉の中に、久しく忘れていたあるなつかしいものを感ずるのだ。
わたしには、自分を心から愛したおぼえがない。
自分で自分の身体に泥をなすりつけるようなことばかりして来た。
時には負いきれぬほどの過大な要求をし、時にはわれとみずからを路傍へうちすててきたりした。
自分を愛すること。
自分を愛すること。
一体それはどういうことなのだろう。
『石原吉郎詩文集』「一九五六年から一九五八年までのノートから」(2005年)